無責任賛歌
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| 2002年06月26日(水) |
イカが怖い/『育ってダーリン!!』A・B巻(久米田康治)/ドラマ『ししゃもと未亡人』ほか |
オウム真理教の新見被告への死刑判決が下る。 これももう、1995年の事件。7年も前のことだ。ローティーンの(下手をしたらハイティーンも)若い世代にはどれだけショッキングな事件だったか分らない人も多くなっただろう。 オウムの被告たちの中には、事件発覚後も麻原彰晃に本気で帰依している者、利用して私腹を肥やそうとしていただけで最初から信じていなかった者、目が覚めて逆に麻原批判に回った者などいろいろ人間模様を見せてくれているが、こいつは完全に「帰依派」だったようだ。 万が一、釈放されることがあっても、コイツだけは間違いなく教祖の命令通り、ポア(=殺人)を繰りかえすだろうと目されているのである。 信教の自由がどこまで許されるのか、という問題については、大方の人間が「人に迷惑をかけない限りは」とか甘っちょろいことを考えてるんだろうなあ、と思う。 本来、宗教ってのは、法律が許そうが許すまいが、そこに既に「ある」ものである。マスコミはやたらと信者に向かって、「麻原が命令したらアナタも人を殺しますか?」とか聞いてたけれど、これほど意味のない質問はない。だって、そこで「いいえ」と答えたら、そりゃ信者じゃないってことになるんだから。たとえ教義で、「人を殺すな」と戒律があっても、教祖が「殺せ」と言えば殺すのが宗教なんである。キリスト教だって異教徒を惨殺した歴史があるよね。これは信者を追い詰めるための質問でしかないし、オウム真理教だけを危険な宗教と見なそうとする誘導尋問でしかない。 これは「もしも戦争になったら、アナタはお国のために戦いますか?」というのと同じ質問だ。戦時中なら、もちろん「イエス」以外に答えようがない。そして、『私は貝になりたい』のフランキー堺のように、敗戦後は「戦犯」のレッテルを貼られ、殺されることになるのである。さて、それが法として正しいと言えるかどうか? 私ゃ別にオウムを擁護する気はサラサラないし、なんで破防法を適用しなかったんかねアホンダラが、と思ってる口なんだが、だからこそ、新見被告の死刑判決は法の上の矛盾だと思うわけである。オウムが宗教である以上は、死刑に値する人間は麻原彰晃しかいないし、麻原以外を死刑にすべきではない。もし、新見を死刑にしたければ、「オウム真理教は宗教ではない」ことをまずもって証明しなければならないのだ。オウムが宗教でないなら、彼らはただの「殺人の共謀者」に過ぎない、ということになり、死刑は求刑できよう。 多分、法廷ではそんな「麻原の命令でやった」「麻原の命令と関わりなくやった」論争があったんじゃないかと思うんだが、マスコミ、相変わらず肝心なところは全然報道しないしな。そのへんハッキリさせてくれないと、もしかしたら新見が死刑になるにしろならないにしろ、法そのものが揺らいでいることになってるかもしれないのだ。 ……だからよう、やっぱ終身刑は要るよ、絶対。そうでないと、誰かに洗脳されて人を殺した人間もみんな死刑ってことになるもの。それでいいのか。
しげ、具合が悪いということで、また迎えに来れず。 けれど、今回は寝不足とかそんなんじゃなくて、本当に風邪らしい。 タクシーを拾い、ウチの近所のコンビニで降ろしてもらって、滋養液を買う。 ふとお菓子の棚を見ると、「世界名作劇場セピア」のガシャポン(食玩じゃないからこう言うしかない)が置いてある。『フランダースの犬』、『母をたずねて三千里』、『ピーターパンの冒険』、『赤毛のアン』と、これも写真で見る限りディテールがすごくいい。原型制作はやっぱり海洋堂で香川雅彦という人。思わず二つ買って、帰宅して開けてみたら……マルコ&アメデオとフィオリーナを見事にゲット!(『フランダース』は実は好みじゃなくてね) 合体させるとマリオネットを操るフィオリーナと、アメデオと一緒に踊っているマルコが……。うううう、また一つハマりそうなブツが増えちゃったよう(T∇T) 。
風邪を引いても仕事には行くというので、しげに滋養液と風邪薬を無理やり飲ませる。 「これ、オナカがよくない時にって書いてあるけど、オレ、喉が痛いんだけど」 「いいんだよ、どっちにも効くから」 若く見えてもしげももうそろそろ中年が近い。風邪を放置しておくといつまで経ってもズルズルと回復しないことは見当がつくので、ちったあ自分のからだのコントロールは真剣に考えてもらいたいものだ。 果物食って、日に当たれよ。
少しでもしげを応援するつもりで、パート先のリンガーハットで夕食セットを頼む。 しげから「何で食べに来るん?」と聞かれるが、「おまえを応援したいからさ」とは恥ずかしくて言えず、「リンガーの味を盗むためさ」とか言う。オマエは包丁人味平か。 でも、麺ズサラダ、ゴマダレ味がやはり美味い。冗談で言ってたが、盗めるものならこの味盗んで、なんとかウチで作れないものかと思案。ゴマダレの中に入ってる難い粒みたいなのはキュウリを刻んだやつか? 見栄切った以上、しげに聞くわけにもいかないんだよなあ。そのうち適当な食材で作ってみようか。
マンガ、BONES・出渕裕原作・百瀬武昭作画『ラーゼフォン』2巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。 アニメの方は未だに見たことないが、結構評判は呼んでるのかな。最近はそれほどネット散策もしていないので、情報に疎くなってるんである。週あたりの制作本数は多くても、全国ネットでしかもゴールデンタイムに放映しているアニメなんて、ジャンプ系列のアニメや『サザエさん』とか『ドラえもん』とか、数は限られている。『ラーゼフォン』だって、夕方の早い時間じゃ社会人は見られない。ビデオ仕掛けるには、私はほかに見たい番組が多すぎる(^_^;)。 畢竟、マンガだけでも読んでおくか、と思ったんだけど、どうもイマイチなのである。時間軸の違う二つの世界の戦争、といういかにも面白い設定を考えていながら、その「時間軸の違い」を生かした展開に全くならないのはどういうわけ? 考えてみれば、片方は世界そのものが「加速装置」持ってるようなものだから、まともに戦えばそっちが勝つに決まってる。これってどうも設定ミスっぽいが、どう収集つけるつもりなのか。 恋人の屍を乗り越えてってドラマ展開も、果たして正義はどちらにあるのかってアンビバレンツも、もうこれまでにたっぷり見てきてるんだよなあ。15年くらい前だったらもう少しノレたかもしれないけれど、今ドキこの程度のお話じゃ、何か新しいものが付け加わらないと、続けて読もうって気にはなかなかなれないんだよなあ。 新作アニメもいいけど、『ルーンマスカー』もどうなってるんだよ、出渕さん。仕事きちんと片付けてから、次の仕事にかかってほしいと考えてるの、私だけじゃないと思うけどね。
