無責任賛歌
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| 2001年10月09日(火) |
探偵小説ネタ多し。ついて来れる方、求む/『死神探偵と憂鬱温泉』(斎藤岬)ほか |
オタアミ当日まであと46日! 46日しかないのだ!
少しずつだけれど、この日記への毎日のアクセス数が増えてきている。 けれど『オタクアミーゴス』チケットの購入申し込みはまだない。 頑張って頑張って、「オタアミ」の宣伝してるつもりなんだけどなあ。いや、別に私のところからチケットを買わなくても、福家書店やエロさんところで買ってくださってかまわないのである。 あの、ただのお笑いなトークショーなんかとは質が違いますよ。オタクじゃないと意味が解らないなんてことはありません。過激で毒があってブラックなギャグが好きな方なら確実に笑えます。 なんたって、こないだのきらら博じゃあ、起きたばっかりのあの事件をもうネタにしてたんだから。
夕べからの雨が今日は酷い土砂降り。 今週末には第三舞台の休眠公演があるというのに、タクシー代がまたかかっちゃうじゃないの。 職場には山越えで通勤しているのだけれど、こっちの山にはダムがあるわけでもなし、雨は降るだけ無駄なのだ。 もっと南の方で降ってくれないかなあ。
『キネマ旬報』10月下旬号。 巻頭特集は『GO!』だったり『たーん』だったり『ショコキ!』だったり。 「ショコキ」って何のことかと思ったら「昇降機」、つまりエレベーターのことだったのだね。ジョビジョバ、やっぱり言語センスがヘンだ。そこが客の好き嫌いが分かれるところじゃないかな。
東京国際映画祭のラインナップ、コンペ部門に、『羊のうた』『化粧師 ―KEWAISHI』と、二本もコミック原作のものが並んでいる。 つーか、この二本が日本映画の代表。審査委員長のノーマン・ジュイソン、別に原作がマンガだってことに拘りゃしないだろうから(知りもしなかろうが)、 ドラマ性だけに注目した評価をしてくれるんじゃないかな。 もちろん、私はジュイソン監督が加藤夏季の美しさに打たれて、『羊のうた』がグランプリを取るものと信じて疑わぬものである。
あっ、『砂の器』や『事件』のサントラが出てたのか。これは探して買わねば。けれど、今まで出してた『鬼畜』や『八つ墓村』なんかもカバージャケットを統一して再発売。その辺のは既に買ってあるのだけれど、シリーズでカバーが統一されてないってのも迷惑な話だよなあ。もう一度買いなおせっちゅーのか。
少しだけ残業、おかげで今日も『オコジョさん』を見損なう。 7時半から『FF:U ファイナルファンタジー:アンリミテッド』第2話「黒き風の男」。 「ファイナルファンタジー」全く門外漢の私が2回目もアニメを見ているので、しげが驚く。 RPG嫌いで、ゲームのほうは今まで一度もやったことがないのだが、正直な話、チラチラ画面を見るかぎりでは、どうしてそんなに人気があるのか見当もつかないのである。 映画見たときも、なんだあのジェニファー・コネリーと原田知世を足して2で割ったようなヒロインは、とか思っちゃったし。CGで架空のキャラ作るんなら何でもっと「萌え」るようなキャラにしないのか。CGの使い方を知らないな、とか思っちゃったのである。 「映像じゃなくてゲームのシステム自体が受けてるんだよ」としげは説明するが、やってみなければ判らないゲーム自体より、まず映像イメージのほうが客の目につくものなのではないのだろうか。 アニメのほうはどうやら『FF』っぽくないようだが、キャラクターはいくつかゲームと共通しているらしい。 悪役が生意気なチビガキってのは『サイバーシックス』を思い出すなあ。もう一つ高次元の悪の親玉がいて、結局ガキンチョは道具に使われてただけだ、という話になると思う人。……はーい。ヽ(^。^)丿 来週も続けて録画するかどうかは迷っているが、チョコボの声が矢島晶子さんなので、今、迷ってるとこなのである。
しげ、今日は仕事がないので、「ゆっくり一緒にいられるね!」とか言ってやがったが、夜8時にもならぬうちにグーと寝入ってしまった。 寝る前に作ってやったカレーの肉がヘン、とか言ってたから、狂牛病に当たっちゃったのかも知れない(^_^;)。
西南大学に「アナタノガッコ、キリスト教、教エテマスネ。90分後ニ爆弾シカケマス」とイタズラ電話があったとか。 カタコトの日本語、ということだが、このコトバの壊れ方が実にウマイ。 「爆弾を仕掛けました。90分後に爆発します」じゃなくて、「90分後にしかけます」だもんなあ。 捕まっちゃうって、それじゃあ。\(^▽^@)ノ 恐らく犯人は本当に日本語に不自由している外人さんなのであろう。たとえ日本人であっても外人であるに違いない。
