一昨日は家族で義叔父の告別式に参列してきた。
義叔父は義母の長兄。和歌山の田舎で暮らしていた。当日は家族のみで行く予定だったのだけど、通夜に参列して和歌山に滞在する予定だった義母が自宅に戻っていたらしく、急遽夫の実家を廻って義母を乗せて行くことに。予定より早く家を出る事になったので朝はバタバタだったけれど、年末で道が混んでいる事を想定していたのに意外と空いていてスムーズに和歌山まで行くことが出来た。
ロードサイドのファミレスで昼食を済ませてメモリアルホールへ。昔はどこの家も自宅から送り出していたそうだけど、最近ではメモリアルホールでするのが主流とのこと。「田舎のお葬式は大変だよ」と聞いていたし、喪主である義叔父の長男は昨年から市会議員をしていることもあって、それはそれは盛大な葬儀だった。
吃驚したのは今でも「野辺送り」があったってこと。
なんでも25年ほど前までは土葬をしていた地域らしく、当然のように野辺送りがあたったようだ。そしてもっと吃驚したのは、娘が「松明」という役を仰せつかったってこと。松明は行列の2番目に位置していて、葬儀委員長の後ろを歩く。義叔父は娘とでは血の繋がり的にはそんなに濃くはないのだけれど「可愛いから行列した時に見栄えするだろう」と使命された。娘一人では心もとないという事で、私と娘が手を繋いで歩くことに。最も野辺送りと言っても、今ではメモリアルホール内を歩くだけなのだけど、私にとっては初めての事で少し緊張した。一方娘は「大事な役目を任された」と大張り切りで歩いていた。
義叔父の葬儀は、私が今まで参列したどの葬儀よりも気持ちの良いものだった。義叔父は80歳で年齢的には不足も無いし長く病みついた訳でもない。倒れてから少し入院したけれど、その間には家族と話す猶予もあり、最期も安らかだったらしい。「ちょっと前まではカラオケ行くのに、スナックまでタクシーで送って行ったのになぁ」なんて話もあり「そうだ。柩に練習していた歌の歌詞カードも入れとくか」などと、非常に呑気な雰囲気だった。長患いで亡くなると、家族が看病疲れでグッタリしていたりするのだけれど皆さんお元気そうだった。
そして心配していた娘は1日中、実にお利口にしていてくれた。車での長距離の移動も、葬儀の前後の待ち時間も、そして葬儀の最中も我が子ながら文句無しのお利口っぷり。もっとも、娘も彼女なりに気を使っていたらしく、寝る前に「お母さん、ワシワシして抱っこしてちょうだい。だって今日は全然甘えてなかったもん」と言ってきたので、リクエスト通り盛大に甘えさせた。
それにしても、あんなに良い葬儀もあるものだなぁ……と心底感心した。
私は実父を含めて、過去にいくつかの葬儀に参列したものだけど、悲しかったり、情けなかったり、気分が悪かったりする葬儀が多かった。若かったり、辛い闘病の末だったり、複雑な事情があったりした上での葬儀と言うのは言葉に表せないくらい辛いものだ。義叔父の葬儀の雰囲気の良さは、誰かに語りたくなるくらい素晴らしい物だった。盛大だったから…とか、そう言うのではない。皆に惜しまれつつ、しかし悲痛さは感じられなかったのだ。
義叔父の葬儀では色々と勉強をさせてもらった。大げさに聞こえるかも知れないけれど、人生観がちょっと変わった気がする。義叔父の冥福を祈りつつ今日の日記はこれにてオシマイ。