無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
| 2003年03月21日(金) |
何だかクレームがついたゾ/『ネコの王』4巻(小野敏洋)/DVD『プリンプリン物語 友永詔三の世界』 |
さてまあ、一昨日、掲示板の方に戦争のことについて書いちゃったもんで、なんぞ反応があるやろかと思っていたら、早速掲示板にレスがついたのであった。 ただ、私自身が想定していた書きこみとは全く内容が異なっていたので、いささか面食らいはしたのであるが。
だいたいにおいて、私の時事に対する雑感なんてものは無責任極まりないものであって、揶揄と皮肉と悪口だけで成り立ってるようなところがあるから、マジメで純粋でラピスラズリの原石のような輝きを持つ人にとっては、いささかならずハラの立つものだろうと思うのである。 けれど私としてはこれでも「抑えてる」つもりなんですね。なんたって私自身、道徳観というものが全くない人間なので(犯罪者に対して倫理的嫌悪感を持ったことは一度もござんせん)、自分にある程度の枷をかけておかないと、どこまで筆が暴走するかわからないのですよ。なんか2ちゃんねるよりタチが悪い?(^_^;) だもんで、これまでにも何度となく、小さなものから大きなものまでトラブルを起こしちゃいるのだが、未だに懲りもせずにどこまで好き勝手書けるものなのかなあ、ということを実験したりしているのである。
戦争について書いたのも、その事象自体に興味があったわけではありません。 「こういう書き方をしたら反応があるかどうか」ってことを見るのに丁度いい題材だったから、ってことなんですね。 実際、「戦争そのものについては賛成でも反対でもない」=「興味がない」ってことをハッキリ書いとります。俎上に上げたのは「人間の盾」の連中の馬鹿っぷり。けどマジメなヤツ(っつーか、感情的戦争反対論者)はきっと、そこんとこだけ取り上げて、トンチンカンなこと書いてくるんじゃないかと予想してたのね。 「今までROM専門で参ってきましたが、今度のあなたの書き方だけはどうにも許せません。命をかけてイラクに行かれた方の気持ちを考えていらっしゃるのでしょうか」とかなんとかな(^o^)。「これだけは言っとかなくちゃ」って発想自体がただの自己陶酔なんだけどねえ。
予想外の書きこみの一つはヨナさん。 「正義を求めず、国益を追求しましょう」と、日本のアメリカ追従の立場を肯定せざるを得ない、というご意見。もちろん「感情的戦争反対論者」では全くないのだが、「戦争」についての意見であることには違いない。 書きこみ頂いた意見についてのレスは極力付けるようにしてるのだが、これは困った。なにしろこれに返事をしようにも、先に「戦争に興味なんかない」趣旨のことを書いちゃってるんである。どう返事をしたらいいものか迷っていたら、またもや今日になって予想外のレスがついた。
"裏"モノ会議室定連の見えない世代さんが、私の「戦争反対を唱える誰一人として今度の戦争を止められなかったのですから、個人の力なんて所詮国家の前では屁だということが改めて証明されただけではないですか。そういう無責任な人間が、過去の戦争の罪を断罪したりしているのは、あまりにおこがましいというもの」という記述について、「ここは『無責任賛歌』ではなかったのですか?」と突っ込みをされたのである。
さあ、これがまた、何をどう突っ込みたいのかわからなかった。 私としては、日記のタイトルに齟齬のあることを書いたつもりは全くなかったからである。 記述の最後に「これからも今まで通り、『ヨソの国で誰が何人が死のうとかまわねえ』の姿勢を貫きなさいよ」とも書いている通り、私ゃ「無責任を通しなさいよ」と言ってるんであって、「無責任になるな」とはヒトコトも書いちゃいないのである。「『無責任賛歌』のタイトルにもとる」と言われても、「もとりませんよ」としか答えようがないのである。 単純な話、私は「バカがリコウぶるな」と言ってるわけなんだけれども、それは私が「バカ」を肯定的に捉えているからである。「バカはバカでいいじゃないの」ということなのだけれど、「バカ」を否定的に捉えている人ならば、この言葉を「バカをバカにしている」と捉えるだろう。しかし“裏”モノ定連である見えない世代さんがそんな捉え方をしているとはとても思えない。 なんだかよく分らないので、当初の予定通り、「もしもマジメな人が突っ込み入れてきたら」という想定のもとでどう返事しようか考えておいた内容をアレンジして以下のように書いた。見えない世代さん宛てに書いているように見えるが、実はそうではない。
