無責任賛歌
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| 2002年01月12日(土) |
寝(られ)る場所そろそろ作らんとな/『仮面ライダー激闘ファイル』(岩佐陽一)/DVD『本陣殺人事件』ほか |
夜中の2時くらいにいきなりしげに起こされる。 「よしひと姐様が泊まるんだから、部屋片付けようよ」 ……そんなん、以前からわかってることだろう。 だったら、日頃からチビチビと片づけしておいてほしいもんだ。だいたい片付けったって、本を寄せることとゴミまとめることくらいしかしようがない。 しげが寝室を片付けてる間、ゴミをまとめるが、ムリヤリ起こされたんで気分は最悪。こっちだって、睡眠時間を確保しておかないとからだが持つものではないのに。 1、2時間、片付けると、もうカラダが持たない。しげが仕事に出かけたので、そのまま寝る。 しげも仕事が終わって1、2時間仮眠。 なんでそれだけしか眠れないかっていうと、今日も公演のための練習があるからだ。 しかも、今日は撮影の下見のために志賀島まで行くらしい。 ……睡眠2時間で運転……。 なかなかハードな旅になりそうだが、なんでこんなスケジュール立てるかなあ。
昼間のうちに掃除を頼まれたが、体調優れず、やはり寝たり起きたり。 夕方になってようやく風呂とトイレを掃除、ゴミをまとめる。 半端でなくゴミが溜まって、台所から溢れ始めている。 しげは日頃、全く家事をしない。だから、せめてゴミ出しくらいはしろよ、と言いつけている。なのに、それすらサボリまくっているので、こんなテイタラクになっているのだ。 しげは「昼間はゴミを出しに行くのを人に見られたくない」なんてほざいていてやがるが、夜は仕事に行ってるんだから、昼に出すしかなかろう。その程度の理屈も理解してないのである。 第一、なぜゴミを出す姿を見られたくないのだ。 生活してれば、ゴミが出るのは当たり前じゃないか。それを恥ずかしがるというのは見栄っ張りにもほどがある。 ともかく、誰か人を泊めるのなら、その準備は日頃からしておくことだ。今後もこんなふうに夜中に人を叩き起こすようなマネをさらすようなら、もう片付けなんか一切手伝わないからな。 ……というわけにはいかないんだよねえ(-_-;)。 結局、同じ部屋に住んでるんだから、私だって生活環境はなんとかしなけりゃなんない。なんだかんだ言って、少ない時間を使って、私が片付けることになるのである。で、それを期待してるんだよ、あのバカしげは。凸(`△´+) もう、こうなったら本気で家政婦さん雇っちゃおうかなあ。 もちろん、出費は全部しげ持ちである。反対できる根拠があるなら言ってみろよ、しげ。
NHK教育『エスパー魔美』第二回「超能力は友情の敵?」。 『カスミン』との録画の切り替えができないので、こっちの録画は総集編のときにと諦めて、今週からナマで見ることにする。
魔美の所属するダンス部で、ベストポジションを狙う多恵子が、魔美の親友・幸子に怪我をさせるため、床にビー玉を転がす。 それに気づいた魔美は、思わず超能力を使ってビー玉をテレポーテーションさせてしまった。幸子は無事だったが、その瞬間を幼なじみの高畑くんに目撃されてしまい……。 自分こそが「エスパー」だと信じ込んでいて、「エスパー服」まで作り(このへんは原作をいい意味で逸脱しててヨイ)無茶な特訓をしていたのに、真実を教えてくれなかったことで傷ついた高畑くん、勢いで魔美と絶交してしまう。 魔美の弁解の言葉も高畑くんの耳には届かない。 結局、魔美は誕生日に貰ったコンパクトを高畑くんに返す。 そのとき初めて、本当の事を言い出せなかった魔美の優しさに気づいた高畑くんは、コンパクトを改造して魔美の超能力を引き出すための「エスパーガン」として再生させる。
これは、ギリギリのところで原作がうまくアレンジされたと言えるんじゃないかな。プレゼントの意味が微妙に変わったところが粋だし。 出演者の演技はともかく、ストーリーはまあまあかな。 ただ、原作では高畑くんが魔美の超能力に気づくまで結構、話数を引いたと思ったが、2回で早くも気づく展開。 これはできるだけ単発のエピソードを増やそうってスタッフの判断だろうな。でもこの辺がミニシリーズの宿命というものなんだよねえ。
もっとも、既に私の関心は井端珠里にしかないので(^^*)、もう、魔美の「てれぽぉぉぉぉぉてぇしょん!」も許せちゃうね(^o^)。 今話で、井端珠里演ずる相原幸子が、実は高畑くんにラブだったということも判明。もちろん、こんな展開も、原作にはないので、これが果たしてラストに関わってくるのかどうか。でも、こういう設定をキチンと生かせなかったらつまんなくなっちゃいそうだけどなあ。 次回は例の「ハザマローン」のお話。原作中でも屈指の名編である。これは、できるだけ原作に忠実に、下手なアレンジはしないでほしいもんだけどどうなることやら。
夜9時過ぎ、しげに連れられてよしひと嬢、ウチに来るが、明日は3時起きで撮影に行くとかで、風呂にはいるやいなや、すぐに寝てしまう。風邪も引かれているということで、ちょっとおからだが心配だ。 いつものようにビデオやDVDをお見せする時間はないので、せめてものお礼と言うことで、オタアミ公演のビデオ(お客さんとして来てくれたのだ)を差し上げて、更に岡田斗司夫さんの『30独身女、どうよ?!』、『恋愛の取説』をお貸しする。 これは誓って言うが、よしひと嬢が御年○○歳だからと言って、それに対してのイヤミのつもりは全くない。岡田さんの主張が本当に女性にとっての福音となるのかどうか、ご意見が伺いたいと思ったのだ。 よしひとさま、もしよろしければ、メールででも掲示板ででも、読んだご感想を聞かせて下さいませませ。お礼はなんかさせていただきます。 でも、遅読なことでは一部で有名なよしひと嬢のことだから、さて、読み終わられるころには既に○○歳ということに……。 あ、いやいや、だからイヤミな意図なんて全然ないんですってば(^o^;)。 よしひと嬢に頼まれて、深夜1時過ぎから『ラブサイケデリコライブ』を録画する。 ……なんかもう、見てても私の世代ではちょっとよくわかんない音楽だなあ。 雰囲気的には70年代テイストがあるようでいて、歌詞やメロディーは今一つ「臭み」がなくて、どこかあっさりしている印象。いや、ただの根拠のない印象だから、間違ってたらゴメンナサイだけど。 しかし、カラオケでもよしひと嬢の歌う曲って、やっぱり90年代以降のやつが多いんだよなあ。よしひと嬢とも、結構トシが離れてるんだと、イヤでも実感。 なんだか、どんどん自分がジジイになってってるようで、正直な話、ツライんだけど、かといって、今更若い人に合わせて新曲覚えていくってのも、いかにも「若作りしてます」って感じがミエミエでみっともないしなあ。 多分、私が覚えた曲で一番新しいのは、『コメットさん☆』の主題歌『ミラクルパワー』だ。……やっぱアニソンかい(^_^;)。
