何れ程、 寸分違わずに。
景色を、 映し獲ったとしても。
自身に取り込まれた、 其の画は。
飽く迄、 主観的な模造品だ。
其れ故に。
例え、 寄り添いながら、 眼前の風景を観たとしても。
互いに刻まれるのは、 二つの、 別の画に違いない。
ならば。
何故に、 遥か離れた場所で脳裏に浮かべた、 其の、 二つの画が。
此れ程迄に、 符合するのだろうか。
其の、 赤い橋で遊ぶ姿も。
池の水面を眺めながら。
自身と景色が同化する様な、 其の感覚も。
葛石の連なる、 参詣の道と。
裏手の、 商店街と。
唯、 道順を添えて贈った、 地図の御礼に。
「ありがとう。」 「本当にここに来たかったの。」
坂の街から、 杜の街へ。
感謝の文が届く。
脳裏に浮かぶ風景と、 共に。
同じだ。
嘗て、 坂の街の人が。
此の地の、 鎮魂の社へ向かう坂道を、 歩いた時と。
凛とした、 木立の空気が。
何故か、 脳裏に浮かんだ時と。
---------- References Nov.21 2006, 「如何なる想いを育てる念ですか」
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