来月の11日に2歳を迎える娘は、最近「タンパク質系のおかず」が大好きだ。
娘は1歳で断乳をするまで離乳食をほとんど食べてくれなくて、食べる事に関しては平均よりもずっと遅め。しかし最近は食べることに興味を持つようになってきたらしく、今まで食べさせるのに苦労していた肉や魚を喜んで食べるようになった。娘には毎回「これはモーモー牛さんのお肉よ」とか「これはトリさんのお肉よ」などと、食べる時に必ず解説するようにしている。
その影響で娘は好物の鳥肉料理を見ると「チッチ」と言うようになった。
鳥肉を食べさせる時に「チッチのお肉よ」と言った覚えはない。「鳥さんのお肉よ」とは教えただけだ。しかし娘は片言しか喋れないので、仕方がないのかも知れない。が、鳥肉料理が出るたびに「チッチ♪」と言われるのは、ちょっとキツイ。
鳥肉料理は鳥を屠った末に作られているという事くらい、頭ではちゃんと理解している。しかし「鳥」という単語を聞いて「食」を連想する時、頭に浮かぶのはせいぜい、スーパーでパック詰めにされた鶏肉くらいのもので、空を飛ぶ鳥や、リアルなニワトリを連想することはまずない。
鳥肉料理を食べさせる時、娘の口から「チッチ」と言う言葉が出るたびに、スズメやハトが飛んでいる姿がチラついてしまって、どうにもやり切れない気持ちに襲われてしまう。だが、よくよく考えてみれば「食べる」って事は、そういう事なのだ。動物にしても植物にしても、生命を奪って自らの生命を繋いでいる。普段は考えないようにしているだけのこと。
娘が鳥肉料理を見て「チッチ」と言うようになって「ちゃんと作って、ちゃんと食べなきゃいけないんだなぁ」と強く思うようになった。当たり前のことなのだろうけれど、今まで実感として感じることは無かったのだ。
毎日、何某かの物を食べて元気に過ごせるっのって、嬉しくもありがたい事なのだなぁ。毎日の生活の中で、始終殊勝な気持ちを持ち続けるのは無理だけれど、せめて「ちゃんと作って、ちゃんと食べる」姿勢は持ち続けたいものだと思う。美味しく食べられることに感謝しつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。