無責任賛歌
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| 2001年10月24日(水) |
こぉのー、むねのとぉきーめきぃー/『彼氏彼女の事情』12巻(津田雅美)ほか |
オタアミ当日まであと31日! 31日しかないのだ!
久しぶりに残業せずに帰宅。 なんだかえらく長いロードを抜けてきた印象だが、これは小休止みたいなもので、明日以降も早く帰れるとは限らない。 昨日の日記にも書いたが、「勤務時間外まで働くのが当然」という考え方を企業内に浸透させるのは別に社会主義者でなくても反対しておかなくてはならないことなんだが、嬉々として残業する人間が多いってことは、それだけ「仕事」にアイデンティティを依存している証拠なのである。 退職して「オレの人生なんだったんだろう」と自殺する60代は完璧にこのパターン。結局「肩書き」でしか自分を語れない人間が多過ぎるってことなんだよな、きっと。
しばらく見ていなかったアニメ『シャーマンキング』第十七廻「ベストプレイス二人旅」。 シャーマンという設定自体は私の好みなのにイマイチ乗り切れないのは、やっぱりドラマがありきたりだからだろうなあ。……別にシャーマンって設定で語らなきゃならないような話でも何でもないんだよね。 前回見てないけれど、葉は、敵との戦いに敗れたらしい。そして急に親友のまん太に対して冷たい態度になって、「おまえのせいで負けたんだ!」とかなんとか言って絶交宣言をする。 ……で、まん太は泣きながら病室を出て行っちゃうんだが、こんなありふれた展開、いったい今までどれだけ見せられたことか。いわゆる『泣いたあかおに』パターンの変形、ワルモノぶってて実は相手を心配してるんだって話だけどさ、もう『巨人の星』や『あしたのジョー』の昔から、いや、戦前の佐藤紅緑やら佐々木邦の少年読みものにも繰り返し出て来たパターン、ルーツがいったいなんなのかおよそ辿れぬほど昔から語られてきた古色蒼然っていうかカビの生えたような話だぜ。 イマドキまだやるかい。少しは工夫しろよ。 こんなのは作者がバカか読者、視聴者をバカにしてるかのどっちかだ。どっちにしろ、このマンガのファンがいるってんなら、客はもっと怒らなきゃな。 絵柄は好きなんだがなあ。 キャラにこうも深みがないと、やっぱり原作の単行本買おうってとこまでにはいかないのだ。
『テニスの王子様』第3回「登場! 青学レギュラー』。 3回続けて話の構造が全く同じ、リョーマの実力を知らないヤツが舐めた態度でリョーマに挑戦、あえなく敗れるというもの。 芸がない、というより確信犯でやってるのか? 1回目、2回目を見逃したひとのために、何度もキャラクター紹介するためにこういうことやってるんだとしたら、毎回見ているこちらにしてみればくどいなあ、とは思うけれど、それはそれで作品を浸透させる戦略としてはまあ悪くはないとは言える。 連続もののネックは前の回を見ていないと話の筋がよくわからなくなる、ということだけれども、ジャンプマンガが人気を獲得していく一つの特徴となった「対決モノ」、前の回を見てなくても内容が理解できるってことも大きいんだよね。 もちろん、趣向は微妙に変えてあって、リョーマは先輩たちのイヤガラセでゆるゆるのガットのラケットで戦わせられちゃうんだけど、それでもやっぱり勝っちゃう。「逆境にあって、余裕で勝つ」ってところが人気のヒミツなのかな。スポーツものの中では汗臭さをあまり感じないアニメだし(ジャンプのスポーツものって、他誌に比べて汗臭くないもの多いよな。女性ファン狙いであることがミエミエ)。 でもなあ、「仏の顔も三度まで」っていうけど、次回もやっぱり「リョーマを侮る敵、ハンデを負ったリョーマの勝利」って展開だったら、本気でバカにするぞ。
『ヒカルの碁』第3局「牙をむくアキラ」。 中味と違っちゃいないけど、このサブタイトルのセンスのなさはなんなんだろうね。でも調べてみたら原作のサブタイトルも同じだった……(^_^;)。 作画監督、本橋秀之さん自身がやってるわりには今一つ安定していない。ヒカルもアキラも、どうも顔の下半分が原作に比べて重いのだ。アニメの場合、その方が口パクだけでも自然に見えるって利点は解るんだけれど、されじゃあ小畑さんの絵とは似ても似つかなくなる。まだ『あやつり左近』の方が小畑さんの線に近かったぞ。 先週の予告編にもあったアキラと塔矢名人の見詰め合いはなかなか妖しげなムードで可笑しかったが、全体的にキャラはほとんど線が崩れない。ちょっとした生き抜きのギャグ顔もなくなっているので、どうも堅苦しくてドラマとしての緩急や余裕がない。 声優もやっぱり三週経ってもヒカルの川上とも子さん、ヘタなままだ。 いかにもアニメアニメした上ずった芝居してるから、ヒカルが「ちょこちょこっとタイトル取ってお金稼ぐのもいいかな」とか、「すげえよ塔矢」とかってセリフを言ったら、ホントにバカに聞こえてしまうのである。ここはまだ子供らしいバカってレベルで押さえとかないといけないんだがなあ。 シリアスでいくなら、もう少し声優の演技もリアルに抑えてほしいんだけれど、あれでいいとみんな思ってるのかなあ。どうも川上とも子さんのタメを利かせるセリフ回し、私には耳障りがしてしようがないんだが。
しげがいきなリ、「アンタの藤原敬之ってペンネーム、『藤原啓治』から取ったの?」と聞く。 しげがバカなのはこういうところで、しげはちゃんと私のペンネームの由来を知っていて、藤原啓治さんとはなんの関係もないこともわかっているのだ。 わかりきっていることでも、思いついたことはともかく言わなきゃ気がすまないので、周囲を「?」の渦に巻き込んでしまうこともしばしばだ。これも一種の不安神経症なので、なんとか治してほしいんだけどなあ。 「どうして知ってることを聞くのか?」って、人から思われたいのか?
女と愛とミステリー『西村京太郎サスペンス 脅迫者』見る。 原作は短編かなにかかな。 トリックといえるほどのトリックもなく、事件の真相も脅迫者の真の意図ものっけからバレバレ。この程度の中味でドラマが作れると考えてるあたり、西村京太郎ってやっぱりレベル低いよなあ。 もともとその創作姿勢自体に問題があるコトは推理作家仲間でも問題視されてたヒトだ。曰く、他人の作った探偵キャラを勝手に使う(『名探偵』シリーズでは、明智小五郎、メグレ警部、エラリー・クイーン、エルキュール・ポアロを著作権者に断りなく競演させていた)、トリックのパクリ……。 今回も、メイントリックは、アガサ・クリスティーの『検察側の証人』のものと同一。ビリー・ワイルダー監督によって映画化もされた(邦題は『情婦』。……最悪である)から、知ってる人も多いかな。 でもね、あれはさ、演じてたのがマレーネ・ディートリッヒだったからこそ生きたトリックなんだってば。だって、あんな大女優があんなコトするなんて、……なんて誰も思わないもの。だからテレビ版の『検察側の証人』でダイアナ・リグが同じことしてみせても効果は全くない。 まして、今回のドラマ、佐藤B作だよ? 客をバカにするのもほどがある。 ……いや、そんなら最初から見なきゃいいじゃん、って言われそうだけどさ、石野真子が出てたんでつい見入っちゃったんだよう(T_T)。いいじゃんかよう、石野真子のファンでもよう。
もう40歳かなあ、けどギリギリ30歳くらいにしか見えないし、アイドルのころよりずっときれいになったよなあ、石野真子。 アイドル当時は江口寿史が『すすめ!パイレーツ』にそっくりキャラをしょっちゅう描いてたくらい人気があったけど、今はこんな益体もないドラマにしか出なくなっちゃってるんだよなあ。 ノーランズのカバー曲だったけど、彼女の歌った『恋のハッピー・デート(Gotta Pull Myself Together)』は名曲だったと断言しよう。贔屓目だと言うヒトがいるであろうが、その通りだ。なんか文句があるか。少なくともそれまでの『狼なんか怖くない』以下の曲がイメージ先行で石野真子にイマイチ合ってなかったのに対し、この曲には等身大の彼女が見えていたのだ。 「あのね、私、そのね、あなた、好きよ、大好きよ♪」なんてフレーズ、当時だってストレート過ぎてこっぱずかしくって聞いてられなかったんだが、それが青春というものだ。 久しぶりに歌詞を見たくなって、ネットで検索してみたが、歌詞までは載っていない。やっぱりただ乗っけるだけじゃ著作権に引っかかるのかな、きちんと批評するんじゃない限り。 いやまあ、全部ソラで歌えるからいいんだけどさ。もちろん『狼』以降、殆どの曲を今でも歌える。それくらい、当時はハマったのだ。なにしろ初めて手に入れたビデオデッキで最初に録画したのが紅白初出場のときに歌った『ジュリーがライバル』。……ハイ、今回の日記タイトル、この曲の中からのワンフレーズでした。このサビのところの甘える感じがいいのよ(=^_^=)。 このことを書き始めると、また日記が20枚を軽くオーバーするんでこれ以上はあえて書かないが(^^)、そのうち『石野真子論』を原稿用紙三百枚くらい使って書いてやりたいと思っていたりするのだ(←マジ)。 それと、私の前で「ナガブチ」の話題は禁物ですので、知り合いの方々、どうかそのことをご前提によろしくお願いいたします(^o^)。
マンガ、津田雅美『彼氏彼女の事情』12巻(白泉社・410円)。 もともと作者はキャラクターの描き分けがあまりうまくないひとだったが、その傾向が最近は顕著。 髪型取っかえたら、下手すりゃ雪野とつばさまで区別がつかなくなるぞ。 アニメの1話がおもしろかったんで、原作も読み始めたのだが、どんなに深刻な話題を扱っても、学園ドラマの域は出てないので、感動するというほどではない。最初ギャグっぽい雰囲気で始まって徐々に深刻になるってのは三原順の『はみだしっ子』なんかもそうだった。けれど『カレカノ』はあそこまでテツガクすることはなさそうだ。 まあ、ある程度受けてるってのも思春期の感傷に訴えかけただけって面は大きいので、あまり話を長く続けすぎてもつまんなくなるだけって気はしている。 脇道に入るのはもういいからはやく有馬と雪野編、再開してくれ。
11時に横になったら、ちょっと寝るつもりが朝まで熟睡。 おかげで日記の更新ができず。 ああ、溜まっていくばかりだなあ。
2000年10月24日(火) 年取ったシワをCGで消すってのは無理?/ドラマ『ウルトラセブン・地球より永遠に』ほか
| 2001年10月23日(火) |
凡人礼賛/DVD『エイリアン9』2巻/『魔獣狩り』(夢枕獏・木戸嘉実)ほか |
オタアミ当日まであと32日! 32日しかないのだ!