岩佐陽一編・著『仮面ライダー激闘ファイル』(双葉社・1890円)。 一部で(あるいは全部か)「デンセンマン」と揶揄されてる今度のライダー、『龍騎』だけれど、さて、キリよく三部作でウチドメになるかそれとも第二期(あえて「二期」と言おう)ブームを起こすのだろうか。 「人気」を測るバロメーターの一つに、そのシリーズが「映画化されたかどうか」ってのがある。旧ライダーシリーズは何度となく映画化されたし、『アギト』もテレビシリーズの映画化としては初めてアダルトな視点で作られもした。 しかし、我々オタク世代が子供のころ狂喜したのは、実に単純明快な劇場版の大量再生怪人軍団対複数ライダーの対決だった。ロケ地はテレビシリーズとたいして変わらないけれど、やはり採石場の崖の上にズラリと何十人も居並ぶ怪人軍団の勇姿にはゾクゾクさせられたものだ。 そこに着目して、テレビ、劇場の「複数ライダー共闘編」のみをピックアップして特集、ってのはウマイ手ではある。シリーズがここまで広がっちゃうと、仮面ライダーのムックも、一つヒネリを加えないと特色は出ない。未発表の設定資料も多数収録しているってのがまた、この手のムックを今まで集めてきたマニア泣かせなことだ。 けれど実のところ私は「ウルトラ」世代ではあっても、ど真ん中のライダー世代ではないので(だいたい、『V3』で既に離れてったヤツが多い。一応『ストロンガー』最終回まで見てたのは、私のオタクとしての意地みたいなもんだ)、まさしくライダー世代である岩佐さんの筆致はちょっと感情過多で鼻白む印象がある。 『ウルトラマンT』について、「本来『ウルトラ』は子ども向けであるべき」なんて書いてるのは、心底ガックリ来る。もともと『ウルトラQ』が子供向けを志向した企画じゃなかったのは周知の事実なのに。 この「アニメや特撮は子どものもの」発言をする人は、未だにこれが作品評価として有効だと思いこんでいるようだが、実のところ、具体性に欠けた抽象的なモノイイに過ぎない。 だいたい、何をもって「子供向け」とするのか、岩佐さんはちゃんと考えてモノ言ってるのかね? 愛? 正義? 友情? 夢? そういうテーマは「子供」にだけ限定されるものではない。「子供向け」ってのは、たとえ語彙が少なく理解力に乏しい子供に対してであっても、難しい内容を直観させる技術を指すのだ。それを具体的に指摘した上での批評でないと、簡単に「子供向け」なんてコトバは使えない。明らかに岩佐さんはコトバの使いどころを間違えている。 ……こんな批評モドキなことばっかり言ってると、いずれファンからも相手にされなくなっちゃうぞ(もっとも芝山努も宮崎駿も同種の発言を行ってるが、あれは実作者としてのポーズが必要なんで、単純比較はできない)。 岩佐さんの思い入れに対してケチつける気はないけど、でもやっぱりさ、言っちゃなんだけど、ただの顔見せ興行的な脚本で、ドラマ的に出来の悪いものも結構多いんだよ、ライダー共闘編。
DVD『本陣殺人事件』。 原作・横溝正史、音楽・大林宣彦、脚本監督・高林陽一、金田一耕助=中尾彬、1975年・ATG作品。 こう詳しく書いておかないと、『本陣』の映像化は何本もあるので区別がつかない。 しかし、この一編が数ある横溝正史映画化の中でも白眉であることは間違いない。たとえ予算の関係で時代が原作の昭和14年から現代の昭和50年に移され、金田一耕助のスタイルもお釜帽にヨレヨレの和服ではなく、ヒッピースタイルに変えられていてもである。
旧家の頭首としての威厳を保とうとする田村高廣、薄幸の美少女を可憐に演じた高沢順子、事件の鍵を握る腺病質の次男・新田章、謎の三本指の男(スチール見たときはこれが金田一かと思った)の常田富士男、忘れちゃいけないもう一人のヒロイン、当時は清純派(^^)の水原ゆう紀(命名はホントに水島慎司だ)、まさに金田一のパトロン及びパートナーに見事ハマッた加賀邦男&東野英心(当時は孝彦)。 更に、後年の脂ぎった演技とは比較にならない爽やかさを漂わせる若き日の(痩せてる)中尾金田一。 みな、低予算、寄せ集めのキャスト、マイナス要因だらけの中で、よくぞこれだけの名演を披露してくれたものだと感心するしかない。
そして音楽。 琴の音に乗せて、か細い老婆の声が歌う「因果は巡る糸車、無常の風ぞ吹き初める」とまさに横溝正史の世界観を凝縮したようなテーマソングの作詞作曲は、なんと大林宣彦! これも断言しちゃうけれど、数ある横溝映画監督の中でその世界観を最もよく理解していたのは、市川崑でも野村芳太郎でも篠田正浩でもなく、大林宣彦だったと思う。……ほかの金田一って、どれ見ても「切なく」ならないのよ。
もちろん、監督、高林陽一の手腕を称賛しないわけにはいかない。 葬式で始まり、葬式で終わる。 その構成にも現れている通り、これは「殺人」の映画ではなく、「死」の意味自体を問う映画なのだ。 実際、これほど一つ一つの映像に「死」の色が色濃く現れた横溝映画はほかにない。 日本刀の光も、水車の水飛沫も、屏風の鮮血も、全てが「死」を暗示し、一柳家の人々が常に死にとらわれた歴史を繰り返してきたことが描出される。他の映画が単に事件現場の悲惨さを描くものとしてしか扱っていない密室殺人の現場が、まさしく彼らの「運命」の結末としての鮮血の映像美を作り出しているのだ。 金田一と言えば石坂浩二や古谷一行だと思ってる人には一度ぜひ見ていただきたい映画なんである。
2001年01月12日(金) 一陽来復
| 2002年01月11日(金) |
先陣争い雪隠の役/『雪の峠・剣の舞』(岩明均)ほか |
仕事が遅くなったので、てっきりしげは怒って帰ってやしないかと思ってたが、携帯に電話を入れたら、「今向かってるとこ」だと。 偶然にも私の仕事の遅れと、しげの寝坊が一致したのだ。 本当なら、私は仕事が遅れたのを謝らねばならず、しげも寝過ごしたのを謝らねばならぬはずだが、なんだか偶然が縁起がいいような気がしたので、そのまま食事に出かける。
一番カルビの割引券を何枚も貰っているのだが、期限が今月いっぱいである。 使わなければ使わないでもすむのだが、どこで食事してもそれなりのおカネはかかるのだから、二人で千円安くなるなら悪くはない。 ロースを中心に、鶏肉、ハラミ、牛ホルモン。 ホルモンと言えば牛だと思い込んでいた私、メニューに「豚ホルモン」があるのを見て、頼んでみるが、これが焼いてみるとほとんど溶けてしまって、食い出がまるで無かった。これは失敗。 デザートにぜんざいソフト、甘くはあるけどこれがしつこくなくてまた美味い。糖尿に甘いのは禁物じゃないかと言われそうだが、米から取れる糖質だけでは栄養に偏りが出るのでたまには構わないのだ。……ということにしておこう(ホントは果物から摂るのがベスト)。
