無責任賛歌
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2001年03月19日(月) |
文句ばっかり言いたかないけど/映画『ONE PIECE 〜ねじまき島の冒険〜』ほか |
朝方、『アニメージュ』と『NEWTYPE』の4月号をやっと一通り読み終わる。今回、読みたい記事が多くて、読み通すのに時間がかかってしまったのだ。……って、朝っぱらからアニメ誌読んでる中年って、そう多くないだろうな。
まずは『アニメージュ』の記事から。
『千と千尋の神隠し』、声優がようやく決まったが、主役の二人は子役なのでよく知らない。脇を声優以外で固めるのももう定番で、沢口靖子に内藤剛志とはまたどこで宮崎さんの琴線に引っかかってきたのやら。宮崎さんの役者の起用の仕方に私は基本的に反対ではないので(俳優と声優を分けて考えること自体ナンセンスなのである)、これはどう化けるか期待は大。『ゴジラ』に『ビオランテ』、果ては『竹取物語』で悪評紛々たる沢口靖子だが、演技的に云々できる映画に出ているわけじゃないから、評価は今度が正念場ってところではないかな。
『山本麻里安のうぷぷん訪問記』(なんちゅータイトルじゃ)、ジブリの高橋先輩のインタビュー。うわあ、ひさしぷりに顔見たけど老けないなあ、先輩。私のほうが年下だなんて顔だけ見たら信じられないよな。 ご自身の仕事ぶりについて、「アニメーション全般が好きだったわけではない」とか「流されて適当にやってた」とか、やたらと謙遜されているが、どの口でそれを言うか(^_^;)。高校時代、SFとアニメを熱く語り「未来は君に託した」とかテキトーなことを言って私をオタク道に突き進ませたのはこの人のせいだと言うのに。第一今回の記事でも「頭にくるのは、アニメーションをまだ子供だけのものだとか思ってる人が多い」と本気で怒ってるのである。 全然、「雀百まで」でないの。早口で捲くし立てるあの口調まで聞こえてくるわ。 前に電話でお話ししたのはもう『平成狸合戦ぽんぽこ』の頃である。今度上京することでもあるし、お会いできないもんだろうか。『千尋』の追い込み時期だろうし、難しいだろうけど。
『フリクリ』、いよいよ最終巻発売ということで、今まであまりたいした評判も聞こえてこなかったのが、大森望がエッセイで誉めている。「SF的な日常をマジックリアリズム的に受け入れて、その中で生きる人間たちのドタバタを描くっていうのが現代SFの主流になりつつあるんじゃないか」っていう意見には今更何言ってんだって気はするけど。 『パトレイバー』で太田が「レイバーがどうやって動いてるか分るか?」と言ってたが、いつの時代であろうと、個人にとって世界のあらゆるモノはその全てを把握することの不可能なSF的存在なのである。だからよく考えるとその「すこしふしぎ」な日常を切り取ってドタバタさせて見せる手法、四十年以上前から藤子・F・不二雄がやってるでないの。『フリクリ』が『ドラえもん』の構造に極めて近いことに気がついてないのかね。 監督の鶴巻和也は今号のインタビューで「『フリクリ』ではSFを断念した」と語ってるが、それは「サイエンス・フィクション」としてのSFではないということだろう。とうの昔にそんな狭い概念のSFは滅んでいるので、もちろん『フリクリ』をSFと呼ぶことに私は一切躊躇しないのである。 『NEWTYPE』の記事から。
りんたろう(いつの間にか間のナカグロはつかなくなったみたいね)の『メトロポリス』も声優が決定。ティマ(手塚原作のミッチィにあたる)役の井元由香って『オードリー』に出てるらしいが、よく知らない。ケンイチとロックも若手の歌手ということで、このあたりは実際に演技を見てみないと出来の予想もしようがない。脇はやっばりベテラン声優陣で、ロートン博士が滝口順平(絵は手塚原作にもモデルのチャールズ・ロートンにも似てないぞ。なぜだ)。レッド公が石田太郎。ヒゲオヤジはこの人でなくっちゃの富田耕生(熊倉一雄や大塚周夫より私は好きだ)。 実のところ、このトシになってくると、映画に対してワクワク期待するという気持ちは昔ほどにはない。本当の名作、本当の傑作なんてものがそうそう生み出されるものではないということが見えてくるからだ。ではなぜ命を削る思いまでして映画館に足を運び、アニメやマンガに入れこみ、果ては自分で脚本を書いて芝居を打ったりするかって言うと、余りにもこの日本でタテのつながりが途絶えているからだ。大人はなぜアニメを見ないか。子供はなぜ過去の名作映画を見ないか。自分の狭い価値観の中だけで汲々として、他者を顧みる余裕も、その価値観を認める努力も怠っているからである。 手塚治虫の『メトロポリス』の映像化に私が惹かれるのは、単純に言えばその世代間の断絶をSFが埋められる可能性を持っていると信じているからだ。SFがただの未来予測小説などではなく、半世紀を経てもなお現実のアンチテーゼとして機能し得るものならば、大人と子供の感動は一つになろう。