マンガ、斎藤岬『死神探偵と憂鬱温泉』(ソニーマガジンズ・546円)。 ミステリマンガ専門の『Bstreet』連載の初単行本化。本格ミステリを描くのは初めて、というわりにはそう悪い出来ではない。 だいたい、「どこかに旅行するたびになぜか殺人事件に巻き込まれるおかげで『死神探偵』と仇名がついた」って主人公、鹿神孝(ししがみこう)の設定自体、人を食ってて面白い(「何で俺ばっかりこんな目に」って、そりゃ作者がサドだからだろう)。 まずはこの「死神探偵」の称号、浅見光彦に捧げるべきではないかと思うがどうか(^^)。 お堅いミステリファンなら(あるいは浅見さんや金田一さんの熱狂的なファンなら)激怒しちゃうかもしれないけれど、こういうパロディックな設定、私は全然キライじゃない。 少なくとも、これは「探偵が事件に巻き込まれるのは『運命』であって、事件に関与しているわけではありませんよ」という読者への記号として機能しているのだ。けだし、作者はフェアプレーの精神の持ち主というべきではないか。 開巻10ページほどでもう、温泉旅館で首吊り死体の発見、ドラマのテンポは実にいい。トリックはたいしたことはないが、目くじらを立てるほどでもない。 難を言えば、現地の警官がミステリの定番で全くの無能、小学生でも気がつくような自殺体と他殺体の違いを見逃すというミスがあるが(それに、自殺体だって不審死は全て解剖に回されるのだから、自殺に見せかけた他殺だってことくらい、すぐにバレる)、それは短編なので余りワキのキャラにまで気を回せなかったのだろう。
マンガ、細野不二彦『ギャラリーフェイク』23巻(小学館・530円)。 23巻も続いた(しかも不定期連載)ということは、もう7、8年にはなるはずだ。ということはフジタもサラも結構なトシになってるんじゃないかと思うが、一向に二人の仲は進展しない。その辺、まだまだ少年マンガの尻尾を引きずってるよなあ、細野さん。 別にサラとフジタが深い仲になっても、マンガは続けていけると思うんだけどねえ。
今巻では「アイボ」をネタにした猫型ロボット「タマエモン」(ちょっとこのネーミングはどうかと思うぞ)をフジタが「フェイク」と否定するあたりが逆説的で面白い。贋作を扱っているくせに矛盾しているんじゃないか、という批判もあろうが、フジタのポリシーは、贋作でも真作以上の「美」がそこにあるのなら、それは真作と同じものである、という点にあるのだ。 伊丹万作の『国士無双』なわけだね、つまりは(譬えが古いか)。 私も、アイボをほしがる人間の心理っちゅーのがよく解らんので(同じく、『ファイナルファンタジー』もよく解らない。CGキャラでブス作ってどうするんだ)、フジタ……っつーか細野さんの意見には全面的に賛成。 マンションじゃ犬猫が飼えないから、ってのは口実だろう。ホンネは、「シモの世話をしたくないからロボットペットを」って発想じゃね〜のか。でないなら、「ウンコをする」ペットでも開発してみろよ。それでも飼うヤツがいたら立派だと誉めてやってもいいけどな。 全部のエピソードは紹介しきれないので、もう一つだけ。 神田神保町の古書店街を舞台にした話があるのだが、ここで細野さんが、相当なミステリマニアであることがわかる。 話の中心になってるのが、「山田休太郎の『聖女淫楽』探し」ってのが、思わず「おお」と膝を叩いちゃいたくなるのだが、もちろんこれは「山田風太郎の『虚像淫楽』」のパロディ。 ほかにもチラチラと、角田喜久雄の『高木家の惨劇』、岡田鯱彦の『噴火口上の殺人』、南條範夫の『被虐の系譜 武士道残酷物語』、島田一男の『古墳殺人事件』といった、マニアックな本がコマの端々に描きこまれている。 私も一応ミステリファンのつもりではあるが、さすがにここまでの本は持ってはいない。……初版では。 いったい、どれだけ古本屋を回ったんだろうなあ。学生の頃はこんな本、買いたくても買えなかったものなあ。 今なら、東都書房の『日本推理小説大系』(全16巻)、一冊、5000円以下なら絶対買うんだが。正宗白鳥の『人を殺したが』や佐藤春夫の『女誡扇綺譚』なんか、この全集くらいでないと載ってないんじゃないか。 あの、バラでもいいです。どなたか古本屋で見かけましたら、ご一報下さい。
2000年10月09日(月) 女って癒してもらう対象ではないよな/『鉄槌!』(いしかわじゅん)ほか
| 2001年10月08日(月) |
これは戦争ではない。……まだ。/映画『クイーンコング』/『カムナガラ』3巻(やまむらはじめ)ほか |
オタアミ当日まであと47日! 47日しかないのだ!
