無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年06月16日(日) 悪態つくのは照れ隠し/『おしのび倶楽部』(横山えいじ)ほか

 朝、10時ごろ、父から電話。
 ちょうど仕事が空いたので、しげの散髪をしてやろうとのこと。
 もともと今夜は、父の日ということで一緒に食事をする予定にしていた。しげが、「ピアノの生演奏を聞きながらステーキが食べられる店」というのをワザワザ予約して、この日に備えていたのである。
 ホントは、夕方5時頃に、店でしげを散髪してもらうように約束していたのだが、もしかして夕方、客がたて込んで忙しくなるかも、と気を遣ってくれたのだ。
 本来第三日曜は姉の店は休日なのである。
 なのに今日もしっかり開店しているのは、冗談ではなく、休日も営業しないことにはやっていけないということらしい。客商売の浮き沈みはとことん激しいのだ。
 早目に出かけるのに私の方は否やもないが、あいにく肝心のしげがまだ寝ている(-_-;)。休日となるホントにとことん寝やがる。
 寝てて起きないから、昼ごろになると思う、と伝えて、あとはしげの覚醒待ち。20時間くらい軽く寝るときもあるやつなので、果たして昼までに起きられるか、と懸念していたが、幸い、ちょうど12時にトイレに起きてくる。しげを早く起こすためには、寝る前に水分をたっぷり取らせておく必要があるのかも。

 しげを散髪してもらったあと、一旦ウチに帰って昼寝。
 DVDで『ラヂオの時間』を見返す。舞台版より面白くなっているところもあるが、減っているのもあるので、評価はトントンというところか。
 ちょうど見終わろうかというあたりで、父から再度電話。
 仕事が忙しくて、約束の時間に間にあわないとのこと。だったら慌ててでかけることもないかと思い、ゆっくりしていたら、今度はしげが「まだ出掛けんと!?」とやきもきし始める。
 「遅れるって言ってたから、時間ちょうどに出掛けりゃ間に合うよ」
 「そう言っといて、時間通りに来たらどうするん!」
 あまりうるさく言うので、仕方なく腰を上げる。……けど、こういう時の女のカンというものは当たるようになっているのだろうか。「遅れる」と言っていた父と姉、ちょうど私たちと同じ時間、8時ぴったりに予約していた店に自転車で来ていた。
 私の顔を見るなり、「時間より早目に来とかんや!」
 と、父に怒鳴られる。
 しげは「ほら見てん」と勝ち誇ったよう。でも時間に遅れたわけじゃなし、なんでこうも悪し様に言われなきゃならんのだ。

 ピアノ演奏は10分程度の間を置いて、数曲ずつ、やはり10分程度演奏される。
 ピアニストの方の物腰が柔らかいので、父は「あれ、女か?」とシツレイなことを言う。田舎オヤジはこれだから(^_^;)。
 でも確かに、ちょっとアレ入ってる感じはあった。姉がまた、ワザワザ手首をくねらせて、おかまポーズを取って見せるものだから、こちらはピアニストの方に気付かれやしないかとヒヤヒヤもの。どうしてこう、オヤジ世代は無遠慮なんだか。
 明りが暗い、とか、童謡ばっかり演奏してる、とか、父、自分が招待されてる立場なのに文句をつける。
 普通、こういうところの明りが煌々としてたら、ムードもへったくれもないと思うのだが。例えば、店に来たカップルは、暗いからこそ、必然的に顔を近づけあって喋ることになり、そこでまあ、何やかやと気分が盛り上がって、次は二人っきりになれる場所へ……となるのである。
 もっとも父とムードが盛りあがったってしょうがないのだが。
 演奏だって、その日その日でいろんな曲を弾いているんだろう。たまたま今日が童謡が多かった(厳密に言えば唱歌ばかり)ってだけの話だ。『早春譜』とか、そんなのね。
 これって、いちいち文句の付けるほどのことじゃないよな。昔から父は、どーでもいいことに細かいのである。
 コース料理はまあ、こんなもの。出された酒が美味しいと、これは父も気に入ったよう。最後に「ありがとうね」と言ってたから、まあ、満足してもらえたのだろう。
 姉が「自分の分は払う」というのを断って、全額四人分払う。このときのためにナケナシの金を取っておいたのだが、これでまたしばらくは食事も切り詰めた生活を続けなけりゃならない。少しは計画性を持たなきゃなあ……って、できたためしもないことを夢想(^_^;)。
 しげ、父に喜んでもらえたかどうかをやたら気にするが、よっぽどひどいところでない限り、怒ったりはしないものだ。やたら愚痴を言うのは、ウチの血なんでしかたがない。アレで実は喜んでるのよ、オヤジは。
 腹蔵があるわけではないので、聞き流してりゃいいだけなんだけどね。


 アニメ『サイボーグ009』第34話「ファラオウィルス」。
 一応原作にあるエピソードなんだけれど、より003がフィーチャーされているストーリーになっている。ブラックゴーストはまだ復活していないので、ウィルス培養の真犯人は企業の陰謀という形に変更。原作ではブラックゴーストが単なる死の商人ではないことを示すエピソードの一つだったので、この変更はちょっと惜しい。敵のボスキャラも、石森さんの別の短編からの流用。
 オリジナルな味付けをするのを否定するつもりはないけれど、たいした能力のない003が一人で飛び出していく動機付けが今一つ弱い。脚本も少し疲れてきてるんじゃないか。そろそろ短編シリーズは一区切りして、長編シリーズに入ってほしいんだけどなあ。


 マンガ、横山えいじ『おしのび倶楽部』(秋田書店・897円)。
 出版されたのは昭和60年、おいおい、もう17年も前かよ(-_-;)。
 ずっと買い損なっていたこの本、単行本リストには載っていたので、欲しくてたまらなかったのだが、横山えいじの本が再刊されることなどありえようか(断定しちゃいかんが、実際、二刷されてたのなんて見たことないぞ)。
 吾妻ひでおの遺髪を継ぐ(まだ死んでないって)のはとり・みきと横山えいじだと、私は常々主張していて、衆目も一致するところだろうが、悲しいことに、その「衆」に会ったことがない。え、えすえふまがじんに連載までしていたというのに、ど〜して横山えいじの知名度はこんなに低いのだ。
 だから、ジュンク堂でこの本を見つけた時にはマジで狂喜した。初版だったのでちょっと泣きたくなったが。
 人の変身願望を満たすための秘密の地下組織・「おしのび倶楽部」。虐待願望を持つ女子高生・佐渡密子、説教魔のヤクザ、二宮金次、水戸黄門願望の「おやじ」、そしてムリヤリ仲間に引き入れられたヒーローマニアの浪人生、中野大作。四人は人の迷惑顧みず、自らの願望を満たすためとちょっだけ世の中の平和を守るために、もっぱら夜ばっかり戦い続けているのだ!……何と?
 マニアックなSFギャグが炸裂する『マンスリー・プラネット』や『ルンナ姫放浪記』と違って、キッチリとシチュエーションコメディをやってる本作は、近作のファンにはチト物足りなく感じるかもしれないが、やはりSFオタクな味わいは「さりげなく」散りばめられている。恐らく連載当時は、マニア嫌いな編集部と横山さんとの間で丁々発止の戦いが繰り広げていただろうことは想像に難くない。そんな作者の苦労を思うと、涙を禁じえない。
 『七色仮面』も『鉄人28号』も『まぼろし探偵』も、今時の若い子はじぇんじぇん知らないからな〜。
 え? それはSFじゃなくて、ただの「なつかし番組」だろうって?
 その偏狭な発想がSFをマニアでオタクな範疇に閉じこめちゃってるんだよ。「ガンダムはSFじゃない」とか「ゴジラはSFじゃない」なんてタワゴトこきゃあがるスットコドッコイは、エセハードSFファンと野原ひろしだけでたくさんだ。


