浅間日記

2005年01月29日(土) sugarな話

Hとライブに行く。ファンクミュージックだ。

いい年をして、スガシカオなんかに夢中になっていいのだろうかと
少し、否、かなり不安に思っていたのだけれど、
どうしてもこの男の創った歌から目が離せない。

そう思っていたら、村上春樹が「ずっと好きで聞いている」、
と書いていたので、少しほっとした。

書かれていたのは、オーディオのハイエンド機種を扱う
「ステレオサウンド」という雑誌。
たった8ページのために、2,000円以上も払って入手した。
30万円もするオーディオの記事をすっとばし、読む。
そうこの解釈なんだよ、いいんだよスガシカオは、と、改めて納得する。
同時に、こんな確認作業をしている自分を、少し馬鹿だなと思う。

DVDで見たスガシカオは、何だか軽薄な印象で、
甲高い声でヒヒヒと笑い、どうもペラペラな感じだった。
人間性と創りだす音楽が一致しない不思議から、アマデウスという映画を思い出してしまった。

ステージでの彼はDVDよりも誠実な感じがした。
無駄な語りとペラペラなお愛想から開放されている分、生き生きとしてみえた。

とにもかくにも、Hと音楽で共感できるという、
二人には極めてめずらしい日。

2004年01月29日(木) イマジン銃社会



2005年01月28日(金) ホルマリン漬けの人権

 国の隔離政策下にあった国立ハンセン病療養所5カ所と
ハンセン病研究センターで、入所者の胎児や新生児を
ホルマリン漬けにした標本114体が残されていることが
27日、厚生労働省が設けた第三者機関「ハンセン病問題に関する検証会議」の調査で分かった。というニュース。


詳細をネットで調べようと五分か十分渡り歩いただけで、
元患者である方の話から、弁護団の出張尋問の記録、
そして検証を妨害するエピソードに至るまで
いくらでも目にすることができる。

ホルマリン漬けにされた胎児の月齢によっては、
堕胎ではなくて、殺人であると断定されるものも多い。
産声を上げる赤ん坊の顔にガーゼをかぶせられ、連れて行かれました、
という証言。

たいがいの社会事象に対しては、爬虫類のように感度が鈍い自分であるが、
自分の痛点は−そういうものがあるのだとすれば−ここにあるんだ、と
はっきり分かる。
これ以上情報を入れたら、吐き気が本当のものになりそうだ。



いちじるしい人権侵害は、起こりうる。
らい病というカテゴリでくくってはいけない。

私は想像する。
天国のような名前のついた療養所の園長は、この世界では天皇で、
職員は天皇のために忠誠をつくすことが職務だと思っている。
そして、患者というのは自分よりも下のものだと思っている。

彼ら彼女らがもつ喜びや悲しみの感情というのは、
自分のとは別の種類の、何か取るに足りない下卑たものであり、
想像力を働かせる前に目の前から処分するのが適切だと思っている。

「そういう決まりになっていますから」という、
知性も誠意も想像力のかけらもない納得を他者に強いる世界。
己の小さな存在意義や権力保持のために、他人の命を犠牲にして平気な社会。



己の小さな存在意義と権力保持。
巨大な権力構造の重要パーツであり、
ご近所でも会社でもサークルでも家庭内でも、どこでも手に入れることができる。
人を損なわせ、貶め、傷つけるシステムのエンジンだ。

そして人間は、小さな脅迫と圧力が繰り返される環境下で、やがて
決して手放してはならない自尊心ですら「そうか、そういうものか」と投げ出してしまう、という事実。



そういう、私が心の底から嫌悪するこの世界は、残念ながら起こり得る。
どこが震源地になるかはわからない。

2004年01月28日(水) ネガの虫下し



2005年01月26日(水) 性根

本日で滞在は一旦終了。
あれやこれやの仕事が、全て絶体絶命の状態。

自分にもう少しの能力と、性根があれば、と歯がゆい思い。
しかし、この年になって性根を入れ替えるというのは、
至難の業かもしれない。

Hは今頃、極楽とんびで山の上である。



2005年01月24日(月) 一見にしかず

都心。ちょっとした契約を済ます。

上京するとTVを観る。
新聞やラジオだけではどうしても想像が及ばなかった
「津波」というものが、やっと理解できた。
子どものころ何かの絵本で目にした「海坊主」そのものである。
山が襲ってくるようだというコメントも、やっと納得がいった。
確かに恐ろしいことだ。

