Hは山へ。Aと小さいYと三人で簡単な朝食。
ラジオから、楽興の時のおなじみのメロディとともに、音楽の泉。 本日は、ペール・ギュントである。通しで鑑賞できるのは嬉しい。
婚礼の場面、朝と続き、ソルヴェイグの歌。 船で冒険の旅に出て行ったペール・ギュントの帰りを待ちわびるソルヴェイグの、おなじみの美しいせつない曲である。
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「お母さん、お父さんがヒマラヤへ行っても、もうこんな気分にならないなあ」 煮たりんごをトーストの上へ丁寧に乗せているAに、問われるでもなく言う。 「何しろあなた達の世話やなんかで忙しいからね」
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来年の夏のヒマラヤ遠征計画を、先日Hから打診された。 7000mの高所へ一度はあがってみたいんだ、と、。
いいじゃない!と力強く後押しする無邪気さは、遠い20代に置いてきた。
不在を寂しく思い、日夜どうしているかと案じながら帰りを待ち望む気分も、 独身時代、ないしは親になる前の時代に置いてきた。
行く、というのなら、そうですかと対応するのみである。
写真を見せながら熱心にプレゼンテーションに励むHの話をよそに、 頭の中は、もう約束してしまっている自分の仕事をどうやりくりするかの算段で一杯になっている。
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ソルヴェイグの歌は続く。
蜂蜜でベタベタになったYの口元を拭いてやりながら、 美しい歌声に耳をすませる。
実務上のことで頭がいっぱいになるのは、親として生活を背負った結果だ。
Hのクライミングに対する姿勢に否定的になったり、無関心になったわけではない。もちろん無事な帰りを待たないわけではない。
心のどこかで、ソルヴェイグみたいな人が言う。
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その心の動きを、黙って曲に耳を傾けているAに見透かされたような気がして、 アニトラの踊りもいいよねえ、などと取り繕うのだった。
2006年11月27日(月) 脳が脳を洗う
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