 『アニメージュ』(徳間書店)7月号、富野由悠季の新作、『オーバーマン キングゲイナー』にタイアップして、「ニュータイプ人生相談 富野に訊け!」といういささか熱過ぎる連載が始まっている。
 山本弘さんのSF秘密基地の掲示板で、富野さんがまたトンデモなことを言ってる、とかなんとか書き込みがあったので、そんなにヒドいこと言ってるのかと思って読んでみたが、別に全然トンデモじゃなかった。
 「29歳でアニメーターに転職したいんですけど、甘いですか?」という質問に対して、富野さんの答えは「甘い! そんな根性のやつは来るな!」ってなもの。身もフタもないと言われりゃそれまでだけれど、私だって、富野さんの立場だったら「今の仕事を続けなさい」と同じことを言うがね。どうもSF秘密基地に集まってる人たち、トンデモ漁りをするあまり、自分自身がトンデモになっちゃってることに気づかなくなってんじゃないか。ミイラ取りがなんとやらだね。
 2ページだけだけれど、水民玉蘭さんが『クレヨンしんちゃん アッパレ! 戦国大合戦』の美術を特集している。当たり前の話だが、美術についても戦国時代の考証は綿密に行われている。当時の関東地方では城に石垣を作らずに土塁の上に城を建てていたこと(小田原北条氏の拠点だった逆井城というのがモデルだとか)など、感心したことも多い。濃い特集をやってくれてるよなあ。アニメ雑誌もようやく『クレヨンしんちゃん』の価値を認識してきたってことかな。

2001年06月16日(土) 通産12時間睡眠/『QUIZ』下巻(浅田寅ヲ)


2002年06月15日(土) 大宰府の赤い橋/DVD『幕末未来人』1〜3/DVD『ピンクレディ&ジェフ』

 数少ない読者のみな様がた、休日はいかがお過ごしでしょうか。
 私の休日の過ごし方は基本的には決まっています。
 寝ることです。カラダを休めることです。だから「休」日と言うのです。
 違いますか違いますか違いますか?
 でも、しげの考え方は違うのです。
 休日は夫婦でやたらべたべたいちゃいちゃらぶらぶする日だと言うのです。
 そんな理不尽かつ非道な行為をしていいものなのでしょうか。
 私も経験がありますが、他人の日記を覗いてみて、「今日は、彼と初めてのデート。ホントは私の手を握りたいくせに、ちょっと偶然指先が触れただけで、あわてて真っ赤になって、飛びのいちゃうの。ウブなんだからぁ。うふっ」なんて記述があったりしたら、握りっ屁カマしたくなります(まあ、こんな古臭い文章マジで書くヤツもそうそういませんが)。
 妻帯者である私ですら、そう思うのです。
 ましてや、毎夜サビシイひとり寝をかこち、火照るカラダを抑えながら悶々と○○○○○○○○○過ごしているチョンガーのヒトが(いえ、アナタのことではありません。ありませんったら)、「バカだなあ、オマエって」「いやーん、アナタこそ(はあと)」みたいなクソタワケな会話を聞いたり読んだりした日には、いったいどんな気持ちになることでしょうか。
 殺意を抱いても仕方がないのではないでしょうか。
 ですから、私は、これまで極力、しげとはらぶな関係になるまいと努力してきました。
 一所懸命、しげを罵倒し虐げ、暴力亭主を演じて来ました。
 それも全て、「ほーら、私たちは仲良くなんかないんだよ、だからジェラシって私たちを付け狙ったりストーカーったりしないでね」というささやかな意志表示であったのです。
 なのに、なのにです。
 今日、しげが突然、感極まったように「どこかに出かけたい!」などと言いだしたのです。
 「どこかって映画?」
 「映画とかそう言うんじゃなくてどこか!」
 つまりしげにとって「映画に行く」はデートではないということらしいのです。「もっとらぶなデートがしたい」、そんなオソロシイことを言いだしたのです。
 そう言えば、最近しげはストレスが溜まっていたようでした。なんだか落ちつかなくって、急に泣きだしたこともありました。
 「どうして私たちは夫婦なのにらぶじゃないの?」
 そんなことをしばしば口にしていました。
 いまやしげの目は、イモリの黒焼きを盛られた大奥の女のように(なんちゅータトエじゃ)ランランと輝き、その瞳の奥で情欲の炎を燃やしています。
 ここで逆らったら、チョンガーのストーカーに殺される前に、しげに私が殺されてしまいます。
 仕方がありません。
 今日は、「デート」をします。しなければならなくなってしまいました。道を歩きながら手なんかも握っちゃうのです。けれど、それは私の本意ではありません。
 お願いですから、ストーカーのみなさん(←断定するなよ)、狙うなら私ではなくしげだけにしてください(←外道)。

 「で、どこに行きたい?」
 「太宰府!」
 福岡・博多の人間が「太宰府」と言えば、それは即、「太宰府天満宮」のことを指す。
 みなさん、ご存知だろうか。博多人には有名なフォークロアが太宰府にはあることを。
 天満宮の祭神は、言わずと知れた学問の神様・菅原道真である。
 同時に道真は、平安京最大の怨霊でもある。藤原氏の策略で大宰府に左遷され不遇のうちに死んだ道真は、死後、次々と天変地異や疫病を起こし、藤原一族に祟りをなしたと言う(事実、そのころ藤原四家がバタバタと連続して死んでいる)。もともと天満宮は、怨霊道真を鎮魂する意図で建立されたものだ。夢枕獏の『陰陽師』のおかげで、そのことも随分有名になった。
 しかし、それで道真公のウラミが消えたわけではない。
 天満宮に向かう赤い太鼓橋。
 あれをカップルが手をつないでわたると、呪いがかかるのである。
 笑うんじゃないぞ、そこ。
 武田鉄矢は、若いころその伝説を知らなかった。ために、彼女ができるたびに天満宮に参っていたのだが、呪いは確実に武田鉄矢の身を襲っていたのである。
 鉄矢はフラレた。次々に肘鉄を食らった。そして、「呪い」の存在を知り、次にできた彼女とは「これを逃したらあとはない!」とコブシを握りしめ、決して、太宰府には行かなかったのだ。
 その最後の彼女が、今の武田鉄矢の奥さんなのである。
 恐ろしい話である。
 実は私も、若いころ、当時の彼女と大宰府に参ったことがある。
 しかし、私はかつて、神様をナメていた。
 そのウワサを知ってはいたが、「ボクラの仲は誰も引き裂くことはできないさあ!」とかなんとか腑抜けたタワゴトをほざいていて、平気で手なんか握ったりして、るんたるんたと赤い太鼓橋を渡っていた。
 結果はどうだったか。
 別れちゃったのである。マジで、その直後に。
 なんとオソロシイ話であろうか。
 千年の時を越え、道真公の呪いは武田鉄矢と私を奈落の底に突き落としたのだ。
 他に楽しみないのか道真、とか考えてて、ハッと気付いたのだ。
 私は藤原氏の子孫なのである。藤原姓だった祖父が四国生まれだったから、本家じゃなくて、純友系じゃないかという気もするが、先祖が藤原を名乗っていたのは事実だ。つまり道真とは仇敵の間柄。呪いがかかっても仕方がない立場だったのだ(じゃあ、武田鉄矢は? とかそこで突っ込まないように)。
 私は迷信ぶかい方ではない。
 しかし、偶然であろうと、呪いの結果は確実に出ている。
 しげが「太宰府に行きたい」と言い出したのを聞いて、私はマジでビビッたのだ。
 私は悩んだ。
 私が「太宰府になんか行きたくない」とゴネた場合、しげのウラミがどれほどのものになるか。
 悩んだ末に結論を出した。
 たかが左遷で怨霊になれるくらいなら、しげのウラミは道真を越えるだろう。
 これは道真対しげの戦いである。ゴジラとガメラのどっちが強いかってなものである。
 よし、賭けよう。しげに。
 しげが勝つ。夫である私がしげを信用せずにどうするのか。
 行くぞ、太宰府に。
 来るなら来てみろ道真。
 だから祟りはしげ一人にかけてね(←ド外道)。
 