> 彼らは自分が「無責任」だなんて自覚は持ってませんから。「戦争をなんとしてでも止めることに『責任』がある」、そう信じているんだと思います。 > でも、戦車の前に寝転んでプチッと死んじゃう行為を、私は誉めたたえる気にはなれません。そんなことをしてもムダだということがなぜわからないのか。自分に酔ってるんでなければできる行為ではないと思います。 > いったい、彼らに親はいないのか。彼らの親は喜んで彼らを送り出したのか。そういう親もいるかもしれませんし、それはそれで「立派」な行為なのかもしれませんが、全員が全員そういうわけでもないでしょう。親の悲しみ一つ理解できない人間に、何をどう止められるというのか。 > 「大義のために子供が死んでも構わない」というのなら、戦前の軍国主義思想と本質的になんの変わりがあるというのでしょう。 > 彼らを「英雄視」するなら、今、イラクを脱出し、海外旅行を控えたりする人間や、修学旅行を取りやめる学校は、「卑怯者だ」ということになってしまうのか。そこまで難癖をつける人間はそうそういないにしても、子供に死んでほしくないと思う親を「非国民」だと考える人間は、今でもこの日本に「実際に」生息しています。 > 戦争なんて、無責任に傍観してりゃいいじゃないですかってことですから、本サイトの趣旨に反することは語っていないつもりです。 > 見えない世代さんが揶揄するつもりでこういうことを書かれた訳ではないことは理解できますが、戦争の何がよくないかって、それは「人の命がなくなるから」ではなくて、「不謹慎なこと」も含めて、モノが自由に言えなくなることです(ということは日記の中でも何度となく書いています)。 > 私が戦争に賛成でも反対でもない、と書いたのは、どちらの立場の人たちも、自らを「正義」と信じ、ヒステリックに言論を封殺しようという意志において、同レベルだからです。もちろん、冷静に戦争を見ようとしている人もたくさんいらっしゃいますが、私が俎上に挙げているのはそういう人たちではありません。 > 私はあえて過激な書き方をしていますが、もっと柔らかい「戦争か。やだねえ。でも起きるときゃ起きるわなあ」程度のことを言っても「おまえは事態をなんと考えているのか」と本気で突っかかってくる人、現実にいます。逆に、「イラクなんぞさっさと潰してしまえや」と放言する人をさも極悪人のように毛嫌いする人もいます。 > もちろん、時と場合によっては言葉を控える、ということも現実ては常識でしょう。ヤなやつが死んでも、さすがに葬式の席上で「ザマを見ろ」なんてことは普通、言わない。しかし、「事態」が国家単位になってしまったら、いつ、どこででもモノが言えなくなる。マス・ヒステリーに乗せられて、ほんの些細な無責任発言を見逃せなくなるような事態になってしまう危険がある。 > それは、日本人全員が再び「警察国家化」することにもなりかねません。そのことの恐ろしさを、我々は先の戦争で学んだはずではなかったのか、ということを私は言いたいわけです。 > 見えない世代さんは、私の発言について、「危険思想」だとか「国賊だ」とまではお考えにならないとは思いますが、そう「思いたがる」人が増えることを私は危惧しているのです。 > 先の発言で、私は自分の言いたいことは言ったつもりで、あとは付け加えることないなあ、と思ったんで「あとは沈黙」(←もちろんこれは『ハムレット』の「死」のセリフであります。そこにも皮肉をこめたつもりでした)と書いたのですが、舌足らずで誤解を生んでしまったようですので、以上の通り、説明させていただきました。 > もし、見えない世代さんが「不謹慎な発言は慎んだ方が身のためにはいいのではないか」と私の立場などを心配してくださっているのでしたら、「まあ、もちっとだけがんばってみます」とお答えしたいと思います。 > でも『社会派くんが行く!』が堂々と版を重ねているのですから、まだ日本人にも理性は残ってるから大丈夫だろう、と楽観はしているのですが。
先の文章よりも「どっちとも取れる」文章になっている点にお気づきの方もあろうか。何の「どっち」なんだ、と疑問に思われる方もおられようが、あまり詳しくネタバラシするわけにもいかないので、察することのできる人だけ察していただきたいのである。
仕事帰り、天神を回る。 ベスト電器のLIMBで予約しておいたDVDをいくつか。ついうっかりカウンターで紀伊國屋のカードを出してしまい、「違いますよ」と言われて恥ずかしい思いをする。なんかアレだね、女房とナニしてる最中にうっかりほかの女の名前を呼んでしまったような気分だね。いや、ただの例えです。浮気はしたことないし、する気もないと強調しておこう(^o^)。 ジュンク堂で、長いこと探し回っていたいしかわじゅんの『秘密の手帖』をようやく見つける。部数、あんまし出てないらしくて、紀伊國屋にも福家にも見当たらなかったからなあ。