マンガ、クレイグ・マクラッケン原作・石川裕人翻訳『パワーパフ ガールズ <DCコミックス版>』3巻(小学館 /ワンダーライブスペシャル・788円)。 コミックス版のエピソードは、アニメの方にはないものばかりってのはアチラのお約束のようだ。おかげで、初登場のプリンセスもギャングリン・ギャングも、以前から何度もPPGと戦ってきたような扱い。このマンガで初めてPPGに出会うお子様たちには(あんまりそんな子はいないと思うが)、不親切この上ない。そのためにコラムでいろいろ解説してくれてるのはいいのだけれど、お子様にはちょっと専門的過ぎ……というか、オタクしかターゲットにしてないんじゃないかな? 今巻も「この話、日本の特撮・アニメで見たような」ってな話がいっぱい。 第一話はいきなり放射能怪獣が海から現れるし(これがハリーハウゼンの『原子怪獣』よりも『ゴジラ』のパロになってるのは、やたらコマ割りで足や尻尾による破壊のカットを見せている点で明らか)、バブルスが巨大化するのは巨大フジ隊員かも(^o^)。アチラにも「巨大女」映画は数多くあるけれど、怪獣ものとのセットになってるエピソードだから、やっぱり「ウルトラ」シリーズの影響の方が強いように思われる。 モジョの「パラノイア光線銃」は『パーマン』からか?(^o^) でもこれは「パラノイア」と言っても不安神経症になるだけだから、違うかも。あるいはさすがにアチラでも「パーになる銃」ってのは出せないのかもね。
マンガ、久米田康治『育ってダーリン!!』A・B巻(完結/小学館/少年サンデーコミックス・各500円)。 久米田康治の普通のラブコメ(^o^)。 サンデーの増刊に連載されてて、どうやらオトナの事情で打ち切りにあってたらしいのだが、新作を加えて奇跡の復活。作者本人は「これはなにかの罰ですか!?」と叫んでるけど。 だってねえ、絵柄的にはともかく、ギャグ的には『改造』『南国』の片鱗も見せない上品さ(ラスト近くにドギツイキャラがちょっと登場するけど)。シチュエーションコメディとしては、小学生の婚約者を理想のダンナサマに鍛え上げようという逆『じゃじゃ馬馴らし』『ピグマリオン』的展開な第1部は少年マンガにはあまり見られなかった設定で、新味があるけれども、第2部の「夫婦であることを隠して寮生活」、なんてのはこれまでに腐るほど同パターンがある。直接の影響は『ストップ! ひばりくん』っぽい。「は〜ん」(←何のことか解説はしない)を期待してた当時の読者は肩透かしを食らった気分じゃなかったろうか。 つまんないかと言われると微妙なところで、「慣れてないな」という批評が妥当なところか(^_^;)。この本で一番、久米田さんっぽいギャグはどこかっていうと、帯と巻末フロクだったりするのは『改造』ファンへのサービスかお詫びか。 ……あ〜、そこのアナタ、帯に「ドラマ化!」とか書いてあめるけど、本気にしないようにね。横に小さな文字で「希望」って書いてあるから。 フロクはA巻が「地丹式ラヴ論」で、B巻が「羽美式ラヴ論」。地丹よう、「そんなの愛じゃないとかいうけれどそんなのも愛なんだよ」とか言ってるからあんな目やこんな目に合うんだよ(-_-;)。 羽美ちゃん、「がんばればがんばるほどあんたの事嫌いになるよ彼」って言ってるけど、私、私のためにがんばってくれる女性に出会ったことないです。「彼」を「彼女」に読み変えるとすっごくキツイんですけど、私に死ねと言うのですか。って、マンガのキャラに人生相談求めてどうするよ(ー’`ー;)。
しげが帰ってくるまで、夜更かし。 具合が悪いのに帰ってきてみりゃ亭主は高イビキってのはヤだろうなと思った気遣いだが、多分しげはそんなことには全く気付いていないだろう。腹の虫抑えに餃子食う。 3時に帰宅したしげ、薬が効いたのか、見た目はそれほどキツそうではない。けれどそのまますぐに寝室に転がりこむから、やっぱりキツイのか。 私は私でパソコンに座って、さて、日記を更新しようかと前を見ると、見なれぬ白い物体が。いや、見慣れないと思ったのは間違いで、先日組み立てて置いておいた「イカデビル」のフィギュアが背中を向けて裏返されていたのだ。 私は触った覚えはなし、しげが落として立て直したときに間違えたのかな? と思って、しげに「おまえ、イカデビル、ひっくり返したか?」と聞いてみた。 しげ、一瞬、間を置いて、弱々しげに「うん」と答える。何やらワケがありそうだ。 「……なんで?」 すかさず叫ぶしげ。 「だって怖いやん!」 ……ちょっと私、コケました。 いや、マジで椅子から転げ落ちるとこでしたよ。 怖いぃぃぃぃぃ? イカデビルがぁぁぁぁぁ? イカデビルってよう、死神博士の正体ということになっているけどさあ、放映当時はなぜ、あの死神博士がよりによってイカなんぞに自分を改造せにゃならんのか、と、ガッカリしたもんだったんだよ(ホントはギルガラスになる予定が、都合で変更になったらしい)。実際、あっさりやられて弱くてよう。 「どこが怖いんだよ! イカだぞイカ! 美味しそうなくらいじゃん」 「背中は美味しそうだけど顔がイヤあ!」 ……そういうもんかなあ、顔を怖くしてる分、スタイルはどう見てもヤリイカなんで、「所詮はイカ」感が強いと思うんだが。 ともかく、ケツ向けてフィギュア立てるのもバカみたいなので、しげによく見える位置にあえて立て直す。この程度で怖がるというのは人間としてダメだと思うからである。 しげは本気で自分の怖がりを治さねばならんと思う。今度、寝入ったときに耳元で怪談を聞かせてやろう。睡眠学習で少しは耐性ができるかも。
深夜、CSファミリー劇場で『ししゃもと未亡人』。 その昔、と言っても昭和62年だからついこの間だが(私はもう、昭和50年以降は「最近」と呼ぶことにしたぞ。文句あっか)、関西テレビ系で『現代恐怖サスペンス』の第一話として放送されたもの。タイトルが全然変わってたから、最初原作がなんだか気がつかなかったのだが、これ、阿刀田高の代表作の一つ、『干魚と漏電』の映像化だったのだね。 引っ越してきた家で、電気代が前に住んでいたときより増えていることに気付いた未亡人が、その原因を調べて、電器屋や役所と交渉・家捜ししていくうちに、謎の電気コードが床下に続いていることを知って……というストーリーなんだけど、驚いたのは、トリックのネタ、冒頭でバラしてやがること(^_^;)。 だからまあ、ミステリーの映像化としては駄作としか言えないんだけど、これが妙に世間では評判を読んでるらしいのだよね。ナンシー関と町山広美の対談本『堤防決壊』でも「すごく怖いドラマ」として紹介されてたし。いや、何がコワイって、たかだか千円程度電気が増えてただけで、その原因に拘る未亡人の偏執狂ぶりに。で、その未亡人を演じてるのが小川真由美だから、演技に説得力があることったら(^_^;)。 わざとネタバレさせたのも、予め結末が解ってれば、カタストロフに向かって一歩一歩近づいていく小川真由美の悲運が際だって、「恐怖サスペンス」になるってことなのかも。 小川真由美以外はみんなチョイ役なんだけれど、これに実にゼイタクないい役者さんを使ってるのもドラマに厚みを加えている。役所の署員に故・小坂一也、近所の魚屋に菅井きん、電気代の集金人に平田満、隣家の主人に三谷昇(小川真由美にハイエナそっくりと陰口叩かれるギャグあり)、電機修理屋に松田洋治、役所の調査員に益岡徹。ああ、ビデオに撮って、しげにも見せればよかった!