長らくなくしていた家の鍵が、ようやく見つかる。 ともかく、ここしばらくもう、忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて忙しくて、アタマが回らなかったので(口だけは回ってるが)、どこにやってしまってたか思い出すこともできないでいたが、なんとか記憶を遡って、合羽のポケットの中に入っていたのを見付けたのである。 一緒に印鑑と自転車の鍵も発見。これがないとマジで大変なことになるところだった(^_^;)。
関係ないけど、今ドキの若いヒトは、「合羽」なんて言わないよね。たいていは「レインコート」。 けど、こりゃ感覚的なものなんで仕方がないのだが、どうもそんな西洋風な言い方をしなけりゃならんほどのたいそうなもんかい、という気がどうしてもしてしまうのである。 他にも私ゃ、未だに「ハンガー」なんて言わずに「えもんかけ」って言ってるもんね。元からある言葉で充分表現できるものを、奇妙なコマーシャリズムに乗っかって言い替えるこたあないと思うんである。
今週の『ジャンプ』の立ち読み、と言っても相変わらず読んでるのは『ヒカルの碁』だけ。単行本で買ってるマンガは出来るだけその時の楽しみに取ってるものでね。『ヒカ碁』だけ立ち読みしてるのは、それだけ辛抱たまらん精神状態になってるからだと思ってもらいたい。 しかし、ヒカルも連載当初に比べると、すっかりオトナな顔になった。等身もスッキリ伸びて、もうすぐ高校生、という感じがちゃんと出ている。カラダはちゃんと成長しつつあるのに、ヒカルの心はまだそれに追いついていない、というか、ヒカル自身の心も変化と成長の兆しを見せているのに、それをコントロールする術を知らずに戸惑っている、そういう表情すらヒカルは見せ始めているのだ。……小畑さんの画力の卓抜さよ(@。@;)ゞ。
話の方は、まだまだ引くのか、佐為は復活しないまま。ヒカルの葛藤、相当根が深い。 余りはっきり書いちゃうとヒカルファンには怒られるかもしれないが、このヒカルの碁の魅力の一つは、ヒカルの幼いサディズムにあったと言っていい。 「友情・努力・勝利」の三つが、ジャンプマンガのテーマだとはよく言われることだ。しかし、果たして本当にそうだっただろうか。 実のところ、この「努力」の部分は、ジャンプマンガにおいては極めてリアリティがなかったり、希薄だったりしていたのである。 『ヒカ碁』も『シャーマンキング』もそうだが、主人公が強いのは、本人の力ではなく、「なにか超自然的なモノ」の力を借りている場合が多い。あるいは「生まれながらの星の運命により」なんてパターンだ。本人が全く努力をしないわけではないが、ごく普通の人間が本当に努力してなんとかなった、なんて話は地味過ぎてジャンプのカラーにはあっていないのである。 実際、そんな「ホンモノの努力」を描いたマンガを、私はジャンプ誌上においては、古い例で申し訳ないがちばあきおの『プレイボール』ぐらいしか知らない。 ちばさんが「凡人の努力」を描いて描いて、描き続けた果てにどうなったかを考えると、結局ジャンプは「本当に努力している人」なんか必要としていなかったのではないかという気さえしてくるのだ。 『アイアンジャイアント』を例に引けば解りやすいだろうか、ジャンプマンガの魅力とは、詰まる所、「強大な力」を手に入れ、それを自分の支配化に置くことの快楽に他ならないのである。だから、サディズム。 ヒカルはさんざん佐為を利用してきた。 本当は自分よりはるかに高みにある佐為を、何の力もないヒカルが支配下においていたのだ。ヒカルは、あるいはヒカルを自分の立場に置き換えて状況を楽しんでいた読者は、右往左往させられる佐為を見て、どれだけ溜飲の下がる思いをしてきたことだろう(「かわいそう」と同情していた、という人もいるかもしれないが、同情が優越感の裏返しであることは自明である)。 けれどようやく佐為は「解放」され、ヒカルはただの人に落とされた。 ここで作者は従来の読者に対して、これまでと同等の快楽を与え続けることを拒否した。物語はついにタイトル通り、『“ヒカルの”碁』を描き始めたのだ。もしかすると本作は、ジャンプマンガのセオリーから逸脱して、全く新たな地平を切り開いていくのではないか。 たとえ佐為が復活したとしても、今までのような読者のサディズムを満足させるような展開にはなるまい。下手をしたら、人気はズルズルと落ちて行くことにもなりかねないが、それでもいいと思う。凡百の見せ掛けだけのヒーローマンガにはすっかり食傷している。ファンの方には悪いが、中年になろうという私には、『ワンピ』も『テニプリ』も『マンキン』も『ナルト』も、全て「どこかで見たことのあるマンガ」でしかないのだ。 私は、同じ勝負ものではあっても、新しいマンガが読みたい。本当に普通の子が、一歩一歩、自分で自分の階段を登って行く、そういうマンガを読みたいのだ。そんなマンガ、いかにもありそうだけれど、実際には殆ど書かれたことがなかったのだから。 ややこしいことをコネ回して書いてきたけど、つまりようやく『ヒカ碁』は、読者に「君だってヒカルになれる」と訴えるマンガになりつつあるのである。……やっぱり佐為には復活してほしくないんだよなあ。
帰宅してみると、しげは留守。 携帯に電話してみたら、どうやら鈴邑くんたちと飲んでるらしい。 「理由」は察しがつくので、「いつ帰る?」などと野暮なことは聞かない。 私がよく他人から「いい夫」などと誤解されてしまうのは、こういうときくだくだと妻に絡んだりしないからだが、これは単に私の美意識の問題だったりするのだ。 事実、しげには私があまりに淡白なので、「もうちょっと心配してほしい」と言われて不評なんだが。 けどここで私が「いつ帰るんだよう。オレをほっといてどこ遊び歩いてるんだよう。本当はオレの知らない誰かと浮気したてるんじゃないのか。きっとそうだ、エエエ悔しい口惜しい、この裏切りものめ、○○め、○○め」とか言い出したらすごくイヤだと思うんだがな。
帰宅したしげ、にへらへらと笑って飛び跳ねながら抱きついてくる。 なんかラブラブですってか? いや、そんなツヤのある話ではござんせん。全体重をかけてのしかかられるので、腰に来るだけですって。 ま、お察しの通り、しげがついに自動車の実地試験に合格して、「若葉マーク」をもらったってことなんですけどね。
まだ筆記試験が残っているが、本人は「アンタ知らないね。私、公式の暗記だけは得意なんだ」と言う。 つまりそいつは、「応用はてんでダメ」ってことだから威張れたコトでも何でもないんだが、どっちにしろ8月から初めて三ヶ月、飽きっぽいしげにしてはよく続いたものである。ここは素直に誉めてあげよう。 まあ、口には出してやらん(^^)。 私が余り嬉しそうでもないので、しげ、なんだか不満顔だが、これも博多人の美意識なんだと思いなって。