しげ、たらふく食ったはいいが、「ハラが痛い」と言い出す。 というか、何であろうと食ったら必ずしげは腹痛を起こすのだ。どうももともと胃腸が丈夫な方ではないようなのだ。 だったら、日頃から消化にいいものを食えばいいのに、うどんとか雑炊とかは「腹に溜まらんから食った気がせん」となかなか頼もうとしない。 それで「食い過ぎてオナカ痛い」なんて言われたって、同情なんかしてやんないのである。 もちろん、私も胃腸はめちゃ弱いので、帰宅すると二人でトイレの取り合いになってしまう。 と言っても、先に入るのはたいていは私。 なぜかしげは、全ての服を脱いでからでないとトイレに行けないので、そのスキに私がささっとトイレに入れてしまうのだ。 ……先にトイレに入って、それから服を脱げばいいのに、結婚して10年、なぜそのことに気がつかんかな。やっぱり天然なんだろうな。 こういうことを書いたから、じゃあ、次からしげが真っ先にトイレに駆けこむようになるかと言ったら、多分そうはならない。 だってしげ、記憶力ないもの(^_^;)。次に帰宅したときには「先にトイレ」ってこと、絶対忘れてるのだ。 「トイレは先に入れる」。 クズでノロマでバカな妻を持って得する、数少ない利点と言えようか。
FBS(日テレ系)金曜ロードショー『風の谷のナウシカ』を見る。 もうすぐDVDが出る『ナウシカ』。 ビデオはエアチェックで持ってたんで、LDはずっと買わずにいたんだけれど、待っててよかった。 それはそうと、久しぶりに見返した本作だが、当時あちこち抱いていた不満を再確認、やっぱりこれを宮崎駿の代表作と言っちゃイカンよなあ、という感想を新たにした。 ともかく、宮崎駿が世間的に評価されるのが遅すぎたんである。 『ナウシカ』『トトロ』、この辺からオタク以外の人間も「ミヤザキハヤオ」という名前を認識し始めたと思われるが、もう「旬」は過ぎちゃってたのだ。 冒頭の王蟲の抜け殻をナウシカが見つけるシーン、ナウシカの一人言の多いこと。「キレイ」とか、思わず口にしちゃう感動の声ならばともかく、いくら日本人より表現がハデな外人とは言え(ナウシカは外人だよな?)、不自然だ。 こんな説明的なシーン、以前の宮崎駿だったら決してしなかった。長編を作り始めてからの宮崎駿、ディテールの作りがあちこちいい加減になってるんである。次作の『ラピュタ』でも、パズーが作ってた飛行機の始末つけないままだったし。 けれどCGなんか影も形もなかった時代、あの王蟲の蛇腹の動き(担当したのは『エヴァ』の庵野秀明である)に、観客が(それこそオタク非オタクに限らず)歓声をあげたことは記録しておかなきゃいかんだろう。実際、アニメ技術に歓声が起きるなんて経験、そうそうあるこっちゃないのだ(この『ナウシカ』が公開された1984年には、『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の友引高校内の合わせ鏡のシーンでやはり歓声が起きた。多分こんな年は二度とない)。
『ナウシカ』のウラだったので見られなかったWOWOW『スケバン刑事』、ビデオ録画して見る。 『スケバン刑事』三部作の中では一番人気が高かった2代目麻宮サキこと五代陽子の南野陽子だけれど、今見返すと、やっぱり表情作るのが精一杯で、アクションはまるで腰が入ってないなあ。 走るときも両手上げて女の子走りしてるし、演技指導する気が演出に全くないのが丸わかり。「演技」がなけりゃ、どんなに素材がよくたって役者は光らない。これじゃ当時、南野陽子が「日本一セーラー服が似合う美少女」と呼ばれてたことなんて、誰も信じないだろうな。 ほぼ間違いないと思うんだが、テレビシリーズで鉄仮面着けてたときのキレのいいアクションは、吹替えだったんだろう。
マンガ、岩明均『雪の峠・剣の舞』(講談社・714円)。 『風子のいる店』のころは地味な印象しかなく、あれだけヒットした『寄生獣』もそれほどにはハマらなかった。 必ずしも下手な絵ではない。表現力がないわけでもない。 いや、日常の中に潜む何かがふと表に現れて、非日常に変化する「空気」をコマの中に表す技術には確かに長けているとは思うのだ。 けれど、絵に「華」がない。なのに、『寄生獣』を見ていると、どうもこの作者、自分の表現したいものと自分の絵柄とのギャップにあまり気づいてないんじゃないか、という気がしてならなかったのだ。 しかし、今回の作者初の歴史作品というこの二本。 ハマっている。 それなりに面白い作品はいくらでもあるが、再読、再々読に堪えるものなど滅多にない。それがこの作品、作者の地味な線、地味な演出が「堅実」さとなって、ひとコマひとコマの人物の表情、思いが読む者の心を打つ。一昨年読んだ漆原友紀の『蟲師』以来の感激だ(これも新刊が出んな)。
『雪の峠』。 関ケ原の戦いで西軍についた佐竹家は、敗戦後その責を取らされ、常陸から出羽に移封された。この後は、何をするにも徳川家の意向を汲んで行動せねばならない。 藩主、佐竹義宣は、新たな居城を定めるにあたって、腹心渋江内膳と謀り、「窪田」を領府とする旨を、家臣たちに徹底させようとした。 しかし、関ケ原で義宣が西軍につくよう決定したことを遺恨に思い、更には下賎の出身たる渋江内膳の台頭を許すまいとする旧家臣たちは、もと上杉謙信の家臣であった客分、梶原美濃守を立てて、「横手」の地を推す。 戦さのない「平和」にあっての新たなる戦さ、内府家康をも動かす知略と権謀のせめぎあいが、内膳と美濃守の間で繰り広げられる。
まずは、この渋江内膳の、線目で締りのない口もとの、一見凡庸としたキャラ、それと対照的に半白髪、美髯に老練さを漂わせる梶原美濃守との丁丁発止ぶり、そのキャラ設定が、史実に取材しているリアリティを更に弥増しているのが見事である。 というか、ほんの脇キャラに至るまで、その他大勢的な無駄なキャラがほとんどいないのだ。これは稀有と言っていい。 豪放磊落な川井伊勢守。狸親爺な和田安房守。若く実直な梅津半右衛門。多少腑抜けたかつての戦国武将、先代佐竹義重。酷薄な威厳を示し妖鬼と化した、回想の中の上杉謙信。 そして、静けさと穏やかさをたたえつつも、最後に藩主としての厳格さ(あるいは残忍さ)を示す、当代佐竹義宣。 ああ、まるで一編の映画を見ているようだ。 これはもう、具体的にオチは書かないでおくので、ぜひとも読んでもらいたい。歴史を物語として描くとは、こういうことだと示した最上の実例である。
『剣の舞』。 『七人の侍』の冒頭、志村喬が扮する勘兵衛が、剃髪し、坊主に扮装して盗賊に人質にされた子供を助けるエピソードがある。あれは黒澤明の創作ではなく、このマンガにも登場する、剣聖・上泉伊勢守の話だということだ。 ほぼ史実に忠実に描かれた『雪の峠』と違い、本作は、伊勢守の弟子、一説によればその剣技は伊勢守を越えていたとも言われる疋田文五郎の過去を、榛名(はるな)という少女を主人公にして創作している。
戦乱の中、野武士に家族を殺され、凌辱された榛名は、復讐を誓って、疋田文五郎の弟子になる。 つらい過去を持ちながら、普段の榛名はどこか茫洋としていて(このへんは「風子」以来の岩明ヒロインの定番だ)、文五郎は彼女に剣術を教えながら心が和むのを覚えていく。 しかし、その結末は……。 その後、文五郎と柳生石舟斎とが立会いを行ったエピソードは、いかにも創作っぽいが、どうやら史実であるらしい。私はこの話を池波正太郎の伝記小説で読んでいたのだが、それによると実際には石舟斎は伊勢守とも立ち会っていたらしい。もちろん、負けたのは石舟斎のほうである。 だから、そのときの文五郎の心情がマンガに描かれていたものとは違っていたことは明らかなのだが、「時代小説」というのはもちろん、史実を再現することに目的があるのではない。 剣豪小説はつまるところ、作者の考える「剣」の意義を表すものだ。 一応、伊勢守が目指したのは人を殺す殺人剣ではなく、「活人剣」であったと言われる。だからこそ怪我をさせぬための「竹刀」も伊勢守は発明した。 しかし、文五郎はどうであったか。 伊勢守の一番弟子でありながら、奥義を授けられたのは石舟斎であったのだ。そこに岩明さんは、自分の考える「剣」とは何かを創作する余地を見たのではないか。 文五郎は言う。 「遊び」だと。 そして、岩明さんの描く文五郎は、恐らく死ぬまで「遊ぶ」ことしかせず、「真剣」になることはないのだろう。 剣の道など「たかが知れてる」のだから。