100年前の津波被害の伝説に従って迅速に避難したので、
被害が著しく少なかったという島には、
既に「津波」を意味する言葉があったのだそうだ。

100年オーダーの自然災害に備えるためには、
地域文化の一部として防災意識を引き継ぐことが、
最も実効性の高い方法かもしれない。
防災施設に100年の耐久性を期待することは難しいのだから。



2005年01月21日(金) 英語の時間

Aと上京。
久しぶりにテレビを見たら、ブッシュ大統領が演説していた。
freedomとかlibertyという言葉を、何回使ったとか解説している。

大統領は世界に向けて演説しているのではない。
アジアやアフリカや中東の市民など、目に映っていない。
今日のこれは、アメリカ人のアメリカ人によるアメリカ人のための、限定行事である。

(もっとも、この国の選挙民に、「自国の周りにはそういうオーディエンスがいる」という国際感覚があれば、
今日はブッシュでない人が演台に立っているはずである。)

だから、彼の発する「自由」という言葉には、
「我々アメリカ人の」というニュアンスが含まれている。
それは既に、自由ではなく「勝手=selfish」だ。

距離感の測れないメディアは、その事実を曖昧にする。




2005年01月20日(木) マッチポンプ日記

たまに、自分の日記を読み直す。

熟読して考え直したり、稚拙な論拠や「てにをは」もなってない悪文ぶりに
自己嫌悪に陥ったりもするが、概ねは、あたたかい眼差しで読む。

恥ずかしい告白をしてしまえば、いいこと言うなあとか、
そうそうとか、感心をするのである。

大体、自分で書いているものに肯定的なのは当然で、
「この日記はいつも根本から間違っている」と憤ることはないし、
もしそう思うようならば、多分専門家のカウンセリングが必要だ。

しかし要するに、観客のいない舞台で一人ボケと突っ込みをやっているようなものだから、
ある時点でさすがにはっと気が付き、
こんなマッチポンプをやっているから自分は成熟しないのだ、と、
今度は猛烈に反省する。

2004年01月20日(火) 芥川賞と私



2005年01月19日(水) 草稿

国連防災世界会議が、神戸で始まった。昨日から週末まで。

トーストを食べながら、新聞に掲載されている小泉首相のスピーチ全容を読む。
日本が世界中の災害救援や防災インフラ整備にどれほどの貢献をしたか、
−つまり金を出したか、ということなのだけど−とか、
TUNAMIというのは日本語が起源である、というような、
そういう、おらが村自慢みたいな内容ばかりだったので、
少しがっかりした。

日本の存在感を示すのは結構だけれど、ちょっとさもしい感じだ。
巨大津波という災害が、まだ救援さなかである時に、
関係者一同を集めて「俺はいくら出したけど」と言うなんて。

災害というのは世界中の市民の、現在と将来に何をもたらすのか、とか、
そういう心根に染みとおるかたちで、説得力のある話をしてほしかった。
災害の被害を、政治経済のオーダーでしか訴えられないのは、
現実的でないし、想像力が未熟だと思う。