劇団メンバーの鈴邑くんの話。 彼に二人目の赤ちゃんができたことはこの日記にもチラチラ書いてたと思うのだが、今日しげから彼が現在「求職中」であることを初めて聞いた。 「……なんで? こないだ仕事めっかったとか言ってたばかりじゃん」 「だからやめたって」 「赤ちゃんもいるのに? いったいなんでまた……」 「前に勤めてたとこより、今の職場、給料も安いし休みも取らせてくれなかったんだって」 「だからって、すぐに次の職が見つかるかどうかわかんないのに……」 「日曜日にも仕事入れられちゃうんで、『劇団に顔出せないから困る』って上司に言ったら、『劇団と仕事とどっちが大事だ!』って怒鳴られたんで、『劇団です!』って言って辞表出したって」 ……ああ、なんかカッコイイ。 カッコイイけどバカだぞ鈴邑君。 いや、雇用条件を詳しく知らないから簡単にバカって言っちゃいかんかもしれんが、少なくとも私が同じことをしたら絶対周囲からは「バカ」って言われる行為だよ、それは(・・;)。 しげはもう単純に喜んで「そりゃ『仕事か劇団か』って言われたら『劇団』って言うよ」と笑ってるが、そう割り切って言えることでもないってばよ。 しげの情報伝達能力は極度に低い“ILT”(インフォメーション・ローテクノロジー)なので、どこまでが本当の話なのか分らないが、少なくとも「仕事と私生活のどちらが大事か」などということを本気で部下に言う上司のいる会社があったとしたら、そこは真実ロクでもないトコだってことは断言してよかろう。 ウチの職場だって、雇用条件が決してよいとは言えないが、「私生活を犠牲にしても仕事に従事せよ」なんて、思ってても口には出せないことくらいは上司も知っている。「あとでオゴりますから」「短時間ですみますから」「ちょっと押してるんでどうか一つ」とこちらをだまくらかして残業させたり休日出勤させたりしてるだけである。 不況でどこも大変だってことはわかるが、それだからこそ、社員の雇用条件を適正に確保する努力が企業には求められているし、それを考えなきゃ本来の意味でのリストラクチャーはできないはずなのだ。リストラを即首切りと考える会社なんて、世間からの信用を得られるわけないでしょ? かえって会社を弱体化させるだけだって。 もし、いつ潰れてもおかしくないような職場だったんなら、その前にトンズラ濃いた鈴邑君は賢明だったのかも知れない。 でも、はやいとこ仕事見つけナヨ、鈴邑君。なんか話聞いてると、どんどん雇用条件の悪いとこ悪いとこに移ってるみたいだし。最初の就職口が一番よかったんじゃないか? 今考えると。
……しかし、そうなるとウチの劇団メンバーで、一つトコで一番長く仕事続けてるのって、よしひと嬢の次に藤田くんなんだなあ。 こりゃ意外な事実でビックリ。
DVD『エイリアン9』2巻「退屈 宇宙船 過成長」。 原作1巻の後半部分をほぼ忠実に映像化。 けど、ちょっだけセリフに改変があって、ゆりが恐怖のあまりボウグを「過成長」させちゃったのを見た久川先生の「この子がこんなにダメな子だったなんて」というモノローグがアニメではなくなっている。 「先生」のセリフとしてはちょっと残酷過ぎる、という判断か、話のテンポをとぎらせないためのカットか、そのあたりはよく分らない。しかしこのセリフがあるとないとでは、作品自体の印象がひどく異なる。 あればやっぱりゆりは「ダメな子」なままだが、ないと「この子はまだ自分の才能に気付いていない、ボウグのコントロールがまだできないだけで、潜在的な能力にはスゴイものがあるのだ」という印象が続くことになる。 前巻の感想にも、この作品、原作のイビツさがアニメでは修正されていることを書いたのだが、ストーリーが同じようでいて、絵やちょっとしたセリフで、随分、「健康的」な印象に変わっているのだ。 正直言って原作の方はどうも作者自身がキャラクターに対してサディスティックになってる面が垣間見えていて今一つ好きになれないのだが、アニメの方は何となくではあるが「希望」がありそうな感じで好印象。全何巻になるのかな? 原作の消化ペースからいけば6巻程度で終わりそうなんだが。 原作はまだ1巻しか読んでいないが、ラストを読むのはアニメを見終わってからにしようかと思う。
マンガ、細野不二彦『ザ・スリーパー』2巻(小学館・560円)。 細野さんのマンガも好きと言えば好きなんだが、どこかのめり込めないところがあるのは、やっぱり基本的に作者が「暗い」からなんだろうなあ。 いや、別に作者の性格を云々したいんじゃなくて、絵や線がどうにも腺病質なんである。 折り返しに作者のコメントが載っていて、「合体! 変身! 正義のヒーロー登場!! 一度は描いてみたかった少年ヒーロー漫画王道のパターンです!」なんて書いてるけど、だったら「精神世界で妄想と戦う」なんて設定にするんじゃないよ、と言いたい。そんなん「王道」でも何でもないやんかと。 そのあたりの勘違いが、読者の感情移入を拒否するようなキャラクター造型につながってきてるのだ。精神世界に行ってる間の主人公の少年ひつじの表情、目は白目剥いてるし口からはヨダレ、生汗かいてて気色が悪いったらありゃしない。こんな絵を描く必然性なんて全くないんだが、こういう「壊れた」顔を描くことが、細野さん本当に好きなんだよねえ。『猿飛』や『ガンモ』のころもチラチラそういう気配はあったんだが、メジャーを離れてからは(^^)、その傾向が一気に顕著になった。 でも、細野さんが人間をどう見ているかは知らないが、自分の歪んだ人間観を読者に押しつけるようなことはあまりしない方がいいと思うんである。少なくとも自分が「王道」を描こうって思っているならば。 いや、本人がマイナー漫画でいいんだって思ってんだったらこんなイヤごとは言わないんだけどね。
マンガ、夢枕獏原作・木戸嘉実漫画『サイコダイバー魔獣狩り』(双葉社・980円)。 セガのなんのゲームだったかなあ、この「サイコダイバー」って言葉を勝手に使って、獏さんから(なんか夢枕さんって言い方がピンと来ないね、この人の葉場合は)「そりゃオレの造語だ!」って文句つけられたことがあったっけ。 こういうSF用語には一般名詞としての科学用語で著作権の発生しないものとするものが混在していて、シロウトにはなかなか判別しにくいのだが、だからといっていい加減にしていいものでもない。獏さんの主張は全く正しいのである。 もちろん、「サイコダイバー」という言葉を使わせない、なんて偏狭なことを獏さんは言いたいわけじゃあるまい。 事前に、使用許可を得ればよかっただけなのだが、そう作者の中には「ま、いっか」で済ましちゃういい加減なヒトも多いのである。 こないだ見た鴻上尚史の『ファントム・ペイン』、その前作の『スナフキンの手紙』でも、「サイコダイバー」って言葉を平気で使ってたが、さて、獏さんにヒトコト断った上で使ってるのかなあ。鴻上さんの芝居って、既成作品からの引用が多いせいか、どうも言葉遣いが雑然としていて耳障りなことが多いのである。これもわざわざ「サイコダイブ」なんて言葉に拘る必要なんてないんで、許可を得ずに勝手に使ってる気配が濃厚。鴻上さんもいろいろ芝居について大風呂敷を広げる前に、自分の足元を見てたほうがいいんじゃないかな。
それは余談(^^)。 実は原作は読んだことないんで、マンガとの比較はできないんだけど、同じ精神世界モノの細野さんのグログロ、グチョグチョよりは随分サッパリとした印象。いや、もちろんバイオレンスはあるんだけれど、基本的にアニメ絵なのであまり気色悪い感じはしないのだ。 それをヨシとするか物足りないとするかで評価は分かれると思うが、獏さんは基本的にどんなバイオレンス描写を行っても「希望」のある物語にしようってポリシーはあるヒトなんで、私はまあまあいいんじゃないかと思う。何より新人さんに原作もので力をつけさせようって試み自体はどんどんやっていいと思うし。 確かに絵柄の単調さがキャラクターに深みを与え損なっているし、何より敵が大ボスに至るまで小粒なヤツにしか見えないってのは結構イタイ欠点。 でもふんだんに大ゴマ使ってるあたり、この新人マンガ家さん、なかなか度胸はあるのだ。原作読んでみようかな、という気にさせられる程度の魅力はあるって感じだろうか。
2000年10月23日(月) 浮かれたホークスファンは情けない/アニメ『犬夜叉』『人造人間キカイダー』第2話ほか
| 2001年10月22日(月) |
野だいこ敬語/『源氏物語』第壱巻「桐壷」(江川達也)ほか |
オタアミ当日まであと33日! 33日しかないのだ!
