事務所にて仕事。
昼食をとりながらHと映画の話をしていたつもりが、 ボウリング・フォー・コロンバインのところで 銃の話になってしまった。
アメリカはそのうち、銃刀法改正に圧力をかけてくるんじゃない?という話。
米国の銃産業がどんな構造になっているかは知らない。 知っているのは「ボウリング…」でみた、 全米ライフル協会の会長や会の活動の異常さだけだ。
そしてはっきり予想できるのは、もし、 パソコン並みの勢いで銃が日本に進出したら、 ものすごい市場になるだろうということだ。
アメリカにとって日本は未開拓の市場、 銃は売りたくても売れない商品というように見ようによっては見える。 そして日本に無理を押し通すことはもはやアメリカのお家芸だ。
その時がくれば間違いなく、 ものすごい正当性を持ち出して圧力を加えてくるに違いない。
もちろんとんでもないことだしただの妄想であるべきなのだけれど、 一番恐ろしいと思ったのは、日本の安全神話が崩れかけてきている今日、 自分自身の中で「銃輸入を日本では認めるべきでない」という言葉に力が入らない。
何故だめなのか、暴力に対して暴力で備えることは何故いけないのか。 隣の家の住人が銃をもったら、自分も欲しくなってしまうのではないか。 別れた恋人がしつこくつきまとったら、備えておきたいと思うのではないか。
言葉に力を込めるために、今考察の時間が必要なんだ。 何を失い何を得ることになるのか。 彼らのセールストークに屈しない、理念と理論を持たなくてはいけない。
本当はイラクの問題にしても同じように危機感をリアルに感じ、 考えることが必要なのだと思う。自分の愚民ぶりを情けなく思う。
|