 というわけでここは太宰府である。
 随分早く着いたようだが、交通期間を使って行くと、乗換えやら何やらで、1時間以上かかるのに、車だとウチから一本道で20分ほどで着くのだ。こんなに近かったのか、太宰府。って、ほとんど隣町だから当たり前なんだけど。
 以前、仕事の関係で天満宮に来たときには結構参道も混んでたように記憶するが、今日は時間が昼前なせいか、人通りはそれほどでもない。
 「このくらいがちょうどいいね」と言いながらしげは私にひっついてくるが、客が毎日この程度じゃ商売上がったりだろう。道すがら、店先を覗いて行くが、昔ながらの梅が枝餅屋が軒を並べているが、子供のころには多分なかった店も結構ある。オルゴール専門店なんて、なぜそんなものが太宰府に。こないだ来た時にあったガラス細工の店は見当たらない。短い時間の流れの中でも少しずつ様変わりしていっている感じだ。
 しげは、「テレビで紹介されたコロッケ」とか、「ヤキトリ」とか、縁日っぽい食いものにばかり興味を示す。「どこかの店に入って食事する?」と聞くが、気に染む店がないのか、べたべたしてたいのか、生返事。
 ともかく、鳥居をくぐって中へ入ると、左手にもう例の赤い太鼓橋が。
 「その昔の彼女と、ここへ来てからどれくらいで別れたん?」
 「……二ヶ月くらい?」
 「ああ、なら効き目あるねえ」
 効き目って言うのか、そういうの。
 ともかく、まるで何かに挑戦するように「手をつないで」橋を渡る。来るか道真、と思ったが、特に悪寒も何も感じるものはナシ。今日が6月15日だから、破局が訪れるとしたら、8月15日だ。……終戦記念日じゃん。勝負を決するにはいい日和……なのか?
 お参りしたあと、だざいふえんの方まで足を伸ばしてみるが、中には入らず。さすがに遊園地で遊ぶほどのカネはない(トシの問題じゃないのかよ)。代わりといってはなんだが、池があるところでは必ずやってる鯉のエサ巻き。店先にパンが
 しげは「またあ?」とか言うが、なぜか止められないのよ、コレが。
 風が少し強かったので、買ったパンくずが吹き飛ばされてなかなか池に落ちない。しかたなく、大きめにパンをちぎって投げ入れると、鯉がもう、寄ってくるわ寄ってくるわ。とても一口じゃ食いきれなかろうってほどの大きさなのに、突っつきあってるうちに手ごろな大きさになってくから面白い。面白がってるのは私だけで、しげは退屈かもしれんが。
 池には亀もいて、鯉と競争するとやっぱり負けるのである。できるだけ亀にエサがいくように投げるが、そのたびに鯉に横取りされている。弱肉強食の原理からいけば、こんなトロいカメが長生きというのも理不尽な気がするが、あまり食わずにすむからこそ長生きできるのかも。
 食うやつほど早く死ぬなら、食わなきゃ食わないほど長生きできるのか。中国の仙人思想ってそういう発想から生まれたのかもな。こういうどーでもいいことを考えていると、何となく休日っぽい気分になってくる。
 帰りにタコ焼きとヤキトリとコロッケを買って、車の中で食う。なんとなくピクニック気分である。こういうチープな食事が、縁日の醍醐味であろう。今日は別に縁日じゃないけど。

 せっかくここまで来たのだから、近所の都府楼跡にも回ってみる。ここが本来の太宰府である。
 といってももう、土台の石しか残っていない。それも、見たところ発掘したあとになって並べられたものも多いような感じだ。どうせなら何十億かカネ掛けて、都府楼の建物自体、復元したらどうかと思うが、そこまでの予算は大宰府市にはないのだろうな。あちこち「まほろばの里」とか、市全体で観光地を売りものにしていながら、もう一つ目玉をって気にはならんものかね。
 そんな訳で、今は日向ぼっこのための広場みたいな感じになっていて、今日も手作りのグライダー(ゴムで飛ばすやつな)で遊んでるオジサンたちが数人来ている。
 こういう何もないような所を、ただぐるっと散歩したりするのがしげは好きなので、結構気に入った様子。側溝の水に入って遊びたそうだったが、ツッカケで来ているしげはともかく、穴の空いた靴履きの私は一緒になって入るわけにはいかない。っつーか、一応史跡なんだから、そういう遊びはマズいような。
 しばらくブラブラして帰宅。
 しげ、「またお出かけしようね」と言うので、「しょっちゅう出かけてるじゃん」とぶっきらぼうに言ったら、「だから、映画とかじゃなくて、こういうの!」と怒る。
 こういうのもどういうのも、これだけ一緒につるんでて、まだ不満があるというのが、贅沢というものだと思うんだがなあ。