劇団ホームページの方の公演情報、まだ私が出演することになってるなあ。いい加減で変えないか。
連休最終日。 起床は7時半。 夕べは映画『陰陽師』を見たあと、床に倒れこんで、そのまま寝てしまったので(どこでも寝れるという特技は、こういう時かえってカラダを壊す原因になるのがネックだよなあ。最近、行き倒れ式に眠っちゃうこと多いぞ)、ちょっとカラダの節々が痛む。
パソコンで「エンピツ」の日記サーフィンをしていると、ところどころに、「戦争」の文字が踊っている。 もしや、と思ってテレビをつけてみると、やっぱり「米英アフガン空爆」のニュース。ブッシュ大統領がなんたら演説しているが、どうも真正面から見るとこの人、マヌケに見えて仕方がない。タリバンがビンラディン引き渡しゃ話は片付くのにそれをしないのは「こんなマヌケ顔に頭下げてたまるか」と思ってるからじゃないのか。 イスラム圏では、人を罵倒するのに「犬」と譬えるそうだが、実際、犬に似てるものなあ(「犬に失礼」との説もアリ)。
それにしても、ネット上では、宣戦布告もないのに「戦争」だあ、と騒ぎ立ててるヤツらが多いのにはビックリ。これは「報復攻撃」であって、「まだ」戦争ではない。ブッシュがいかに「WAR」を繰り返そうと、国際法における「戦争」には当たらないのだ。 もっとも、日本の新聞やテレビがヒトッコトも「戦争」というコトバ使ってないのは、そうしちゃうと自衛隊派遣が「戦争協力」ってことになっちゃうんで使えないんだろうけど。 どっちにしろ、アメリカがあれを「戦争」と呼んでいるのは、自国民の報復の意志を駆りたて、国際協力をも得たいがための宣伝工作の一環にすぎないのである。だから、直接テロにあったわけでもない日本人が、盲目的にあれを「戦争」と呼ぶことは、とりもなおさずアメリカの認識に追従することにしかならない。 そんなに今回の攻撃を「戦争」に仕立て上げたいのはどうしてかね? この攻撃がどんどん拡大していって、本格的な戦争になればいいと願っているのか? そうでないなら、安易に「戦争」なんてコトバを使うな。 「21世紀型の戦争」とか、一見意味ありげで、その実何が言いたいんだか分らない言質を繰り返して喜んでる軍事評論家モドキと同じレベルだぞ。 ……民間レベルでは戦争について、その程度の認識しか持てないのかねえ。
もちろん、今回の空爆によって、罪のない民間人も多数、死傷しているに違いない。たとえこれが現時点では「戦争」ではないとしても、その「死」は紛れもない事実だ、と主張する方々はおられるだろう。 けどねえ、みんなヒステリックに「民間人がたくさん殺されてるんだぞ!」と叫んでるけどさあ、さて、今まさに民間人を殺しているのは本当にアメリカだって言えるのか、ちょっと考えてみたらどう? アフガニスタンもまた、ワザと自国民を犠牲にしているってことに、気がつかない? あのさ、ビンラディンもオマル首相も、アフガンの閣僚が全く犠牲になっていないのに、どうして民間人にだけ被害者が出てるわけかな? つーか、攻撃ターゲットになってる周辺にどうして民間人がいるの? 危険区域にそれと知らせず、置き去りにしてるからに決まってるじゃないの。 これは、タリバンが「民間人をアメリカは虐殺した。悪いのはアメリカだ」と自分たちを正当化するためにあえて自衛をしなかった、そう考えるのが自然だよねえ。
「パールハーバー」のときみたいにさ。
はい、戦略マニアにはお馴染みでありましょう、田中芳樹の『銀英伝』でも同じ手が使われておりました、「あえて犠牲者を出して戦意を鼓舞する」作戦であります。 ……だからこの程度の見え透いたプロパガンダに乗せられて、「イスラムは正しい、アメリカは悪だ」あるいは「戦争自体が悪だ」と主張するヤツらはただのバカなんだって。 で、このバカが歴史上、いなくなるってことはまずないから実に有効な手なのだよなあ。 アメリカも既に自国民の犠牲者をを「利用」してここまで戦略を拡大させている(日本の「英霊」と全く同じ扱いになってるじゃんかよ)。この事件について何か感想を述べるだけで、我々は否応なしに「戦争に巻き込まれる」ようなシステムが作られつつあるのだ。 いや、もはやアメリカの犠牲者、あるいはイスラムの犠牲者、どちらか(あるいは双方)に「同情」する気持ちを持つことすら、「戦争肯定」の「思潮」に荷担せざるを得ない状況になりつつあるのである。「イデオロギー」やら「宗教」ってのをあまく考えちゃいかんよ。
だから言ってる。 政治家は何らかの態度を取らざるを得ないからしゃあない。けど、民衆まで過剰に反応する必要はないのだ。 こんなのは「対岸の火事」だ。 無視しろ。
ビンラディンの最新映像とやらも何度となく流れて、「ジハード」を訴えている。これだけはっきりとこれは「宗教闘争」である、と宣伝してくれているのだぞ。日本人には全く無関係ではないか。一体いつから日本はキリスト教国になったのだ? 日本の米軍施設が襲われる危険性? そんなもん、ホワイトハウスが再攻撃目標とされることに比べたら針の先ほどの可能性もないぞ。 デマを広げようとしてるのは誰だ?
