2008年06月13日(金) |
NOBODY KNOWS |
「誰でもよい誰か」への暴力のことで、マスコミは大賑わいである。
莫迦らしい、と一人ごつ。
政治家が国民の皆さんと言う場合のそれこそが、 誰でもよい誰かではないか。
誰でもよい誰かから税金を巻き上げ、 誰でもよい誰かへの支援を無理やり打ち切り、 誰でもよい誰かへ毒リンゴのような牛肉を喰わせ、 息も吸うなといわんばかりに生活を制限する。
人を困窮させ、制限し、自尊心を奪い、緩やかに生命を奪う。 彼らの心は少しも痛まない。 せいぜい、誰でもよい誰かが、我が政権のために負担があったと思うだけだ。
こういうことを、誰でも良い誰かへの暴力と言わずして、何というのだ。
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国民が政治家にとって誰でも良い誰かでなくなる瞬間があることはある。 選挙期間中である。 腰をかがめ、目を見つめ、私にはあなたこそが必要です、などという。
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投網にかけた誰でもよい誰かである魚群を効率よく捕らえるために、 存在を管理し、生活を管理し、身体を管理し、内心を管理するための 監視社会をつくりあげようとしている。
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国民がセレブセレブと馬鹿のように騒ぎ、有名になることに対して貪欲になるのは −たとえそれが「ワイドショーを独占」という稚拙な目標だとしても− この、誰でも良い誰かという扱いから抜け出したいという願望なのである。
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