 帰宅しても、しげはまだ何か物足りなげに、「一緒に何かビデオ見る?」と聞いてくる。「何かを見よう」じゃなくて、「見る?」と、私に責任をおっかぶせてくるのがヒキョーだが、私もゆっくりしたかったので、買ったまままだパッケージも開けていなかったDVD『少年ドラマシリーズ 幕末未来人』1〜3巻を一気に掛ける。
 本放送は1977年(昭和52年)。これをリアルタイムで見てたの、もう25年前になるのか。感覚的にはついこの間なのに、なんだか信じられないな。
 けれど、今や疲れたオバサン顔になってしまった小手川祐子の凛々しい美しさや、顔出ししていた納谷悟朗のシワのない顔なんかを見ていると、確かにそれだけの年月が経ってしまったことを実感せざるを得ないのである。再放送の機会がほとんどなかった本作などは、いくらなつかし番組の好きなしげとても、さすがに幼すぎて見ていない。少年ドラマシリーズの中でも脚本・演出がしっかりしているほうなので、今見ても面白いようだ。
 原作は眉村卓。テロップには「『思いあがりの夏』より」とあるが、これは当時の短編集の表題で、実際の原作は所収の『名残の雪』。原作の方は大人向けの小説で、かつて幕末にタイムスリップしたことのある主人公の回想、という形になっている。ドラマの方は、その帰ってきた現代のことを一切省いているので、本放送当時は随分物足りなく思ったものだったが、今、見返してみると、あの唐突な終わり方のほうがかえってこれからのシビアな現実を予感させていいんじゃないか、という感想に変わってしまった。年月が経つと本当に見方が変わるものである。
 特典で、主演の星野利晴のインタビューで、「今だから明かしますけれど、当時、主演の三人で、夜中に酔っ払って渋谷の大通りを歌うたって夜明けまで騒ぎました。あのときは、ぼくも沢村正一くんも、ともかく古手川さんとずっと一緒にいたかったんです」とのこと。
 青春だなあ(* ̄∇ ̄*)。
 っつーか、『なぞの転校生』の時も別れのシーンで岡田可愛の手を握りつづけてたって言うから、星野利晴、えらく色気づいてたんだな(^o^)。でも確かに岡田可愛と古手川祐子なら、私でもそうしたろう。いや、だから「青春のヒロイン」ってやつはあるんだってば。
 予算の関係だろうか、タイムスリップシーンなど、今ならデジタル映像などをハデに使うところだろうが、全くない。戦艦三笠に乗り込んで、暗闇の中から出て来たと思ったら、そこは既に幕末の黒船の甲板なのである。
 けれど、その静かな変化がしげにはかえって気に入った模様である。私も、ありきたりな歪んだ空間の表現には食傷している。SFはセンスであって派手な映像じゃないのだ。このあたり、現代のSFドラマの作り手も少しは考えてみたらどうか……って、『クレヨンしんちゃん アッパレ! 戦国大合戦』がそうだったね。


 夜、エロの冒険者さん宅で、DVDの上映回あり。
 その前に汗をかいてるからひとっ風呂浴びようということで、平尾の「やまとの湯」と言う温泉センターに寄る。
 食事もそこでして行こうと思ったのだが、なんだか体育会系のジャージ軍団が座敷にいて、そいつらの注文で調理場はてんてこ舞い、30分経っても料理が出て来ないので、どうしたことかと思ったら、バタバタしていたせいかチケットを無くされていた。
 怒って払い戻しをしてもらい、あわててエロさんちに向かったが、8時を少し過ぎてしまった。
 お集まりになっていたのは、しおやさん、ぴんでんさん。
 「さっぱりしてますね」と聞かれたので、「ひとっ風呂浴びてきまして。何しろガス代払ってないんで、ウチ、今、風呂には入れないんですよ」と言わずもがななことを言う。でも、私って隠しごとやキレイごとは嫌いだし(そういう問題ではないか)。しおやさん、「まるで大学生のような」と笑われる。受けて頂いて恐縮です(^_^;)。ああ、そろそろ意地張るのやめて、カネ入れんとなあ。

 上映されたのは、結局こちらでは輸入放映されなかった、あの幻のピンクレディアメリカ進出番組、NBC特番『ピンクレディ&ジェフ』。
 今ならともかく、当時はややオチメとは言え、まだまだ日本でのピンクレディ人気はあったころだったから、ピンクレディを明らかにイロモノ扱いしているこの番組がおクラ入りしてしまったのは分らないでもない。
 何しろあの『UFO』の振付を、アメリカの本物のバックダンサーたちを10人くらい並べて、一緒に踊らせてるんである。もちろん、あのやたらラメの入ったヘンテコな衣装もつけて。なぜかいきなりミスター・スモーと名乗る相撲取りが乱入してくるところもさすが国辱番組。
 ああ、あのキテレツな雰囲気は、とても言葉では表せませんがな。
 ヒアリングができなくても何やってるかが一発で分るのは、それだけギャグが単純だからである。単純=バカとは必ずしも言いきれないものだが、芸ナシのピンクレディーにギャグを担当させられるわけもなく、結局、もう一人のホスト、ジェフ・アルトマン(まさかあの『クッキー・フォーチュン』のロバート・アルトマン監督と関係はないだろうな)にほとんどスケッチの進行は任せてしまっている。
 けれど、正直な話、このジェフ氏、あちらでも二流どころなんじゃなかろうか。デクノボーのピンクレディーをカバーしようと一所懸命なんだけれど、カバーしきれるものでもない。最初からワリ食うとわかってて、起用された気配が濃厚だ。
 けれどゲストはすごいね。いきなり「プレイボーイ」社長の(今は会長かな)ヒュー・ヘフナーが出て来たときにゃ驚いたが、そう言えばこの人、サタデー・ナイト・ライブにもゲストで出てたことあったよな。結構、バラエテイに顔出しするのが好きだったみたいね。
 思うに、SNLの影響は相当受けてるんだが、1980年と言えばちょうどベルーシ、エイクロイドほか、SNLの第1期のメンバーが抜けた直後だから、「こんなんでもイケる」と、アチラのプロデューサーも踏んだのかも知れない。もちろんSNLは第2期もエディ・マーフィほかを擁してさらに人気を拡大していくので、こんなもんが太刀打ちできるはずもなかったのだが。
 けど、水着になると、ミーもケイもホントにムネないねえ。アチラのグラマラスなボディと比べたらマジで二人とも小学生に見えるぞ。向こうにもコアなファンがいたからこそ、こんなDVDが出たんだろうけれど、向こうじゃロリコンシュミの男どもに受けてたんではないのか。もういっぺん向こうでリバイバル特番組んだら高視聴率取れるんとちゃうかな。
 その前にオタクアミーゴスのお三方にお送りして、公演に使っていただくという手もありか(^o^)。


 金欠病、いよいよ深刻化しているので、今日は飲み会には付き合わず。
 帰りの車の中で、しげ、また落ちこんで、「オレが顔出しても、みんな嬉しくないかなあ」なんて言い出す。「話を聞いてるのはすごく楽しいけど、オレの方からは喋らないから」。
 いつものことだなあ、と思いながらも、午前中陽気だった反動が来てるのかな、と思って、少しは気を遣った返事を返す。
 「別に楽しくないと思っちゃいないんじゃない? オマエの方から喋ってくれりゃそりゃ嬉しいだろうけど、喋らなきゃならないってものでもないし」
 しげは以前の某オフ会でもほとんど人と会話しなかったのが気になってるらしい。しかし自分自身が会話しようとしなかったものを今更後悔してどうしようというのか。
 思うに、しげは基本的に強欲なのである。
 自分の思い描く「理想の自分」、「理想の人間関係」というものが常にアタマにあるのだが、当然、理想は理想にすぎないのであって、それに近づけるはずもない。
 明るく如才のない自分、というのが「理想のしげ」だとしたら、それに近づくべく、失敗しつつも努力するのがフツーの人間なのだが、欲深なしげは一片の瑕瑾すらそこに許せない。結果として、ナゲヤリになるか、あるいは萎縮する。まさに自縄自縛である。
 プラスで開き直りゃいいのに、マイナスで開き直ってしまって、それでもなんとか日々を暮らしていけているのは、ひと寝入りするとしげは自分が落ちこんでたことすら忘れてしまうからだ。
 情緒不安定なんだかそうじゃないんだか全然わからん(-_-;)。

2001年06月15日(金) 毎日がクイズです/映画『大菩薩峠 第二部』(1958・東映)


