2012年08月23日(木) |
どちらも捨てがたく、なおざりにできない |
つやつやに光ったピーマン、茄子、トマトが台所に並ぶ。
茄子は、万に一つの無駄がないということは周知の事実であるが、 ひとたび収穫すると、宵越ししたものはとたんに味が落ちる。 そうだから、是が非でもこの夕食にこのツヤツヤを胃袋まで運ばねばならなない。
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かくして、夕陽が差し込む台所で、鼻歌まじりにガス台の前に立つ。
炒め物は高温が定石である。特に茄子は勢いが大切だ。
十分に煙の上がったフライパンにごま油を入れると香ばしい匂いに期待が高まる。 換気扇をつけて、いざ茄子を!というその時。
傍らのラジオから、「次はマーラー交響曲5番 第4楽章 ウィーンフィルハーモニー管弦楽団 指揮はレオナルドバーンスタインです」などと言うではないか!
私はカラヤンの指揮するのしか聴いたことがない。 そして、この曲は、今日みたいな見事な夕陽を見ながら聴くのが、最も美しいと、そう思っている。
聴きたい。じっと耳を傾けたい。 バーンスタインは、ウィーンフィルは、この繊細で美しい曲を、 どのように味付けするのだろうか。
しかし今、フライパンに茄子を投じれば、煮え立った油と茄子が爆竹のように暴れまくることになる。 その爆音の中で聴くことは、コンサートホールへ街宣車で乗り込むようなものだ。
調理を中断するか? いや、ガスを止めて聴き入ってしまっては、夕食の時間に間に合わない。
美味い茄子か、マーラーか。 どちらも捨てがたいし、どちらも決してなおざりにできぬ。
何とかならないのか? 迷っている間にも、フライパンはさあどうぞとばかりに煙を上げ、ラジオから静かに曲は始まる。
煮物にすればよかった。 くつくつとおとなしく鍋で湯だってもらればよかった。 あるいは全く無音の、焼き茄子という手もあった。
マーボーナスの調理とマーラーは、あまりにも相性が悪い。 数日前の出来事である。
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