2001年06月26日(火) やっかみをキャッチコピーにしてちゃねえ/『高校天使』3巻(加藤四季)ほか
| 2002年06月25日(火) |
揉んだら出る/『松田優作物語』6巻(完結/宮崎克・.高岩ヨシヒロ)/『仮面ライダーSPIRITS』3巻(石ノ森章太郎・村枝賢一) |
ようやく梅雨らしくなったか、今日もそぼ降る小雨。 ……ちょっと気になったけれど、そぼ降るの「そぼ」って何? 語感から判断するに雨降りの擬音じゃないかとは思うが、自信がないので『日本国語大辞典』を引いてみる。 万葉時代から平安、鎌倉のころまではは「そほふる」と発音していたようだ。「そぼ降る」形に変化したのは近世に入ってから。「そほ」というのはやはり「そほそほ降る」という擬声語からきたもの、という説が有力なようだが、「細小降(さおふる)」の意味、なんて説もある。「そ」は「衣」のことで、「ぼ」は「下に沈む」意、つまり、衣に水が染みとおる意を表す、なんて説は、もうほとんどクイズである。 語源探索の世界は、何万という文献を調べて、ようやく単語一つの語源が類推できる程度という、努力が実を結ばない世界だから、牽強付会な説が横行するのも仕方がない面はあるが、自説を披露するにしても、あと一呼吸して落ちついて考えてから発表した方がよかったんじゃないかと思うが、どうか。
いつものように職場までしげに迎えに来てもらったはいいのだが、途中で銀行に寄って札束を十億円ほど卸したときに(←だから意味もなく見栄を張るなってば)、カバンの中にサイフがないことに気がついた。 さて、職場で背広から出して、カバンの中に突っ込んだのは確かに覚えているのだが、そのときにチャックを締めたかどうかが記憶にない。 となると、考えられるのは、落としたか掏られたかだが、まあ十中八九、前者だろう。ウチの職場には生活に困ってヒトの財布をくすねなきゃいけないような貧乏人は一人もいない。それでもあえて、一番の貧乏人は誰かと問うたなら、その答えは私だ(^_^;)。自分で自分のサイフ盗んでどーする。 またなあ、「ちょっと職場に戻って」とか言ったら、しげのやつ、ブツクサブツクサ15時間ぐらい愚痴りまくるんだろうなあ。 かと言って、ニョーボに叱られるのが怖くて黙ってたって、いつかはバレるのである。それに、私のサイフの中にはカネはほとんど入っていないが、映画館やビデオ屋やカラオケ屋のカードだのはギッシリ入っているので(サラリーマンのサイフじゃねーよ、それ)、もしも誰かに盗まれたら、そいつは「何の役にも立たんやんけ!」と激怒するだろうが、私は大損なのである。 しげが文句つけられるのを覚悟の上で、「ごめん、職場まで引き返して」と頼む。 「なんでいきなり!」 「財布落とした」 「……どこに!」 「多分、オレの机の下」 「ホント? 間違いないと?」 「うん、ハッキリ覚えてるから大丈夫」 ハッキリ覚えているのなら、財布を落としたまま忘れたりするはずもないのだが、そこはあえて自分で自分には突っ込まない。 しげ、なおも疑わしげなジト目で私を見ていたが、どうしたわけか、急に泣き出しそうな顔になった。 「どしたん?」 しげ、ガマンできない、といった表情で、「オナカ痛いと!」と叫ぶ。 「腹が痛いって……なんで?」 「知らん。早く帰ってトイレ入ろうって思ってたのに」 「……なにか悪いものでも食べたんか?」 「知らん。オナカ冷えとうとよ」 それはつまり、寝冷えしたということではないのか。しげはムチャクチャ寝相が悪いので、朝起きるとフトンも毛布も蹴っ飛ばして、下半身丸出しで寝ていることがしょっちゅうなのだ。これではおなかを壊さないはずがない。 「寝冷えだろ? それ」 「わからん。ともかくオナカ痛い」 「腹、さすっちゃろか?」 わざわざいったん帰ってきた道を戻ってもらうのだから、少しは親切にしてやらないと、と思って、しげの腹に手をやった途端、つい、魔が刺した。 しげの腹は太い。 新婚当初のキュッと締まっていたあの可憐な面影はどこへやら、今や「肉の大陸」、家族10人分はあろうかという「鏡餅」と化している。 そんなところに手をやろうものなら、ホラ、アノ、揉みたくなってしまうではないか。 で、つい、揉みました。 途端に走るしげの絶叫。 「揉むなー! 揉んだら出るー!」 揉んだら出るって……出すなよ。
サイフは無事、机の下に落ちていた。 サイフを取り戻した後、トイレに大至急直行したいしげを先に返して、自宅の近所の「ほっかほっか亭」で、ダブルカツ丼に特製ビーフ弁当、やきそばと、消化に悪そうなものばかり晩飯に買っていく。 しかしこれは別にしげに意地悪しているわけではなくて、うどんみたいなおなかに優しいものは、しげは「食いごたえがない」と言って、断固として食べないのである。買って来ても食べないことがわかりきってるものは、買うだけ無駄なので、こんなこってりしたメニューになってしまうのだ。そのせいでしげの腹の調子が悪化したとしても、そいつは自業自得ってものである。 で、しげのやつ、やっぱりペロリと平らげるし。どこが腹イタなんだってんだよ。
マンガ、TEXT.宮崎克・ART.高岩ヨシヒロ『ふりかえればアイツがいた! 松田優作物語』6巻(完結/秋田書店/ヤングチャンピオンコミックス・590円)。 1989年。 松田優作がこの世を去ってもう、13年になる。 となれば、今時の高校生、大学生は松田優作のことをほとんど知らない。ビデオやBS、CSでチラッと見たことくらいはあるかもしれないが、当然、その「時代の雰囲気」までは掴めるはずもない。 こういう実在人物のマンガ化が、果たして、その人物が生きていた時代までも浮きあがらせることが出来るのか、と言われれば、それはやはり難しいのではないか、としか言いようがない。 昭和40年ごろ、下関は「猥雑なほど活気に満ちていた」だろうか? 昭和30年代をピークに、北九州とその周辺はどんどんさびれていった、というのが福岡から見た場合の実感である。今はレトロ記念館なんか建てて、なんとか持ち直してるけれど、当時そんなに「活気」があったんなら、松田優作がそこを脱出したがった理由が分らないじゃないか。 当時、下関は「死に体」だったのである。 「街は若く、松田も若かった」なんて、某ウールリッチの小説の冒頭をモジられても、「そんな大層な街か、下関が」としか地元民は思わんぞ。「異国情緒」なんて言葉を平気で使ってるけれど、東京人から見たらそうだってだけの話で、そんなの「アメリカ人の見たフジヤマ・ゲイシャの国日本」ってなもので、勝手な思いこみに過ぎない。 松田優作を神格化するための脚色は、かえって松田優作の役者としての価値を減ずることになりはしないか。 『ブラック・レイン』が、本当に松田優作の人生のシメとして相応しい映画だったと言えるのか。「生涯を賭けて創りたいと思う映画があります」と松田優作が医者に告白した映画とは、本当に『ブラック・レイン』のことを指していたのだろうか。 別に松田優作でなくとも、役者なら誰でも自分の命より作品の方を優先する。映画は量より質だ。細く長く生きてたくさんの映画に出るより、渾身の演技を目の前の一本に賭けるほうが普通だ。たとえその映画が『ブラック・レイン』でなく、たいした映画でなかったとしても、同じ言葉を松田優作は語ったように思う。
マンガ、石ノ森章太郎原作・村枝賢一漫画『仮面ライダーSPIRITS』3巻(講談社/マガジンZKC・580円)。 今巻は「ストロンガー」「スカイライダー」「スーパー1」編。 ついに登場、立花藤兵衛に谷源次郎の“二大”おやっさん。村枝さんの絵柄では、小林昭二にも塚本信夫にも似ているとはとても言えないが、キャラクターとしてのエッセンスは伝わってくる。 ただ、谷源次郎はともかく、立花藤兵衛、もう少しキャラとしては「重く」ないかな、とか、ちょっと不満なところもないではない。城茂と岬ユリ子の悲しい別れを経て、戦士をサポートし続けることに「懲りた」と言わせる演出、往年の仮面ライダーファンから見れば、やや納得しかねる設定ではなかろうか。 確かに、『ストロンガー』を最後に、立花藤兵衛は仮面ライダーシリーズに登場しなくなった。しかし、それは戦いに「懲りた」からだろうか? 「スカイライダー」と「スーパー1」のときも、実は他のライダーたちとどこかで戦っていたのではないか。そう考えることのほうがごく自然だと思うんだがなあ。 ライダーたちの戦いをあれだけ見てきたおやっさんだ。新たな敵が現れたと言うのに、黙って見過ごしてはいられないだろう。悲しみを乗り越えて悪の組織と戦うことを、ライダーたちに決意させる側に回るのが、おやっさんとしてのごく自然な行動ではないだろうか。 もっとも、おやっさんに限らず、これまでの仮面ライダー一人一人の描き方自体、9人のキャラクターの違いを際立たせるためだろう、結構誇張されていたんで、おやっさんにだけ「違うんじゃないか」と突っ込むのもヘンだけれど。 けど、かつてのファンは、ある意味、ライダー以上に小林昭二さんには思い入れが深いと思うんである。どうしたって、小林さんの声や演技を想定しながら見ないわけにはいかないんだよなあ。……「ワシはもう懲りたんだ」なんてセリフ、小林さんが言うか? けれど今巻は岬ユリ子が極悪なほどに美しかったので全て許す(* ̄∇ ̄*)。 いやもう、まさかあのタックルのお笑いコスチュームを美しいと感じさせてくれるとは……村枝さん、スゴイよ!