庵野秀明と本広克行の対談、「21世紀になって毎日が未来」って庵野さんの発言、言ってる意味は分らなくはないが、それって自分の想像力の枯渇を表明してるのと同じだぞ。やばいなあ。 でも日本のSFがハリウッドのSFが勝てない理由が、予算の多寡のせいなどではなく、「法律」の違いだと切って捨てるあたりは、いかにも憤懣やるかたないという感じである。この怒りのエネルギーがある限り、庵野さん、次作も面白いものを作ってくれることであろう。 でも『アストロ球団』映画化はやめたほうがよかないかな(『トップをねらえ!』で「ジャコビニ流星アタック!」のもとネタが『アストロ』だと気づいたやつがどれだけいるんだ)。私は見るだろうけど。
4月からの新番組もそろそろ情報が出揃ってくる。 少女マンガ系で出来のいいのは滅多にないが『コメットさん☆』は悪い予感が当たってキャラデザインが今風にリニューアル。声優に前田亜季使ったって見る気にゃなれんな。『ARMS』、『逮捕しちゃうぞ』も福岡じゃやらないみたい。 タツノコの『ソウルテイカー』がどの程度かってところだろうか。 どっちにしろひととおりは録画してあとで見返して保存するものを決めよう。 特撮では『鉄甲機ミカヅキ』の放映が決まったみたいだが、深夜らしいし、気をつけないと見逃しちまうな。 『ウルトラマンコスモス』のテレビシリーズは劇場版の続き、という形になるらしい。となると早くて夏ごろかな。旧ウルトラシリーズに関わった恐らく最後の監督、飯島敏弘氏の脚本監督作である。これは期待しないほうが無理ってものでしょう。
休日前の最後のお仕事。これからしばらく会議は増えるが仕事自体は楽になる。ホームページの原稿なんかも少しは捗るかな。 今日も帰りにマクドナルドで「てりたまバーガースーパーバリューセット」を女房に買ってやる。昨日は二つ買ったてりたまを両方女房にやったので、今日は私もてりたまを食べる。この程度なら自分で作っても作れないことはなさそうだが、ハンバーガー(サンドイッチも)を自分で作る、という習慣自体、もう日本からは消えつつあるのではなかろうか。 ……女房の作ってくれたオニギリやサンドイッチぱくついて、花見とかピクニックしてえんだけどなあ。あまり味に期待できないもんなあ。
女房は夜から仕事だが、せっかく明日が休みでもあるし、意を決して一人で『2001春東映アニメフェア』を見に行く。 一人で行くよ、と言うと、「自分だけ」と文句をつける。だったらなぜこの間一緒に行かなかったのか。 拗ねる女房をあとに残し、キャナルシティへ。結婚以来十年、一人で映画を観に行くのは多分初めてである。でも女房は女房で、こないだ一人で『二人の男と一人の女』見に行きゃあがったんだからおあいこだよな。 こういうすれ違いが二人の間にヒビを入れていくのである。離婚は近い。多分百年後には確実に二人は一緒にいないであろう。 9時の回を覗こうとしたら、チケット売り場にメガネにデブで髪を櫛でといた形跡もないいかにもオタク風な連中がたむろしている。……って私も同類だ(T_T)。 もしやこいつらも『アニメフェア』を? と思ったが、買っていったチケットは『ギャラクシー・クエスト』であった。これは女房も見たがっていたので、今日行ってきたと知れたらますます拗ねられるので、近いうちに改めて二人で来よう。
しかし『東映まんがまつり』の頃は、五本立て、六本立てがザラで、三時間以上たっぷり楽しめたのに、今は堪え性のないガキンチョが増えたか、三本で二時間だ。でも9時過ぎなので会場にお子さまの姿はなし。それどころか全部で十人くらいしかいないがみんなカップルだ。 ……こんなことなら女房と二人で来れる時に見に行きゃよかった。でもデートするのに寄りに寄って『アニメフェア』を選ぶとは、日本もまだまだ捨てたものではない。
『ジャンゴのダンスカーニバル』、あれれ、てっきり原作の表紙をアニメ化するのかと思ったら、ちょっと設定借りただけで殆どオリジナル。でもこれが実にいい出来。 ロトスコープを使わずにダンスをアニメートできる技術は日本アニメの真骨頂。ミュージカルアニメが少なくなってきた中、短いながらもこれは貴重な一本だ。尾田栄一郎の絵って、等身がはっきりしているのでダンスさせるのに向いてたんだと発見。「いやあ、ナミさんセクシー(はあと)」とサンジ風に(^^)。 もともと東映動画って、『白蛇伝』以来一貫してミュージカルアニメを作って来たんだから、こういうの毎回やってもいいくらいなんだよな。デジタル技術による空間の描写が実写には出来ない奥行きとスピード感を演出している。