2002年06月14日(金) 狂ったヒトふたり。片方は軽いけどね/映画『模倣犯』

 今日はマトモな神経を持った人間なら、繁華街に近づくことを避けたことだろう。
 言わずと知れたサッカー・ワールドカップ(W杯)のことである。
 このあたりがねー、ホントは潮時だと思うんだけどねー、悪い予感が当たって、日本がチュニジアに勝っちまいやがった。よりによって新聞の一面にデカデカと載ってやがるんだぜ、一面。日本全国、何か勘違いしてないかい?
 これでまたしばらく、ウチの職場でもサッカーの話題が喧しくなることだろうな。それは別に構わないんだが、こっちにネタ振ってくるのはやめてくれ。私ゃ、中田英寿以外のサッカー選手なんて、ペレとベッケンバウアーしか知らんのだ。私がサッカーに全然興味がないって顔をすると、「こいつ人間か?」みたいなジト目で見られるんだからたまったもんじゃない。
 私を興奮させたいんなら、宇宙人とのファーストコンタクトのニュースでも知らせてくれ。だいたいおまえらだって、ついこないだまでサッカーのサの字も知らなかった俄かファンだろうに、どうしてそこまでサッカーのオーソリティーみたいなデカイ面ができるのだ。知ったかぶるな。酢豆腐でも食わしたろか。~凸(-~~- )

 全国各地では、繁華街に警官が出張る騒ぎになったところも多かったようだ。
 「サポーター」なんて包帯みたいな名前付けられて喜んでる馬鹿も多いが、何をサポートしてるんだ。川や池に飛び込んだり、店のショーウィンドーぶちやぶったり、電柱や信号機にぶら下がったりするのの、どこがサポーターなんだ。ただの猿ではないか。
 けれど、そういう猿が大挙して出現してくれないと、イベントは儲からないんだよね。純粋にサッカーを楽しみ応援するファンの方々は猿どもの暴挙を苦々しく思っておられることと思うが、猿どもがゼニを落としてくれないと、ツケはあとで市民、国民に負担させられちゃうんである。
 マジメに考えて、ゼニを落としてくれるついでにサッカーの評判も落とすのと、落ちついて観戦はできるけれど客席は閑古鳥が鳴いてて全然盛りあがらないのと、ハテ、どっちがいいのかね。


 この騒ぎのおかげで、いろんなニュースが陰に隠れてしまっている。
 いや、政治の話も私にはどーでもいいんで、もっぱら下世話な方面ね。
 大阪教育大付属池田小学校での児童殺傷事件の犯人、宅間守被告が、捜査段階での供述で、「児童のめい福を祈るとか悪いことをしたとかいう気持ちはない。百人殺そうが千人殺そうが、私は自分のことしか考えない」とか、「事故で大勢死ぬのと私に殺されたのと、何も変わりはないのに、マスコミは騒ぎすぎだと思う」などと語っていたことが公判で明らかになった。
 ご遺族の方はもう怒り心頭に発する証言だろうが、皮肉なことに、これで宅間被告が近来稀に見る正直者であることが証明されてしまった。ここには一片の虚飾も虚偽もない。宅間被告は全く嘘偽りなく自分の気持ちをストレートに語っている。
 しかもその分析がまた正鵠を射ているんだよね。だって、今や日本人はみんなサッカーに狂っていて、池田小の事件のことなんて、遠くで起こった交通事故並にしかもう見ていないから。今のサッカー狂いに対して、「少しは頭冷やせよ」と言ったところで馬耳東風だろう。まさしく「(ずっと前に死んだ)児童のめい福を祈るとかいう気持ちは(オレはサッカー見てなきゃならないから)ない。(自分に関係ないヤツが誰かを)百人殺そうが千人殺そうが、私は自分のことしか考えない(から気にしない)」心理状態にないか。
 不謹慎な発言であることを承知の上で言うが、なんかデカイ事件が起きて、世間のサッカー熱を吹き飛ばしてくれないもんかね。こんなもんを国民的行事にしてしまっちゃいかんという気がマジでしてきたぞ。


 も一つ、これはオタク関連のニュース。
 テレビ『ウルトラマンコスモス』の主役、杉浦太陽が、二年前の2000年9月、弟の友人の専門学校生が自宅から4万円の現金を盗んだことを理由に暴行。更に迷惑料として自分の口座に45万円を振り込ませたということで逮捕された。
 爽やかそうな顔してて、エライヤンキーなことやってたんだなあ。
 TBSは早々と番組の打ち切りを決めたそうだけど、一応、最終回までは収録がすんでいたそうである。するってーと、杉浦太陽がカムバックするまで、コスモス最終回は幻のフィルムになるってわけかな。けれどこれは差別の問題に絡んでるわけじゃなし、復帰した時に「申し訳ありませんでした」とアタマ下げときゃ、ミソギはすんだってことになるのが芸能界ってとこだから、いずれ解禁になるでしょうよ。慌てて今見とかなきゃならないほどの番組でもないし(隊員のユニフォームがだぶつき過ぎてて女性隊員のボディーラインがわからんじゃないか)、それこそ大騒ぎすることもなかんべさ。
 芸能人の何人かが、「先に金取った方が悪い」とか擁護してるらしいけど、じゃあ、「カネ脅迫して取っていい」ってことになるの? ただのバカなのか、それとも何らかの裏事情を知ってての発言なのか、わからんねえ。
 いっそのこと、今までのフィルムも全て杉浦太陽の出演シーンだけ他の役者に差し換えて作りなおしたらどうだい。で、その代理の役者がまた不祥事起こしたりしてたら笑えるんだが。


 今日はしげの仕事が休みになったので、夜、映画を見に行くことにする。
 けれど、9時台の映画まではまだまだ時間があるので、父の店によって、散髪をしてもらう。
 野球好きでもサッカーには興味がない父、「映画に行くとや? ばってん今日は天神には出ん方がよかぞ」と言う。話によると、先日、日本が勝ったときもやっぱり「打ちこわし」があったらしい。
 天神にもあちこちに大画面のクリアビジョンがあるが、ほとんどサッカーを放映していないそうである。映せば、日本が勝った途端に石だのなんだの画面にぶつけたりするからだそうだが、賢明な判断だろう。
 父も「バカが多すぎる」と憤慨している。……やっぱなあ、この騒ぎにシラけテル人間って、案外多いと思うぞ。 


 映画は久しぶりに大野城のワーナーマイカル。
 サティの4階にあるので、上映時間まで時間がつぶしやすい。
 しげの大好きな「銀だこ」、ここでも売っていたが、買って食べてみると、しげの舌には合わなかったそうな。
 「香椎の銀だこのほうが美味しかった」……って、タコヤキにそうたいした差があるのかって。

 映画『模倣犯』。
 宮部みゆきの原作は未だに読んでいないが、私以上に審美眼のハードルの高い
しげが、珍しく「面白いよ」と言っていたので、ホントに面白いんじゃないかと思う。
 私も、原作を読んでから映画を見るか、映画を見てから原作を読むか、往年の角川映画のキャッチコピーのようにしばし悩んだが、映画のスタッフ・キャストを知って、「原作を読むのはあとにしよう」と思った。
 もちろん、森田芳光と中居正広が組んで、ロクな映画ができるはずがない、と踏んだからである。面白い方を後回しにするのは自然な発想だろう。