もっとも、そういう文化の香りがする草稿を役人が用意するのは難しい。
個人の能力として難しいのではなく、組織として書くことができないのだ。

そうだから、新聞には「防災意識の低い国の参画が今後の課題だ」などとでている。



2005年01月18日(火) 悲嘆エレベータ

終日東京。予想どおり、暖かさで上着も帽子も邪魔になる。

阪神大震災から10年目の記事。

被災地域や被災者の人々は、謙虚でありながら、
前向きで力強い言葉を持っている。
それが色々なメディアから、自分に入ってくる。

人は一人では生きられない、とか、支えあって生きるとか、
今生きていることに感謝している、などなど。

これは、一体どういうことか。
何故こんなに、皆一様に言葉をもつのか。
そのようにさせた阪神大震災とは何だったのか。



多分、そんな清々とした心境の人ばかりではないはずだ。
神戸で起きた少年事件も、震災後の社会不安と無縁ではないといわれている。
被災したことがきっかけで心がすさみ、
その後の人生もすっかり損なわれてしまった人もいるに違いない。

私は勝手に想像する。
生と死を巻き込むような悲嘆というのは、−少なくとも自然災害で被災した日本人の場合は−
何か人間としての成熟を飛躍的に上下させる、昇降機のような役割があるのだろう、と。

悲嘆の中から未来や内省を導きだすことができれば、
自分のステージをよりよいものにすることができるし、
悲嘆が怨恨や依存へ結びつけば、それは自立した人生からの退場を意味する。

そして、日本人というのはおそらく、
この悲嘆エレベーターにのって上層階へ行くことが上手い国民ではないかと思う。

神戸の人々、そして新潟の人々の様子から、そう思う。

2004年01月18日(日) コインロッカーベイビーズ



2005年01月16日(日) 枯れ木残らず花が咲く

積雪30cm、というところである。
降りましたね、というのが挨拶代わり。

坂の多く年寄りが多いので、このあたりで除雪はかなり重要で、
降る端から、専用のスコップで雪かきをする。

しかし、背後の森の美しいこと。
木々の細やかな枝条の形が、くっきりと縁取りされる。


HとAが雪遊びをしている。
飽きることなく遊びを見つけ出す。

こんな風に根気よく、自分も心から楽んで一緒に遊ぶことも、
また厳しく一喝することでAの迷いを吹き飛ばしてあげることも、
私にはできない親業だ。

私がAに自信をもって「親としてしてあげた」と言えるのは、
このHという強くて変な男を、Aの父親にしてあげたことかなあと、
楽しそうに遊んでいる二人をみて、思った。

2004年01月16日(金) 赤塚不二夫



2005年01月14日(金) 腹ふくるるわざなり

Hの繁忙期は主に夏で、冬季は休業するというスタイルだ。
年度末が繁忙期になる私の、反対をいくというわけである。

家の仕事を色々頼んだら、張り切ってやっている。
その結果、
・カシミヤのセーターが、足ふきと一緒に洗濯されている
・台拭きも雑巾も同等レベルのものとして使用されている
・干した布団に雪が積もっている
などの、不思議な現象が、おきた。

本人は一生懸命なので、本当にありがとう助かると、感謝の念を伝える。
色々な後始末をしたことは、伏せておく。



しかし、日記には書く。
−男子たるもの、生活技術を身につけるべし。

そういう相手を相棒に選んだ自分の過失なのだ、ということを忘れたいがために、
つまり私は、力づくでも一般論に持ち込みたいのである。

2004年01月14日(水) 今日から日記はじめます



2005年01月12日(水) 将軍様は健在

もう冬を総括してしまおうなどと、
冬将軍にケンカを売ったのがよくなかった。

信州のあいつをこらしめてやろうと思ったか、
北極圏から日本へ、強烈な寒気を送ってよこした。
長野市などの北信地域とよばれる一帯は、一晩で85センチも積もる大雪だ。
水道管が凍り、台所が凍り、居間が凍る。
寝息が結露して、布団がひんやりと湿りつく。



あっけなく風邪を引き、発熱。
早く治そうと数年ぶりに抗生物質を服用したら、
体内の菌類が全滅し、大量の老廃物が排出されたのがわかる。
私は、まさに大量破壊兵器を投入してしまったらしい。