『デジモンアドベンチャー02 ディアボロモンの逆襲』、オープニングがラヴェルの『ボレロ』で始まるのは一作目からのヒキだな。この辺の細かい演出は当然ファンサービスの意味もあるわけだが、うまく合わせることが出来ればこの『ボレロ』って曲、実に使い出があるのである。 あまり熱心に『デジモン』を見ていなかった頃は、『ポケモン』のバチモンかと思っていたのだが、映画を三作続けて見て思ったのは、これは『ポケモン』との関連性は全くなく、どちらかと言えば『エヴァンゲリオン』の系譜に連なるものだということだ。 デジタルワールドからのデジモンの侵略、それを迎え撃つ「選ばれし子供たち」という設定、何より「怪獣対決」の舞台設定と画面演出が特撮を範とした『エヴァ』の系列の流れにあるのだ。 前作が「デジモンの憎しみと悲しみの内面世界」を舞台にしてしまった(この辺も『エヴァ』だな)ために、どうにもカタルシスを得られない展開になってしまったのに対し、今回は敵のディアボロモンを絶対悪として設定している。だから純粋に怪獣対決を楽しめるのだ。 アニメによる怪獣対決を描くのは無理かなあ、という常識を打ち破ってくれたのが『エヴァ』だとすれば、それを『デジモン』は更に進化させていると言ってよい。その迫力は『ゴジラ×メガギラス』を軽く凌駕している。 毎回大人が全く出て来ない(だからデジモンを倒すために自衛隊が出動したりもしない)点を不自然に思う向きもあろうが、それは敵となるデジモンの存在自体が「大人」の象徴であるからに他ならない。物語の構造自体は謎が多いようでいて実は単純なのだ。……そういう点も、「使徒」を倒さなければ大人になれなかったシンジくんとよく似ているなあ。 いやあ、映画はやっぱり予断でバカにしたりしないで、自分の目で見てみるものだなあ。
『ONE PIECE 〜ねじまき島の冒険〜』、うわあ、五対五の対決モノ、やんなきゃいいのにやりゃあがった。「ジャンプまんがの王道なんだからいいじゃん」という反論はこの場合当たらない。これで『ONE PIECE』が、サンデーの『うっちゃれ五所瓦』の完全な盗作になっちゃったからまずいのである。設定が似てるってだけなら野球マンガは全部『ちかいの魔球』のパクリかってことになるし、あまり目くじら立てたくはないんだけど、ゾロに「俺は二度と負けねえ」と言わしちゃ絶対にいけない。シチュエーションとセリフまで同じだと言い逃れが効かないのだ。 原作の第一話は本当によかったのになあ。なぜあのまま素直に冒険ものにできないのか。敵のキャラクターは、悪魔の実を食べて物理的に強くなってるだけだから、ルフィたちが一旦敗れても、どうせすぐに巻き返せるさ、という程度のやつらにしか見えない。……その辺を豪華な声優陣でゴマかしてるけど、ゴマかしきれるものじゃない(声優は本当に贅沢だよなあ。玄田哲章・林原めぐみ・青野武・田の中勇・島本須美だぜ!)。 本当の敵とは、心と心がぶつかり合うものだ。……子供にそんな難しいことは分るまい、なんていうやつは『太陽の王子ホルスの大冒険』を見たこともないんだろうな。もともとルフィってのはホルスみたいなキャラクターに成長する予定じゃなかったのか。強くなるということが誰かの犠牲の上に成り立つものであってはならないと決意した少年ではなかったのか。最近のルフィって、ただ怒りにまかせて乱暴振るってるバカにしか見えないのが辛いのだ。 でもこの映画がつまんないかっていったらそんなことはないからかえって困るのである。 途中までは物語の説明でややもたついていたが、ねじまき島に潜入してからのアクションは力技の迫力で見せてくれる。敵の城の螺旋階段ぶち壊して駆け登っていくわ、釣り天井を持ち上げ屋根をぶちぬいて一気に頂上を目指すわ、挙句はゴムゴムで砲弾を跳ね返して島全体を崩壊させるわ、おまえらみんなダーティペアか(・・;)。 でも面白くっても感動はない。初めからそういう『Dr.スランプ』的な迫力を求めるだけのマンガならいいんだけどね。『ONE PIECE』が目指してたのはそういう方向じゃなかったと思うんだが。 もういい加減シャンクスと再会させてほしいなあ。そうでないとルフィはいつまで経ってもバカなままだ。連載もどんどんつまんなくなるし、『きん肉マン』や『ドラゴンボール』と同じ運命を辿るぞ。
予告編で見たが次の『アニメフェア』は『きん肉マン2世』をやるらしい。また旧シリーズのようなヘタレアニメになるならご免被りたいが。
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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