2011年12月01日(木) |
狂わされた人生の物語 |
映画「ひまわり」。
前に観たのは20才の頃だったと思う。 なにかそうした名作を見なければという意気込みだけで観たから、 あまり印象に残っていなかった。
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二十歳やそこらで観ても、この映画は味わうことができないなあと今しみじみ思う。
戦争によって人生を狂わされることの、本当の意味がわからないと思うのだ。
「この沢山のひまわりの下にも戦争で死んだ多くの人が埋まっている」という台詞も、素通りしてしまっていた。
戦地へ向かう兵隊が、家族や恋人へ「絶対帰ってくる」という心情を包み隠さずあらわすところや、 終戦後、遺族が国に対して怒りの感情をむき出しにするところなどは、 日本人のそれとずいぶん違うな、ということも今回強く感じた。
それから、ジョバンナを演じるソフィア・ローレンの毅然とした美しさも、今回しみじみと鑑賞した。
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ミラノでジョバンナと再会したアントニオが、二人でどこかへ行こう、と逃避行をもちかける。 ジョバンナを押しとどめたのは、隣の部屋から聞こえてくる、今の夫との間に誕生した赤ん坊の泣き声だった。
さっきまでアントニオと抱擁し、接吻を交わし、長年の寂しさ、悲しみ、弱さをさらけ出していた女のジョバンナが、 一瞬にして母親の顔つきになって、二人の邂逅を白々とした、何かどうでもよいようなものに変化させている。
親となった大人としての矜持が、この時代はまだ健全だったのだ。
母親としての本能、というよりも、社会的な倫理観としてそうしたものがあったのだと思う。
そして、その潔さと、狂わされた人生へのあきらめがあるからこそ、この物語は悲しい。
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