2001年06月25日(月) 1時間日記(^_^;)/アニメ『名探偵コナン』オープニング
| 2002年06月24日(月) |
役者や脳/『三谷幸喜のありふれた生活』(三谷幸喜)/DVD『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』ほか |
書き忘れてたけど、止まってたガス、先週から復帰してます。 いやねえ、土曜日に西部ガスまで出かけていってさあ、溜めてたおカネを振り込んだんだけどね、なんで三ヶ月も溜めてたのか事情をうまく説明できなくってね(事情もなにも、お金を通帳に入れ忘れてただけだし、別に説明義務もないんだが)、つい、「すみません、しばらく家に帰ってなかったもので」とか、口からデマカセを言う。「家内は今まで一人で、ガスも使わず、どうやって暮らしてたんでしょうか」と肩を落とし、淋しげに俯いて、生活に疲れて家を出たものの、もう一度だけ妻とやり直したいと決意して戻ってきた夫を一所懸命演じる。 ……脳ミソ膿んでるなー。そんなん演じられたって、係の人も困っただけだろうが(^_^;)。 私には、特に関わりのない人に対して、こういうその場限りの後クサレのない演技をしてしまう悪いクセがあるのである。 だって、演技するの好きだしぃ(*`▽´*)。 これが過剰になっちゃうと、虚言癖にもスライドしかねないから(そういうヒトも知ってるからなあ)、友人や知り合いにはウソはつかないようにしてるんだけど、ついうっかり何かやってないかな。 まあ、私が言ったり書いたりしてることで、「いくら何でもそりゃウソやろ」って感じるものがあったら、どうぞご質問下さい。多分、9割9分の確率で誇張が入ってます。でも、ここだけの話ですが、私がローマ法王の隠し子だってことは真実なんですよ(^o^)。
昨日から降り続いていた雨が、今日は大降り。 梅雨もそろそろ本格的、ということなのかもしれないが、今年はあまり雨続きという印象がない。特に蒸し暑くもなく、かえって寒いくらいなので、夏は案外凌ぎ易くなるんじゃないかと期待する。 仕事もまあまあのペース。 昨夜は少し喉が痛かったが、咳が出るほどのことはなかった。ついこの間、風邪引いたばかりだったのに、そうそう連続して引いてられるか。……と思っていたら、同僚が悪い感じの咳してるんだよなあ。 あれ? なんだか喉がいがらっぽくなってきたぞ。 ううっ、咳が出てきた。う、移ったのか? ……今日は暖かくして早目に寝よう。
定時に職場を退出。 しげ、昨日から「米を買いたい」と言っていたので、マルキョウへ。 ホントは銀行でおカネを卸してから行く予定だったのだけれど、しげの仕事が早いというので、おカネを借りて買い物。 銀行へは改めて明日寄る予定だけれど、なんだか利子つけて返せとでも言われそうだな。ともかくカネに汚いヤツだから。
仕事が終わったばかりなので、疲れて黙っていたら、しげが「腹がいてェ!」と叫び出す。 「……なんだよ、いったい」 「ストレスが溜まってるから腹が痛いんだよ」 「何のストレスがあるんだよ」 「アンタが黙ってるから」 「オレが黙ってたら、なんでお前のストレスになるんだよ」 「無言のプレッシャーやん」 「喋りかけたらかけたでプレッシャーだって言うじゃん。黙ってた方が静かでいいだろ」 「ジェイソンが黙ってたら怖いやん」 「誰がジェイソンじゃ!」
しげは今晩は食事をするヒマもなく午後7時から午前3時まで8時間労働。この時間帯に客が大挙して押し寄せるというのだから、日本人がいかに自然の摂理に逆らってる生活を営んでるかってことなんだよな。
三谷幸喜『三谷幸喜のありふれた生活』(朝日新聞社・1260円)。 うーん、なんでだろうねえ、三谷さんの芝居自体は好きなほうなんだけれども、エッセイとかナマな文章になると、どうにも読んでて不快になってしまう。 『気まずい二人』で、「私は引っ込み思案で対談なんて向いてない」とかなんとか言ってた三谷さんだけれども、自分で自分のことを「対人恐怖症」みたいなこと言ってる人間がホントに引っ込み思案なわけはない。タイトルに堂々と「三谷幸喜」なんて謳ってるじゃないの、これがデシャバリでなくてなんだというのか。こういう見え透いたウソには、どうも興醒めしてしまう。 要するにこの人の文章、「ぶりっこ」なんだわ。なんつーかねー、四十ヅラ下げたオヤジがぶりっこしてたら、そりゃ気持ち悪いのもしかたがないっしょ。
三谷さんの芝居に出てくるキャラクターは、どんなにオトナなフリをしていても、実際は全く幼稚なコドモである。そのギャグも小学生の学芸会レベルで、それが舞台や映画では、「いいオトナが幼稚なことをしている」ために観客に笑いが生じる。 でもそれが笑えるのは、そのオトナコドモがあくまで舞台の上のキャラクターだからだ。目の前にホントにそんなやつがいたら、鬱陶しいだけだわな。自分がナマに出てしまう(ように見える)エッセイを読むことは、まさしくそんな「お近づきになりたくないやつ」を相手にしているのと同じことだ。いくら作者がユーモアのつもりで書いていても、読者にしてみれば「どうして小学生の作文で笑ってやらなきゃならんのだ」って気になってしまう。 松たか子が自分のシナリオを読んでも笑ってくれないって愚痴ってるけど、卑しくも芝居の台本書いてる三谷さんが、演じる役者がいちいち台本読んで笑ってちゃ仕方がないってこと、分らないわけがない。つまり、これもユーモアのつもりで書いてるんである。でもよう、中年男が拗ねてる様子を見せられても嬉しくもなんともねーよ(-_-;)。 エッセイもまた演技の一つ、役者として書いてるつもりなんだろうけれど、それにしちゃキャラクター造り、間違ってないか。 けど、これで「三谷さんってシャイな人なのね」と勘違いするバカオンナもやたらといるんだろうから、それはそれで、戦略としては当たっているのかもねえ。
映画『みんなのいえ』のメイキング本としても読めるのだけれど、役者さんたちに対してはミーハーを演じて見せてるから、映画作りの裏話的興味はイマイチ薄い。せっかく和田誠さんにイラスト描いてもらってるのにもったいないなあ。
マンガ、柴田錬三郎原作・柳川喜弘画『眠狂四郎』4巻(新潮社/BUNCH COMICS・530円)。 うーん、柳川さん、作画は馴れてきたのだろうけれど、狂四郎の無明の感じは全然なくなってきちゃったなあ。 原作だと、美保代に肩入れするのも、そこに自分と同じ暗い運命を見出してるからだし、祖父・松平主水正への思いも母をないがしろにした恨み、なんて単純なものじゃない。 これじゃただの時代劇ヒーローものだし、狂四郎が「いいひと」に見えちゃうよ。キャラクターにも少し深みを与えてほしいもんだけど、ジャンプ系の漫画家さんって、そこが一番ヘタなんだよねえ。