そして、そのデマに乗せられかけてるのは紛れもなく、アナタなのです。
しげが言う。 「戦争になったら、何がイヤかって、『隣組』とかでご近所と『協力』しなきゃならないってのが絶対イヤ。そんなんするくらいだったら、『特攻』して犬死した方がいい」 至言である。 敵は常に身内にアリなんだものねえ。
しげとマツダに寄って、手続きの残りを片付ける。 しげの銀行印などを押して、これでほぼ書類は出揃う。あとはしげが住民票を取ってくるのと、マンションの管理会社から車庫証明が届くのを待つだけだ。 外はポツポツと雨が降りだしていたが、映画に行けるのはもう今日しかないので、自転車で傘さし運転、ちょっと危ないが、なんとか博多駅までたどりつく。
シネリーブル博多駅、実は前売券が公開当日でも一階のチケットぴあで売っている。……少しでも客に入ってほしいという健気な心がけなのだろうか、先にそこでチケットを買って、映画『クイーンコング』を鑑賞。
タイトルでおわかりの通り、これは女版の『キング・コング』、もちろん正当な続編などではなく、徹底したバカパロディ映画である。いやもう「パロディ」なんてコトバも使いたくないくらい、ヘタレたモジリの連続で、ただひたすら「バカ……」という感想しか出て来ない。 面白いとかつまんないとかいう評価を超えているのだ。 筋はもちろん旧作の『キング・コング』(ナカグロで区別しよう)に則ったもの。なんたって、主役の名が「レイ・フェイ」だ(フェイ・レイが生きてるうちにこれを見てたら、どう思ったかなあ)。
女の、女による、女のための映画を作ろうとアフリカに出かける(なんで?)女映画監督。主演の男・レイを誘拐して、女だけの部族の村に潜入したとたん、レイはまたもやその部族に誘拐されてクイーンコングの生贄に出される。 で、恋に落ちるレイとクイーン。 レイを襲う恐竜ティラノ“ハリボテ”ザウルスと戦うクイーン。……このシーンがどつきあってるだけなのにひたすら長い。ともかく長い。 ……すみません、見ながらこのへんでちょっとオチました。というわけで筋の紹介はあと飛び飛びです。
お約束通り、ロンドンに運ばれてくるクイーンコング(ニューヨークじゃないのか、と文句言わないように。これ、英=伊合作なんだし、『キング・コング』の更に元ネタ、コナン・ドイルの『失われた世界』では、恐竜は当然のごとくロンドンに運ばれて来るんだから)。 メスなので、放送上問題があると、鉄のブラジャーをつけられる(でも下半身はスッポンポン。ボトムレスはいいのかイギリス)。怒って鎖を引きちぎって暴れだし、レイとビッグベンの頂上に。 そこでレイは「女性解放」を訴えて、民衆の共感を得、クイーンとレイはめでたく夫婦揃ってアフリカへ。 ……で、終わりかい。
ジョン・ギラーミンのクソ映画、リメイク版『キングコング』(実は私、あれをそう嫌いではない。だってジェシカ・ラングが出てるしい♪)の直後に公開予定だったらしいが、製作のディノ・デ・ラウレンティスが怒って公開中止に追いこもうとしたってのはなぜなんだ? 歯牙にかけるほどの出来ですらないぞ。 なにしろロジャー・コーマンの低予算ホラーより金かけてない。 いや、『ウルトラファイト』以下の特撮、と言ったらイメージが伝わるであろうか。だってティラノってどう見ても布でできてんだもん。
吹き替えは広川太一郎と小原乃梨子。楽屋落ちと言うより、映画自体への突っ込みまくりのアテレコ、これも面白いんだかつまんないんだか評価に困る。 ハンナ&バーベラの動きの少ないリミテッドアニメだったら、行き過ぎたアドリブも効果はあるけど、もともと動きのある実写に過剰なアテレコしたって、セリフは浮くばかりなんだよね。 『ミスター・ブー』も私ゃ広川さんのアテレコは、全然つまんなかったし。 歯がキラッと光って「キラーン」「カキーン」「ピカーン」なんてのはまだ笑ってられるけど、踊りに合わせて延々と「ヒッチャカフッチャカハッチャカハ……いつまでやらせるの」って、声優が疲れた様子見せてどうする。 オチで「最後は愛は勝つって、終わり方が陳腐だね」って、アテレコだって意外性もないし陳腐だわな。