マンガ、小野敏洋『ネコの王』4巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。 サハとコレットのエルフ姉妹が新キャラクターとしてレギュラー入り。サハさん、なんだかすごく井上喜久子の声で喋ってる気がするんですけど気のせいでしょうか。コレットはまあ、ロリです。胸ないし。今時の声優なら野川さくらあたりがアテりゃいいんじゃないですかね。 でもそんなことより今巻のメダマはなんたって猫女神様の素顔ですね。仮面かぶってたときは吊り目だったけど、ホントはタレ目でした。これが出たってことは次巻あたりで完結なんでしょうか。
DVD『プリンプリン物語 友永詔三の世界』。 なんか四月からも再放送するらしいけれど、一番好きだった「アクタ共和国編」は殆ど残ってないんだね。 だいたい『プリンプリン』が放映されてた1979〜1982年ごろは、NHKの放送作品の保存が雑だって相当批判を受けてたはずなのに、なおもどんどんビデオテープを重ね録りしてたんだから、ふざけんなって感じなんだが。 このDVDには、その貴重な「アクタ共和国編」最終回である第164回も収録。当時はボンボンとルチ将軍が同じ神谷明の声とは気がつかなかった。 ……と言ったらしげが「何で?」と突っ込んできた。そりゃ、今ならすぐにそうだってわかるけれど、当時はたいして声優で番組見るようなことしてなかったんだよ。まあ、私がオタクとしては超薄型だってことが、このあたりからもバレバレなんである。 結局プリンプリンは故郷を見つけられないままで終わっちゃったんだよなあ。続編を想定してたのかもしれないけれど、NHKがそんなに番組を大切にするんだったら『ひょっこりひょうたん島』だって全話残ってるって。結局、作者の石山透さんがなくなって、続編の夢は消える。 何分、今から20年以上昔の作品なので、なぜか勘違いしていたお茶目な話。 ランカー役の滝口順平が歌う「星よスミレよ蝶々よ 薔薇よ蛍よ太陽よ なおそれよりも美しい 愛を求める男の心 ああ 純情一路 どこまでも ああ プリンプリンプリンセス」ってやつ、なぜか私はこの歌だけクロード・チアリが吹き替えてると思いこんでいた。改めて聞くとちゃんと滝口さんの声である。なんでそんな勘違いをしたのか、サッパリわからんのである。
2001年03月21日(水) 『GQ』余燼/映画『アンブレイカブル』/『さすらいエマノン』(梶尾真治)ほか
| 2003年03月20日(木) |
ヨッパライがいたゾ/DVD『サイボーグ009 第2章 地上より永遠に2』/『帰ってきたウルトラマン』vol.6 |
遠いお空ではドカンドカンやり始めたらしいが、仕事はしなきゃな。 職場で昼どき、「始まりましたかね?」と同僚の一人に聞いたら、「なんか始まったみたいってニュースで言ってましたがね」との返事。 ウチの職場、テレビもないしラジオもない(新聞はある)。もちろんその手の類のものの持ち込みも認められちゃいないんだが、この人どうして知ったか。 カマかけに引っかかりやすい人だなあ。
戦争はもう、勝手にやっちゃっててください、という心境なのだが、これのせいでテレビ番組が流動的になったり、本来もちっと大きく扱われていたはずのニュースが囲み記事になっちゃったりするのが困るんである。 香ばしいニュースがいろいろとカットされてる気がするなあ。
何だかここんとこ早出の仕事が増えてきてるしげである。 食事の時間も取れないと言うので、「なんでそんなに早く出なきゃならんのだ?」と聞く。勤務時間は8時からだと言うのに、6時には出てなきゃならんというのはいくらなんでも早出が過ぎやしないか。 細かい事情はよくわからんが、物品の搬入、受け取りを早めにして置かないと、夜、客が増えて忙しくなってからだと間に合わないらしい。なんかパソコンの準備もどうたらとか言ってたな。 でも、仕事が忙しいのは仕方ないとしても、帰りも遅くなって朝までカラオケなんかして遊んで、家事ほっぽらかしじゃあ言い訳にならんだろう、と突っ込んだもんだから、またもや口論になる。口論しても、結局謝るのはしげなので(だって実際、家事なーんもしとらんし)、ケンカするだけ無駄だと思うのだが、全然懲りないのである。 「なんね、謝ればいいとね?」なんて憎まれ口さえ叩かなけりゃ、「がんばれよ」くらい言ってやるんだがなあ。 あ、今気がついたけど、私、しげに「がんばれ」って声かけたこと、結婚して以来一度もないなあ。