おかげで身体にも力が入らず、体調が悪いという状況は
治るというより、おかしなほうへ悪化したという感じだ。

中医学に基づく、いわゆる漢方処方をした場合の
「気がついたら治っていた」というような実感とはだいぶ違う。
快癒の快は「すっぱりと」ではなく「やんわりと」だったのだなどと思う。

そんなのんびりしている余裕はないから、今回はこれでいいのだ、
という気持ちが、今度は何だか精神状態をみしみしと軋ませる。

負けるものか、そんな状況に。
言ってみて元気になる。空元気も元気のうちだ。



2005年01月10日(月) 教育考再び

子どもの学力低下について、弁護士の石井小夜子という人の記事を読む。
「図表でみる教育2004年版(OECD)」というレポートに
一般政府総支出に占める全教育段階の公財政教育支出の割合が、
各国平均12.7%であるのに対し、日本は10.5%であると示されたことを基に、
日本は教育にあまりお金をかけない国であるという現状があり、
学力低下という現象のみを追いかけるのではなく、
今後の教育条件整備も含めて、総合的に学力低下を検討してほしい、と述べている。



子どもの教育について論じる時、
私は二つの異なる視点をもつべきなのだろう。
何だか混乱しているのはそのためだ。

一つは、自分の子どもについて考える場合。
全ての責任と権限は親である自分に帰結する。結果も自分に跳ね返る。
国や行政や政治や経済や一切の社会的事象は、
不可侵か若しくは優先順位の低い領域である。

もう一つは、教育政策について論じる場合。
これは、自分はもちろん、国全体がその責任と結果を負う。
私は、自分の子どもの個人的な将来は、度外視して考える。



教育政策において、
将来のエリート育成に力を入れるか学力格差のない次世代集団をつくるかの舵取りは、
大変難しい課題だし、未熟な私は、今ここで答えを出すことができない。

しかし一つぐらいは言える。教育政策というのは、
次世代の社会構造をどう設計するかという作業であり、
相手にしているのは「現在の子ども」ではなく、「未来の大人」である。

そのことによって政治や経済、国の治安はどうなるか。
安定した国や社会を築くことができるのか。
さらにその先の世代はどうなるか。
教育政策の舵取りには、そういう視点が必要だ。



ゆとり教育が失敗したと言われるのは、
本来親が我が子のために考えるべきことを
学校の先生がやってしまったからではないか、と思う。

そして、我が子の教育の質を巡って親が一喜一憂せざるを得ないのは、
本来教育政策が果たすべき「教育の質の確保」という役割が機能不全で、
そのため個々の家庭が
−本来親が果たすべき役割の優先順位を下げてまで−
しかたなくカバーしているのではないか。

成人の日に思う。



2005年01月09日(日) 真正正月

HとAは、出かけてしまって明日まで帰ってこない。

普段なら中断せざるを得ない、夕方の時間を気にせず仕事を続け、
区切りのよいところで、風呂屋に行き、いつもよりゆっくり温まる。
手足に入念なマッサージなどをしてみたところで、楽しみに借りてきた
「ラストサムライ」と、北野武のほうの「座頭市」を、連続鑑賞。
特別そうしたわけではないけれど、どちらも殺陣もの。

北野武は、上手いなあと思いながら、ビールを飲む。
彼得意の、人情物の要素を取り入れたくだりでは、
見事にそのテクニックに引きずり込まれて、ひとり目頭を熱くする。
馬鹿馬鹿しい細工に、誰にともなくがははと笑う。
一同が大団円を喜ぶラストのタップダンスに、感心する。

全部見終わってふと気が付くと、一人で寂しくなった。
だから、今日はもう、さっさと寝てしまおうと布団を敷きながら、
正月もこういう日も、一日か二日あれば −一日か二日さえあれば−
残りの一年分は頑張れるなあ、と思うのだった。



家族をもつ女の、こういう時間のありがたさは、おばさん的実感であるが、
もう少し上品に誤解のないように例えれば、
リンドバーグ夫人の「海からの贈り物」的心情、ともいえる。
DVDなんか観ているようではまだまだであるが。