まあ、私ゃバカ映画は大好きだし、作り手にここまで知性が全くないと、「私バカなフリしてるけどホントはリコウなんですよ」的なイヤミが全くないので、キライなところは全くないんだけど、面白いわけでも全くないので、映画を楽しんだ感覚も全くない。 ああ、ダメだ、映画のことを思い出しただけで頭の中も大分トロケてきたよ。 まあ、人生の数時間を無駄に過ごすのも優雅な贅沢でありましょう。 しげ、音楽が気に入ったらしく、多分ここで買わないと二度と手に入るまいと、サントラCDを買う。 ついでに『カウボーイビバップ』、エドのストラップも購入。エドがストラップを上下するようになっていてかわいい。
「GAMERS」でマンガの新刊を何冊か買い、妖怪根付を1個買う(開けたらまた天狗だった。なんでこう天狗ばかりにぶち当たるかな)。 帰り道、「ビッグボーイ」で食事。 買ったばかりのマンガを読みながらハンバーグにかぶりつく。
マンガ、やまむらはじめ『カムナガラ』3巻(少年画報社・520円)。 先の「侵略者」との戦いで右腕を失った久谷。 何となく右腕もいずれは復活しそうな気配だけれど、今のところは義手のまま。安易に生やしたりしないところは、作者が作品を大事にしている証拠だろう。 前世の記憶も戻らないまま、それでも敵は襲ってくるので、戦わざるを得ない久谷。彼に襲いかかってくるもとは人間だったモノ、それはたとえばごく普通の主婦であったりする。自分の赤子をその手で殺した母親をヒヒイロカネの剣で倒しながら、心にやりきれないわだかまりを感じていく。 それでも、少しずつ、過去と現在の接点を探し求め始める久谷のその顔は、前巻に比べるとどこかイっちゃってたような“目の下クマ”の表情が、随分落ちついて来ていて、どこか淋しげな、諦観にも似た装いを見せるようになってきている。 ああ、そうだなあ。このマンガって、どこかいつも淋しいのだ。「剣」の久谷に付き従おうとする「鏡」の香奈多。 彼女だって、前世の全ての記憶を思い出したわけではない。全く思いだせない久谷にいらだち、怒り、反発しながら、それでも、その淡い絆を手繰るように久谷に寄りそう。 淋しいのだ。 なんだか、こう誰一人として幸せになりそうもないムードのまま、物語が展開していくの、読んでてけっこう痛いんだけど、目が離せなくなっちゃってるんだよなあ。
帰宅したら、ちょうどCSで『チャンピオン太』の第4話をやっていた。 おお、またアントニオ猪木がゲスト、今度は覆面レスラーのストライプスネークだ。で、展開は第1話と全く同じ。 路上で暴れまくって、第一話では並木をぶったおしてたが、今度は電話ボックスを倒す。……試合する前に警察に捕まるって。
空爆のニュースのせいで、イチローの首位打者のニュースもすっかりかすんでる。 この世の森羅万象に興味がない「ここにいるのは私だけ」のしげに、「どうせお前はイチローのニュースも他人事なんだろうな」と言ったら、「アンタが首位打者になったら他人事じゃなくなるけれど」とアホなことを言い返される。 一気に会話するのがバカバカしくなったので、口をつぐんでいると、ややあってしげが口を開いた。 「……で、どうやって首位打者になったん?」 「イチローが?」 「違う、アンタが」 「オレがいつ、首位打者になった話をした?」 「イチローは野球をしてるから首位打者になるのは判るけど、アンタはやってないやん、なのにどうして首位打者になれるのかと思って」 「だから、オレは別に首位打者になる話なんかしてないだろ? そうやって自分の妄想膨らませて勝手に人を巻きこむな!」
「スマスマ」、今日から再開。 吾郎くんがいなくてもみんな元気一杯なのは、罪を軽く考えてるわけじゃなくて、また戻ってきた時に気遣わずにすむようにという配慮からだろう。 ヘタなコメディアンより、よっぽど笑える番組を作っているのだから、早いとこ五人組に戻ってほしいものだ。 冗談ではなく、スマップはドリフの跡を継ぐコメディ・ミュージシャンだと思っているのである。
しげが仕事に出かけたあと、またカレーを作り置き。 鶏の唐揚げも一緒に作ったが、うっかり流しの中に落として、全部洗い流したので、コロモがグズグズになってしまった。 仕方なく殆ど自分で食う。顎の裏にベタベタとコロモが張りつく感じで、気持ち悪いのであった。……無理して食わずに捨てろよ(貧乏人はこれができないのだよなあ)。
2000年10月08日(日) V2余燼/映画『X‐MEN』ほか
| 2001年10月07日(日) |
新番紹介お休み・有朋自遠方来/映画『陰陽師』ほか |
オタアミ当日まであと48日!