いや、これは別に「がんばれ」なんて気休めにもならんキレイゴトを愛する妻に向かっては言いたくない、なんてことではなくって、しげががんばったことなんて一度もないからなんだが。 どうして「忙しくて家事できなくてごめんね」ってヒトコトが言えないかなあ。「悪かった」って気持ちさえ表してくれりゃ、別に私だって怒りゃしないのである。 「ウソ、絶対怒るもん」 「怒んないよ。実際おまえが素直に謝ったときには怒ってないし。おまえ、記憶力ないから怒られたときのことだけ覚えてて、怒られなかったときのこと忘れてんだよ」 「オレが忘れてるときのことを証拠に持ち出されても、オレわからんやん! そんなんズルいやん!」 「どこがズルイか! 忘れてるおまえが悪いんだろが! そうやってさあ、自分が馬鹿なのをまるでオレの方が悪い、みたいな言い方するの、いい加減でやめてくれん?」 脳ミソ膿んでるやつに何言っても無駄かという徒労感はあるのだが、言わなきゃこの馬鹿、ますます増長するし、言うしかないのである。 なんでしげが素直になれないかっつーと、しげが自分で自分のことを「そういうキャラクターじゃない」と規定しているからである。「素直になること」=「相手に負けること」って図式が脳にインプットされてるんだね。負けず嫌いなのはわかるんだが、だからって、私に対抗するためにどうしてあえて「家事も出来ない馬鹿妻」を演じなきゃならんのか。私を見下したいなら、家事もなんでもこなすスーパー奥さんになって、「この家を取り仕切ってるのは私なのよ、おーほほほ」とやれば私はヘイコラするしかないのである。しろよ。 馬鹿やってたって、自分だって損するだけだろうに(なのにやってるから、心底、馬鹿妻なんだが)。 素直に謝りゃ、家の近くで落としてもらって、小遣いくらいやろうかと思ってたんだが、やめた。不貞腐れた罰に、博多駅まで送らせる。仕事に行くのが遅れるんだろうが、遅刻になるわけじゃない。早めにやらなきゃなんない仕事は猛スピードで片付けりゃいいのだ。自業自得。
バスセンター上の紀伊國屋書店でDVDと本を買った帰り、「バスチカ」のラーメン屋でチャーシューメン。例の餃子激マズの店だが、ラーメンは下の上くらいで、まあ食えなくはない。替え玉したら確実に胃にもたれるが。 バス停で待ってると、ヨッパライの爺ちゃんが急に絡んできた。 と言っても、乱暴なことをされたわけじゃなくて、選挙の宣伝である。 「○○○○さんのところで働いとうとですよ」とかなんとか言いながらハガキを渡してくるのだが、見てみると下馬評ではまあ当選は無理だろうな、と思える方のものである。まだ夜になって間もないってのに、すっすり出来あがっちゃってる人をスタッフにしてちゃなあ(^_^;)。 酔っ払いは嫌いじゃないし、こういう呑気な爺さんは好きである。だもんで、適当に相槌を打ってるとうちにバスがやってきた。気がついたら10分くらい○○○○さんの話を聞いてたのである。呑気なのは私の方か(^o^)。 爺ちゃんに挨拶して、バスに乗り込んだが、話の間中、どうしても気になったことがある。この爺ちゃん、私に向かって「お爺さん」と呼び掛けるのである。 あの、多分私、アナタより10歳から20歳は若いと思うんですけど。そりゃ白髪は増えちゃったけどなあ。
DVD『サイボーグ009 第2章 地上より永遠に2』。 第31話『怪物島』、第32話『機々械々』、第33話『結晶時間』を収録。 テレビ放映時との違いは、5.1チャンネル仕様にした以外は大してない模様。 第2部に入って、パンフを付けてくれるようになったのはありがたいのだが、だったらスタッフリストをちゃんと完全掲載してほしいものである。 それから『機々械々』の脚本の「江古田豊」が芦田豊雄のペンネームだってことも解説で触れておいていいんじゃないか。資料的にはちょっと物足りないのである。
DVD『帰ってきたウルトラマン』vol.6。 第21話『怪獣チャンネル』、第22話『この怪獣は俺が殺る』、第23話『暗黒怪獣星を吐け!』、第24話『戦慄!マンション怪獣誕生』の4話を収録。 本放送時は、このあたりから出来の悪いエピソードが多くなってきたんで随分腹を立ててたことを思い出した。 第22話で、加藤隊長があっさり転任、特に感動的なエピソード一つ描かれなかったのも不満だったが、第23話の小学生でもわかる科学考証のデタラメさには「シナリオ書いたの馬鹿?」とか思ってたが(山本弘さんも全く同じ感想を抱いていたことが『こんなにヘンだぞ空想科学読本』を読んで知った)、実相寺昭雄組や大島渚組の石堂淑朗だったのである。ならしゃあないか。もともと特撮だのSFだのに思い入れがある人じゃないもんなあ。