 冒頭、なんだかよく判らないデジタルな映像の合間に、「……模倣犯……模倣犯……」と、これも人間の声を機械を通して加工したらしい音が流れる。何つーか、ミエミエのアナロジーで、これだけで幻滅してしまう。
 実際、本編中にもやたらデジタルな映像が使われてるんだけれど、これがウルサイばっかり。しげは見てて目がチカチカしてキツかったらしい。
 カントクはさあ、デジタルな価値観が人間性を侵食している象徴として作ったオープニングだ、とかなんとかコリクツこねてるんじゃないかと思うけど、単に目がチカチカして気分が悪くなるだけだって。「ポケモン事件」のマネかよ(多分そんなとこにまで知恵が回ってるとは思えんが)。
 事件を二度なぞるのも、斬新な演出のつもりかもしれないが、別に珍しいものでもない。もともとぶつ切りになってた話を二度繰り返されたって、ただひたすらクドイだけだ。このカントク、今まで映画撮ったことないんじゃないか。

 何がダメって、主役の中居ほか1名が、ただの「本人はアタマがいいと思いこんでるけれど、実は中身のない、えらそうにしてるだけのバカ」だってこと。サスペンスも何も感じさせないどころか、見ていて不快だ。犯罪は雑だし、証拠は残しまくってるし、あまつさえ、事件の直後に堂々とテレビに出るし、全身で「私は犯人です」と言っているようなもの。ミステリーの知的興奮はどこにある。
 世間がまた、中居が犯人だってことに気付かないってのも不自然すぎる。だって、中居、演技力なんてまるでないんだから。
 ワキの役者は結構いい人揃えてるんだがなあ。キャラクターがあれだけ薄いのに、山崎努も木村佳乃もよく頑張って演じてくれてるよ。森田カントク、せめて脚本をプロに任せとけばよかったのになあ。
 パンフレットを読んでみても、監督が、その場の思いつきで、演出をコロコロ変えていった様子がよくわかる。それがハマってりゃいいんだけど、ほとんどが外してるか、あるいは意味不明。
 犯人が、魚を釣り上げるシーンに「軍靴の音をダブらせてくれ」って音響監督に頼んだそうだけれど、その理屈が「魚を釣るのも戦争と同じだ」からだそうな。……イカレたか?
 ラスト、中居が木村佳乃から「あなたは模倣犯よ!」と言われて「オレはオリジナルだ!」と言い返して墓穴掘るシーン、ミステリーの幕切れとしてはあまりに陳腐じゃないか。火サスや土ワイ以下じゃん。この監督、ミステリーを読んだことないんじゃないのか。
 しかも、なぜか突然、中居は爆死。自分が犯人だとバレるとは思ってなかったのだから、自殺の準備を予めしているはずがない。つまりそれって自然発火?
 わはは、プラズマだプラズマだ(^o^)。宙に舞い飛んだ首がテレビカメラに向かってニヤッと笑い、血飛沫が木村佳乃の顔にかかるって……『パノラマ島奇談』がやりたかったのかよう。
 ほかにも欠点をあげつらっていったら、キリがない。これくらいわかりやすい欠点だらけのダメ映画も、近来稀に見るほどではないだろうか。
 ところが、これだけクソな映画でも、マジメに誉めるアホウはいるようなんである。……中居のファンか?

2001年06月14日(木) ミステリー波止場の片足/『あひるの王子さま』1巻(森永あい)


2002年06月13日(木) 暗い木曜日/『名探偵コナン』37巻(青山剛昌)ほか

 歌手、村田英雄氏が肺炎のため死去。享年73。
 直接の死因は肺炎でも、重度の糖尿病を患って、両足を切断していた。
 昨日のナンシー関さんの死去と言い、なんでこう、落ちこむような死去のニュースばかり続くのだ。
 私ゃ去年の夏の入院の時に、この人の両足切断写真を何枚も見せられたってのに。
 もう長くないことは随分前から判っていた。
 にもかかわらず一時は復活し、平均寿命までは生きたのだ。
 だから、よく持ったほうだとは思うのだけれど、気持ちはもう「そうだよな、オレも明日死んでもおかしくないもんな」ってな具合に、暗い方へ暗いほうへとベクトルが向いてしまっている。

 「オレ、鬱だよ」
 としげに言ったら、「ふーん」とヒトコト、「なにをナマイキな」という顔をされた。
 けれど実際に鬱なので、しげに文句を言い返す元気もない。
 ナンシーさんのホームページ「ボン研究所」を覗いたら、5月1日付けの日記で、「今年は書きたいと思うネタがGWに集中してるかも。まだ何かあるな。誰か死ぬか?」と書いてあった。「2ちゃんねる」では、さっそくこれを笑いのネタにしている。怒る気はないが、悲しい。


 あずまきよひこさんのHP、例の「お詫び」の文章が削除されている。
 結局、FAQの「あれ、うそ」というギャグそのものが「なかったこと」にされた形だ。
 けれど、これが間接的な表現の自由の束縛・弾圧でなくてなんだと言うのだ。
 「日本では傷ついた者が勝つ」とは金美齢さんの名言だが、自分が被害者になれば何でも言って構わないと思いこんでるアホウをここまで量産したのはいったい誰の責任だ。
 こうなると、誰かナマイキだと思った作家がいたら、編集部気付で「アナタの作品にショックを受けました」と手紙を送りつければ、即、連載中止に追い込むこともできるようになってくるぞ。
 『こち亀』だって、亀有の人間を騙って「亀有のイメージを落とさないでくれ!」なんて抗議の手紙を送ったら、連載を終了させられるかもしれない。笑いごとではないのだ。こういう「被害者ぶりっこ」は年々、少しずつ少しずつ、澱が溜まるように増えつつあるのだ。
 そういう「被害者のフリをしただけの実は加害者」に出会った経験は、私もこれまでに数限りなくある。そういう人からは今のところ「逃げる」ことでしか対処できないんだよね。話、まるで通じないから。
 けれど、こちらが逃げてると図に乗って、「自分はやっぱり正しかった」って思うんだよ、そいつらは。
 だからあずまさんも、ホントならガンとして削除なんかしないでいてくれたほうがよかったんだけど、編集部にまで迷惑はかけられないと判断したんじゃないかなあ。……だから悲しいことが多すぎるよ。


 夜間業務のしげは、当然、昼間が睡眠時間だ。
 私を車で送り迎えしなければならないので、朝、9時過ぎに寝て、夕方4時くらいに起きる。6、7時間まとまって寝たあと、仕事に行く前か帰ってきてからか、2、3時間ほど寝る。
 実によく寝ているし、相変わらず全く家事をしないが、これでもしげ本人には寝たりないらしい。
 というか、時間を無駄に使いまくっているのである。
 9時過ぎに寝る、とは言っても、「ベッドに横になる」だけで、なかなか寝つけない。そうなのだ。しげは異常に寝つきの悪い女なのである。
 いろいろ本人も努力はしているのである。羊を数えると、一生懸命になってかえって眠れないので、前に読んだ本を何度か読み返す。一度読んだ本なので、熱中して読むということもなく、気がついたら眠りに落ちている。だから、実際のところ昼間はギリギリ6時間眠るのが限度、という感じらしい。
 最近は吉田戦車の『つやつや先生』を読んでいるとすぐに落ちれるそうだ。何となく納得できるような。

