浅間日記

2010年08月23日(月) 現代戒老録その2

日帰り上京。
会議というのは短くやるに越したことはないが、
それにしても10分というのはあまりに形式的にすぎないだろうか、という会議。



小沢一郎と管直人の対決の構図を描く民主党は、
国民の視線をくぎ付けにしたい意図が見え見えである。



若者のエネルギーは、何かから逃げるために放たれる。
顕在的であれ、潜在的であれ、その美しさは未来への逃避となって表れる。

年をとると、そうはいかない。
誰も追いかけたり、干渉してくれないからだ。

而して、年寄りのエネルギー−もはやそれは執着とよばれる−は、
誰かを引き寄せ、関心を集めるために使われる。

民主党の様は、私にはまったくそんな感じにみえる。

否、社会全体がそんなふうにみえる。



個人が年をとるのならば、社会全体も高齢化の傾向を帯びる。
そのことに私たちは注意を払わねばならない。

社会全体に加齢臭が漂い、怒りっぽくなり、ミスが多くなり、
大事なことをすぐに忘れるようになる。

損得に敏感になり、ケチくさく、ひがみっぽくなり、常に自分が一番でなければ気が済まず、他人の評判に一喜一憂する。

いまや、自分の道をみつめて一心に生きるような初々しさや、
自分を上回るものに憧れたり、何かを大胆に大好きになったり、
矛盾や普遍性を自分のものとして熟考する姿は、社会に存在し得ない。
そう諦念すべきである。



けれども年寄りというのは見苦しいだけではない。
それまでの実績によっては、未来にとって十分に尊いものになることもできる。
敬虔で、思慮深く、目下の者を思いやり、老人にしかできないまなざしで、未来へ目を向けることができる。

果たして私達のこの「高齢化社会」は、それが可能だろうか。
成熟という名の冠にふさわしい、知恵と経験を重ねてきただろうか。



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