白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2011年03月10日(木) さようなら秘密の滑り台。

一昨日の夜から娘が熱を出していたので2日ばかり日記が飛んでしまった。

扁桃腺からの高熱で大変と言えば大変だったけれど、抗生物質を4回飲んだらサッと熱が下がってしまうあたり、娘は基本的に健康な子なのだなぁ……と感心させられた。高熱でも食欲があるところも。誰に似たのか、ありがたい。今日はバタバタした2日間について書きたいところなのだけど、それ以上に書き記したいことがあるので、そのことについて書いとおこうと思う。

一昨日。大阪は前日に雨が降ったため路面はじっとり濡れていた。最寄の児童公園は水はけが悪くて、娘が乗りたがっていたブランコには大きな水たまりになっていたので、歩いて20分ほどの公園まで遠征することにした。その公園は図書館へ行く散歩道の途中にある少し大きな児童公園。最寄の児童公園よりも整備されているので、あそこなら大丈夫だろうと。

目的地の公園へ行く途中、道端に公園とも空地ともつかない小さな広場がある。そこには何故か古びた鉄製の滑り台があった。滑り台の横にはベンチが1つ。滑り台とベンチしかないその場所は娘と私のお気に入り。その場所は木々に囲まれていて、いつ訪れても人がいないので、私達はその滑り台を「秘密の滑り台」と呼んでいた。一昨日も娘は公園へ行く途中で「秘密の滑り台」で少しだけ遊んでいくつもりで、意気揚々と歩いていった。

ところが。秘密の滑り台のあった場所は工事のフェンスで囲われていた。なんでも宅地開発するため、滑り台は撤去されるとのこと。娘、涙目。3歳なりに事の重大さは理解したらしく、私になだめられつつ目的地の公園へ行ってからも「秘密の滑り台が無くなっちゃうんだって」と何度も何度も呟いていた。どうやら娘は秘密の滑り台が撤去されるのがショック過ぎて遊ぶ気になれないようだったので、とんぼ返りで撤収することにした。

帰り道、再び秘密の滑り台のある場所に行って、工事現場の作業員さんに事情を説明手して「最後に写真を撮らせてもせえませんか」とお願いしてみた。作業員さんのご厚意で私達は工事のフェンスの中に通されて、秘密の滑り台と一緒に写真を撮った。娘も哀しいなりに納得したらしく「ありがとう。バイバイ」と滑り台に手を振って、作業員さんにお礼を言って帰宅した。

娘は帰り道「秘密の滑り台はお父さんとお母さんの待ってるお家へ帰るんだねぇ。工事のおじちゃんが連れて行ってくれるのかな」と話していた。流石に「いやいや。あれは廃棄処分でしょう」とは言えずに「そうだねぇ。子ども達といっぱい遊んだから、疲れちゃったんだろうねぇ」と言っておいた。

秘密の滑り台の撤去は娘にとって哀しい出来事だったのだけど、私も少し哀しかった。あの滑り台は娘がヨチヨチ歩きの頃から親しんでいた場所だったのだ。「秘密」という名に相応しく、静かで気持ちの良い場所だった。娘が幼稚園へ行くようになったら、今までのようには来られないだろうなぁ……と思ってはいたのだけれど、まさかもう2度と遊べなくなってしまうとは。秘密の滑り台の撤去は娘の赤ちゃん時代との決別の象徴のように思えて、少し泣いた。

日本人にとって3月、4月は区切りの季節なのだなぁ。

秘密の滑り台の撤去は残念だったけれど、ちゃんとお別れが出来て写真が撮れたのは幸いだった。作業員さんのご厚意に感謝。もう2度と遊ぶことは無いのだけれど、秘密の滑り台の思い出は心の中に仕舞っておこう……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


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