マンガ。細野不二彦『ザ・スリーパー』4巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。 次巻で完結ってことで、今巻はまるまる1巻使って一本のお話。 でもねえ、現実と妄想の区別がつかなくなって破滅する人間ってモチーフは、エドガー・ポーの『黒猫』や『ウィリアム・ウィルソン』のころからずーっと続いてる「怪談」のテーマだからねえ。現代のマンガにリライトするんだったら、もう少しアレンジが必要だと思うんだけど。 妄想世界で「胡蝶」(「最も純度の高い胡蝶」だから「最胡蝶」=「サイコ蝶」ってネーミングはなんとかしてほしいけど、こういうしょーもないシャレ作るクセ、昔からなんだよな、細野さん)を捕らえれば、現実世界での犯罪者も捕らえられるって設定は、プラシーボ効果をもとにしたアイデアだろうけれど、ちょっくらムリがないか。 ムリがあると言えば、心清き無垢な精神にしか棲まないはずの「白獏」が、どうしてイマドキなコギャルなうつつにとり憑いてるのか、納得のいく説明がほしいもんだけど。
夕方、宅急便で待ちに待ってたDVD『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン ―マットアロー1号発進命令―』が届く。 ウワサのみは聞いていたけれど、見るのは全くの初めて。大学時代は、まさかこんなもん作ってる同世代の連中がいるなんて、思いもよらなかったものなあ。 後の鬼才、庵野秀明の監督作と言っても、あくまでアマチュアによる8ミリ作品である。欠点をあげつらっていけば、いくらでもツッコミは入れられるだろう。 しかし、断言する。 この「映画」を見て、鼻で笑い飛ばしてしまう人間に、オタクを名乗る資格も映画ファンを名乗る資格もない、と。たとえ庵野秀明自身が「素顔で」ウルトラマンを演じるというとんでもないシチュエーションを目にしても、である。 あれはこれがアマチュア映画であること表明するための「記号」である。ただの「予算削減」のためのものではない。プロには作れないアマ映画の底力がそこに横溢していることを、一度でも映画を作ってみたことのある人間ならばすぐに感じるだろう。
冒頭、平和な街の空に輝く隕石の光。 空を見上げた少女は光に包まれ、次のシーンで、マット隊長のイブキ(演ずるは『快傑のーてんき』こと後のガイナックス取締役・武田康廣)は、冷徹に隊員たちに通告する。「諸君、ヒラツネ市が壊滅した。使者は一万人以上」。 ……あ、あ、あの女の子、いきなり死んだのかよ! 『ガメラ2』で仙台市をふっとばすずっと以前に、軽々とアマがそれやってたのだ(まあ、『ガメラ』の樋口真嗣さん、ガイナ出身だけど)。 ハードな展開はその後も続く。 隕石から出現した怪獣バグジュエル(これはあくまで地球側の呼称で、ウルトラマンであるハヤカワ隊員は、「キロア」という名前で呼んでいるあたりも芸コマ)を殲滅するため、マットは生き残り住民を無視して核攻撃をあっさりと決定するわ、反対するハヤカワ隊員を強制的に拘束して「キサマそれでも地球人か!」と罵倒するわ、マットを明確に「軍隊」として描いているのもスゴい。 当たり前だが、「侵略」が行われて、その国に「軍」が存在していれば、まず絶対に敵として排除する方向に動くわな。脳天気な科学者じゃあるまいし、むやみに殺さず捕獲しようなんて悠長なこと考えるわきゃないのである。 また、地球人によって拘束されたにもかかわらず(監視つきの「自室謹慎」という形式を取ってるあたりがまた、人間のイヤラシサを如実に表している)、宇宙人・ハヤカワが、あくまで自分を「地球人」として怪獣と戦おうと決意する心情は、まさしくオリジナル・ウルトラマンが、ウルトラセブンが持っていた悲しみそのまではないか。沖縄県人・金城哲夫が創造した「異界の者からの視点」。これをまさかアマチュア映画がパロディにすることなく、ストレートに継承していようとは。 ウルトラファンなら、怪獣ファンなら、SFファンならば、その制作姿勢に諸手をあげて称賛を送らずにはいられまい。そして思うだろう。自分もまたこんな映画を作ってみたいと。 もちろん特撮も、紙製のセット、小道具を、映像センスでここまでリアルに見せることができようとはもう、感服である。何かと毀誉褒貶喧しい『エヴァ』だったが、その映像センスはやはり称賛に値するものだった。その原点がこの『帰りマン』の随所に散見される。『エヴァ』ファンならばやはり必見だろう。 期間限定販売ってことだから、手に入れるのなら今のうちだ。7700円くらいかかるけど、製作記録CD−ROMも付いてて、買って損はないぞ。さあ、ガイナックスのホームページから今すぐ注文だ。 ……けど、これの脚本、岡田斗司夫さんってことになってるけど、庵野さん自身が書いてる公算が大だな。主役の名前がハヤカワケン(=快傑ズバット)になってるところは岡田さんっぽいけど。
コンビニで手に入れたバンダイの食玩、『仮面ライダーメモリアル 激闘2号ライダー編』の死神博士・イカデビルを組み立てて、パソコンの上に飾る。 前の1号ライダー編のときは興味を惹かれなかったけれど、今度はなんたって、死神博士ですよ、天本英世さんですよ。似てるようでイマイチ似てない造型はちょっと残念だけれど、悪役ファンならやっぱり欲しくなるよな、これ。 既に私のパソコンの上は怪獣だの妖怪だのロボットだのアリスだのアスカ・ラングレーだので大変なことになっているが、これからもっともっと欲しい食玩が出てきたらどうすればいいのだろうか。 この手の「飾るだけ」のモノをコレクションするのが一番しげの気分を害することらしいからなあ。「そんなん集めたって役に立たないじゃん」って言われるけど、物理的なものじゃなくて、心のオアシスってやつだよ、こういうのは。 少なくとも「癒し系アイドル」とかに夢中になるよりゃよっぽどマシだと思うけど。ヘンな妄想してるわけでもないし。 あんまり文句つけると、トイレの壁にモー娘。と藤原紀香のカレンダー貼っちゃうぞ。いいのか、しげ。
2001年06月24日(日) マンガ読みのマンガ知らず/DVD『地球防衛軍』ほか
| 2002年06月23日(日) |
ふつーの休日/『狼には気をつけて』4巻(遠藤淑子)/『民俗学者 八雲樹』2巻(金成陽三郎・山口譲司)ほか |
脚本家の笠原良三氏が22日、肺炎のために死去。享年90。 随分なお年だが、となると、『社長シリーズ』『若大将シリーズ』『クレージーシリーズ』の脚本を書きまくっていたころは既に50代だったわけだ。多作が災いしてか、その全てが傑作だとは言えないまでも、コメディのフォーマット作りには定評があった人だと思う。 もっとも、フォーマットだけ作って、放り出すこともあったようで、例えば『大冒険』は一応テロップの上では田波靖男との共同脚本、ということになっているのだが、実際はお互い全く相談せずに脚本を進めていったという話である。笠原氏は前半だけ書いて放り出し、田波氏は田波氏で前半の設定を無視して後半だけ書いて放り出す。頭を抱えた監督の古澤憲吾が、小林信彦に頼み込んで、名前を出さずにゴーストとして、つじつま合わせの脚本を書いてもらったのだとか。 どうしてそんな事態になったのか、理由はよくわからないんだけれど、要するにこのころの笠原さんはもう「権威」になっちゃってて、使いづらい人になってたんではないか。70年代以降、笠原脚本の映画が全くなくなってしまったことも、それを裏付けてる気がするのである。
