ラジオで、話の泉なる番組。
立川談志師匠を筆頭に、話し好きなタレントが名を連ねている。 設定されたお題で話を展開させていく、トーク番組である。
秋の虫ときて、江戸の風流や鈴虫の鳴き声などの話題。 ベテラン揃いだから展開も面白いなと、皿を洗いながら聞き入っていたら、 次は「今どきの親と子」というお題。
嫌な予感が的中した。 行儀の悪い親子を悪く言う話が続く。 「親の顔が見たいと言ってもその親も今や非常識」という結末のための噂話が続く。 聞き飽きた話題の展開に、なんだか嫌になってスイッチを切った。
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今の時代の親と子を、漫談のネタとしてとりあげるのは、不謹慎だと思う。
親と子の問題は、これまでにないほど根が深く、シリアスである。 また親と子の関係が色々な面で危ういのは、これは行儀の悪い親子に固有の問題ではなく、 親子や家庭の位置づけや、人を育てるという通念を失った社会の、構造的な問題だと私は思うのである。
だから個別の事例を、それも根も葉もない噂話を無責任にあげつらっても、 全くなんの意味もないどころが、害毒である。
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もう少し言うと、非常識な親子に憤慨したり唖然とするのは、年寄りの特権ではない。 その親子と同世代を生きる者だって、困惑するのだ。
けれども、排除したり回避して生きていくことはできないから、 共に未来を生きるために、社会を何とかしなければと考える。
そういうことを子育て世代が必死に悩んで考えている時に、年寄り連中が意地悪く世も末と嘆くのは、自分の世が確かに終わろうとしていることへの僻みなんじゃないですかと、こちらも意地悪く問いたくなるのである。
2006年09月24日(日) 2005年09月24日(土) 生物化学的信仰要求量 2004年09月24日(金) リセエンヌの男料理世界
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