白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2015年03月07日(土) 自分本位。

小雨ぱらつく土曜日。夫は出勤。娘は市児童施設の子どもイベントに参加。さっき送り届けてきた。お昼前には迎えに行って、午後からも送迎する予定。

昨夜の9時頃。実家の母から電話があった。実家の母があれこれ頼み事を電話してくるのは日中に限られているものだから「何かあったの?」とドキッっとしてしまった。母が直接電話をかけてくると言う事は、実家側の親戚に不幸があったのかと思ったけれど、なんて事のない内容だった。「そんなの明日でもいいじゃない?」と言うような話だったのだけど、思い立ったが吉日ではないけれど、話さずにはいられなかったのだろう。

思えば電話って滅多に使わない。

私のスマホに比較的しょっちゅうかかってくる電話と言えば、実家の母か義母くらい。たまに娘関係。お友達のお母さんとか、PTAがらみとか。あとは、極稀に派遣会社から仕事のお誘いが入るくらい。派遣会社は登録解除しても良いのだけれど、まだ踏ん切りがつかなくて登録したままにしている。

大抵、日中で事足りる内容なので、朝晩に電話がかかってくると「何か不幸があったの?」とドキドキしてしまう。夫の親戚にしても、私の親戚にしても高齢者が多いのでそう思ってしまうのだけど、電話ってそもそも、不幸を伝える手段ではない。

友人との連絡はメールで事足りてしまうから電話をしなくなっちゃったのだけど、ちょっと寂しい気がしなくもない。「会いたい」とか「声が聞きたい」とかって、当たり前の感情なのに、いつしかそれを抑える癖がついてしまった。これってPCやスマホが進化して便利になったって事が原因だとは思うのだけど、それだけでは内容な気がする。私も友人達も大人になったのだ。

大人って自分本位では生きられないところがある。

もっと、もっと年をとって「私もいつ死ぬか分からないし好きになように生きるか!」と言える日が来るのまで、自分本位で生きるのは難しい気がする。って事は、それまで長生きするしかない。随分と先の事のように思うけれど、過ぎてしまえばアッっと言う間なのだろう。その日が来るのを楽しみにすることにしよう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
2014年03月07日(金) 当たり前じゃない。
2012年03月07日(水) お雛様の片付け。ホワイトデーのお返し。
2011年03月07日(月) 梅。パン。予防接種。仏陀。
2007年03月07日(水) 母子手帳をもらう
2006年03月07日(火) 春雨の屋上。
2004年03月07日(日) 食事の効用。
2002年03月07日(木) 一緒に走っていけるといいなぁ…なんて。

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