今日も『クラッシュギア・ターボ』とかいう新番組が朝早くから始まってたが、『パワーパフガールズ』を見るので、一応録画だけしておく。 でもなあ、こうやって録画しとくと、実際にはなかなか見返せなくなるんだよなあ。だからできるだけ映画の類は録画しながら見るようにしてるんだけど、こんな風に番組が重なるとどうしても片方は録画するしかなくなるので困ってしまう。 ……録画しただけで見てない映画、既に千本は越してる気がする……(-_-;)。
『パワーパフガールズ』第40回。 前半、『シリアル大作戦』(原題/JEWEL OF THE AISLE)。タイトルは『ナイルの宝石』のモジリだそうな。「aisle」は天王洲アイルの「アイル」だな。「通路」って意味だったのか。 原典の映画は、テレビで流れてたのをチラッと見た記憶はあるが、あまり覚えてない。でもストーリー上のパロディは特になかった気がする。 ガールズに追われた泥棒(珍しく名前のないただのヒト)が、シリアルの箱詰め工場に逃げるが、盗んだ宝石を製品の中に落して出荷されてしまう。これだけ見ると、『ナイル』がオリジナルというより、シャーロック・ホームズの『青い紅玉』『六つのナポレオン』が元ネタだよな。 全てのシリアルの箱を開けつくし(これだけでもスゴイ)、最後の一つを開けようとした瞬間、ユートニウム博士に買われてしまう(博士も周りの開き箱の山に気付けよ)。泥棒は、CMキャラクターに変装して、ガールズからシリアルを取り上げようとする。 このとき、ガールズは『メカニマルズ』というCGアニメを見てるのだけれど、これがビーストウォーズをコメディ風にした感じで、ガールズたちよりリアルなのがいい味出してる。この、テレビ画面の映像の方がリアルなタッチってギャグもよく使われてるなあ。 泥棒が変装したキャラクター、「キャプテン・ラッキー・ラビット・キング・ナゲット」(なんかいろんなCMキャラクターを混ぜくったものらしい)、子供たちの人気者ではあるのだけれど、ただの人気者なのではなく、「子供たちにシリアルを取り上げられる」キャラとして人気があるのだ。 だから泥棒が「シリアルを頂戴」といくら頼んでも、ガールズは「シリアルは子供のもの、オトナはダメよ、キャプテン・ラッキー・ラビット・キング・ナゲット」と言って渡そうとしない。あらゆる手を尽くして、やっと宝石を手に入れたと思ったら……。 今回は伝統的な定番ギャグで、あまり過激なギャグはなし。 後半、『タイムスリップ』(原題/SPEED DEMON)。 幼稚園でミス・キーンに相対性理論を教えてもらったガールズ(何教えてんだよ)、帰り道に1秒でも早くバカンスに行きたくて、「家まで競走しよう」と言い出す。が、なんと光速に近いスピードを出してしまい、50年後の世界にタイムスリップ! そこで見たのは、50年の間ガールズが不在だった為に「彼(ヒム)」によって支配され、荒れ果てたタウンズビルの街だった。 ユートニウム博士はもう何十年もガールズを再生させる実験を繰り返しては失敗し続けている(この辺、いなくなったアトムを再生しようとして失敗するお茶の水博士の影響かな?)。 老婆となりながら死んだ市長への愛を語りつづけるミス・ベナム(やっぱりそうだったのか)。 幼稚園の庭で「私は『サヨナラ』って手を振っただけ」と繰り返し呟いているコワレたミス・キーン(自分のせいなのかもって、責め続けてたのね)。 う〜ん、これ、子供が見たらすげえトラウマになるんじゃないのか。 「自分がいなくなったら、周りのみんなをどんな悲しい目に合わせてしまうか」っていう。なんだか「暴力的なアニメ」って批判をかわすための「教育的」な面をクローズアップさせようってハラなんだろうか? なぜか現代に戻って来れたガールズ、「バカンスには行かない、私たちが街を守る!」って叫ぶのも、何となくキナ臭く感じるのは考え過ぎなのかなあ。
『仮面ライダーアギト』第36話。 あれあれ? なんだかヘンな展開になってきたぞ。 アナザーアギトに変身した木野。 最初は驚く涼と浩二に向かって、あかつき号の事故とは関係なく、「医師としてもアギトとしても自分を必要とする人々のために戦う」と、その決意を宣言していたのに、翔一がアギトに変身するのを目撃した途端、豹変してしまう。 「アギトはこの世で俺だけでいい。お前の力では雅人を助けることはできない!」 雅人とは、木野が雪山の事故で亡くしてしまった弟だ。木野の腕は、実は凍傷で腐ってしまったのを、弟の手を移植していたのだった。 でもなあ、そのことが自分がただひとりのアギトになろうとすることとどう関係があるの? また思わせぶり復活か?