でも、いくらなんでも「かに座生まれだから怪獣は『ザニカ』」なんて名前の付け方、センスなさすぎじゃないか。いや、本人もかに座生まれだそうだけど。 しかし、ゲストにはなかなかいいキャスティングしてるねえ。22話にはストーリーに全く関係なく、ピエロ役で三谷昇が出て飛び撥ねてるし(メイクしててもすぐ三谷さんとわかるな)、23話は横山リエに天本英世。ただ、横山リエを「少女」って呼ぶのにはちょっと無理があるが。 天本さんも石堂淑朗脚本ということもあるのか、この時期ではなかなかの熱演で、ちょっともったいないくらいである。バキューモンに地球が呑み込まれることを知った天文研究所所長、「どうせ死ぬなら何も知らないまま死んだ方がいい」って、あんたそこまで悲痛にならんでも。悲壮感ありすぎである。 第24話の怪獣キングストロン、『ウルトラマン』のガヴァドンとイメージかぶっちゃってて、これも白けてたなあ。
2001年03月20日(火) オタクの花道/映画『ギャラクシー・クエスト』/『Q.E.D.』9巻(加藤元浩)ほか
| 2003年03月19日(水) |
言わずもがなのお話/『社会派くんが行く! 激動編』(唐沢俊一×村崎百郎) |
この日記、リアルタイムでお読みの方ならお分りだと思うが、更新がしょっちゅう遅れているのである。どれくらい遅れるかというと、ひと月くらいはザラ。あまりに遅れすぎて、途中すっ飛ばすこともあるのだが、するってえと、「飛んだ分の日記はいつ書くんだ」とお叱りを受けることもしばしば。 しょうがないので、とりあえず掲示板を代理日記にしてチョコチョコっとその日に思ったことを書いたりもする。でも、簡単なメモ程度のものや、紋切型の文章だったりするものだから、改めて日記で記述を書き直したり加筆訂正したりしなきゃならない。二度手間でかえって苦労するハメになるのだ。 だったらダラダラと長ったらしいだけで中身のない文なんて書いてないで、さっさと進めたらいいじゃん、とみなさんご指摘なさるでしょうね。ハイ、その通りです。なんも反論できまへん。でもそれができりゃ苦労はしない。誰から頼まれたわけでもないのに、気がついたら長ったらしい文を書いてしまう癖、学生のころから変わってないのだ。 まあ、何とかしよう、という意志だけはあるので、その気持ちを汲んでいただけたらありがたいんですが、ダメですか。
政治ネタはあまり日記に書きたないなあ、と思っちゃいたんだが、まあ、こればっかりは一応書いとかんといかんかな。 ブッシュさんがついにフセインさんに最後通告出した件ね。 とりあえず、掲示板に以下の通りの書きこみをする。
> 私ゃ、ブッシュとフセインのどちらの立場にも組みしません。戦争に賛成でも反対でもないです。 > 「無辜の民が死ぬから」という感情論だけで戦争反対を唱える人も好きにはなれません。そういう人は、ブッシュが勝てば沈黙するに決まってるから。 > 「人間の盾」なんてのも、どんなに命をかけようと、所詮は安っぽいヒロイズムでしかない。死ぬなら勝手に死になさい。命を軽視してるのは果たして誰か。 > 結局、戦争反対を唱える誰一人として今度の戦争を止められなかったのですから、個人の力なんて所詮国家の前では屁だということが改めて証明されただけではないですか。そういう無責任な人間が、過去の戦争の罪を断罪したりしているのは、あまりにおこがましいというもの。 > あの人たちがすっかり忘れているのは、最近初めて戦争が起こったように錯覚してますが、戦争は敗戦からこっち、絶えず世界中のどこかで休むことなく行われていました。カンボジア紛争にもコソボ紛争にも全く関心を示さなかった連中が、どの口で今更戦争反対を唱えるのか。これまでもずっと対岸の火事を決めこんできたんだから、今更正義派ヅラしなさんな、見苦しい。 > これからも今まで通り、「ヨソの国で誰が何人が死のうとかまわねえ」の姿勢を貫きなさいよ。
> あとは、沈黙。
書きながら「まだまだ舌足らずだなあ」とは思うが、これ以上長く書くとなると、マジで『戦争論』でも書かなきゃならないハメになる。いや、書いても構わないのだが、その場合、日記の更新がまず確実に1年遅れになってしまうだろう。さすがにそれはちょっとな(^_^;)。 けど、この「戦争に賛成も反対もしない」って態度、コウモリみたいでどっち付かずって捉えちゃう人いるんだろうなあ。ある意味その通りなんで、反論もできないけどな(^o^)。かと言って、明確な態度を取ったからって、それが何か意味のあることかどうかって気はするんである。 「自分の意見を明確にする」って行為、自分の「社会的な立場」を考えなきゃならない場合以外には余計なことなんじゃないのかね?