2005年01月08日(土) 「ダメ」と「よし」の深呼吸

野球の新庄選手の、ハワイで自主練習中のコメント。
新年の抱負第一声は「ダメかも」「2位で」だそうだ。
珍妙なキャラクターで親しまれるこの選手らしい味わい。

「がんばらない」などとちょっと教訓めいた言葉に比べて、
生々しい「ダメかも」というセリフに、思わず笑ってしまった。

不真面目な態度と受け止める人もいるかもしれない。
でも、−野球に特に関心がないからこう言えるのだけど−
スポーツのトッププレイヤーが「ダメな時もある。ご了承を」と口にすることは、
なかなか悪くない。
新庄選手がどうかは知らないが、
注目されている人がこういうことを言うのは、きっと勇気がいる。

ダメな時はダメ。いい時はいい。それでいいのだ。
私たちは、息を吸うだけでなく、吸って吐いての繰り返しで生命を維持しているのだから、
そういう緩急は認めたほうが、よりよく生きられる。
ダメな時をカバーしてくれる、仲間や組織のありがたさもわかる。

周囲の期待を裏切ることは、自分を裏切ることとは違うのだし。



2005年01月07日(金) 冬の誤差調整

年が明けてからは、ずっと春だと思っている。
大寒や春節がまだだと言われても、この陽光が私には春なのだ。

だからもう、冬を総括してしまうことにした。
この冬、お天道様は随分と私を戸惑わせた。
氷点下になるべき日に10度を越えていたり、雪になるべきものが雨だったり。
お気に入りのダウンジャケットも、一度しか着ていない。

この暖かさに泣かされたのは、
厳しい冷え込みがないと困る干し柿つくりと、稼ぎ時のスキー場か。

毎年寒さに怯える私でさえ、この冬の欠落感は、落ち着かない気分にさせられる。
このまま春になってしまったが、一体私はよいのだろうか。

必要な試練がスルーされてしまったきまり悪さは、
勉強を放棄した定期試験が終了した時の、
気持ちの悪いあの感じに似ているな、と思うのであった。

既に開花してしまったハナミズキや、つぼみを膨らませてしまった梅は、
どこで誤差調整をするのだろう。



2005年01月06日(木) コドモ銀行券の品格

大英博物館のミュージアムショップで支払いに札を出したら、
店員から念入りにチェックされたことがある。
日に透かしたり、角度を変えて見たり。

それまでの旅程で色々と不快で差別的なサービスを受けていた私は
既にこういうしぐさを黙って受け入れる寛容性を持ち合わせていなかったので、
お釣りで渡された札を念入りに調査し返すという、
ささやかで嫌味な抵抗をしたのを覚えている。

それだけ、偽札の使用を疑われるということは、
信じられないことに疑いをかけられている、という驚きと、
自分の信用や品位を疑われるような、不名誉な感じがした。



その偽札が、今、日本で大量に出回っている。
いずれも透かしがない、紙質が異なるなどの稚拙な出来のもので、
社寺の露店で使われたり、コンビニやタクシーでも発見されたらしい。
短い期間に大量に発生しているところから、大規模な組織によるものと
いわれている。



金のことを表立ってあれこれ言うのは、品がないと教わって育った。
だから、今でも経済観念に欠けて困っている。現代社会に必要な教育を受けていないのだ。
仕事で必須の「金額のネゴ」などは、やり方がわからないのでいつも嫌々やっている。

こんなに面倒で緊張感を伴う金のやりとりに、
札の真贋などまで心配しなくてはならないなんて、
気が重いことこの上なしである。

そんな個人的なことはさておき、
貨幣に対する信頼が損なわれてしまうということは、
国の経済の根幹に関わる大問題で、組織的なものだとすれば、
これは一種のテロ行為だ。

