白い木蓮の花の下で  

    〜逝くときは白い木蓮の花の下で〜

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引越し先 白い木蓮の花の下で


2005年12月12日(月) さむさむ

今日の大阪地方はめっきり寒くて「寒いねぇ」が枕詞のようになっていた。本日は1日事務所にいて図面作製。現場に出ている同僚達がかけてくる電話の声が、心なしか震えていて気の毒な事この上無かった。

今日は愚弟と世間話をしていて、最近放送されている病気ネタドラマのことが話題に上った。私はそのドラマを1回も観ておらず、CMだか番組紹介だかで、チラリと映像だけは見た程度。なので何も語る資格はないのだが、その時の印象について、ひとこと、ふたこと。

闘病物って嫌いじゃないけど、なんだね。なんでドラマに出てくる病人って、あんなに小綺麗なんだろう? 儚げな風情の美しい病人とか、信じられないほど明るい笑顔をした可愛い子ちゃんなんて幻想だよね〜。実際問題、重い病気とか、怪我とかしてる時って、生きてるだけで精一杯になりがちだから、小綺麗さを保つなんて不可能なのにさぁ。ほら、そんなギスギスでいっぱい・いっぱいな感じでも、それでも繋がっていけるような関係とか広がっていく世界なんかをを見せてくれたら、相当泣けるのにねぇ……と。

ひとこと、ふたことのつものが、けっこう語ってしまった私に愚弟は言った。「姉の意見はもっともだけど、そりじゃぁドラマになりませんから。残念!」

いやはや。まったく、まったく。現実だけを見ていてはドラマや映画や小説なんて存在出来ないものなぁ。なので、そんなところにリアリティを求める必要はないのかも知れない。だが、ドリーマー過ぎるのもどうかと思ったりするのだ。まぁ、そういう私も「蓮は泥の中から咲き出でるから綺麗なんだって」的な物を求めていると言う点では、ある意味ドリーマーと言えなくもないのだけど。

ひとたび社会に出ると、老人、病人、怪我人といった社会的弱者は見た目で一歩引いちゃう人が多いように思うだけに、映像関係でそういう人々を美しく描き過ぎるのってどうなんだろう……と思わずにはいられないのだ。視覚の持つ影響力も大きさは、ある程度どうしようもない部分はあるのだけれど。

……なんてことを、めずらしく考えてみた寒い冬の夜だった。明日はもっと寒くなるとのこと。あったかくして出掛けないとなぁ……ってことで、今日の日記はこれにてオシマイ。


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【同月同日の過去日記】
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白蓮 |MAILHP