 しかし、どうしたはずみか、今日はほとんど昼間、眠れなかったらしい。
 眉間にシワを寄せていかにも不機嫌そうである。
 「なんで寝なかったんだよ」
 「寝ようとしたんだよ。でも寝れなかったんだよ」
 「寝ようという意志が足りないからだろう」
 「本を読んで寝ようとしたんだよ」
 「寝つけないなら黙って、ジッとしてりゃいいじゃないかよ」
 「ジッとしてたら怖いやん!」
 「怖いこと妄想するからだろ!?」
 私にはしげが自ら眠らないように眠らないようにしているようにしか思えないんだが。私のように、寝ようと思ったら一瞬で落ちることのできる人間には、しげの悩みがよく解らない。すぐに睡眠に入れるいい方法というものはないものだろうか。

 寝不足でも腹は減る。
 しげはまた「王将」。……よりによって、村田英雄が死んだ日に「王将」かよ、と思うが、冷静に考えれば、そんなことを関連付けて気にする方が神経をヤラレている。そうだよ、だから鬱なんだってば。
 こういうときは具合が悪くなるとわかっていてもドカ食いしてしまうものである。
 私はスタミナセット、酢豚と餃子と唐揚げ定食。
 しげもなんとかセットで、炒飯と餃子と唐揚げ。
 これだけ食ってもなんとか体重は82キロ前後でキープ。食い控えれば、確実に痩せられるはずなんだけど、それをついつい食っちゃうのはやっぱりストレスが溜まってるんだよなあ。


 夜、気分悪いと言ってたわりには、しげ、寝つけないで甘えてくる。
 「なんだよ鬱陶しいな」
 「眠いとよ、眠いけど寝れんとよ」
 「眠いなら寝れるやろ」
 「だけん寝れんて」
 「俺は眠いから寝れるぞ」
 と言って、次の瞬間には寝た(^o^)。だから、そのあとしげがどうしたかは知らない。
 冷たいようだが、しげの甘えに付き合ってやると、今度は私が寝不足になるのだ。そこはどうしてもしげに泣いてもらうしかないんである。
 
 
 マンガ、青山剛昌『名探偵コナン』37巻(小学館/少年サンデーコミックス・410円)。
 あー、買ったまんま、読むの忘れてた。
 もう来月には38巻出るぞ。
 毎回、中身をコキ下ろしながら、それでも37巻までよくも買い続けているものだと自分でも感心。誤解のないように言っとくと、『コナン』はミステリマニアの視点で見たらとことんバカバカしいんだけど、少年マンガを楽しむムキには全く問題ないんだからね。
 『コナン』ファンのサイトや日記を覗いてみても、ミステリとしてトリックがどうだとか、動機は自然かとか、そんなことほとんど触れられてないし。
 だから今巻でも、毛利小五郎と妃英理のナレソメのころが語られたりすると、それだけで充分満足しちゃうんだろうね。
 しかし、いい加減、ダイイングメッセージものはやめよう。マトモなミステリ作家なら、こんな不自然なモノはないと知ってるから、よっぽどいいトリックを思いついたんじゃなきゃ、イマドキは新本格の作家だって、こんなネタは扱わないよ。
 黒の組織の手がかりを入手ってことは、そろそろ『コナン』も最終シリーズに突入か? って感じだけど、映画『ベイカー街の亡霊』もシリーズ最大のヒットを飛ばしたそうだし、こんなドル箱を今のサンデーが手放すかね? もしかして作者は40巻で切りよく終わりたいとか考えてるかもしれないけれど、あと3年、50巻までは続くんじゃないか。
 これもどーせ、時の流れは止まってるんだし(それだけでも本格ミステリとしちゃ許せないよな)、新一が帰ってこなくても、出席日数不足で退学になったりはしないだろうよ(^o^)。

2001年06月13日(水) とんでもございません(←これも誤用)/『少女鮫』6〜9巻(和田慎二)ほか


2002年06月12日(水) 悲しい日/『B型平次捕物控』(いしいひさいち)/舞台『笑の大学』ほか

 こんな夢を見た。
 私はある女の子とつきあっている。
 ヤバいことにこれが女房ではない(^_^;)。夢だから怒るなよ、しげ。
 髪の毛を右と左で結んで垂らして(つまりシッポが二つってわけやね。『メガロマン』の高嶺ラン(杉まどか)を思い浮かべてくれい。……って知ってるヤツどれだけいるんだ)、ちょっと小生意気そうな彼女だ。
 学校帰りの彼女(どうやら女子高生らしい。なんてことしてんだ、私)を出迎えて、一緒にさびしい田舎道を歩く。あたりは一面、田んぼしかない。はるか彼方に山並みが見えるだけ。
 私は彼女のことが好きなのだが、彼女は私の気持ちに気付いていながらはぐらかしてばかりいる。えいくそ、この小生意気な悪魔っ子め。
 突然、彼女がこんなことを言い出す。
 「知ってた? 藤井隆って、この辺の生まれなんだよ?」
 「知らなかったな」
 「私、よく知ってんの。彼のこと」
 「ふーん、よく会うの?」
 「うん」
 私の心の中に嫉妬の気持ちがムクムクと湧いてくる。
 ふと、向こうを見ると、ポツンとバス停があって、そこにひとりの男が立っている。
 藤井隆だ。
 サングラスをかけていたが、それを外してこちらを見ると、彼女に挨拶をした。彼女は返事をしない。
 私は少しホッとする。彼女が愛想がないのは、なにも私相手に限ったことではないのだ。あの藤井隆に対してですら(なぜそこまで藤井隆を持ち上げているのかは謎)、彼女はツンとした顔しか見せないのだ。
 ちょうどそこにバスが来て、彼女はそくさと乗りこむ。
 彼女は、私を無視して、藤井隆にだけ「じゃあね」と声をかける。
 てっきりバスを待ってたと思っていたのに、藤井隆は立ったままだ。何しに来たんだ、藤井隆。
 バスは彼女を乗せて彼方に去って行く。
 私は藤井隆と二人きり、バス停に残された。
 ……ここに置いてきぼりにされた方が負けだ! そう察した私は、別に帰り道にでもないのに、藤井隆をそこに置いてバスの去った道を歩いていった。

 で、どういう夢なんだ、これ。
 何かそんなに藤井隆を気にしなきゃならない理由でもあるのかなあ……と思って気がついたんだけど、こないだ見た映画『少林寺サッカー』で、ハナクソほじってるオカマの美容師が出て来たんだけど、あれがちょっと藤井隆に似てたんだね。
 で、多分私は、「藤井隆って、オカマ演技してるけど、ホントにそうじゃないよなあ」とか考えてたんで、「藤井隆はちゃんと男だ」ということを証明するために、こんな夢を見たらしい。
 そんな藤井隆の弁護してやるためだけに夢なんか見るなよ、私(-_-;)。


 腹が減ったがカネがない。
 一応カネの出所は某所にあるのだが、忙しさにかまけて、取りに行っていない(こういう書き方したら不正なカネみたいだがそんなことはありません)。
 しかたなく、しげにココアとサンドイッチ分けてもらう。
 今日の食事はこれだけだ。少しは私のカラダ、痩せてくれるかな?


