1日のスケジュールをこなし、娘を寝かせつけつつ「この週末は3連休だなぁ」なんて事を考えていたら、敬老の日の贈り物の手配をしていないことに気がついた。私もウトウトしていたのだけど、いっきに目が覚めた。
敬老の日の贈り物と言っても現金を祝儀袋に入れるだけ。本当は何か品物を贈りたいのだけど、義祖母は「現金がいい」とのことなので。来年の1月に100歳を迎える義祖母は、和歌山の田舎で病気の夫になったのを機に、うどん屋と民宿をはじめたような人なので、ものすごくしっかりしているのだ。まぁ、もらっても使うか使わないか分からない物を貰うより、欲しい物が買える現金が良いって考え方は、年齢の割にさばけているなぁ……と感心する。
現金書留の封筒に祝儀袋と娘の写真、それにメッセージを添えて送るつもりだ。メッセージは夕食後にでも書くつもりでいる。
私達夫婦が敬老の日にお祝いを出来るのは、夫の祖母ただ1人。娘は父方、母方の祖母が1人ずつ。娘は産まれた時から「おじいちゃん」がいないのだ。めずらしい話でもないけれど、ちょっと残念だ。
最近、斜め向かいのお宅のご主人が定年退職なさって自宅におられるのだけど、娘と1歳違いのお孫さんと公園で遊んでいる姿をよく見かける。孫と楽しそうに遊ぶ「おじいちゃん」の姿を見るにつけ、夫の父も私の父も、孫の顔を知らずに死んでしまったのだなぁ……なんてしみりと思うことがある。
しかし、敬老の日を祝うことが出来るというのは幸せな事だと思う。親から子へ。子から孫へ。そうやって何かが連なっていくって凄いことだと思う。娘を産むまでは、こんな事、考えたことが無かった。
それにしても贈り物が間に合う日に気づいて良かった。明日は郵便局へ行ってこなくちゃ。それはそれとして、娘を連れて義祖母に会いに行きたいなぁ……なんて事を思いつつ、今日の日記はこれにてオシマイ。