白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2009年09月09日(水) 後戻り出来ないこと。

今日は娘を保育園の一時保育に預けてハローワークへ行ってきた。

娘をお願いしている保育所では「何時間お願いします」という預け方ではなく、保育園児と同じ時間に登園して同じ時間に帰る(早朝・延長は無い)と言うもの。その分、同じ年の保育園児のいるクラスに入れてもらって一緒に遊ばせてもらえる。今日は夕方から行かねばならない手続きだったのだけど、娘は9時に保育園。なので娘を預けてから1人の時間がやたらと長かった。

娘がいないなんて滅多にないチャンスなので、ハローワークへ行くまでは整骨院へ行って鍼を打ってもらったり、娘がいたら落ち着いて出来ないような場所を掃除したりして過ごした。娘がいない…ってだけで仕事がやたらと早く進むのだけど、なんだか寂しくて仕方が無かった。お昼ご飯も自分1人のために作る気にはなれなくて、娘がいたら絶対に食べないカップ焼きそばをボソボソ食べた。「たまには、カップ麺を食べたい」と常々思っていたのに、ちっとも美味しくなかった。

有吉佐和子の小説の中で、我が子は自分で育てるしかないね…というようなことを女友達が語り合う場面で「今さら、腹の中に戻す訳にもいかんしなぁ」と言うようなセリフが出てくる。娘を産む前にはサラリと流していたけれど、今なら激しく同意できる。

子供って産んじゃったら後戻りは出来ないのだ。

娘を産む前、夫は夜勤があったり休日が人と違ったりする勤務体制だったので、結婚してからも「1人の時間」はけっこうあった。その時は「やったぁ」とばかりに、1人の時間を満喫していたのに、今の私にはそれが出来ない。1人になっても、どこか娘のことが心の隅に引っかかるのだ。

娘が成長して放っておいても平気な年頃になったとしても、その気持ちは続くのではないかと思う。今ほど心配ではないかも知れないけれど、娘のことを気にしない…とはならないように思う。「子を持って知る親心」って、こういう事なのだろうか……と思ったりした。

ちなみに娘は保育園に預ける時は大泣きしていけれど、帰りに渡された保育メモによると随分慣れてきたようなことが書いてあった。あと何回かお願いしなければならないので、この調子で慣れてもらいたいところだ。前回同様、娘も私も心身共草臥れる1日だった。こういう事にも母娘で慣れていきたいものだなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
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2007年09月09日(日) 背徳的な美味しさ
2006年09月09日(土) 他属性
2003年09月09日(火) 重陽の節句
2002年09月09日(月) 道で寝る人、亡父の面影。

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