『コメットさん』第28回、『お手伝いできること』。 おお、今回からOP、EDが一新。 『ミラクルパワー スターダスト・バージョン』と『星のパレード』、どちらも何度か挿入歌として流れてたものだったけど、アップテンポになって歌いやすくなった。……って、どこかで歌うつもりなんかい。 以前のものより、メテオさんの露出が増えて、いかにもライバルっぽくなっているのが実にいい。 エンディングでは白鳥の湖のスタイルでちゃんとバトンも振ってくれてるし。 ストーリーのほうも、美味しいところはメテオさん。 ケースケのオーストラリア行きが決定したある日のこと、コメットさんは、デザイナーの卵、優衣さんから新人発表会のモデルを依頼される。 けれど、発表会の日はケースケの旅立ちの日と重なって……って、前回と全く同じ展開じゃんか。脚本家、ちょっと疲れてるか? どうしても優衣さんの発表会を断れないコメットさんは、土壇場でモデルをメテオさんに譲って……。 そうです、今回、メテオさんのファッションショーがクライマックスなのです! なにしろ、剛くんと寧々ちゃん(4歳だってば)の服まで変身して着るんだからなあ。……バレるって、いくら何でも。
しげが練習に出かけている間に、部屋を片付け。ゴミが山ほど出るがたいていは古新聞の山。この期に及んでも、夏の入院中の手書き日記を更新しようと、資料として新聞を捨てきれないでいるのである。いい加減、うっかりすると散らばった新聞を踏んでコケちまうので、一部を残してまとめてゴミ袋に。 ともかく、座れる場所を作らないと、広島から福岡に帰省してきている友達が訪ねてくるのだ。ヘタすりゃ奥さん子供も連れてくるかもしれないので、なんとしても座れる場所を確保せねばならない。来てくれても、ずっと部屋の中で立ち話って……そりゃ、シュール過ぎるわ。
晩飯にと山菜クリごはんを作ってみたが、見事にシンが残っていて失敗。かき混ぜ方が足りなかったらしい。 もう一度よく混ぜ、水を入れて炊きなおしたが、今度はオカユになってしまった。 「山菜クリおかゆ」なんて、こりゃ、とても食えたものではない(でも食うしかない)。一応味見はしてみましたが。
……今晩は外食だ(ーー;)。
2時ごろ友達Hくん、3歳の娘さんを連れて来宅。 ちょうど駐車場が開いているので、遠慮なく案内ができる。でもネームプレートがまだ切り替わってないので、Hくん、どこに停めていいか迷ったよう。慌てて階下に降りてご案内。いやいや久しぶりに会うのに、のっけから迷惑かけちゃった。 いつものごとく、段ボールに一杯マンガを持って来てくれたのだが、上まで運ぶのに結構腰に来る。こちらが降りていかなきゃ、Hくん、自分で荷物も運んで子供も連れてくるつもりだったのだ。おいおい、それくらい声をかけてくれってば。 娘さん、オタクな部屋で泣きだしゃしないかと心配してたが、『ハレのちグゥ』のDVD2巻を見せていたら、食い入るように見入ってる。ギャグは全然わかんないと思うが、なんかイキオイで面白く見れちゃうんだろうな。 Hくんのほうは、「こんなの出てるとは気付かなかった」と、『ガンダムエース』に見入っている。「単行本出るよな」って、ここにもオタクな親子が(^o^)。 私は私で貰った段ボールを開けて中を確かめるが、「この手のは持ってないかと思って」と、近藤るるるや二宮ひかる、恋緒みなと、馬頭ちーめいとか、確かに私がカバーしきれてないマンガ家さんのものばかりだ。 でも、何となくちょっとエッチ系だったりロリ系だったり、「こんなの持ってたら嫁さんに悪いか」って感じで、私に譲ってくれたって感じがするなあ。 データハウス刊の『危ない!!』、「女がどんなふうにレイプされてるか」とか、「詐欺の手口」とか、完全犯罪マニュアルみたいな本だが、「こんなの持ってたら自分のほうが危ないヤツだと思われる」と考えて私にくれたのかな。……私が持ってる分にはいいのかよ(^_^;)。 『ガロ』のバックナンバーまであるじゃないか。こっちが何もあげないのはつくづく悪い気がしてくるよ。それとも「本の整理ができていい」と思ってるのかな。 Hくん、娘さんの頭をなでて、「子供がいると、趣味に走る時間がホントになくなるよなあ」と言いつつ、お子さんは可愛い模様(当たり前か)。 「DVD借りてくか?」と聞いたら、「子供と見れるものじゃないとなあ」と言いながら、『トイストーリー1&2』、『バグズライフ』、『ファンタジア2000』あたりを借りていく。 ……で、『ヤング・フランケンシュタイン』も子供と一緒に見るんかい(^.^) 。まあ、そうそうオタクの血が途絶えるはずがないのである。
