白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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2010年10月29日(金) 善因善果?

曇り空とは言うものの雨よサラバな1日。ありがたかった。お布団を干すには陽射しが足りないなぁ……と思いつつ、それでもお布団を干してしまった。夫も娘も汗かきなので、干せる時に干しておきたい。

午前中は買い出し&公園。午後からは実家の母のお供。実家の母の知人(私も知っている人)と会った。20年以上お付き合いのある人なのだけど、お会いするのは結婚して初めて。実家の大変だった時期を知っている人なので、娘を連れていくと「なんだか嘘みたい。ホント良かったわねぇ」と喜んでくれた。「ご無沙汰していましたが、おかげ様で元気にやっています」と頭を下げると「それは白蓮ちゃんが良い人だからよ。そうじゃなけれど、こんな風になってないわよ」と褒めちぎられてしまった。

褒められて悪い気はしないけれど私は「善因善果・悪因悪果・自因自果」を信じてはいない。あれは人間の願いであって現実ではない。良いことをすれば良い結果が出る。悪いことをすれば、いつか報いが訪れる。良い人間は幸せになれるけれど、悪人は酷い目に合う。一種の昔話的発想だ。

良いことをしている人、頑張っている人が必ずしも報われるとは限らない。そして逆もまた同じ。良いことをしている人、頑張っている人が皆幸せになれたら、どんなに素敵だろう。

私だって「善因善果・悪因悪果・自因自果」の世の中であって欲しいとは思う。だけど、周囲を見渡してみると決してそうとは言えないのだ。なので、今が良いからと言って「これは私が頑張ったから」と思うの傲慢過ぎるように思う。20年ほど前、三浦綾子『泥流地帯』を読んで「善因善果・悪因悪果とは限らない」と書かれているくだりを読んで「そうそう!私もそう思う」と激しく同意したものだ。

「善因善果・悪因悪果・自因自果」ではないのなら、真面目に生きるとか、頑張って生きることが無駄かと言うと、それはそれで違うと思うのだけど。

……なんだか、やたら草臥れた1日だった。夫が帰宅したらビールを飲もうと思う。今日は白菜の煮物がやたら美味しく感じられた。少しずつではあるけれど冬野菜の勢力が強くなっているようだ。明日はインフルエンザの予防接種に行く予定……って事で今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
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2003年10月29日(水) にわかブームとか。
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