久しぶりに朝の特撮・アニメを一通り見る。 『忍風戦隊ハリケンジャー』第18話「父と兄弟の絆」。 ゲストで団次郎(現・時朗)が出演していてビックリ。つーことは『帰ってきたウルトラマン」のライバル、久方ぶりの共演でないの!(片方はハムスターになってるが)スタッフもそのへん意識してるんだろうね、団さんが空を見上げると星が十字に光ってたりしてるもの。それが面白いかどうかってことになると話は別だけど。 『龍騎』、『どれみ』、『ぴたテン』の感想は割愛。量が多くて書く気力が湧かん(-_-;)。 『ぴたテン』はオープニングテーマと、設定だけは気に入ってるんだけど、本編のアニメがねえ、演出がなっちゃないからなあ。原作はそのうち読んでみたいと思っちゃいるんだけど。
しげ、今日も具合が悪いのか、昼間、ずっと寝ている。 と言っても、仕事が休みなんだからゆっくり寝ればいいものを、朝方まで夜更かしして遊んでで、寝たのは午前7時である。で、午後3時に起きてくるのだから、生活が乱れていると言われても仕方あるまい。体調を崩すのも当たり前だ。 こちらも買い物などで自由に動けるのは休日だけなので、寝坊するにしても昼少し前には起きてほしいのである。 つーか、私一人で買い物したって構わないんだけど、一緒に行動しないと後で必ず悪態つかれるからな。
ホームセンター「グッデイ」で、洗剤だのトイレットペーパーだの日用品を買い込む。しげは新しいつっかけを買って喜んでいる。……ふと思ったが、イマドキは「つっかけ」ってのも死語かね? スリッパだのサンダルだのアミサンだのミュールだの、なんだかどれがどれやらわからんコトバが増えてくると、「全部『つっかけ』でいいやん」という気になってくるんで、私なんかは重宝してるんだが。 そのあと、博多駅の紀伊國屋書店、メトロ書店で本を物色した後、駅地下の一品香(「いーぴんしゃん」と読んで下さい)で食事。 4皿千円のセットがあって、酢豚だの餃子だの唐揚げだのを自由に選べるので、二人で頼むが、さすがにちょっと量が多い。ちょうど昼飯を食べていなかったのでなんとか食えたが、やっぱ中華はカロリー高いよ。しげが和食の定食屋を嫌いじゃなかったら、外食でもさほどカロリーを気にしなくて食べられるんだがなあ。
食い過ぎて気分が悪くなる。 本当ならこのあと映画を何か見るつもりだったが、カラダが持ちそうにないので中止。帰宅して、ひと寝入りした後、夜の買い物。 「ガスト」でダッカルビ定食というのを頼むが、不味いわけではないのだが、香辛料の効き過ぎでやたら辛い。ガストは今、ディスプレイが設置してあって、ネットで遊べるようになっているのだが、100円、200円と余計にカネを取るのがちょっと気に入らない。 唐沢俊一さんの一行知識掲示板も見られるようになってるので、覗いてみたい気持ちはあるのだけれども。
マンガ、遠藤淑子『スマリの森』(白泉社/花とゆめCOMICS・410円)。 もう絶版になってしまったが、遠藤さんには『ラッコはじめました』を初めとする、一連の動物シリーズがある。たしか連載中は「人間と動物のよりよい関係(「共存」だったかな?)を考えるシリーズ」とかサブタイトルがついていた。 遠藤さんファンの私だが、この動物シリーズだけはイマイチいただけない。自然を真面目に考えるんだったら、動物の擬人化には細心の注意が要るのだ。そうでないと、結局「動物たちの気持ち」ってやつも、人間が勝手に考えた妄想ってことになってしまう。梅川和美『ガウガウわー太』なんかも、登場する動物たちが人間的な意志を持ってはいても、動物としての生態を精緻に描くことで、なんとかギリギリのラインでリアルさを保っているのである。 動物を人間として描く手法は、大島弓子『綿の国星』が有名だが、あれは実は「動物モノ」ではない。「ねこ」という名のファンタジーの住人なのである。さて、この『スマリの森』は動物もの、ファンタジー、そのどちらにもなりきれていない。主人公がキタキツネでなくても成立する話だし、「動物モノ」ではなく「人間モノ」として書きゃいいじゃんかよ、と言いたくなるエピソードばかりである。 腰砕けしてしまったのは、人間に「ラスカル」と呼ばれて、自分のことを「ラスカル」という名前だと思い込んだアライグマの話。本当の名前をアライグマは知りたがっているのだが、主人公のスマリ(キタキツネ)が、「君はアライグマって言うんだよ」って彼に告げる……って、「アライグマ」ってのも人間が勝手につけた名前じゃん。問題の解決になってないというか、遠藤さん、自分で何を描いてるのか解ってるんだろうか。動物が本当の名前を知りたがるって設定自体にムリがあると思うんだが。 遠藤さんが動物モノで描きたいことって、なんなのか? こういう意図が不明な話は、読んでてちょっとツライものがあるね。
マンガ、遠藤淑子『狼には気をつけて』4巻(白泉社/花とゆめCOMICS・410円)。 『スマリ』よりこっちのほうが何倍も面白い。 これも絶版になってしまったが、『エヴァンジェリン姫シリーズ』以来、お転婆というか無軌道というか外道というか、ともかく後先考えない行動で周囲を振り回す少女キャラを描かせたら、遠藤さんの右に出るものはないんじゃないかってくらい、破天荒な楽しさが遠藤さんのマンガにはある。 もちろん、こういう「姫もの」は、倉金章介の『あんみつ姫』や手塚治虫の『リボンの騎士』以来の少女マンガの伝統なのだけれど、そのかつての「姫もの」のほぼ全てが『ローマの休日』的な、「お仕着せの権威からの脱却」を目指したもののバリエーションであったのに対し、遠藤さんの描く「姫」たちは、須らく自分に与えられた「権力」をフルに活用する。 本作のアレクサンドラも、「大財閥の天才お嬢様」という設定で、現代の「姫」と言っていい。今巻も誘拐されたフォレスト君の行方を探すために警察から不法に情報をハックして入手するわ、誘拐犯のアジトにブルドーザーで乗りこむわ、やりたい放題。……富豪刑事かお前は。もちろん、そんな傍若無人なところがカタルシスを生んでるのだが。 けれど、遠藤さんの最近の作品は、必ずしもかつてのシリーズほどには爽やかでスッキリした読後感を感じさせなくなっている。それはヒロインのアレクサンドラが、廃人となった父を秘匿し、代理として会社を経営しているという悲惨な立場に置かれている、という設定も関係しているだろうが、何より作者自身が「世の中には回復しない人間関係もあるのだ」という思いを少しずつ強くしていっているからのように思えてならない。 フォレスト君と実の父親との出会いのエピソードもそうだ。ロクデナシで、山師で、フォレスト君の母親を妊娠させたあげくにポイと捨ててトンズラこいたどーしょーもない父親。フォレスト君と再会した今も、沈没した黄金船の引き上げ話で詐欺を働こうとしている。 昔の遠藤さんなら、恐らく、一旦はアレクサンドラを引っ掛けさせて(『マダムとミスター』はたいていこのパターン)、ギリギリのところでフォレスト君が真相をつかんで、父親はまたもやどこかに蒸発して終わり、みたいな形でオチをつけたかもしれない。 なのに遠藤さんは、父親を末期ガンの患者にしてしまった。 息子を詐欺にかけるためにやってきたと見せかけて、本当は最後に息子と会いたかっただけ、という結末。……この結末に「救い」があるのかどうかと問われれば、「ある」と答えることはできるけれども、でもやはり「しこり」が残りはする。 確かにしんみりする話も昔から描いてはいたけれど、それでも遠藤さんの真骨頂は「脳天気」だったように思う。涙を流すにしても、切ない涙じゃなかったんだけれど、これからこういう作品が増えていくのかなあ。