 アニメ『ヒカルの碁』第三十五局「勝者はひとり」。
 ヒカルと佐為の分岐点を示すエピソード、韓国の少年棋士、洪秀英(ホンスヨン)との対戦編。
 マンガ版では、韓国語をカタカナ表記にして、日本語との違いを表してたが、さて、アニメではどうするかと思ったら、日本語のまんまでやりやがった(-_-;)。
 子供も見てるし、韓国語で字幕を流すのもどうかって判断したんだろうけど、こういうところを安易に吹替えにしないって姿勢も大事だと思うけどなあ。
 洪秀英役の伊東みやこさん、なかなか個性的なイイ声をしている。少し小生意気な少年のオファーが続けば人気が出るんじゃないか。


 夕刊を読んで驚愕。
 消しゴム版画家のナンシー関さんが死んだ。
 1962年生まれの同い年、しかも大学が同窓(私は一部で向こうは二部だけど)。
 先日の伊藤俊人さんの死去のニュースもショックだったが、これはもう、なんといったら言いのか言葉が見つからない。
 「11日夜、知人と食事の後、帰りのタクシーの中で具合が悪くなり、そのまま都内の病院に入院、急死した」とのこと。
 死因は「虚血性心不全」と言うことだが、そんなよく判らん病名で説明しなくても死因はハッキリしている。太りすぎだ。見るからに100キロは越していたし、100メートル歩いただけで息切れがしてたって言うし、あれで心臓が持つほうが奇跡のようなものだ。
 けれどまさかナンシーさんが死ぬなんて予想もしていなかった。
 あの人の消しゴム版画は全然おもしろくなかったけれども、社会に対するキャッチーとしては有効だった。そしてあの毒舌たっぷりのエッセイ。
 同じ「毒」でも、ビートたけしのエッセイとは明らかに質が違う。
 たけしの時評は「いっそのこと○○しちゃえば」みたいなムリヤリギャグに仕立てようとして、失敗してハズしてるところが多々あるが、ナンシーさんの毒舌は実は「芸」ではなかった。いや、「芸」には違いないのだが、「芸」であるようには見せていなかったのだ。

 厳密に言えば、ナンシーさんのエッセイは「批評」でも「評論」でも「解説」でもなかった。客観的な真実を探ろうとするのが「評論」なら、ナンシーさんのは主観的な「印象」に過ぎない。
 しかし、ヒョーロンなんてシチメンドクサイ行為を日常行ってる庶民なんていはしない。ナンシーさんのエッセイに我々が拍手を送ったのは、それがどんなに主観的な思い込みに見えようと、誰もが「そうだよな」と納得する「絶対多数の」主観だったからである。主観も、そう思う人間が多ければ、客観となる。
 それゆえにナンシーさんの文章は、まさしく「時代観察者の証言」たりえていたのだ。

 ナンシーさんの文章は、テレビを見たときのストレートな庶民感情の発露であり、そこには、マジメな人間なら自分が悪人に見られたくなくて言い控えてしまう悪口を「思ったこと言って何が悪いの? みんな同じこと思ってんでしょ?」とサラリと言ってのける「粋」さがあったのだ。
 ああ、そうだよ!
 ナンシーさんは「粋」だったんだ!
 もちろん、ナンシーさんに対して批判がなかったわけではないだろう。
 ネットを散策してみると、小倉智明が「事実無根のことを書かれて……」とかコメントしてたそうな。ファンが追悼してる最中に自分のこと弁解するのか、小倉。……まあ、小倉は言うよな、そういうヤツだってことはナンシーさんも指摘していたことだ。
 「事実無根」って、おまえのヅラ疑惑か?(`▽´)
 別におまえが本当にヅラかどうかなんてどーでもいいんだよ。
 「ヅラに見える」、つまりは、エラソウなことコイてるけど、お前みたいなソトヅラだけ作ってるのがミエミエの胡散臭いヤツの喋くりの中身なんか、いっこも信用しちゃいねーよってことを言ってるんだよ。
 だからナンシーさんの言ってたことは「事実無根」でもなんでもないのだ。
 コラ小倉、テレビに出て、大衆の好奇の目に晒されるのは当たり前なのに、悪口言われたり陰口言われることにいちいち憤慨してんじゃねーよ、みっともないぞ。その程度の悪口を受け止める覚悟もねーのに、キャスターなんてやってんじゃねーや。

 いろんな人のナンシーさん追悼の言葉がネットに散乱している。
 大月隆寛のコメント、「単なるテレビコラムニストの死ではなく、思想的な事件であると思う」。それはその通りだけど、今それを言うか。そんな人が死ねば「持ち上げる」行為をナンシーさん自身が、嫌ってたんじゃないのか。
 なんだかピント外れなコメントが多い中、岡田斗司夫さんのコメントには打たれた。

 「コラムニストのナンシー関さんが亡くなりました。 
  ショックで悲しいです。 
  単行本は全て持っていました。 
  でも、いま悲しいのは「新作が読めない」というのとは、違う気がします。  ああ、僕はナンシー関が好きだったんだなぁ。」

 ナンシーさんのことを「消しゴム版画家」と言ってない(大月さんも「コラムニスト」と言ってるけれど、「テレビ」と付けていたのが惜しい)。
 わかってらっしゃるのだ、この方は。
 なんだかもう、一緒に生きてた人が亡くなった。そんな気持ち。
 悲しいよ。
 

 マンガ、いしいひさいち『B型平次捕物控』(東京創元社・630円)。
 いしいさんのマンガにはまとめてみると面白いものとつまらないものとの二種類があるが、『B型平次』は後者。
 だってハチが「てーへんだっ!」って言って、ダジャレが入って、平次がハチを蹴飛ばすだけのギャグが延々続くんだもの。なんだか鈴木義司『サンワリくん』並のツマラナサだ。
 4コマ漫画を革新させたのがいしいひさいちさんであることは言を待たないが、それが『バイトくん』や『がんばれ! タブチくん』ではなく、この『B型平次』だったら、ブームになるのはちょっと苦しかったのではないか。
 後半『忍者無芸帖』も収録されていて、こちらの方は相変わらずの忍者の間抜けぶりが楽しくて、買って損したって思わずにすんだけれど、結構やっつけ仕事もしてるんだな、いしいさん。


 ビデオで録画してた三谷幸喜の『笑の大学』を見返す。
 西村雅彦と近藤芳正の二人芝居。
 太平洋戦争時、浅草の喜劇団の座付き作者をしている椿(近藤)が、なんとか上演中止に持ちこもうとしている検閲官の向坂(西村)の支持通りに台本を改訂していくうちに、なぜか話がどんどん面白くなってしまうというもの。
 1996年の読売演劇大賞を受賞した作品だけれど、案外構成に破綻のあることが多い三谷さんの喜劇の中では、よくまとまっているほうだ。
 ことに、近藤芳正の熱演は、今までの中でもベストではないだろうか。映画やドラマでは気弱な小市民を演じることが多いけれど、その影に秘めたる熱意、演劇に賭ける情熱、そんなものまで感じさせてくれたってのは、もう、演劇関係者にとっては応援のエールを送られたようなもの。大感激だ。
 ……急に見返したくなったのは、やっぱり自分の心を慰めたくなったってことなのかなあ。
 しげが、仕事から帰ってきて、「また見よん」とかほざきやがった。
 そうしょっちゅう見返してるわけでもないのに、何を文句つける必要がある。それに見返すこと自体、別に悪いことでもなんでもないじゃないか。
 『ブルースブラザース2000』を20回以上劇場に見に行ったアホに言われたくなんかないんである。

2001年06月12日(火) マンガの画力って?/『新しい歴史教科書 市販本』(西尾幹二ほか)



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藤原敬之(ふじわら・けいし)