この日記へのアクセス、「加藤夏季」だの「リアルバウトハイスクール」だの、「ドラえもん エロ」だの、よくわかんないキーワードで検索して来る人も多いのだが、ふと気になったのは、どうして「オタクアミーゴス」で検索してくる人がいないのか、ということだ。 いや、オタアミ関係のページなら、AIQに限ってもエロさんとこだって、しおやさんのとこだってあるんだし、第一オタアミのお三方のホームページにアクセスする方が早いんだから、私の日記まで覗く必要はないんだが、でも未だに「チケット買います」ってメールが一通も来ないと、この日記もあまり宣伝の役に立ってないのかなあ、と不安になってくる。
あの、すみません。 読者の方で、今んとこ予定が立たないから、オタアミに行くかどうか分らないけど、興味はあるって人、せめてそのことだけでも掲示板かメールでお知らせ願えませんか? もしかして、「オタクアミーゴス」を知らない、という方はいらっしゃいませんか? そういう方もどうぞご連絡下さい。資料記事をメールでドドッとお送りすることもできます。
夏の退院以来、仕事を休んだことはなかったのだが、ついにカラダがもたなくて、仕事を休み。 これも昨夜、しげが食料を買いに行ってくれてたなら、何も夜風に病んだカラダを晒さずにすんだんだがなあ。 しげは絶対、私がカラダを壊すことを望んでいるのだ。そうすれば私が家にいて、その間会っていられるから。 けどなあ、そんなことしてたらなあ、私の命自体が縮まっちゃうと思うんだが。朝三暮四だって何度も言ってるのに、目先のことにしか目が向かないヤツだからどうしようもないんである。
『言語』11月号(大修館書店・890円)。 今回の特集は「敬意はどこから来るか ポライトネスと敬意表現」。 昨年末に、国語審議会が、従来の「敬語」というコトバを避けて「敬意表現」というコトバに置き換えたことをご存知の方はいらっしゃるだろうか。 「んなマイナーな記事知らんわ」と言われてしまいそうだが、あまり侮ってもらっちゃあ困るね、「コトバが置き返られる」というのは、ヘタすりゃ「文化そのみものが破壊される」ことにつながりかねないんだから。
かつて「トルコ風呂」が「ソープランド」に置き換えられちゃったことを思い出してごらんなさいな。 って若い人は知らんだろうが、もう、20年も前になるかな、トルコ大使館だったかトルコ人の少年だったかが、「あんないかがわしいところに『トルコ』の名前を使わんでくれ」という要望があって、一斉に「トルコ」のコトバが日本全国から消えたのだ。 言うまでもなく、「もともとの」トルコ風呂は、いかがわしいものでも何でもない。例のいかがわしい種類のお風呂が、いかがわしくないトルコ風呂を隠れ蓑にして営業して、いかがわしくないトルコ風呂はトルコ風呂と名乗れなくなった、という前段階がこの件にはある。 ここがややこしいところで、建前上、トルコ風呂はあくまでトルコ風呂なんだからしてイヤラシイところでも何でもないのだ。でも、そこに行く客は、ここはイヤラシくない所だから行ってもいいのだと言いながら実際にはイヤラシイことを期待して行くのである。 警察もここはタテマエ上、イヤラしくないところなので、踏みこんでお客さんともども「従業員」の方をふんじばるってわけにもいかない。 ホンネとタテマエの境界線がそこにはある。 「トルコ」が「ソープ」に変わっても、その境界線はあるんじゃないか、相変わらず警察はソープの全てを摘発出来てるわけじゃないし、と仰る方もおられるかもしれない。 しかし違うのだ。 ソープは、一度トルコが社会的に、公然と、「イヤらしい場所だ」と認定されたあとに名称を変えたものなのだ。ホンネとタテマエの境界はここで実は崩れてしまっている。 警察がソープに不介入なのも、以前とは意味合いがはっきりと違っている。警察はソープの真実を「公然と」認定した上で、その存在を認めていることになっているのだ。言わば、社会全体が「共犯化した」結果が「ソープランド」というコトバの意味合いなのだ。まさに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」である。……これ、戦前までの公娼制度より悪いんだよ、状況的には。 「コトバ」の意図的な改変がどんな結果を生むか、の一例である。
いや、ソープの話がしたいわけじゃなくて(第一、この話は大学時代の某友人のウケウリである)。 この「敬語」が「敬意表現」に変更されたのには、1987年に発表されたブラウンとレビンソンの「ポライトネス理論」(直訳すれば「丁寧理論」)が影響を与えている。 言語社会心理学者の宇佐美まゆみさんによれば、このポライトネス理論というのは、「相手を思いやり、配慮することによって、相手とよい関係を築き、保つための言語行動の『普遍原理』を示すもの」だそうな。 日本人は短絡的に「相手を思いやること」=「敬語を使うこと」と考えがちだが、もちろん、「思いやり」が「敬語」に限定できるものではない。だからこそ、審議会は「敬語」という表現を避けたわけだが、これがかえってポライトネス理論の「普遍性」をあいまいにしてしまっている、と宇佐美さんは主張するのである。 結局そこには「敬語」だろうと「敬意表現」だろうと、「敬意がなければ人を思いやることはできない」という強固な思いこみが残ったままだからだ。 当たり前の話だが、タメ口きいてたって、そこに思いやりが介在することはある。
ポライトネス理論の肝心なところは、「何をすれば相手を思いやったことになるのかは、それぞれの文化によって異なる。しかし、それらの言語行動を引き起こす動因は普遍的だ」という点にある、と宇佐美さんは説明する。 「ポライトネス」とか難しい言い方をするから、審議会のようなアタマのお弱い人たちにはなんのことだか解りにくくなっちゃってるのだなあ、こんな自明のことをわざわざコトバにするのはそれこそ気が引けちゃうのだが、要するに「かたちじゃないよ、心だよ」ってことではないかね。 「敬語」が日本語から消えるんじゃないか、とかバカなことを言ってるやつが多いが、そんなもん消えたって構わない、いや「敬意」そのものが消えたって、日常生活で困ることなんかなにもないってことに気づいてないのかねえ。 これまでにも日本語から消えた敬語は腐るほどある。 「たまふ」「奉る」「仕る」「奏す」「のたまふ」「まかる」「おはす」……。学校のオベンキョで習ったこれら古典の敬語、こんなんはこの千年の間に、きれいサッパリ日本語から消えた。 ……で、我々日本人は千年前より野蛮でみっともなくてくだんなくて下劣であほんだらになったのかね。 「敬語を若い世代に教えよう」というのは実は言葉を教えようとしているのではなくて、「このコトバを使うことによって、一定の人間関係を共有するシステムを伝授しよう」としているのである。結果的に、そこに心が通っているか通っていないかを判別することは極めて困難になってるのだが、その事実にすら審議会の連中は気付いていない。
そういうやつらには、徹底的に「敬意を尽くして」、バカ丁寧なコトバで応対してやるといいのだ。 「課長! おはようございます。今日のお召し物は一段と素晴らしくていらっしゃいますね。色と言い、デザインと言い、とても下賎のものでは考えつかない斬新さに満ちていらっしゃいます。お側に控えておりますだけで、自分の身が恥ずかしくなるほどでございます。どちらでオーダーされたのでございますか? え? レディーメイドでいらっしゃる。それはそれは、ご趣味のよい専門店をご存知でいらっしゃいますね。え? デパート? いや、今時のデパートもなかなか流行の最先端を追求しているものですね。数あるファッションの中でもそこまで我々下々の者には思いもつかぬハイソサエティなセンスの品をお選びになるとは、さすが、課長もお目が高い」 ……あなたの上司がとんでもない服を着てたときにこうやると、そいつは次の日から絶対その服は着てきません。保証します(やったことあるのか)。
いわゆる「慇懃無礼」というやつだが、言われた方は敬語を使われてるわけだから文句は言えないよな(^^)。