2001年01月11日(木) 一週間が長いなあ/映画『ノース 小さな旅人』
| 2002年01月10日(木) |
ヒメ様ご出座/アニメ『七人のナナ』第1話/『トランジスタにヴィーナス』3巻(竹本泉)ほか |
仕事帰りの車での出迎え、「今日は時間通りに来るよ」と、しげが言っていたので、こちらも時間に遅れまいと、職場の前で待つ。 ところが、約束とは裏腹に、5分待っても10分待ってもしげのロドリゲス(何度も言うがしげの車の名前だ)はやって来ない。 いい加減シビレを切らして、もう一度携帯に連絡を入れる。 「どうした? まだ来ないのか?」 「今、向かってるとこ。もうすぐ着くよ」 「寒いから少し歩くよ。坂の下で落ち合おう」 「だめ! 職場の前で待ってて!」 「……なんでだよ。こっちも歩いた方が、早く会えるだろ?」 返事がないので、職場から離れて歩き始める。 しばらくして、向こうのほうからしげのロドリゲスが……。 あれ? しげの隣に乗ってるのは……。
「つまんない。KC、全然驚かないんだもん」 車の助手席でホントにつまんなそうに声を上げたのは鴉丸嬢だ。 まあそれなりに驚いちゃいるんだが、かと言って、「わあ、ビックリした!」と言ってのけぞるほどのトシじゃない。 でも、しげが「職場の前で待て」と言った理由がこれでわかった。 鴉丸嬢、今度の舞台用の衣装、白雪姫かシンデレラって感じの(でも色は真っ赤)ビラビラを身につけていたのだ。 「この衣装で出て来て、『KC〜!』って言って迎えようって思ってたのに」 全くそういうイタズラだけはすぐ思いつくヤツらだもんなあ。 けれど、準備に時間がかかって、職場までたどりつくのが遅れてしまったそうだ。肝心なところで間が抜けてんだよね。 しげ、運転しながら説明をする。今日はこの衣装で撮影をするんだそうだ……って、どこで? 「ウチのマンションでだよ?」 「マンションのどこで」 「玄関」 「人が来るじゃん!」 「だからアンタに一緒にいてもらおうと思って。なんか言われたら説明してね」 日ごろ私のことを、見るからに胡散臭いとか普通にしてても浮浪者っぽいとか変質者っぽいとか散々悪口言ってるくせに、こういう時だけ責任者扱いか。卑怯なヤツ。 でも、ドラマじゃあるまいし、通りすがりのマンションの住人が、姫の衣装に身を包んだヘンな人間がいたのを見たとしても、「アンタ誰!」なんて咎めだてするより、見ないフリして逃げるのが自然だと思うんだが。 事実、その通りだったのである。あのとき不安な思いを抱いたマンションの人たち、どうもスミマセンでした。
TVQ(テレ東系)アニメ新番、『七人のナナ』第1話「第1問!ナナ×7=ナナ?」。 『味っ子』の、『Gガン』の、『ジャイアント・ロボ』の今川泰弘の新作ということで大いに期待。 期待しすぎると見てみて「なーんだ」ってことになることが多いが、これは違った。 まずは冒頭の語り口がいい。 宅配便がいかにも旧家風の鈴木家に尋ねてくる。 受け取りに出たのはごくフツーの女の子、ナナ。ところが、ナナの後ろからチラチラと現れるのは、もう一人、二人、三人……七人のナナ。 「どうしてナナが七人になったか」ってのは、この冒頭の騒動の後に語られるのだ。やっぱり「ツカミ」がうまいよ、今川監督。 しかも第1話だけあって作画のテンションもハイレベル。ガラスに映る通りがかりの人間までしっかり作画してんだもんなあ、芸コマ芸コマ。CG処理もうるさくなく、効果として使いどころを弁えている。この正月からの新番アニメはそれほどたくさん追っかける気はないんだけど、多分、これが最高の1本なんじゃなかろうか。 けど監督、自分まで堂々と出演するのはやりすぎじゃないスか。
バレンタインデーの日、憧れの神近君にチョコレートを渡そうとして、木枯・林葉・森沼の3人トリオに邪魔されて、せっかく作ったチョコを捨てられてしまうナナ。日頃は引っ込み思案なナナ、いつもならここですっかり挫折しちゃうところだが、親友の小野寺瞳に励まされて、もう一度チョコを作ろうと勇気を奮い起こす。 ところが今度はオーブンレンジが見当たらない。 どうやら研究者である六造ジイちゃんが、屋根裏の工房に持っていってしまったらしい。ナナがオーブンレンジを取り返そうとして、オーブンで焼かれていた中の物体を取り出そうとした瞬間……。その物体は輝きを放つや、7つに分裂し、ナナを異空間の中に取りこんでしまった! そしてその光が収まった後、ナナは七人のナナに分裂していた! 笑ってばかりのナナっち。怒りんぼのナナっぺ。泣いてばかりのナナりん。のんびり者のナナっこ。冷静沈着なナナさま。ちょっとヘンな(女っぽい)ナナぽん。
……はい、おわかりですね、これ、もろにディズニーの『白雪姫』の七人の小人のパロディです。すなわち、「白雪姫」はあこがれの神近君というわけ。 だもんだから、初めこそ普通の少女ラブコメの雰囲気になるかと思いきや、後半、新たに作ったチョコを七人のナナのうち、誰が手渡すか、と争い始めたとき……。オーブンから出て来た7つのプリズムハートが輝きを放ち、七人はスーパーパワーを発揮! 空は飛ぶわ、京都(なんだろうな舞台は)の古寺や五重塔を爆破しまくるわ、街を破壊の渦に巻き込んで行く! って、お前らダーティペアかっ! ……やっぱりマトモなアニメ作る気はないみたいだぞ、それでこそ今川監督の真骨頂。テレビコードなんか気にせず、イクとこまでイッてほしいもんである。 それにしても、声優さんがもう新人さん(なんだろうな)ばかりで全然わかんない。わかるのはジイさん役の麦人さんくらいだ。「鈴木ナナ」役が「水樹奈々」ってのは、タイトルに合わせて付けた芸名か? 島田陽子とか早乙女愛とか松田聖子みたいに(例が古いね)。 のワリに、みんな意外に演技がウマイんだよねえ。主役の声、ちょっと渕崎ゆり子に似てて好みなほうだ。声優ブームが志望者を増やして層を厚くしてきてるのかなあ。だったらいかにもアイドル路線に走ったようなブームも、少しは役に立ってたのかもしれない。恐らく「どのナナが好きか」みたいな感じでファンも増えると思うが、私は当然、「ヘンなナナぽん」だ!(って力説してどーする)
WOWOW新番『おねがい*ティーチャー』第1話「教えてティーチャー」。 最初こそ謎の光が郊外に落ちて、それを目撃した主人公の記憶が消され……と、シリアスな感じで始まったのに、後半、SFっぽくなりながらも結局は巨乳セクシー女教師に純情な生徒があーもされたりこーもされたりとゆー、『いけない!ルナ先生』みたいな展開になっちゃったぞ。 声優がまた井上喜久子おねえちゃんで「最優先事項よ!」を連発するんだが、何が最優先なんだか。 どうしたんだ脚本の黒田洋介。自分で自分に癒しを求めたか。……まあ、『スクライド』も平行してやってるし、いろいろフラストレーションも溜まってるのかもな。
