安倍総理大臣の、突然の辞任に関する大騒ぎ。
最後までタイミングの悪い方であった。 無責任という批判もあるが、去り行く病人に鞭打つほど私は暇ではない。
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私が学んだことは、いくつか。
かつての総理大臣の子とか孫とか、そういう看板は意味がない。 むしろもう世襲の議員先生はたくさんである。偏見かもしれないが実感だ。
国民はもう二度と、総理大臣というものに偶像を求めないだろう。 パフォーマンス型の政治はたくさんである。
例えば中央官庁で政策の実務にあたってきたとか、国際機関で活躍したとか、 そういう現実を知り政策能力のあるような堅実な人が、 政治家として開花できる健全さを、政治の世界は取り戻さねばいけない。 国の舵取りというのは、商店街とか町内会の仕事とは訳が違うんである。
この点で襟を正すのは、政治家というよりむしろ有権者である私達かもしれない。
それからもう一つ。 法案成立の行方というのは、時の総理大臣の志向が多分に反映される。 総理の悲願なのだからという情状酌量に支えられ、法案がつくられ、国会を通過する。
そして「私は今権力の頂点にいる」などと口にするような人が強行採決の上につくったおかしな法律でも、ひとたび可決されてしまえば残渣となって世間に広がり、私達の生活に影響する。
退場するならばその時につくった法律も一緒に退場してもらいたいと思うが、残念ながらそういうわけにはいかない。
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変な人が総理大臣になると、大変なことになる。
これは安倍さんだけでなく、その前任者も含まれる。 日本中の雰囲気が暗くなったり、閉塞感が漂ったり、未来に希望を感じられなくなったりする。 当たり前すぎる事実であるが、これもまた実感である。 本当に小泉政権から参院選の結果が出るまでの数年間、 日本は暗く、無力感につつまれていた。
最後に、もう一つ。 そもそもおかしな人が総理大臣になってしまったのは、 手続きとして、国民の信を問うていないからなんである。
大いなる反省点であるべきと思うが、今度も自民党は同じ方法を繰り返そうとしている。
自民党の総裁が変な人でも私の預かり知らぬところであるが、 その人が断りもなく総理大臣になることについては、到底容認できない。
自民党のためにもよくないと進言したいほど、愚行である。
2006年09月12日(火) 2005年09月12日(月) 僅差 2004年09月12日(日) あるベクトル
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