しげに買い物を頼む。 冷たいものがほしい、と頼んだら、ようやくアイスモナカとゼリーを買ってきてくれた。 まあ、嬉しいことは嬉しいんだが、頼んだ洗濯物はやっぱりテキトーな干し方で、全く乾かない。私が干しなおしたので、明日には乾いてくれるだろう。
炭疽菌騒ぎで、アメリカではもう9人の発症者が出ているとか。 死者ももう二人だそうだが、イスラム原理主義者の報復テロかどうかはまだ定かではない。便乗者の可能性も高かろう。 ニュースでは識者とか最近の専門家とかいうのが、「国が背景にいなければ作れるものではない」とか言ってるが、オウムがサリン作ってたときもおんなじこと言ってたぞ。 誰かをかばって、どこぞの国に責任を押しつけたくて、そんなデマ流してるのか? そりゃ、培養するのにある程度の施設は必要だろうが、ノウハウさえあれば、何も「国」ほどのバックがなくても大量に作れるからこそ、ばら撒いてるんだろうが。 テロ、と言うのは「誰にでもいつでも狙われる危険性がある」という恐怖に相手を落とし入れることが目的なのだから、そんな専門的な知識がないと作れんようなものは、利用価値がない。 で、その専門家、更に続けて「日本で作るのは不可能でしょうね」だと。 ……おい、この無知無教養なバカ、研究所から追放しろ。例の戦時中の731部隊の細菌研究施設で、炭疽菌はとうの昔に培養されとるわ。旧日本軍の研究成果は、様々な形で全世界に流出したとおぼしい。どこの国で、どの程度の規模の施設が炭疽菌を作り出してるかは、見当のつけようがない、というのが本当のところなのである。
CSファミリー劇場でなつかしの竜雷太主演『これが青春だ!』を放送しているのをしげと何となく見る。まだ2回目か3回目くらいらしく、話は新任の竜雷太の大岩先生が、落ちこぼれクラスを持たされるようになるまで。 今見返すとむちゃくちゃ豪華キャストだなあ。大岩先生に理解のある校長が西村晃で、腰巾着の教頭が藤木悠、反校長の理事長が山茶花究。女生徒の中には岡田可愛に柏木由紀子がいるがね。……柏木由紀子がセーラー服着てた時期もあるんだよなあ、当たり前だけど。 PTAのおばさん連が菅井きん、賀原夏子、南美江ってのは濃い濃い。三遊亭金馬や名古屋章が劣等生の親父たちってのはもうハマリ役ではないか。 テーマソングをしっかり覚えてるってことは見てたはずなんだが、ストーリーなんてケロッと忘れてるがな。でも、大岩先生が「寝たいやつは寝ていいぞ!」と言って、自分も眠り込んでしまい、生徒にボイコットされるってシーン、記憶があるなあ。それとも似たような話が他の学園ドラマにもあったのかなあ。
それはともかく、モノクロ時代のドラマだから、どうしても風俗が古色蒼然としている。 校舎なんか全部木造だ。 「うわあ、木造校舎だ」と言ったら、しげが「え? アンタの子供のころって、全部木造じゃなかったの?」と驚かれる。 「何言ってんだよ、小学校も中学校も鉄筋コンクリートだよ。博多の都会なんだから」 「博多が都会?」 「そうだよ、広島のど田舎とは違うんだから」 「ははーん。博多に言われたかないね」 「広島のどこが博多より勝ってるってんだよ。カープとお好み焼きと○○ド○○しかねーじゃねーか。しかもお好み焼きなんて甘ったるいソースぶっ掛けただけのシロモノだし」 「じゃあ、博多にうまいもんあるのかよ。トンコツラーメン?」 「ありゃ博多の食いもんじゃねーよ」 「ホラ見てん、何もないじゃん」 「おきゅうと食え! おきゅうと!」 広島妻対博多夫のいつもの不毛な口ゲンカであった。
マンガ、武村勇治(取材・原案協力/石井信)『風娘(かぜっこ) 高橋尚子世界記録への挑戦』(小学館・620円)。 別に高橋尚子のファンってわけじゃないが、実録マンガの陥りやすい事実の誇張は比較的少ないような印象……というより、どうしてこれ買ったかっていうと、この手のマンガにはありがちな「最初の意図と違った展開になった」って結果にならなかった珍しい例だからなんだね。 つまり、「世界一の○○を目指す少女」とかいうのを“同時進行”で追いかけるドキュメンタリーってよくあるけど、世の中そううまく行くもんじゃない、プレッシャーに負けたりして、「がんばったけどダメでした」で、なんともあと味の悪いオチをつける場合が多いのだ。それまで、「この子はきっと世界の頂点を極める!」なんてぶち上げてたのがへなへなへなと萎んじゃうのね。 映画で倉本聰の『時計』ってのがあったけど、あれなんか悲惨なもので、主演の中島朋子にプロスケーター目指させたけど、ダメだったんで挫折の映画にしてしまっていた。かと言って観客はそんなんに感動はできんがね。 あと、随分昔『風吹ジュン物語』ってマンガがあったが、あれなんか掲載された直後に本人のスキャンダルがバレて、マンガの中で「清純派」と書かれてたのが空々しくなっちゃったことがある。 ことほどさように、実録モノってのはドラマにしにくいのだ。というか、殆どの実録モノが数年経つとヘタレてしまう。 ……しかし、高橋尚子はやっちゃったのだよ。 ご承知の通り、ベルリンマラソンで本当に世界記録を塗り替えてしまった。 つまりこのマンガ、“たとえフィクションが混じっていたとしても”結果的に、本当に実録として認められるマンガになっちゃったのである。 マンガだから主役の尚子、実物よりもかわいく描いてあるんだが、そういうカリカチュアも含めて。 ベルリンマラソンで一人取り残される夢を見る、なんて、いかにもツクリっぽいんだけどなあ。もしかしたら、このマンガ、史上初めての「色褪せない実録漫画」になっちゃうかもしれないのである。
マンガ、紫式部原作・江川達也漫画『源氏物語』第壱巻「桐壷」(集英社・980円)。 意外なことに、これまでの『源氏』マンガ化の中では、圧倒的に原作に「忠実」である。とゆーか、これまでのマンガが大和和紀も長谷川法世もヘタレとしか言いようがなかった出来だったんだが。 あとがき対談で大塚ひかりとも話しているが、これまでのマンガだけでなく、数々の訳本、谷崎も与謝野も円地も、当時の風俗・文化で、「紫式部が、当時としてはあまりに常識的なことなので、あえて書く必要がなかった」ことについては一切触れられていないのである(ちょっと注をつける程度)。 それがまあ、エッチやシモの方面に傾いてはいるものの、帝の寵愛を受けることがまさしく当時の女にとっては「天上の喜び」であったことや、清涼殿での営みが、他の女御・更衣たちに筒抜けであったろうこともちゃんと明記してある。 ……学校の教師って、こんなことは教えないもんなあ。もっとも、原作に忠実過ぎるあまり、くどいとこまでしっかり訳してしまっていて、現代の我々にとってはどうにも感興を殺ぐ描写まで延々と描いてしまっている。 もひとつ言えば、当時の女性の衣装の構造から判断して、男女の交合は既に正常位が主体であったと思われる(十二単は着物としてだけでなく簡易ベッドとしても機能していた。当然前開きで、そのまま後ろに倒れるのである)。 だから源氏と葵上のSEXを、葵上の騎乗位で描いたり、ましてやフェラチオまでさせてしまうのは考証的にどんなもんだろう。男女の道を葵上がリードして源氏に教えたという考証は多分正しいが、これはやり過ぎというものだ。この手のマンガについて言えば、一つウソが混じると、ほかのところまでデタラメに思われかねないものなのである。考証は慎重に行わなければならない。
げれどやっぱり江川さんて「教師」だったんだなあ。これ、本気で読者に「真の古典」を教えなければ、という使命感に燃えて描かれているのである。その押しつけがましさを「トンデモ」と捉えることができれば、この『源氏』、滅法面白い。少なくとも橋本治の『桃尻語訳 枕草子』以来の“マットウな”古典の現代語訳であることは明記しておいていいと思う。
2000年10月22日(日) 時代劇なのにカップルが多いとは珍しい/映画『五条霊戦記』ほか
| 2001年10月21日(日) |
もう6年/『背後霊24時!』3巻(がぁさん)ほか |
オタアミ当日まであと34日! 34日しかないのだ!
