文芸春秋7月号の「国民皆保険が崩壊する日」という記事。 後期高齢者医療制度の、巧妙な仕組みについて取材している。
厚生労働省みたいに歴史の長い省庁を成分分析すると、様々な風土が検出される。 そして、どうも昨今は旧内務省的な成分の比率が高くなっているのではないか、という気がしてならない。
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国民の健康維持は、国家の財政負担と考えられている。 国民はそういう厄介者だから、大きな負担になる前に、 強制的に腹囲を測ったり、血圧を測ったり国民の身体を管理しようとする。 あろうことか、予防的治療と称して投薬や手術さえ施そうとする。
余計なお世話である。 人は健康のみに生きるにあらず、である。
人の健康に関わる様々なバイタルデータや知見は、医学の専門領域の常識かもしれないが、 専門外の私達がそれにとらわれて生きていく義理は無い。 言うことを聞かないとペナルティーを課すなど論外であり、人権侵害である。
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もちろんそれは、保険制度が非人道的なシステムになってよいということではない。 マイケル・ムーアの映画「シッコ」に出てくるアメリカのように、 病の人を冷たくあしらうような社会が、よいわけがない。
医療は、人々が困った時に手を差し伸べるから、仁術なのであり、 自分が困るから人々へ強制的に何かをしようというのは、 それは、映画「カッコーの巣の上で」のロボトミー手術と相違ない。
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人はいかに生きるかである。制度なんかで脅したってだめだ。 生きるのは私だ。
2007年06月14日(木) 君臨すれども統治せず 日本版 2005年06月14日(火) 玉石NPO 2004年06月14日(月) 三菱ブランドの夏大根
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