晩飯はたまごかけご飯と冷凍からあげ。 冷蔵庫のありものである。しげが一緒に食事する時間がないってんでこうなった。何だか独身時代に戻った気がする……というより、未だに私ゃ結婚してる気文になれてないんだが。 メシ食いながら、アニメ『ヒカルの碁』を見る。最終回直前で作画もまあまあキレイだけど、結局、最後まで川上とも子さんのヒカルの声の演技には慣れなかったなあ。特にこう等身が伸びてきちゃあねえ。……もう、声変わりしてるだろう、ヒカル。
シティボーイズのライブ『NOTA』のチケットが届く。 今回は私としげの二人のみ。こうたろう君は残念ながら不参加だが、家族の手前、しょっちゅう芝居にも行ってられないだろうからなあ。もしギリギリで時間の調整がついたりして、当日券がキャンセルされてたりしたら、一緒に見たいんだがなあ。
雑誌『言語』四月号の「斎藤美奈子のピンポンダッシュ」で、「空襲」と「空爆」の意味の違いについての考察あり。 つまり、「空襲」は被害を受ける側からの視点での、「空爆」は加害者側からの視点での用語ってことだけど、そう言われりゃ新聞・ニュースの類、最近の戦争については全て「空爆」を使ってるな。「空襲された」じゃなくて「空爆した」なわけだね(「空爆された」という言い方もあるが、やはり意識としては加害者寄りなんである)。 なんだかこのあたりの言葉の使い方にも無意識のうちに「加害者寄り」になってる日本のマスコミの姿勢がありそうだよねえ。だから日本人そのものが「対岸の火事」を決めこんでんだから、きれいごとだけの「正論」吐いたって意味はないのさ。
唐沢俊一×村崎百郎『社会派くんが行く! 激動編』(アスペクト・1365円)。 表紙の作者表記を見て、「そうか、村崎さんの方がウケか」と思った方は私のトモダチです(平成ゴジラ『×』シリーズでも似たようなこと思った記憶があるな)。 お二人の「鬼畜対談」第2弾だが、世間の良識、キレイゴトに対して悪口雑言の限りを尽くした前作には、全くと言っていいほどクレームがつかなかったそうな。 でもこうして第2弾が出た以上は、結構な部数は売れたのだろう。読者の中に「識者」とやらが全くいなかったとは考えられないから、どうしてクレームをつけなかったかって言うと、クレームつけてかえって村崎さんにストーカーされたら怖いとか、あるいは「誹謗中傷してるように見せかけてて、実はこの人たち、社会の悪を糾弾してるんだわ」(←女言葉にしてるのにさしたる意味はあらず)、とか、勝手に脳内変換しているのであろう。 まあ、大半の読者は「キレイゴト」は嫌いだろうから、喝采を挙げていたと思うが。 「時事批評は古くなる」とはよく言われることだが、古くなっていいのである。それは「古典」になるってことだから。何度となくこの日記でも書いてるが、当時の出来事についての「キレイゴトの批評」しかなくて、「悪口」ってものが残されてないと、いったい庶民はこういう事件に対して本音でどんな感想を持っているのか、「時代の感覚」というものが分らぬのである。 現在ならこういった「悪口本」は不謹慎かも知れないが、未来ならこれはまさしく第一級の資料である。西鶴が『日本永代蔵』や『世間胸算用』を残してくれていたことが後代の研究者にとってどれだけ助かったことか。お二人にはこれからもぜひ、プライバシーの限界に挑戦してほしいものである。 特に、こういう対談本の類はあまりベストセラーになることが少ないし、なっても5年も経てばもう絶版、世間で忘れられることが多い。けれど、とにもかくにも書き残されてさえいれば、「時代の証言」として発掘することはできるのだ。唐沢さんの本が百年後の人間によって古本屋で探し出される風景って、唐沢さんにとっては本望だと思う(^o^)。 唐沢さんも面識のあったアニメ作家・宮沢みきおさんが世田谷で一家揃って惨殺された事件、あれだけ遺留品があって、どうしてなかなか解決しないのかなあ、と思ってたけど、「そういうウラ」があったのね。やっぱり新聞とテレビのニュースだけ見てちゃイカンのだなあ。 ……いや、この調子で内容の感想書いてったら、結構ヤバいことになりそうなのでこのへんで。実際、小心者なんスよ、結構。
夜中にふと目覚めてテレビを点けたら、あ○○りさ○○の『らいむいろ戦奇譚 』をやっていた。前にも何度かチラチラ見てて、エンディングのケツ振り踊りに閉口してたんだが、なんか「今日はお兄ちゃんをずっと休ませて挙げる日なの!」とか言って、主人公の指揮を仰がずに、少女たちが戦闘に行っちゃうって話。もちろん少女はドジッ子なのである。 これ見て殺意が過ぎらないアニメファンはアニメファンではあるまい。 ……なんで夜中にこんなゲンナリする悪夢を見ねばならんのかなあ。いや、テレビ点けた私が悪いんだけどさ。
2001年03月19日(月) 文句ばっかり言いたかないけど/映画『ONE PIECE 〜ねじまき島の冒険〜』ほか
