2010年02月09日(火) |
氷川きよしについて夜更けに考えた |
眠れぬままイヤホンで聴く深夜ラジオで、氷川きよし特集。 演歌ね、と聞き流すが、解説を聞くうちに感心する。
きよしファンは中年女性と思っていたが、女子高校生もかなり多いときき、 演歌の業界は、氷川きよしによって今後も磐石であると確信する。
妻となり母となり、子育てを終えるまでのあと30〜40年近く、彼女達はきっと、 まだあげそめし前髪の頃に出会った氷川きよしとともに生きるだろう。 組織票はできあがっているのである。
また別の角度からみると、演歌の業界は、彼を後継者として育成し歌唱技術を継承させるべくデザインしていることが、幅広い歌のラインナップによりわかる。
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夜更けに演歌の将来展望について考える義理もないのだが、駄考は続く。
J-POPとよばれる工業製品みたいな歌は、一人称の心情ばかりで情景がない。こうしたオレオレソングばかりが生産・消費されるのは、 社会やその市民が未成熟だからだと、私は思っている。
演歌は全く聴かないが、フェアにジャッジするとすれば、ここには情景をうたう文化が唯一かすかに残っている。
自然の事物に心情を託す精神性や人と人との様々な物語性が、 崩れそうながらも形をとどめている。
でもなあ、演歌だからなあ、と一人ごつ。 好きで聴くというのはちょっとなあ、と、もう一人の自分が付け加える。
この拒否感もまた、これから分析していかなければいけないと結論付けて、 まだ暗いがもう起きることにした。
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