風邪、最悪の状態。 二、三日前、熱が高かったときがピークだと思ってたんだがなあ。朝目覚めたらもう、熱はないのに眩暈はするわ、吐き気はするわで、立ってられなくなっちまった。 体が重くてたまらないので、風呂にカラダを投げこんで、おええ、げほがほ、げろげろ、ううっぷ、ぶふぁああ、げげ、ぼふぁ、ぐぅぅ、と、咳と吐瀉とをいつまでも交互に繰り返し、際限がない。 排水溝に昨日食ったエノキダケのテンプラが消化されないまま流れて行くのを見てると、なんだか私の人生もこんなエノキみたいな人生だったよなあ(どんな人生だ)、となぜか走馬灯が目の前をよぎる。 気がついたら熱もぶり返し。 こんなことなら、昨日、熱冷ましの薬も貰っとくのだった。 きついよう、苦しいよう、助けてよう。 もちろん、しげはグーグー朝から高イビキである。
本当は、今日は朝早くから父のマンションで母の七回忌の準備をする予定だったのだ。しかし、この体調では、到底カラダが持たない。 仕方なく父に電話する。 「ごめん、法事だけ出たらすぐ帰るから」 しげは8時を過ぎてもまだ寝ている。 せめてしげ一人だけでも父の手伝いに行ってくれりゃいいんだが、根っから鬼畜で外道なやつなので、そんなことを期待するのはムリな話だ。 ギリギリまで横になって、薬を飲んで、タクシーを呼ぶ。 しげを叩き起こして、5分で着替えさせる。着慣れないスーツなんぞを着て、化粧なんかしているので、しげ自身、どうも落ちつかない様子であるが、私なんか全くの普段着である。 儀式的なことって、本気でキライなのだ。
渋滞に引っかかることもなく、タクシーは9時45分に父のマンションに到着。 でも、坊さんはもう来ていて読経を始めていた。 本当は、10時からの予定だったのだ。実際、親戚でまだ来ていないものが何人かいる。けれど、父はせっかちなので、客が来るまで待つということをしないのである。……それも相当失礼だと思うんだがなあ。先日の電話でも「俺は俺のやりたいようにやる」と言ってたが、法事はそういうもんではないのではないか。まあ、周囲の雑音を気にしない親父らしくって、そういうの、イヤではないけど。 父、おじやおばたち、姉や兄など、来ているのは十人ほど。ともかくやたらと知り合いの多かった母の葬式には、百人からの弔問客があったが、七回忌ともなれば集まってくるのは身内のものだけなので、せいぜいこの程度だろう。 母も淋しいかもしれんが、人間なんて死ねばそれまでってことだ。
足を悪くしている父は、一人外れて椅子に座っている。喪主が仏壇の前にいないのだから儀式的にはシマリのない話であるが、儀式なんて下らないと思ってる私には別に含むところは全くない。 でも、よく見ると、まん前の座布団だけが主のないままポツンと空いている。 あちゃ、あれ、私の席か(・・;)。 おばから目線で「ど真ん中に座れ」と合図されるが、この気分が悪いってのにそんな線香の匂いがマトモに当たるような、しかもどこにも逃げることが出来ないようなところに座れるものか。 おばの誘いを無視してワキに座る。しげは末席に座った。 ケムリから離れていても、焼香の時にはいやでも香の側に行かねばならない。なんだかなあ、死んでも私を苦しめるかお袋。
葬式のときに私が選んだ写真があまりいいものではなかったので、遺影の中の母はちょっと疲れたような、泣きかけてるような顔をしている。 死ぬまで仕事のし過ぎだったからなあ。あれだけ働いてた人間がポックリ逝くなんて、当時はみんな信じられないと言っていた。 そうだよなあ、予感してたのは私くらいのものだった。 父にそう言っても無視されたけど、そんなこと父は記憶の彼方に消し去ってんだろうな。父はもしかしたら、未だに母の死を認めたくないのかも知れない。 母もまた、祖母が死んだ時、「まだばあちゃんがその辺にいるような気がしてね」と言っていたが、母は祖母の遺骨も拾おうとしなかったから、そんな風に感じるのは人間のサガかもしれない。 私も母の写真を見ながら、母が死んだということがリアルに認識できない自分がそこにいることを発見してしまう。今でも母がひょっこりと店に顔を出してきそうに錯覚することがあるのだ。 夢の中で母に会ったあとなど、目覚めると、現実の方が非現実的に感じてしまったりする。 結構、傷ついているのかな、私は。 だからと言って私は妄想に逃げることはしないが、死後の世界を信じたがるヒトを一概に笑い飛ばせないのは、ヒトから感傷は切り離せないという事実に起因していることなのだろう。 うん、何か話をするわけじゃないけど、もう一度会えるなら会いたいな、お袋に。
たいがい吐き気で胃液が逆流しかかってるってのに、何となく、坊さんがいつもより念入りに読経してくれてる気がするなあ。 焼香の匂いで気分はどんどん悪くなる。咳を周囲を憚ることなく連発していたら、姉が見かねてお茶をくれた。でも喉を湿したからといって、病気が治まるものでもない。 結局、30分ほどしか時間は経っていなかったのだが、半日分のエネルギーを消耗したような気になる。 みんなはそのあと温泉に繰り出すようだが、とてもそこまで付き合う元気はない。しげだけ残して、一足先に帰ることにしてタクシーを呼ぶ。 親戚づきあいが苦手なしげであるが、温泉なら少しは楽しめるであろう。
諍いがあって縁を切っていた親戚も、久しぶりに顔を出している。帰りしなに少しだけ会話。 「最近ウチの息子が不登校でね」 などと言うので、 「それがフツーですよ。学校にマジメに行こうってヤツの方が狂ってるんです」などと話す。こうして喋ってると、諍いがあったこと自体ウソのようだ。
帰宅して、『加藤夏季のファミナビ』11月号をチラッと見る。 来月は時代劇特集ということだが、テレビスペシャルばかりで往年の名優のものは一本もない。『太陽にほえろ!』ジーパン編も今更だし、来月はこれといった目玉がない感じだ。 最近、加藤夏季は殺陣を習ってるそうで、型を披露していたが、何か時代ものに出る予定でもあるのだろうか。プレゼントコーナーで『陰陽師』の宣伝もしていたので、パート2が制作されるなら、ホントに出演することがあるかもしれない。 つかれているので、そのまま横になって夕方まで寝る。
夕方、しげ、温泉から帰ってくる。 「露天風呂で面白かったよ! アンタも来ればよかったのに」 だから具合が悪くて行けないって言ってるのに。 「親戚の人と一緒は楽しくないけど」 それは私も同じだ。 するってえと、肝心な時に体調崩したのは、もしかしてお袋の親切か?