『オフィシャルブック THE ゴルゴ学』(小学館・1890円)。 謎本でゴルゴについてテキトーなことダベってたような本はあったけど、ここまでデータ主義に徹したオフィシャルブックもなかなか見当たらない。何しろゴルゴと寝た女のリストだけならいいが、そのときの「もだえ声」までリストを作ってるんだからバカだよなあ。 「あ、あ……」「おお〜!! ああ〜!!」「アンン〜ッ! オオオ〜ッ!!」「あああ……トオゴオ……」「Oh! Give it to me!」って、そうかそうか、英語ではそうやって求めるのか……って、そんなんまでデータ取るか普通(-_-;)。 で、私が選んだ(選ぶなよ)笑えるもだえ声ベスト3(ベストなのか?)。 1,「すてき!! ああ……雨のサントロペ!! 恋のサントロペ!!」 いやね、そりゃ雨も降ってて、そこはサントロペなのかもしれないけれど、例えば日本で「ああ……雨の中洲、恋の中洲!」とか「雨の道頓堀、恋の道頓堀!」とかヤってる最中に言うか? 売れない演歌じゃあるまいし。外国でだって普通、こんなセリフ言わんと思うぞ。 2,「おおお〜っ ち、ちくしょうっ こ、こんなのってあるのォ!! 悪魔!! 人殺しっ!! あああ〜っ」 ちゃんとゴルゴの正体を知っているところがすごいねえ。でも嬉しいなら素直に「天国よ〜」とか言えよ。もちろんこの女は後でホントに殺されるのである。 3,「お、男だよっあんたは男だよ〜っ!! 煮えてるよ〜っ!! 煮えたぎってる!! オオオ〜ッ!!」 ……男だとなんか煮えるみたいです。 つくづく、アホとしか言いようがないが、これって充分、「トンデモ本」ってことにならんか?
そのほかにも、「ゴルゴは何発タマを撃ったか」とか「ゴルゴは何回拷問を浮けたか」とか「ゴルゴは何回笑ったか」とか、ホントにこんなん調べてなんになる、と言いたくなるようなシャーロキアンぶりである。となると、いわゆる「粗探し」も結構あって、「人に背中を向けない」はずのゴルゴが、背中をポンと叩かれるシーンを収録するとか、なかなか意地悪なチェックもしている。 それにしても、ここまで綿密(って言っていいのか)なデータを作っていながら、初期の『ゴルゴ』の脚本を多数書いた小池一雄のインタビューが無かったり、ちょっと腑に落ちない面も多い。……やっぱり、小池一雄とさいとう・たかをって、仲違いしたのかなあ。
高倉健主演の映画版がどうしてあんな駄作になったのかをさいとうたかを自身が「脚本を勝手に改竄された」とインタビューで答えていたのも興味深い。クレジットにはさいとうさんと、さいとうプロのK・元美津の二人の名前しかない。なのに脚本が似ても似つかぬものであったとしたら、それはいったい誰の仕業であるのか。 似たようなことは、同監督の『人間の証明』のときにもあり、抑制の効いた松山善三の脚本が、実際の映画では饒舌なシマリのないものにやはり改竄されていたのだ。この映画では、ラストシーンで松田優作が「母親っていったいなんでしょうね」と言わせてくれと頼みこんで、一応撮影はしたがカットされた、という経緯も語られており、どうも「東映」という映画会社自体、現場での脚本変更を実に安易に行っていたフシがある。 黒澤明が『トラ!トラ!トラ!』を東映で撮影しようとしたとき、スタッフのその余りの杜撰な仕事ぶりに切れて、それが「黒澤明ノイローゼ」の噂につながっていったことは有名である。そのせいで、『トラ!トラ!トラ!』の監督は途中で黒澤監督が解雇され、深作欣二・舛田利雄にバトンタッチさせられるという事態にまでなった。黒澤監督が東宝以外で仕事をしたことは一度や二度ではない。大映でも松竹でも映画を撮っていたが、ここまでのトラブルを起こしたことはついぞない(松竹では『白痴』の「フィルムをタテに切れ!」事件があったが、映画自体はちゃんと完成させている)。そう考えると、やはり「東映」という会社の映画製作の体質自体にいろいろ問題があるとは言えまいか。 『ゴルゴ』から話が逸れたが、軍事・兵器・世界情勢に通暁したミリタリーマニアをブレーンにつけるくらいの態勢を取らないと、『ゴルゴ』の実写化って、難しくはあるまいか。さいとうさんが言うように、「砂漠の中を裸の銃を持ってウロウロする」アホなゴルゴを見せられるのは閉口なのである。
マンガ、竹本泉『トランジスタにヴィーナス』3巻(メディアファクトリー・580円)。 和田慎二の勧めにもかかわらず、なかなかエロに行かない竹本泉の、今んとこ一番エッチ度の高いマンガ(^o^)の3巻目。 カラーページなんか、乳首見せてないだけでほとんどイーナスのフルヌードばっかりなのに、なぜ思いきりが悪いかなあ。まるで出し惜しみしている元アイドルのようではないか。 まあ、イーナスも17歳以下の女の子には手を出さないと決めているようだし、一応、モラルはあるってことなのかな。……あったって、マンガだから関係ないよな。 しかし、これだけ美少女キャラを描ける竹本さんの作品が、一度もアニメ化されてないとはどういうわけだろう(『あんみつ姫』は除く)。ゲームのアニメは本人も作ってるんだから、アニメ化に反対してるわけじゃないと思うけどなあ。確かにほとんどの竹本作品、作風はほのぼのしてて、ある意味、起伏に欠けるストーリー展開だから、『あおいちゃんパニック』とかがアニメにしにくいのはわからなくはない。 けど、『さよりなパラレル』やこの『ヴィーナス』なんかは結構アニメに向いてると思うんだけどなあ。 特に今巻の『少女の園』編、キューネフ姉妹やギャウコズ先生、人気出ると思うんだけど。
2001年01月10日(水) 史上最悪の日/アニメ『プロジェクトA子』
| 2002年01月09日(水) |
多分初雪/映画『大菩薩峠』(岡本喜八監督版)ほか |
突然の仕事が入ったせいで、しげ、昨日はほとんど寝ていない。 それでも一応、車で送り迎えはしてくれたのだが、外は雪ちらついていて、メチャクチャ寒い。 これが初雪だろうか。今年はどっちかというと暖冬の傾向じゃないかと思うんだが、大雪になったらしげ、とんでもない事故を起こしそうだよなあ。大丈夫かなあ。
本屋で買いこんだ本を片っ端から読む。 日記に追われていると本を読む時間がなくなるので、たまに一気にまとめ読みしたくなる。その分、また日記の更新が遅れるわけで、 この悪循環、何とかならないものか。
アニメ『ヒカルの碁』第十三局「それぞれの決意」。 正月休みがあったってのに、ちょっと作画が荒れている。 岸本と日高が歩いてるシーンなんて、宙に浮いてるし。外注に出したのかな? せっかくの折り返しの節目にあまり乱れた作画の回を持って来ないようにしてもらいたいものなんだけど。 原作はキャラの描き分けがしっかりしているのに、今回は目の描き方なんかがアキラと三谷が同じだったりする。まあ、確かにどっちもツリ目なんだけど、どうも輪郭線で立体感が表せてないせいで、目鼻が全部「貼り付けられてる」印象が強い。いや、実際に貼り付けて動かしてるんだろうけれど、それをそう感じさせない回もあったのになあ。 『ヒカルの碁』は、今回、次回でいよいよ本格的に始まるといっても言いのである。アキラがプロの道を歩き始め、その後をヒカルが追う。ここで気を入れてくれないと、原作の人気が落ちかけてんじゃないかって時に、アニメのほうまで視聴率が落ちることになりかねないぞ。