札の出入り口になる銀行窓口では、さぞ神経を使っていることだろう。
気の毒なことである。



2005年01月05日(水) 人生の成長曲線

子どもの学力が低下していることが確認されたので、
今後は、授業時間を増やすために2学期制を導入する学校が
増えるのではないか、という文部科学省の見解。

多分、これからの教育水準というものは家庭の所得に比例するだろう、と
私は思っている。
実際、子どもを東大へ入れた家庭の平均所得は、全体の平均をかなり上回っているらしい。



明治から戦前までの義務教育について定めた「小学校令」をみると、
義務教育とされているのは、小学校のうち尋常小学科に該当する、
たった4年間である。
その教育目的も、「児童身体ノ発達ニ留意シテ道徳教育及国民教育ノ基礎並其生活ニ必須ナル普通ノ知識技能ヲ授クル」
と、極めてシンプルである。

そこから上に進学するのは、それなりの所得のある家に限られていた。
人生の幸せも不幸も、教育に委ねられてはいなかったし、
おそらく人々は今の日本人よりも礼儀正しく、社会性を身につけていた。

明治時代の進学といえば、
井上靖の「しろばんば」という小説を思い出す。
もううろ覚えであるが、
伊豆のある村の、祖母と蔵で暮らす主人公の心の成長を描いた話で、井上靖の自伝的小説ともいわれている。
進学にまつわるくだりでは、仲良しの友人と違う道を歩む自分の
自立にむけた葛藤や決意が描かれていた、という気がする。


どんな道でもいいと思う。勉強してもしなくても。
ただ、自分の生き方を決心する年齢として、19や20歳では遅すぎるのだ。
人生が、芯腐れするんである。




2005年01月04日(火) 賀状DM化

だらだらと年賀状を読み、返事をしたためる。

宛名を書く欄も、裏面も全て印刷。
いただいておいて文句を言う不遜な自分であるが、
こういう業務用なのは、いらないなあ、と思ってしまう。

やはり手書きで近況が書かれているものは嬉しい。一行でも。

手跡というものは、もはや死語になりつつある。少なくとも年賀状では。
祖母が、墨と筆をとり、丁寧に一枚一枚賀状を書いていたことを思い出す。
ああいう、ゆったりとした時間の過ごし方が上手な人は、
何かについて、2倍も3倍も得しているように思う。



2005年01月03日(月)

正月終り。

家に戻ったら、Hが下山していた。
連絡がつかなかったのは、やはり予備日まで使っていたからであった。

新聞に数日ぶりに目を通す。
辺見庸氏の寄稿がよかった。筆に力が入っているのがわかる。
戦後の長い年月をかけて日本が作り上げてきたものは、
「新たな戦前」に過ぎなかったのではないか、という問いかけ。

Aが発熱。



2005年01月02日(日)

除雪の傍ら、かまくらをつくる。
Aは中に入って嬌声をあげている。

結構な重労働だということに気が付いたのは、半ばごろから。
激しく後悔したのは、天蓋をつくり始めたころ。





2005年01月01日(土) 越年列車はすすむ

山の家で、真っ白で静かな年明けを過ごす。

新年とともに、皆一同にひとつ年をとるという昔の慣習は、
年の改まり方として、今とは随分異なる感じであったのだろう。
このあたりでは今でも、正月を迎えることを「お年とり」と言っている。

津波のニュースやらの情報が入らないとちょっと気になるね、と父に問うと、
「ぜーんぜん」と一言。この人は年毎に、こういう態度である。
理屈とか理論のもって行き場が、社会から遠ざかりつつある。

リタイアメントの動態観察は、面白くもあり、やや寂しくもある。
親は、当然のことだが自分より数本前の人生列車に乗っているので、
通過している駅も存在する場所も違って当たり前だ。

子ども時代に、憧れをもってその違いを見せ付けられるのに比べ、
自分も既に大人になり、親達が人生の終着を意識しはじめた時のその差分は、
受け入れるこちら側としても、ある種の気合いが必要なのである。


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