白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2008年12月12日(金) お友達…って。

1歳2ヶ月になった娘は少しずつではあるが社会と関わりを持つ機会が増えてきた。娘はこれから生きていくために人と関わっていく術を身につけなければならない。なので出来るだけ人と関わりが持てる場所に連れ出すようにしている。公園や保育園の園庭解放、育児サークルの集まりなど。

子供がたくさん集まる場所では「業界用語」では無いけれど、それに近しい独特の言葉使いが存在する。子育て1年生の私でも、それらは案外すんなり受け入れることが出来たのだけど「お友達」と言う表現だけは、いまだに慣れることが出来ないでいる。

たとえば公園で遊具の順番を教える時、母親達は「駄目駄目。順番よ。お友達の後ろに並ぼうね」などと自分の子に言い聞かせる訳だが、私にはどうしても不自然な言い回しに思えてならないのだ。

見ず知らずの相手なのに「お友達」とは、これいかに?

私とて、いい歳をした大人なので「お友達」と言っても、本当の意味での友達ではなくて、同じ年頃の子供を指すのだ…ってことは分かっている。まさか人様の子をつえまえて「あの子」と言う訳にもいかないし、だからって「あの方」って言うのもオカシイし。幼児番組のお兄さんも視聴している子供に向かって「テレビの前のお友達」なんて言い方をするくらいだから「お友達」が適切なのだと思う。

もしかすると私は「友達」神聖視し過ぎているのかも知れない。

何某かでお悩み相談(友達間でのトラブル)を見聞きして「それって、そもそも貴方達は友達じゃないのでは?」と思うことが多々ある。私の中で「友達」は「仲間」でも無ければ「知人」でもない。もっともっと大切な、信頼出来る温かな存在だ。しかし、一般的な使われ方で言うなら私基準の「仲間」レベルでも友達と表現しているように思う。

ちなみに私は友達の数は決して多くはない。だけど私が「友達」だと思っている人達は暖かい心を持った魅力的な人間揃いだ。私は財産ってものを持っていないけれど、友達だけは自慢出来る。

娘にはいい友達を持ってもらいたいと思う。軽々しく使う「お友達」ではなくて、本当の友達を。きっと彼らは娘の人生を助けてくれるだろう。そして娘にも彼らの良き友達と思ってもらえる人間になって欲しい。

私もいつしか子育て上で使う「お友達」って言い回しに慣れるのだろうか。しばらくは「なんだかなぁ」と思いながら使っていくような気がするなぁ……って事で、今日の日記はこれにてオシマイ。

育児サークルのクリスマス会で使う飾り物。今日は夫が忘年会で帰宅が遅いので、せっせと内職で作成した。けっこう大きいので、どうやって折らずに持って行こうかと思案中。










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