マンガ、魔夜峰央『パタリロ西遊記』3巻(白泉社・410円)。 今巻のエピソードの中に、「斉天大聖と名乗った孫悟空(ってもパタリロなんだけど)が、近隣の妖怪たちと親交を結ぼうとしたところ、牛魔王だけが刺客を送ってきた」という話がある。 ギャグにアレンジしてはいても、原作の設定は結構生かしてるような印象を持っていたので、「あれ〜? 確か原作じゃ牛魔王も最初から孫悟空と仲良かったような気がするけど」と、ドドメ色の海馬をひっくり返して記憶をあさってみたけれど、どうにも自信がなかったので、原作を読み返してみようと書庫(一応そんなもんがあるのよ)を覗きにいってみた。 でも、どういうわけか『西遊記』がない。いや、もちろん中国語の原本じゃなくて、翻訳したヤツなんだけれど、岩波文庫で五、六巻本だったよなあ、とか思いながらあちこち見てみるがやっぱり見つからない。 で、ハタ、と気づいた。 オレ、『西遊記』買ったことね〜じゃん! いやあ、これは盲点だった。 自分のギャグ嗜好はテレビアニメ『悟空の大冒険』から始まってると信じ、マンガ、アニメ、特撮の悟空ものはどんなものでも一応目は通してる(最近の『最遊記』はちょっとついてけませんが)と自負してたのに、「原作」を持っていなかったとは! 考えてみれば、こういう有名どころの本って、中高生のころに、図書館でいろんな訳を読み比べたりしてたからなあ。もう自分で買って持ってる気になっちゃってたんだろうなあ。多分そういう本、意外と多いぞ。『三国志』は人形劇ドラマになった時に買った記憶があるから大丈夫だと思うが。 ネットで「牛魔王」で検索してみたら、『最遊記』関連ばかりで閉口した。でもやっぱり、悟空が水蓮洞にいたころに、牛魔王とは義兄弟の契りを交わしていたようである。魔夜さん、細かいところでアレンジ加えてるんだなあ。 ついでに思い出したことだけど、往年のテレビドラマ、堺正章主演の『最遊記』では、小島三児が牛魔王を演じていて、児島みゆきの羅刹女と痴話ゲンカをするシーンなんかもあったりする。そりゃ、いくらなんでもイメージとして情けなさ過ぎるんじゃないかと思ったもんだったが、原典にあたってみると、やっぱり牛魔王は恐妻家だったりするのである。 しかし、ネットを見てて思ったことだけれど、『西遊記』を本格的に研究してるサイトって、結構少ないんだね(工事中なのは結構あるが)。ホームページを作るのにどんなコンテンツを立てればいいか迷ってる人も多いみたいだけど、意外と狙い目はいろんなとこにありそうだぞ。
マンガ、宇野亜由美『オコジョさん』5巻(白泉社・410円)。 アニメのほうは仕事から帰って来たときにはたいてい終わりがけなので、実はOPはまだ見たことがない。 1巻を立ち読みして、「ああ、『オコジョさん』だけじゃなくていろんな話が入ってるんだ」と言ったら、しげがいつの間にか5巻まで買ってた。 しかも1〜4巻まではどこに行ってるかわかんないので、いきなリ5巻から読み始める。 『オコジョさん』『オコジョ番長』『ダーリング』の3シリーズが収録されてるが、最後の『ダーリング』は人気がなくて打ち切りになったようだ。………うーむ、確かにそんなに面白くはない。アニメになったほどだけど、『オコジョさん』だって、かわいいだけで実力がない動物キャラが空威張りしてるおかしさがウケてるってだけだって気がするぞ。 実際、一番面白い漫画が「あとがき」だからなあ。「ほんとうにアニメとはもうかるのですか? いつもうかるのですか? 誰がくれるのですか?」という作者の述懐が切実だ。以前は月収3万円だったそうだし、やっぱり、「マンガ家とアニメーターの下積みは今でも貧乏」ってのは間違ってないのだ。 でも、なんだかこの、いかにも偶然アニメ化されただけで「十年経ったら忘れられてそう」な雰囲気の作風が、なんとなく親近感を感じさせはするのである。できればせいぜい半年間の人気だろうけど、その間に少しでも印税と原作権料で小さな家でも建てといたらと思うんである。 ……って、見も知らぬマンガ家さんの将来を心配してどうするかね。
『別冊宝島626 殺し屋1(イチ)パーフェクトガイド』(宝島社・780円)。 原作マンガは、第1話しか読んでない。あのヤクザマンションに忍び込もうってとこね。 単行本を今まで買ってこなかったのは、別につまんなく思ってたわけじゃなくて、単にほかに買う本が多いのと、どう見てもしげ好みじゃないから控えたってだけ。 でも、連載は完結したみたいだし、映画にもなったぞってんで、ガイドブックを買ってみた。 ああ、てっきり主演は浅野忠信だと思ってたんだけど、違ってた。大森南朋(おおもり・なお)って主演はこれが初めての人らしい(『ビッグ・ショー』とか『三文役者』に出てらしいが未見)。 いやあ、いいわ、この人の「顔」。 これは悪口じゃなくて言うんだけど、タレ目で今にも泣き出しそうな、いかにも典型的な「いじめられっ子」の顔なわけ。 原作のイチとは全く似てないのだけれど、ひとたび特性スーツを身に纏い、殺人マシーンと化すと、凄まじい戦闘能力を発揮する、というギャップを感じさせるのに、この顔は結構有効なんじゃないか。 マンガを映像化するとき、必ずしもキャラクターに似ている役者をアテる必要はない。要はそのキャラのエッセンスを感じさせることができるかどうかなんだから、『陰陽師』の安倍晴明=野村萬斎だってアリなわけだ。実際、顔だけ見ると、今度の映画版、ワザと「似てない」キャスティングを狙ってるみたいだ。 キズだらけの小池朝雄みたいな顔の柿原が浅野忠信(しかも金髪)だし、がっちりメリハリのきいた顔の「ジジイ」は、どっちかっつーとあっさり系の顔の塚本晋也。 イメージが合ってるのは金子役のSABUくらいか。 それにしても、映画監督を役者としてこれだけ本格的に使ったってのは、そうそうないんじゃないか。もちろん、それ以外のキャストも、こう言っちゃなんだが、常識からは相当ズレている怪優が多い。だいたい手塚とおるが出ている映画にマトモなヤツがどれだけあったかねえ(^^)。 たいした興味はなかったけれど、俄然、興味が湧いてきたぞ。でも、しげは一番行きたくなさそうだよなあ。どうやってだまくらかすかなあ(^o^)。 スタッフのインタビュー記事も楽しいが(CGI担当の坂美佐子が「三池監督の映画は好きじゃない」と堂々と言い放ってる大らかさがヨイ)、目玉なのは巻末の単行本未収録の『殺し屋1 誕生篇』。 イチの「暴力でしかイケない男」に対して、殺し屋組織の女スカウトが登場しているのだけれど、これがまた「痛めつけられないとイケない女」(^_^;)。……なんだかここまでトホホな設定を堂々と展開されると、それだけで楽しくなっちゃうね。
