「米原万里対談集 言葉を育てる」を読む。
米原万里さんは、9歳から14歳までプラハで育ち、在プラハ・ソビエト学校で学ぶという面白い経歴の人だ。お父上は日本共産党代議士の米原昶という人だそうである。東京大学の大学院まで進学して、フリーの通訳者となった。
知性があり肝の太い女性である。存命中に作品を読んでおけばよかったと思う作家のひとりかもしれない。
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以下、糸井重里との対談の中での、印象に残った部分を抜粋。
「・・・われわれが、何か言葉を出すときのメカニズムというのは、「本当 はまだ言葉にならない状態があって、心の中に言いたい事や考えた感情や、 そういったものがなんとなく形づくられてきて、やっとそれをいいあらわす のに最もふさわしい言葉とか分の形とか、それから言い方、スタイル・・・ といったものがまとまって声になって出る」ということなんです。しかし、 官僚の書いた文案というのはそのプロセスを経ない言葉なんですよ。感情の プロセスを全然経ない、表面だけの言葉というものには、裏がない。言葉が 生まれるプロセスを経ない。もう残骸みたいな言葉なんです。そうすると、 そういう言葉というのは。相手に入っていかないのね。」
官僚の言葉は、感情のプロセスを経ない。 そうした言葉は、相手に入っていかない。
官僚の援護射撃をするならば、それでもいいと思う場面がないわけではない。法律の条文や通達に、官僚個人の感情のプロセスがいちいち入っていたら大変だ。
けれども、官僚にも一個人として全存在が試される場面がある。その時にその修羅場から逃げるのはだめなんじゃないか、と思う。
そして、外交というのはそうした修羅場の多い仕事の一つなのかもしれない。米原氏いわく、通訳とは言語の置き換えではなく「意味を相手に伝える」ことであり、相手に意味が伝わらなければ、言葉巧みに訳しても成果がなかったのと同じなのだそうである。
彼女は、その職務意識に真摯であればあるほど、原発言者が繰り返す意味のない発言を腹立たしく感じるのだろう。
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