| 2003年03月18日(火) |
第三セクター救済企画(^o^)/『ルパン三世 ある雨の日の午後(前編)』(大塚康生) |
某所よりハウステンボスの割引チケットを入手。 1割2割どころではなくほぼ半額。これは結構な大盤振る舞いだとは思うが、無料招待券もやたら出回っている今、これで普通なのかも。どっちにしろ、正規の値段は泊まりがお一人様24000円(税別)である。 大富豪じゃあるまいし、そんなカネ出せるか。んな暴利を貪ることやってるから潰れるのだ(って、アチラはこれでもカネ取ってないから潰れたんだって言いたいだろうが)。 まあ、半額と言っても二人で行けばやっぱりそれだけのカネが吹っ飛ぶのである。交通費、食費を考えれば、やっぱり五、六万の出費は覚悟せねばなるまい。東京行きも近い今、これだけの出費は正直イタイのだが、でもこの半額チケットがこれまた四月末までの限定チケットと来ている。 今しかないんだよなあ。 しげはやっぱり行きたがるんだろうなあ、と不安に思いながら、仕事帰りに車の中で相談してみると、「父ちゃん誘って行かん?」。 ああ、なるほど、それなら旅費くらいはオヤジにタカれる……って、そうじゃないっつーの(~_~;)。 どうもしげが前々からハウステンボスに行きたい行きたいって言ってたのは、親父と一緒に家族で行きたいってことだったらしい。考えてみたら、ここ数年、オヤジと一緒にどこかに泊まるってこと、なかったからなあ。休みが一緒にならないから仕方ないんだけれど。
せっかくだから、父の店に寄って、半額チケットを見せて誘ってみる。 父、ハウステンボス自体には行きたがってたようだが、やはり休みの日を合わせられない。行くとしたら別々になるだろう、ということで断念。 この日記をお読みになってる方には、私より糖尿病のヒドイ父を私がほったらかしてることに「なんて親不孝なヤツなんだ」と憤ってらっしゃる方もおられるかもしれないが、生活時間が父と私では全く違っちゃってるので、一緒に住むことはおろか、たまに合うことだってそう簡単にできることではないのである。 その分、父の世話は全部姉に押し付けた形になっちゃってるんで、ますます私はヒドいヤツなんであるが、お詫びってわけでもないけれど、父の財産(そんなモノは多分ないが)、全部姉に譲っていいと思ってる。姉とは血が繋がってないんで、その辺りは法的には難しいのかもしれないけれど、何とかならんものかなあ。やっぱ人間ってさ、血よりも縁だと思うんだがなあ。
夜、珍しくしげが早めに帰ってくる。 12時過ぎで早上がりってのも生活逆転なんだけれど。滅多にない機会はできるだけ利用しないと損なので、諸岡まで夜のドライブ。と言っても寄るとこって深夜営業の本屋とロイヤルホストなんだけど。 夜も遅いんだからカロリーは控え目にした方がいいんだが、ハンバーグとロースカツ定食なんて濃いものを頼む。だって新製品だったし(なんでこういう「お試し企画」に弱いかなあ)。
モンキー・パンチ原作監修・山上正月作画『モンキー・パンチ責任編集 ルパン三世公式OFFICIAL magazine WEEKLY漫画アクション4月14日増刊号』(双葉社・500円)。 今号の目玉は、大塚康生描く『ある雨の日の午後(前編)』。 過剰な期待はしなかったけれど、まあ、コマワリがヘタなのはマンガはシロウトだってことで仕方ないかなとは思う。でも、絵自体はねえ、かつての大塚さんの流麗な線を知る者としては、こういう線を見せられるのはチトサビシイ。 銭形、あれじゃ『侍ジャイアンツ』の長嶋だよ。でも「WEB峠の茶屋」の掲示板の大塚さんの書きこみなんかを見ると、試行錯誤しながらの作画の模様である。もうアニメーターを辞められて何年も経つのだから、温かく見守ってった方がいいのかなあ。 あと、おおすみ正秋の『パール・ハーバー』評は映画ファンなら必読。ただ「アメリカ人はバカ」って言い放つだけじゃなくて、「どうバカか」「なんでバカになったか」って、ちゃんと「映画のカット割り」から例証してるんだものなあ。当たり前だが、映像作家としての視点がなきゃ、どんな批評も個人的な感想に過ぎないんである。「ああ、そういう意見もあるね」で終わっちゃうし、説得力ってものはない。「ダン・エイクロイドが出てるから傑作」なんて感想をまかり通らせちゃイカンのである(^o^)。 もうそろそろ『パール・ハーバー』、ちゃんと見るかなあ。
2001年03月18日(日) めおと変態/『セクサドール』(石ノ森章太郎)ほか
| 2003年03月17日(月) |
納豆の光に!(ねば〜)/『TELESCOPE 〜テレスコープ〜』(古川登志夫) |