CS時代劇チャンネルで、『大菩薩峠』(仲代達矢主演/岡本喜八監督/宝塚映画/1966年)を見る。 細かく書いておかないといけないのは、もちろん『大菩薩峠』の映画化には、他にも有名なのがいくつもあるからだ。 最初の映画化、大河内伝次郎主演、稲垣浩監督の1935年日活製作版は見ていないが、1957年からの東映製作、片岡千恵蔵主演、内田吐夢監督版三部作と、1960年からの大映製作、市川雷蔵主演、三隅研次監督版は見て、片岡千恵蔵、机龍之助やるにはデブすぎ、とか思ってたもんだった(新国劇の緒形拳版もあったな)。 原作は中里介山の大長編小説。山岡荘八の『徳川家康』、栗本薫の『グイン・サーガ』がその分量で凌駕するまで、日本で最長を誇っていた作品だ。しかも、この大長編で作者は単なる時代劇を超えた、この世で流転する人間曼陀羅を描こうとしてたってんだから、根性が座っている。しかも、書ききれなくて途中で作者死ぬし(^_^;)。 物語の冒頭、大菩薩峠で老巡礼を意味もなく惨殺する無明の剣士、机龍之助のイメージは、後の眠狂四郎にも多大な影響を与えた。市川雷蔵がその両者を演じていることは奇縁でもあろう。実際、何の動揺も見せずに巡礼を切るシーンは、初めて見たときには戦慄すら感じた。 だからこそ、私は机龍之助の決定版は市川雷蔵だと思っていたのだ。 アルチザン・岡本喜八が、既に「決定版」のある『大菩薩峠』に、どのように色をつけてくれるのか、それを期待して見てみると……。 まず驚いたのは、「色」がついていない(^_^;)。 内田版、三隅版がカラー映画、特に内田版はその極彩色の映像美が高く評価されていたのに、あえてモノクロ映像で挑んだその勇気。……でも、思うんだけど、時代劇って、やっぱりモノクロが一番合ってると思うんだけどね。 『侍』の雪の桜田門外のシーンでも思ったことだけれど、血の色の赤はモノクロ映像だと漆黒となる。これはそのまま「闇」の暗喩となるのだ。映像はナマのものをそのまま映し出すものではなく、そこに様々な寓意を付与させていくものである。その点、『大菩薩峠』にはモノクロ映像が合う、と提示して見せた岡本監督の判断は、正しかったと言えるのではないか。 しかも、仲代達矢の机龍之助は、「迷いながら」、巡礼を斬るのだ。 仲代の見開いた目、震える頬がそれを表している。 龍之助の剣が、闇に落ちていく描写は過去の作品にもあったが、それは彼がお浜と幾太郎という妻子を失ってからのことだ。こんな早い段階で、それこそ本性的な無明を龍之助が抱えていると描写したのは、岡本喜八が初めてであろう。 あの長大な原作をどうまとめるかと思っていたら、途中を大胆にカットして、それまでの映画が三部作で描いていたところまで、一気に見せる(それでも原作26巻中、たった2巻分の映画化)。 その分、龍之助を仇と狙う宇津木兵馬の描写がやや淡白になった印象はあるけれど、ラストの大殺陣は他の映画化にはない大迫力である。 それにしても、今見るとこの映画、超豪華なキャストだ。東宝が最も意気軒昂だった時代に作られた幸運に感謝しなければなるまい。見てるだけで嬉しくなってくるので、知らない人のために、その一部をちょっと紹介します。
机龍之助 ....... 仲代達矢 お浜 ........... 新珠三千代 お松 ........... 内藤洋子 お松の祖父 ..... 藤原釜足 宇津木兵馬 ..... 加山雄三 宇津木文之丞 ... 中谷一郎 裏宿の七兵衛 ... 西村 晃 与八 ........... 小川安三 机 弾正 ....... 香川良介 お絹 ........... 川口敦子 やくざの浅吉 ... 田中邦衛 神尾主膳 ....... 天本英世 中村一心斉 ..... 佐々木孝丸 芹沢 鴨 ....... 佐藤 慶 近藤 勇 ....... 中丸忠雄 大橋訥庵 ....... 久世 竜 島田虎之助 ..... 三船敏郎
内藤洋子のお松とか、七兵衛の西村晃、与八の小川安三なんて、こんなハマリ役、ほかにねーよな。 特に、「可憐」という言葉は内藤洋子のためにあったと言ってもいいくらいだよ。昔、友人との間で、もしも『ルパン三世 カリオストロの城』が実写化されたら、という話題になったときに、「クラリス役やれる役者なんていねー」とみんな口々に言ってたんだけど(ロリコンが揃ってたんである)、私一人、「若いころの内藤洋子!」とコブシを握りしめて力説したものだった。あのおデコと真っ直ぐな眉毛はそれだけでロリコンにとっては凶器である(あ、あとヒロコ・グレースを力説してたヤツがいたな)。 実際、『赤ひげ』のころの内藤洋子に「おじさま?」なんて甘えられたら、今の私でも落ちるぞ(落ちるなよ)。 そして何と言っても神尾主膳の天本英世! いやあ企んでる企んでる(^^)。続編ができてたらもっと活躍してたと思しいだけに、一作だけで終わっちゃったのがホントにもったいない。 こうなると、原作でも剣は合わせてないから仕方ないんだけれど、仲代龍之助と三船虎之助の対決も見てみたかったなあ。三船さんを使いこなせたのは黒澤明だけだとかドナルド・リチーなんかは言ってるが、岡本喜八の映画を見たことがないのか。『独立愚連隊』でも『侍』でも『赤毛』でも、三船敏郎の豪放と繊細の両面をちゃんと見抜いて描いてるぞ。
夜、遅くまで起きていたので、夜食についそばメシをつくって食べてしまう。 こんなこってりしたものを食ってたら、次の検査、いったいどうなるかな。
2001年01月09日(火) 仕事初め
| 2002年01月08日(火) |
ココロはいつもすれ違い/『女王の百年密室』(森博嗣・スズキユカ) |
仕事が本格的に再開したってのに、鬱、またぶり返す。 思い出さなければ鬱にもなりようがないのだが、思い出してしまうものは仕方がない。思い出すことで自身のアイデンティティも形成されるのであるから、鬱もまた自分が自分である証拠だ。 でも、こう鬱が続くと、自分がなんで鬱になってしまったのか、その原因の部分を忘れてたりもしてるんで、あまりアイデンティティの確立とは関係なくなっちゃってるんである。 バカだね、どうも。
しげから、「今日は練習があるから、迎えに来れないかもしれない」と聞いていたので、夕方、仕事が終わるとさっさとタクシーで帰る。 帰宅してみるとやっぱりしげはお出掛け中。 念のため、携帯に連絡を入れてみるが、つながらないので、「帰ったよ」とメッセージだけ入れておく。
あとでしげから聞いたのだが、このとき実は、しげは鴉丸嬢と一緒に、私の職場まで迎えに来ていたらしい。 「“KC”(鴉丸穣は私のことをこう呼ぶのである。高峰か)を迎えに行くなら、ついでに其ノ他くんちにも寄って(はあと)」と鴉丸嬢が言うので、回ってきたのだとか(其ノ他くんのうちは、私の職場の近くにあるのである)。 携帯に連絡を入れた時はたまたま移動中だったそうで、ちょうどすれ違った格好になってしまった。 二人して、待たされたウラミで散々私の悪口を言ったらしいが、しげの場合、「迎えに来れない(かもしれない)」と言って、「やっぱり来れたよ!」という例が今までに一度もないのだから、そんな不透明な言質を信用しないのも、私にしてみれば当然なことだ。 第一、今日だって、鴉丸嬢が一緒じゃなかったら、しげが迎えに来なかったことは火を見るより明らかなことなんだから。