しげ、帰って来るなり、また電話でやりとりして遊びに出かける。 なんか穂稀嬢たちと打ち合わせもあるようだが、こっちの具合が悪いのをよくぞここまで無視してくれるものだ。そのおかげで結局私は自分で動いてどんどんカラダを壊していってるのだ。 せめて飯くらい作ってってくれと頼むが、聞いちゃいない。私が買ってきたインスタントナベを火にかけてくれるよう頼むが、それも途中でホッポリだして出て行ってしまった。 「何か飲み物くらい買って来てくれえ」 泣いて頼んだがこれも無視された。 ……結局、具合の悪いのを押して買い物に行く。咳はますます酷くなる。 今度しげが具合が悪くなることがあっても絶対看病なんかしてやらないからみてろ、クソ(と言いつつ毎回面倒見てやってんだよな、私は)。
アニメ『サイボーグ009』第2話『脱出』。 オープニングは第1話の使いまわしが殆ど、本編はところどころ動いてはいるものの、第1話のクォリティの半分のレベルにも達していない。 制作が間に合っていないっての、ホントだったんだなあ。 あの『エヴァ』ですらヘタレ始めたのは中盤以降だったってのに、これは尋常な事態ではない。果たして1年、続くのだろうか。
アニメ『ワンピース』、ついに登場、トニートニー・チョッパー。 声はなんとピカチュウの大谷育江さんだ。しかも変身後まで。 てっきり男声を想像していたのだが、この選択は結構ウマイのではないか。 ウソップもそうだが、グループにはコメディリリーフの役を担う人物がどうしても必要になる。けれど、そういう人物は得てしてドラマ展開上、ドジを踏んだりして「足手まとい」になりかねない。 そうなると、受け手はそのコメディ演技に笑ってばかりもいられなくなるのだ。まして、アニメのウソップの声は山口勝平。……こりゃ、憎んでくれと言わんばかりのキャスティングじゃないの。 原作の方でも、ウソップの扱いに作者が苦労しているのがはっきり見て取れる。チョッパーはそのウソップと組むことが多いのだから、二重の足手まといになっちゃ困るのだ。 大谷さんの声は、山口勝平とのコントラストがよく出ていて、出色。気になるのは高音部の声の裏返り方がどうも林原めぐみっぽいところなんだけど、それが今の若手声優たちのスタンダードになりつつあるのだろうか。 あ、ジャンプアニメなら当然の出番、Dr.くれは(ドクトリーヌ)は、野沢雅子さん。いや、ハマってます。……花の130代って、これは野沢さんへの皮肉なんだろうか(^_^;)。
新番組『笑う犬の楽園』。 間の取り方が致命的に悪い(ウンナンの番組だけどダウンタウンの悪影響が顕著)欠点はあるものの、コントをともかく中心に、という姿勢は好ましい。 ただ、やはりネリが足りないんだよなあ。 特別警戒中のラブホテル、男女がシケこもうとするのだが、受付は「ご夫婦ですか? 身元がハッキリしないとお泊めできません」と、つれない態度。 男が「結婚なんてまだ……」なんて言い出すものだから、女のほうからも「結婚する気ないの?」と突っ込まれる始末。最後には男が先月浮気してたことまでバレて、結局二人はその場で喧嘩別れ。 ……うーん、設定は面白いんだが、もう一つ二つ、畳かけるようなギャグがあってもよかったんじゃないかなあ。浮気してたんだったら、その証拠ビデオが盗撮されてたとか。それともそういうギャグは過激過ぎてダメなのかなあ。
短いギャグだけど、次のやつが結構気に入った。
タトゥー屋に飛び込んできた男、いきなり服を脱いでハラを見せて、 「ピョン吉彫って!」 「しゃべらないよ」
福岡競艇のCMがまた変わった。 竹中直人が毎回出演して、シリアスからギャグまで、ほのぼのからナンセンスまでと幅広いアイデアで(多分竹中自身もアイデア協力してると思われる)面白がらせてくれてるこのシリーズ、ここしばらくは「居酒屋編」で、竹中が主人に扮しているものが続いている。 ラジオを聞きながら2−4にするか2−6にするか迷ってる竹中、カウンターのちょっとセクシーな美人に尋ねる。 「高校2年生の時、何組でした?」 「……B組」 竹中、絶句。 と、今回はちょっとドジ編でした。
マンガ、がぁさん『背後霊24時!』3巻(完結/秋田書店・540円)。 ううむ、3巻でいきなりライバル登場でしかもあっという間に完結ってのは構成としてはちょっと破綻してる気はするが、まあ、その分エッチシーンは増えてるし、まあいっか。 いきなり天国の門が開かれ、みちよちゃんの背後霊でいられなくなったまさる君。奈緒ちゃんが心配で今度は浮遊霊になって戻ってきたけれど、これで天国行きはご破算、小板橋さんとみちよちゃんの仲を妨害するさくらちゃんとその背後霊の姫君に対抗する力は全くない。果たしてみんな幸せになれるのかっ!? って、がぁさんのマンガの結末がハッピーエンドにならないワケないんだけど。予想通りと言えば予想通りだけれど、いかにもがぁさんらしくていのだ。 がぁさんのマンガって、エロマンガなんだけれど、SEX=純愛って図式を絶対に崩してない。「エロにテーマはいらない、エロはエロでいいのだ」というのは一面の真実ではあるが、そう言いきるのも作品世界を狭めるだけだ(だから矢野健太郎のエロはエロに徹してもホラーにしてもつまらない)。 エッチはあっても安心感があるってのは、絵柄の柔らかさだけでなく、物語が決してアンハッピーエンドにはならないだろうという期待にあるのではないか。SEXはがあさんのマンガでは「努力の道」でもあり「健気さ」のシンボルでもあるのだ。 なんだか、みんなで頑張ってSEXしようぜ! と謳いあげたくなっちゃうのである。
マンガ、浦沢直樹『モンスター』17巻(小学館・530円)。 完結まであと1巻。 ラストがマインドコントロールによる殺戮とは、これはちょっとした恐怖だ。ヨハンの秘密もほぼ語り終え、フランツ・ボナパルタもその姿を現し、否が応にも盛りあがる。 けれど、このネタって、ある意味ミステリーのタブーではあるんだよなあ。……だって、リアリティを持たせれば持たせるほど、現実に模倣犯が生まれる危険があるから。 ちょっとしたささやき一つで、人を簡単に殺せるなら、殺してみたい、そう思ってるやつにネタを与えちゃうのはねえ。 でも、それくらいのものでないと、物語がうまく締まらんし、さて、どうオチをつけるんだろうか。
マンガ、夏目義徳『トガリ』5巻(小学館・410円)。 前巻で大量の「咎」をばら撒いた瀬奈に呼応して、集合した「イクス』の面々。敵の組織が5巻を過ぎて登場というのもペースとしては遅い気がするが、ということは長期連載を想定しているということか。 まあ、108つの「咎」を集めるってところからして、大風呂敷広げちゃってるわけだけど、それに見合うだけのドラマ性は持ってると思うんである。サンデー本誌では人気が微妙にあるようなないようなって感じだけれど、ともかく5巻まで来たのだ。見返しで作者が弱音吐いてるのが気になるけど頑張って連載を続けてほしいものである。
2000年10月21日(土) 仔牛のテールは美味かった。♪ドナドナ/『火星人刑事』4巻(安永航一郎)
| 2001年10月20日(土) |
泣くなしげっちゅ/『眠狂四郎』1巻(柴田錬三郎・柳川喜弘)ほか |
オタアミ当日まであと35日! 35日しかないのだ!