こないだケンカした時に、しげは「ちゃんと家事はやります」と約束したはずだったが、当然もちろんやっぱり間違いなく全然やらないので、今日もメシは私が作るのであった。 しげに好き嫌いが多いのは(っつーか、肉しか食わない)、この日記で何度も書いていることだが、もう10年も「偏食はやめろ」と言い続けているのであるから、そろそろオトナになってくれてもいいと思うんである。 だもんで、今日はしげの嫌いな納豆をあえてヤキメシの中に混ぜて炒めた。炒めたんだからあの納豆のネバネバはもうきれいサッパリ取れているのである。香ばしさはあっても臭みはない。 でもやっぱり食べないのだ。 「納豆の入ったメシなんてイラン」 と、こうである。 もしもこの世から食料がことごとくなくなってしまって、納豆しか食えなくなったらしげはどうするのか。それでも「納豆は臭い」と食わないのか。「だってアレ腐ってるじゃん」というのはしげの言いぐさだが、そんなこと言い出したら、人間はみんなハラん中で食物を腐らしているのである。そんなに腐ったものが食いたくないなら、テメエがクサい屁をこかなくなってから文句をつけろ。 しょうがなく、私はまたもや二人分のヤキメシを食うハメになったのだった。だから食いすぎだってえの(-_-;)。
コンビニで「週間文春」を立ち読み。 小林信彦の『人生は五十一から』、3/10の東京大空襲についての文章だが、小林さんの筆致、すっかりヒネクレまくっている。 この「3/10」という日付けを聞いても何のことか分らない人も増えたろう、という言い方もなかなかキツイのだが、指揮官のカーティス・E・ルメイ将軍の非道ぶりを微細に追及しながら、ただの一度も「東京大空襲」という語句を本文中では使わないあたり、小林さんの「小言幸兵衛」ぶりにもいよいよ磨きが増して来ている感じだ。もう「イチゲンさんお断り」みたいだ。 「東京大空襲」の事実を知らない若い人は、小林さんの文章を読んだだけでは「何についての記事なのか」、今一つピンと来ないだろう。もちろん、ネットなどで「3月11日」のキーワードで検索すれば、その事実は容易に掴めるだろう。けれどこの文章、「若いヤツらがそこまでの手間をかけて調べるわきゃない」と踏んで書いてることが明白である。もう小林さんは徹底的に若いヤツらをバカにしちゃってるんだね。 でもって情けないことにねえ、若いヤツらは自分たちがバカにされていることにすら気づいてないだろうってことだ。行間を読むチカラ、本気でないし。
演劇雑誌『テアトロ』4月号、声優兼劇作家の古川登志夫氏の新作戯曲、『TELESCOPE 〜テレスコープ〜』を掲載。 スチールも一葉、巻頭グラビアに載っているが、古川氏と奥様の柿沼紫乃さんが仲睦まじく写っておられる。この二人、結構年齢差あるんじゃないかな。 以前、唐沢俊一さんが実際の舞台を観劇されて、「芝居は古川さんの弟子たちの若手発表会という感じ」と簡単に書かれていた(『裏モノ日記』2月15日)。そのときは、ハテ、なして芝居の筋そのものについての記述がないのかいな、と思ったけれど、まあ読んでみると確かにこれはどういう話かってのを批評しようと思ったら、すごく書きにくいのである。唐沢さん、取材で行かれていたのだし、楽屋にもおじゃましていたのだから、正直なところは書けなかったのだろうな(^o^)。 私はそんな遠慮は全くないのでズバッと言っちゃうけれど、戯曲そのものはまあ、押井守の(『うる星やつら2』『御先祖様万々歳』の影響強し)ヘタな模倣なんである。 ホームレスたちのコロニーを、世俗から離れた都会のユートピアのように描く舞台設定もなんだか安易だけれど、実は彼らはめいめいに手前勝手な夢を見ていただけで、主人公の男も潜入ルポライターだったし、厚生労働省のイヌもいたし(室戸文明ですな)、可憐な少女は変質者に刺されて死ぬし、って、状況のひっくり返し方がストレート過ぎるのである。押井守と言ったが、ゴーリキーの『どん底』でもあるね。 実際の舞台はマジックあり歌と踊りありでバラエティーショー風だったらしいが、このウスい内容で2時間40分の上演というのは長過ぎたんじゃないか。 神様が「わしゃ全能なんじゃ!」って言ったら、「全国農業協同組合?」「そうじゃコシヒカリが……違うって!」って寒いヤリトリは好きだったけど。
しげが円谷くんから『ちょびっツ』のゲームを借りてきている。 「ちい目覚める」ってタイトルで、なんかこのちぃにいろいろ言葉を教えて育成するソフトみたいなんだけれど、何だかその育ち方がイビツなんである。どうイビツかは、原作マンガを読みゃわかるんで書かない。っつーか、恥ずかしゅうてよう書けんわ。 でよ、勝手に私の名前で登録してゲームするなって(~_~;)。
2001年03月17日(土) 嫌煙権を振り回す気はないけど/『風雲ライオン丸』(うしおそうじ・一峰大二)ほか
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
☆劇団メンバー日記リンク☆
藤原敬之(ふじわら・けいし)
|