地元の子ども達のための、ちょっとした行事。
正月飾りを川原で燃やして無病息災を祈るという趣向。どんど焼きと呼ぶのが比較的一般的かもしれないが、この辺りでは別の呼び方をする。
何しろよそ者であるから色々とやり方がわからない中、この場所で生まれ育った大人達の様子を見よう見まねして、松飾り集めから参加する。
じいさんばあさん達はいちいち出張ってこないけれども、OBとしてお目付け役の貫禄である。あっちの通りの家もまわってくれたかいなどと、要所要所を確認する。
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「夕方までに繭玉つくらなくちゃね」と近所のIさんに言われ、曖昧に返事する。 繭玉とは、柳の枝に紅白の団子を飾りつけたもので、これを炎にかざして焼いて食べるのである。
やはりあれは作るものだったのか。 家には柳の枝も上新粉も何も用意していない。繭玉の作り方も知らない。
夕方から始まるこの行事の一切合切に関して丸腰お手上げである。 しかし傍らでAが、我が家でも当然作るよね、という顔をしている。
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かくして、夕方の集合時間30分前に材料をかかえて家に戻る。 Aは、もう間に合わない!とすっかり気が動転して半べそをかいている。
まあまて落ち着け、となだめながら、急ごしらえで上新粉をこね、団子にして蒸し、柳の枝にテキトウにくっつけて、通常ならば乾燥する工程を省略し、なんだかベタベタの汚らしいオブジェを制作した。
凍て付く寒さの中不案内の集合場所へ何とかたどり着き、燃え盛る炎に慣れない手つきで団子を炙り、Aにほおばらせ、何とか事を成し遂げた。
おそらく私と同じか少し若いであろうIさんは余裕の表情で、綺麗に炙った繭玉を分けてくれながら、この行事の今昔を色々と話してくれる。あと十数年もすれば、彼女は間違いなくお目付け役に昇格して、この行事を−この地域を−引き継いでいくだろう。
それに引き換え、ギリギリのところで体面を保った自分は、大人としてちょっと恥ずかしい気分である。
団子のなくなった柳の枝を最後の火で燃やしてしまいながら、来年はもっと上手にやれるだろうと自分を励ました。
慌てて恥ずかしい思いをしたけれど、この一連の行事に悪い思いはしない。
大の大人が未来に引き継ぐものを何も背負っていないということが、その通りペラペラに感じられるということは、コミュニティとしては健全で頑丈なことだと思う。
よくわからないけれど、そこには、子どもを一人前の大人に向かわせる動機があるように思う。
2008年01月10日(木) 2006年01月10日(火) 備蓄すべきものは 2005年01月10日(月) 教育考再び
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