けれど、実際、鬱で体調も壊しかけているので、二人に付きあって其ノ他くんちまで行かなくてよかった。あまりセルフコントロールができない状態で人と会うと、相手をつい不快な気分にさせかねないからだ。 ともかく夕方を過ぎたばかりだけれど、目を明けてられないくらいに疲れてたので、ともかくぐったりと寝る。 夜になって起き出して、マンガなどパラ読み。 ちょっと小説の類が最近読む時間が取れなくなってきていて、活字にも飢えてるんだが、日記の更新にやたらと時間がかかって、まとまった時間が取れなくなっているのだ。 ……だから10行ぐらいで日記を書いちゃえってば。
マンガ、森博嗣原作、スズキユカ漫画『女王の百年密室』(幻冬舎・735円)。 小説版はまだ単行本しかないので、文庫になるのを待とう、と思ってたら、先にマンガ版が出やがった。 森ミステリを認める人、否定する人、それぞれに言い分はあろうが、否定派の批評の大半が、「本格のフリして本格でない」「トリックがチャチ」「トリックがインチキ」とか、そういう「マットウな」批評だったりする。 しかし、そのあくまで「本格」に依拠した批評は、果たして本当に森ミステリに対して有効なのだろうか。 『冷たい密室と博士たち』でも犀川創平が言明していた通り、例えば「密室を作る方法」などは、「どうにでもなる」のである。これだけ科学技術が進歩している現在なら、一般の読者が知らないような専門技術を駆使したトリックで不可能犯罪を構築することも可能であろう。いったん、そういうことを考え出すと、読者の裏を掻くトリックの案出など実に容易だ。だからこそ新本格の作家たちは、旧態依然と言われようと、「外界から閉ざされ」、科学技術も捜査も及ばない「雪の山荘」モノに固執していたのである(たいてい、携帯電話は「圏外」だ)。 そういう特殊な設定にしないと、現代、あるいは未来のミステリは、その謎を解明しようとする試みどころか、「謎」自体が成立しなくなる。すべてが「無意味」だということにもなりかねない。 森ミステリは、まず、そこを突き抜けたのだ。 トリックなどはどうでもいい。 では何が森ミステリの謎であるのか。 それは、「彼は何者か」ということである。 犯人が誰か、ではない。最も理想的な犯人らしい人物は、森ミステリにあっては常に明白である。恐らく「犯人を当てる」だけなら、十人中九人がそれをアテてしまうだろう。 しかし、では、「犯人である『彼』は何者なのか」。 この答えに解答することは容易ではあるまい。森ミステリの探偵たちも、それを最後まで突きとめ得ぬことは往々にしてあるからだ。そして、「犯人」と表裏一体である「探偵」。主人公たる彼らもまた、自分自身に無意識のうちに問いかけることになる。「『私』は何者なのか」と。
女王が統治する幸福な楽園。 不満や恨みのない世界でなぜか起こった殺人事件。 「SFミステリ」の体裁を取っているために、従来の森ミステリが嫌いだった人も、余計なハードルを越える必要はないだろう。 ここでは「どんなトリックも神の名のもとに可能」なのだ。殺人事件の、密室の謎を解く必要はない。そんなものは「どうにでもなる」。 読者が思い致せばいいのは、主人公サエバ・ミチルの秘めたる思いにであり、マイカ・ジュクの警句に込められた思いにである。彼はミチルが「神に導かれた」と言い、「女王」もまた、旅人であるはずのミチルの名を「神のお告げ」によって知っている。 「神」とは何かを推理しても、それは意味がない。もちろん、その答えがラストで明かされはするが、それ以外の何10通りの解決だって、読者は想定し、作者が提示したもの以外の答えを自分が信じたところで全く構いはしないのだ。 「僕は生きているのだろうか? まあだいたい生きてるってとこ? 悪くはない。悪くはないよ」 ミチルの、最後のこの痛みをともなった言葉を噛み締めることが、森ミステリを味わう一番の方法だろう。多分我々も「だいたい」でしか生きてはいないのだから。
しげ、8時過ぎに帰宅するなり、また出かける準備を始める。 「……どしたん? 今日は仕事なかったんやないんか?」 「……うっかり電話取ったのが失敗……」 しげ、眉間にシワを寄せて、いかにも口惜しそうな、苦虫を噛み潰したような顔をしている。 どうやらリンガーハット、急な欠員が出て、助っ人をしげに頼んできたらしい。せっかくの眠る時間がなくなって、しげ、本気で臍を噛んでいるのだ。 「リンガーハットからの電話は取っちゃいかんね!」と吐き捨てるように言う。でも電話に出た時点で「負け」だわなあ。
実は私も、休日、職場からあった電話は取らないことにしている。 それで大事な仕事だったらどうするんだ、と非難されそうだが、実際に電話に出てみると、たいした用事でもないことが圧倒的に多いのだ。 いっぺん、電話に出ずに、次の日になって誰かから何か言われるかと思ったら、全く何も音沙汰がなかったので、私の頭の中では、「職場からの電話は休みを邪魔するイヤガラセ」としか受け取れなくなった。 ……いやね、ほかの同僚が休んでる時も明らかに「イヤガラセ」の電話してるとこも、何度も目撃してるのよ。人間性で言えばサイテーの部類に入るヤツってゴロゴロしてるもんでね。 本当に大事な用事なら、間を置いてでも二度、三度と電話をしてくると思うんである。それがない以上、わしゃ、休日の電話には絶対に出んぞ。第一、休日に私が家にいる、と思いこんでるのはどうしてだ。
俳優の加賀邦男さんが、7日に心不全で死去。享年88歳。 特撮ファンには『仮面ライダーV3』の風見志郎の父親役で有名であろう。 ……って、何シーンも出とらんわ、そんなん(ーー;)。 けれど、ついそんなのを例に出さなきゃならないくらい、脇役が凄く多い人ではあったのだ。かと言ってヘタクソってことはなくて、往年のオールスターキャストの映画の中でも、割り当てられるのは重厚な役が多かった。 訃報の記事には『大菩薩峠』あたりを代表作としてあげているが、調べてみると、役は米友。……内田吐夢版だよなあ、片岡千恵蔵が机龍之助の。米友ってのは心優しい槍の名手の役なんだけど、加賀さんだったかどうか記憶にない。もちっとましな紹介、できなかったのかなあ。 ついこないだDVDで見たばかりの『本陣』、フィルモグラフィーでは最後になっている。テレビではお見かけしてたけど、映画でとなるとあれが遺作になるのか。……って、もう30年近く前だぞ? あれほどの名優が、それ以降、一度も映画に出なかったのか。映画界が、役者、名優をいかにキチンと使わずに来たかってことの証明みたいなもんだなあ。 二男の亀山達也、三男の志賀勝も俳優だけど顔は似てないと思う。加賀さんのような美形から、志賀さんのような個性的な顔が生まれるというのがまた面白い。
2001年01月08日(月) 成人の日スペ……じゃないよ
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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