マンガ、金成陽三郎原作・山口譲司漫画『ミステリー民俗学者 八雲樹 かぐや姫殺人事件』2巻(集英社/ヤングジャンプコミックス・580円)。 『竹取物語』をベースにしたミステリーと言われて真っ先に思いつくのは高木彬光の『月世界の女』。名作の誉れは高いけれど、小説としては面白いトリックでも、実は現実的にはちょっとムリがあるし、言っちゃなんだが「かぐや姫」をモチーフにしたってことを予めバラしてたら、先が読めちゃうのである。 この『かぐや姫殺人事件』も、ログハウスのトリック自体は面白いけれど、ミスディレクションがヘタクソなので、犯人もトリックもバレバレである。……つーか、その程度のトリックなら何も門外漢の民俗学者に依頼しなくても、警察官がすぐに見破るんじゃないか? もっとも作者としては、今の刑事ってバカがすごく多くなってるから、こんなチャチなトリックも見破れないのだって皮肉のつもりでそう描いてるのかもしれないけれど。……いや、実際、刑事の顔がもう「無能」を絵に描いたような(絵だけど)ヒドイ顔でねえ(^o^)。 もう一編の『蕗の葉の下の殺人者』、これもどこにムリがあるかはトリックに関わることだから書けない(-_-;)。まあ、警察がよっぽど無能だったら成功するかもしれないけれど、有能、とまではいかなくても、普通に常識的な感覚を持った刑事だったら、すぐ真相に気がつくトリックだってことくらいしか言えない。けど、それは全てのミステリーにも共通して言えることだしな。 それはまだいいとして、天狗、かぐや姫と来て、今度は「コロボックル」がモチーフになってるんだけれど、「実はコロボックルは実在していた」ってオチはやめようよ。最後の最後のドンデン返しで、「実は本当の犯人は幽霊でした」なんていう、いわゆる「怪奇ミステリー」の手法の一つなんだけれど、これ、作者によっぽど力量がないと外すんだよ。高木彬光も『大東京四谷怪談』じゃ外してたし、松竹映画版の『八つ墓村』も、それで原作の論理性をオジャンにしてしまっていた。 ……やっぱ、ミステリ作家に求められるのは「節度」だと思うんだが、どうか。
2001年06月23日(土) 愛のバカクサ物語/『フロン』(岡田斗司夫)/DVD『ウルトラQ』1巻ほか
| 2002年06月22日(土) |
発熱は冷やしてあげなきゃいけないもんでしょ/『楽勝!ハイパードール』vol.1(伊藤伸平)ほか |
夕べのうちに、溜まってた冷蔵庫のローンを全額払う。 いちいち「払ってよ払ってよ」攻撃がうるさかったからだが、「送った」と向こうが言い張ってた振り込み用紙が届いたのが一昨日のハナシだ。……遅配の責任まで、こっちは取れねーよ。
世間の動向に背を向けているので、ニュースの類を知るのはもっぱらネットに頼っている。 けれど、ワールドカップがどうしたムネオがどうしたマキコがどうなったなんてのは全然私の関心の埒外なので、必然、その「周辺記事」の方に私の眼は向くことになる。 サッカーに関してのニュースも、「ちゆ12歳」あたりから仕入れている私もどうかと思うが、オタクだからしゃあねえわな。正しいオタクはサッカーなんかに入れあげちゃいけない。岡田斗司夫さん、日和っちゃダメだよ(^_^;)。
で、微笑ましく笑えるニュースから。 イングランド代表がキャンプしている兵庫県津名町(淡路島)の小学生60人が、ベッカムらと18日に交流会を持った時の話である。 これに参加した子供たちは、津名町内7小学校の3年生から「抽選で選ばれ」ていた。 ベッカムたちは、子供たちが柔剣道などを披露してくれたお礼にと、一人ひとりに色紙50枚とボール10個にサインをして手渡した。 問題はこの後である。 子供たちが大喜びした直後、そのサインが帰りのバスの中で「強制回収」されたのだ。子供たちの喜びは一転、奈落に突き落とされた恰好になり、泣き出す子供も出て、父兄も「子供がショックを受けた」と憤慨しているとか。当たり前だが。 これについての釈明がまた異常。 町教委は「後日、各小中学校に均等に配布するとの事前説明をお願いしていた。選手に会えなかった子供との格差がつかないようにするためには、やむを得ない」と話し、町立大町小の校長は「担任が説明したはずだが、十分に話ができていなかったかも」と釈明。 ……で、どこがどう釈明になってるのよ。
「選手に会えなかった子供との格差がつかないように」って、抽選した時点で「会える子供」と「会えない子供」の格差ができてるではないの。格差をつけないためってんなら、最初からサインを貰わない、いや、交流会自体開かなきゃいいんである。抽選までしといて「均等に配布」って、矛盾じゃないのよ。本当に「事前説明」とやらはあったのか? 子供がサインを特別視するのはしょうがない。けれど教育委員会のようないいオトナの集まりが、たかがサインにそこまで価値を置くってことはどういうことなのかね。いつからサッカーオタクになったんだよ、おまえら。それとも「ウチの子が抽選に漏れたのは陰謀だわ、サインはわたしたちも貰う権利があるわよ!」とか教委に難癖つけてきたバカ親でもいたのか? 案外この憶測が当たってたりしてな(^^)。 この教育界での「格差をなくす」とか「不公平を正す」ってタームは、実質上「得したやつを引き摺り下ろせ」っていう差別意識を糊塗する意図で成り立ってるものだから、コトバ通りに捉えちゃなんない。要するに教育委員会は差別がどうのこうのより、サインの処置に困って苦しい言い訳してるだけなんだよな。 一番いい解決方法は、貰ったサインを全部焼却することである。これなら誰にも手に入らなくて「平等」だ。違うか? サインなんて「モノ」より、ずっと大切なことがあるってこと、いいオトナがわかんないのか? 『厩火事』って落語知らないか?(知らねえよな、教員って教養ないヤツばっかだし) それがわかんないってんなら最初から「平等」なんて下らん価値観を持ちこむもんじゃないね。「差別」とか「平等」なんて、マニュアル読んで理解したつもりになってるだけで、本気で考えたこともないくせに。人間に「格差」が生まれるのはどうしようもない事実なんで、それをどう乗り越えるかってことを考えなきゃならないんじゃないか? その訓練を全くしてないから、こういうところでボロが出てくるんである。 熱に浮かされてるんだねえ、どこもかしこも。