ようやく土曜日、仕事をさっさと片付けて病院に行く。 熱は一晩寝たおかげで引いた。 「注射はいいですね」と言われたので薬だけもらう。 ついでに糖尿病食のレトルトパックを買いこむ。これ、いちいち計りメシしなくていいのだけれど、一食が1000円とバカ高い。半額なら、1ヶ月分買っても3万円、料理の手間が全くなくなって助かるのだが。
帰宅すると、しげがいない。 しかも玄関に鍵が掛かっている。 そういや今日はしげは自動車学校の卒検だったんだなあ。って、まだ鍵なくしたまま見つけてないんだぞ!? これじゃ部屋に入れないじゃないの!? 慌てて携帯でしげに連絡を入れる。 「オイ、玄関に鍵掛かってるじゃないかよ!」 「あ、鍵持ってないん?」 「持ってないって言ったろ!」 もともと鍵をどこかに置き忘れた私が悪いのではあるけれど、私が鍵を持ってないことをキレイサッパリ忘れたしげも、思いやりのカケラすらない。 「でも、3時くらいまで帰れないよ?」 「……じゃあ、天神回って買い物してくるから、博多駅あたりで待ち合わせしよう」 本当は具合が悪いままなので、さっさと寝ていたかったのだが、家に入れないのでは居場所がない。そのまま、レトルトパックの袋を抱えたまま、バスと地下鉄を乗り継いで天神に向かう。
いつものごとく、天神ベスト電器「LIMB」でDVDを買いこむ。 ついでに、「オタクアミーゴス」の公演チラシ、置いてくれるかどうか、売り子さんに尋ねてみる。 「あの、アニメコーナーに、チラシを置いて頂けますか?」 「あ、はい。わかりました」 「……あの、現物見なくていいんですか?」 「あ、そうですね」 「……これなんですけど」 「じゃあ、お預かりします」 「……あの、店長さんとかに許可いただかなくていいんですか?」 「あ、そうですね」 と、店員さん、どこぞに電話するが、つながらない様子。 「ま、いいんじゃないですか。お預かりしますよ」 「は、はあ、そうですか、ありがとうございました」 なんだかえらくアバウトである。でも置いてもらえるというのをいい、と遠慮するのもヘンなので、20枚ほどお渡しする。 まあ、毎月の面識のある方々だし、月々ン万円は落としていく客であるし、私の本職も知ってるしで、信用があるのであろう。実際、信用だけはとりあえずある職種なのである。 さて、チラシの効果がこの「LIMB」でどの程度上がるか、実はよく分らない。 確かにここのアニメコーナーは福岡の店の中では充実している方だ(っつーか、他がシャバ過ぎ)。「アニマップ」なきあと、いかにも濃そうなオタクな方々が寄ってる様子はある。『大巨獣ガッパ』ボックスや『宇宙大怪獣ギララ』ボックスまでよく売れてたみたいだし。 でも、それだけのオタクなら、福家書店にもきっと寄ってる人ばっかりなのに違いないんだよな。 どっちかと言うと、ここの店員さんに来てもらいたいくらいなんだが、どうせオタアミ当日は連休中だし、仕事だろう。けどもう、他にオタアミに興味持ちそうなオタクが寄りそうなところって、各種マンガ喫茶やインターネットカフェくらいしか思いつかないしなあ。でもそういうところって、チラシ置かせてくれなさそうな気配が濃厚。 残り1ヶ月を切ろうかという時点では、これが私にはもう精一杯である。 ……ああ、本職のコネ使えたら、あいつもこいつも呼べるのになあ。 福家書店で新刊を買いこむ。 ここもオタアミのチラシ、しこたま置いているのだが、なんだか枚数置き過ぎてるせいもあるのか、減ってる気配がまるでない。 しかも、置き方がまずいのか、へにょっとしおれて、何のチラシかも解らない。一所懸命立ててみたが、やっぱりへにゃっとなる。 ……なんだか縁起が悪いぞ。置き場所変えた方がよかないかなあ。
天神から博多駅に向かおうってところでもしげから電話。 声の調子がえらく暗い。 「……ごめん、ちょっと帰りが遅れる。いったん、ウチに帰って鍵、開けとくからすぐ帰っていいよ」 ……試験落ちたな、こりゃ。 こうバレバレだと何も言う気になれん。
博多駅のダイソーで数珠を二人分買う。 明日の母の七回忌用のだが、こういう百円ショップじゃ、アクセサリー用の短いのしか置いてない。かと言って専門店で何千円もする高いの買う気は毛頭ないので、やっばりそれを買う。 ウチに帰りつくと、しげも間もなく帰ってくる。 「落ちたよ〜、信号一つ見落とした〜。隣の人なんか人道に乗り上げても合格したのに〜」 「再試験、あるんだろ?」 「ウン、火曜日」 「ならよかったじゃんか」 「なんで?」 「もう一回、実際にクルマに乗る前に練習ができるんだから」 そう言ってやってもしげはまだ不満そうな顔だ。プラス思考ができない女なのだなあ。
父から電話。 明日のために散髪しておかないか、と誘われたが、風邪で外に出かけたくないと返事。ホントは今日のうちに果物を買って行く予定だったのだが、ヘタに外を出歩いてしまったので、体調が本気で優れない。それも含めて、明日のこまごま、結局父に頼む。 ダルいカラダをおして、劇団ホームページのリレー小説、自分の回を書く。今日がシメキリだから、日延べってわけにはいかないのだ。 集中力が切れそうになるのをなんとか持ち直させながら書き綴っていくので、いつもの半分くらいのペースでしか書けない。なんだか、受験勉強でもしてる気分になる。前の設定を読み返してみても、なかなか頭に入ってこない、ともかく書いて行くのが精一杯で、文章の手直しも何もあったもんじゃない。 イライラが溜まって怒鳴りたくなるのを、かろうじて抑えている。 なのにその間、しげはいつまでも「ちぇっ」とか「あ〜あ」とか、ブツブツブツブツうるさい。またしげの「かまってほしい」病だ。 ワザと私が書くのジャマしてるのがミエミエ。 ええい、未練がましい、鬱陶しい。それでも男か。女だけど。 「いい加減にしとけ!」と怒ったら黙って部屋にすっこんでしまった。どうせ何か家事をするでもなし、引きこもっててもらってた方がずっとありがたい。 あ〜もう、勝手に泣いてろ(-_-;)。
ゼロゼロナンバー・プロジェクト編『サイボーグ009コンプリートブック』(メディアファクトリー・1785円)。 原作・アニメ全ての情報を完全網羅、と謳ってるのに、肝心の今回のアニメ化についての情報が全くない。 ワザと隠してるんだったら、帯に「3度目のアニメ化!」なんて書いてあるのもヘンだし、第一、それじゃ宣伝になるまい。この本を編集してる段階で情報自体がなかったと考えるのが妥当かも。 それにしても、やっぱり原作『移民編』の改変については、一切触れないままだ。改変にやましいところがないなら、明記するに吝かではないはずなのに、こういう「事情」自体を書こうとしないというのは、ただの「ことなかれ」でしかない。 『移民編』は改変前の「ミュータント」の設定の方が絶対に完成度が高い。アニメ版も恐らくは改訂後の設定でやるんだろうけど、だったら無理してアニメにする必要ないと思うのだが。 石森さんのご子息の小野寺丈氏による『神々との戦い編』小説版、2002年には出版、と言ってるが、また、延びたりしないだろうなあ。ここまで来たら、駄作でもいいから読んでみたいんだが。ともかく、私が死ぬまでにはどうか出版されますように。
マンガ、柴田錬三郎原作・柳川喜弘作画『眠狂四郎』1巻(新潮社・530円)。 眠狂四郎のキャラクターデザインは、腰まで届くほどの長髪が原作のイメージとかけ離れている(と言うより時代劇らしさが全くない)のだが、筋運びは原作に実に忠実である。美保代が犯されるシーン、ちゃんとあるし。 原作を読んでいる人にはご承知の通り、この作品の要は、何かとうまいこと言って狂四郎を乗せて操ってしまう武部仙十郎にあるので、こいつがただのヒネタ爺さん程度のキャラにしか描かれてないのはちょっと残念。映画シリーズはたいていこの武部の爺さんがすっ飛ばされてることが多いので(それに近い役を『眠狂四郎勝負』では加藤嘉が演じてはいたが)、実は極めつけといわれる市川雷蔵の狂四郎シリーズ、私はそれほど高く評価してはいないのである。 それに比べると、まだこの爺さんが出てる分だけ、マンガ版の狂四郎シリーズはちょっと期待したい。でも、全シリーズマンガ化はムズカシイだろうなあ。第一シリーズの『無頼控』をマンガにするだけで2、30巻はかかるだろうし。
マンガ、雷句誠『金色のガッシュ』3巻(小学館・410円)。 シリアスとギャグの混ぜ合わせがなかなか楽しくなってきたが、なんかギャグのヘタレ具合がなんとも気に入ってしまっている。 魔物たちがどうして日本にばかり現れるか、「一番勝てそうなやつと最初に戦いたい」という設定は意外と整合性があってウマイ。これなら、敵の魔物が弱くても不自然じゃないし。 ……いやね、実際、「なんでこんな弱い敵ばかり」って思うくらい、ヘタレたヤツが次々挑戦してきやがるのよ、これが。中でも、変身能力しかないペリカンみたいな魔物キャンチョメと、ナルシストのイタリア俳優、フォルゴレのコンビは最高だ。「(自分が)弱くなる呪文」を駆使するあたり、もー、オイちゃん情けなくて涙が出るよ(T∇T)。 こういうコメディリリーフは簡単に殺しちゃいけないのは鉄則。ちゃんと生き残った以上は、クライマックスでの再登場を期待したい。
マンガ、石ノ森章太郎『気ンなるやつら』(双葉文庫・600円)。 今はなき雑誌『平凡』に、1965年から1968年まで連載された、短目のラブコメディー。 六ベエとマリッペ(この「ペ」って愛称が時代ですな)のケンカしたり照れたりの他愛ない恋愛模様を描いた作品なんだけど、こんな作品にまで随所に石ノ森さんが「実験」を試みてることに驚く。 サイレントかつ縦長俯瞰のコマだけで構成した『雨の中のふたり』など、もとネタが『シェルブールの雨傘』だってことはすぐ分るけど、その換骨奪胎の技が絶妙にウマイ。 『スペース・オペラ!?』の巻なんか、ハッキリ『サイボーグ009/超銀河伝説』の基本プロットになってるもんなあ。 毎回ヒロインのマリッペが、表紙絵でお色直ししてくれてるのも嬉しいのであった。
2000年10月20日(金) カシューナッツと水木の世界とパーティと/『大熱血』(島本和彦)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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