文化庁がまたまた「国語に関する世論調査」を行った。 「また」ってのは皮肉である。だって、「若い世代のコトバが乱れてる」って結論が出るのがわかってるのに、なぜそんな無駄なことするかね。いや、調査はしていいよ、でも、それを改善する方法考えてるの? コトバの乱れを云々言う前にテメエラの頭の乱れをどうにかしたらって思うが。 調査は、今年1月、全国の16歳以上の三千人に面接して、約2200人から有効な回答を得たとか。……800人の無効な回答ってのがどんなのか、そっちの方が気になっちゃうけど。 10の慣用句などを挙げて理解度を尋ねた結果が以下の通り。 「早くから」「以前から」などの意味で使われる「つとに」という言葉を使うと答えた人は、10代〜50代までいずれも1割未満、「意味もわからない」と答えた人が10代で85%、20〜50代でも45〜69%にのぼる。 無愛想に人の相談などを拒絶する「けんもほろろ」も、10代は78%、20代は58%、30代は29%がわからない。 「言わずもがな」(言うまでもないの意)は20代で54%、「よんどころない」(やむを得ないの意)は20代の49%がチンプンカン、10代は10句のうち9句、3割以上の人が理解できないと答えた。 ……なんかこれ、「コトバを知らない」ってレベル以前の問題って思うがどうかね。ずっと家と学校の中だけに引きこもってて、人間と会って会話したこと自体、ないんじゃないか? 私も知ってる10代の子が「谷川」って言ったときにキョトンとされたのには愕然としたけど。 文化庁国語課がねえ、「年長の人と話す機会が減ったことや読書不足が背景にあるのだろう。こうした言葉が消えないようにするには、古典などに親しんでもらうしかない」とか、またトンチンカンなこと言ってるんだよ。10代の8割は知らなくても、オトナの4割くらいは知ってるわけだから、「つとに」も「けんもほろろ」も、古典語でも死語でもないぞ。 「ゆとり教育」進めてるんだろ? 生きたコトバってのは教室じゃ絶対学べんのよ。へたすりゃ子供は親が使ってる言葉も知らなかったりするんだから、オトナと「生活の中で」会話できる時間を作ってやった方がよっぽど効果あるよ。
予定では、午前のうちに病院に出かけて、こまごまとした用事を片付ける予定だったのだが、しげが全然起きて来ない。 しげ自身が、芝居の公演のチケットを買いにアクロスに行く、と言っていたのに、いったいどうしたというのか。昼過ぎても目覚める様子がないので、シビレを切らして叩き起こす。 しげ、たっぷり寝たくせに不満げな顔。 「なんか最近、どうしてっていうくらい疲れると」 「肉しか食わなくって日にもあたってなけりゃ具合も悪くなるやろ。いい加減日にあたれ!」 ……と言って、叩き起こしたものの、外は小雨だった。朝までは晴れてたのに間が悪いったらない。
天神の福家書店を回って本を物色した後、アクロスでオペラの予約チケットを購入。安売りのツテがあったので手に入れたのだが、オペラだから当然役者のみなさん、アチラの言葉で歌われるのである。 係の人が「7月末に解説書が出来ますので取りに来てください」と言う。 つまり日本語シナリオってことだろうけれど、予め読んでおけということか。映画見る前に原作読んでおくようなもので、多少興醒めだけれど仕方がないか。以前見た『さまよえるオランダ人』みたいに、舞台でも字幕を流してくれたら嬉しいんだけど。
帰りにマクドナルドで新発売の「中華バーガー」というのを買って食べてみる。……要するに肉まんの外側がパンになってるってことなのね。肉まんだと思うと美味いが、だったら肉まん食ったほうがいいような微妙な食感。
久しぶりにテレビでアニメ『クレヨンしんちゃん』を見る。 「今度こそ本当にキレイにするゾ」「マサオくんが駆け落ちするゾ」「真夜中のフシギな味だゾ」の3話。 引っ越してあのアクの強いまたずれ荘の面々がいなくなっちゃうと、随分ゆったりした雰囲気になるもんだね。まあ、これが元々のしんちゃんなんだろうけど。 2話目はマサオくんが酢乙女あいちゃんに振り回される話。マサオくんと駆け落ちするはずが、あいちゃんの妄想の中ではいつの間にかしんちゃんと入れ代わってて、マサオくんは記念写真の隅でグレてるギャグが秀逸。これだからテレビ版もなかなか見逃せない。しょっちゅう見逃してるけど(先週の『ヌパン四世』は見損ねて失敗したなあ。藤峰子の声が誰になったか知りたかったのに)。 そういえば、同じ幼稚園に通ってるのに、あいちゃんは未だに映画版に登場せんな〜。もしかしたら、原監督に嫌われてる? 3話は、またもや大塚正美さんの超デフォルメ作画。でも酔っ払いのひろしの話には合ってるかも。ひろし、吼える犬に「靴下五日目キーック!」とか言ってるけど、もしかしてひろし、靴下あまり持ってないのか? そりゃ、五日も履いてりゃ過去を振り捨てたくなるくらい臭いのは当たり前だわな。 それはそれとして、プリンに醤油かけるとウニの味になるって。ホントにホント?
マンガ、伊藤伸平『楽勝!ハイパードール vol.1 NEW Side』(英知出版/トラウママンガブックス・1985円)。 なんだか年号みたいな値段でバカ高いけれど、ゆうに単行本2巻分とちょっとはあるから、これくらいの値段になるのは仕方がないか。 もちろんかつて廃刊になった徳間書店のマンガ雑誌、『少年キャプテン』に連載されてて未完のままになってたやつだけれど、新雑誌の連載が決まっての引っ越し出版、ということになる。……旧版持ってるのに買っちゃったのは、やっぱり細かい描き下ろしや改訂があるからだな。そんなの微々たるもんだってことは分るけれど、でもやっぱ好きなマンガだとどうしてもねえ(^_^;)。いや、細かいパロが好きなのよ。ヴェア・チカーエ(セミマン)はやっぱ楳図かずお版バルタン星人だし、いいよねえ。 宇宙から地球を守りに来た美少女二人組なんて、もろダーティペアの流れっつーか、作者ご本人は「ピンキーパンチ」だと認めておられるが、きれーなねーちゃんが露出度高いカッコで活躍してくれりゃなんだっていいんだ(* ̄∇ ̄*)。 作中にもあるとおり、当時は『コスプレ戦士キューティナイト』ってのもありましたな(^u^)。これも今月、DVDが出ましたが、私はこれも買うべきでしょうか。 作者があとがきで徳間の悪口吐きまくってるけど、仕事が来なくなる危険はないのかな〜。いらん心配かもしれんが、なんか喧嘩っ早いとこ、伊藤さんはあさりよしとおさんにも似てるからねえ。……連載中止ものばっかり増えるぞ〜。連載再開した途端、また休刊ってことにならなきゃいいけど。
2001年06月22日(金) 冷蔵庫は8年で買いかえるものだそうな(電器屋談)/『ななか6/17』1巻(八神健)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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