夕方、しげと天神の福家書店で待ち合わせをして、新刊をいくつか買う。 アニメ化、ドラマ化のコーナーがあって、よしひと嬢がお気に入りの『西洋骨董洋菓子店』なんかが置いてあったのだが、しげに「買うか?」と聞いたら、「1巻はよしひと姐様に借りて読んだからいい」だと。そりゃ、お前は読んだかもしれないけど、おりゃあ読んでねーんだよ。 「面白かったか?」と聞いたら、「まあまあ」とのことだったので新刊で買うのは見送る。そのうちBOOKOFFででも探してみよう。
そのあと、ビブレの地下で食事。テンプラ定食がフェアで550円と安かった。 映画を見るまで時間が余っていたので、まずそこで1時間ほどヒマを潰してマンガを読む。 柴田昌弘『クラダルマ』3・4巻(少年画報社文庫・各620円)。 敵のシンシアの過去もきちんと描いて、単純な悪役にしないところはいいのだが、設定が『ブルー・ソネット』に似過ぎてないか。 しげの話によると、今日の練習、久しぶりに塩浦嬢が来ていたとか。 私に会って聞きたいことがあったらしいのだが、わざわざ会ってまで聞かなきゃならんってどんなことかと思ったら、「君が代」の由来だそうな。なんでも大学の課題レポートでそんなのが出されたらしい。 なんか以前もこのムスメは、「ベーゴマってなんですか?」とかいきなりなんの脈絡もない質問をカマしてくれたことがあって、日頃何を考えてんだかわからんところがあるのだが、だいたいどうして歴史にもコトバにも門外漢な私にそんなことを聞いて来るのだ。大学に通ってんだから、誰かセンパイや専門家に聞くか、パソコンで検索するぐらいしろやあ。 もちろん私だって、この歌詞のモトが『古今和歌集』の賀の歌であることくらいは知ってるが、更に詳しいことは自分で資料にあたったほうがいいに決まってる。どうせキョージュは「君が代の君は天皇を指すのか否か」とか、下らん論議を生徒にさせたいんだろうから、キョージュが右のヤツだか左のヤツだかは知らんが、満足しそうな説を資料ツギハギしてでっちあげときゃいいのだ。
ゲーセンでちょっと遊んで「おじゃる丸電動ハブラシ」(しげは鴉丸嬢にプレゼントするつもりらしい)をゲットしたあと、G−SIDEに寄って、「オタクアミーゴス」会場のNTT夢天神ホールを覗いてみる。 ……なんだ、本屋の「リブロ」と同じ階にあったのか……って、今まで何度もこの本屋に来てるのに全く気付かんかったぞ。むちゃくちゃ目立たんやないか。 前がFMホールみたいになっていて、その奥まったところの更に奥にあるんだものなあ。廊下も狭いし、客の行列が出来ると、整列させるのにちょっと骨が折れそうだ。オタクは、廊下のハバ取っちゃいそうなヒトが多いだろうし(←偏見ではない)。 本屋の方まで列が流れて行かないようにしないとまずかろうし、そのあたりのことをエロさんたちと充分相談しておかないと、ウラカタもやりにくそうだなあ。
天神東宝で映画『陰陽師』。 少なくともテレビ版よりは出来がいい。役者に余裕があるのがいいのだ。晴明と博雅が酒を飲み交わすシーンも何度かあって、原作の雰囲気はよく伝えている。 けどなあ、やっぱり脚本にアラがあちこちありすぎるし、キャスティングに疑問ってのも結構多いのだ。
ともかくキャラクターの行動原理が殆ど描写不足なのが最大のネック。 陰陽頭・道尊(芦屋道満がモデルか?)が平安京を鬼の街と化して支配しようとする動機が、最後まで分らないままなのが頗る痛い。これ、『帝都物語』でも加藤保憲がなぜ帝都を破壊したがってたのか分らないままだったのとよく似てる(『帝都』は一応、原作のラストでその理由がわかる仕掛けになってんだけど、映画では語られずじまいなのよ)。 そういえば、早良親王の霊を利用しての都の破壊って手段も、『帝都』そっくりだな。でもなんつーかさあ、歴史考証について余りやいのやいの言いたくはないけどさあ、平安時代最大の怨霊と言われる早良親王を、たかが女一人の「愛」で浄化させちゃうってのはどうだかなあ。 しかもその女がすっかり老けたキョンキョンだし(それを言えば、早良親王が萩原聖人ってのも違うべえよ)。
更には安倍晴明が都を守ろうとする動機も希薄なままだ。 一応、博雅のためってことになっちゃいるけど、博雅、原作以上にアホヅラ晒してるだけで、足手まといにしかなってない。なんで晴明がこんなやつのためにカラダ張ってやらなきゃならんのか、画面上からはどうにも納得ができないのだ。 まあ、晴明を陰、博雅を陽とするなら、博雅が明るいだけが取り得の間抜けであるほうが、呪術的には正しいのだけれど、別にこれは陰陽道の解説映画ではなかろう。あくまでこれは時代劇という名の、現代人である我々が見るものとして作られたドラマなのだ。現代人として納得できるロジックが描かれなければ、我々は感情移入ができるはずもない。
もひとつ言えば、蜜虫役の今井絵理子がもうただのブ○でよう(-_-;)。見るに耐えねえったらありゃしない。 これ、ストーリー上は全く必要でないようでいて、実は一番重要な役なんだがなあ。つまり、安倍晴明の陰陽師としての力というか、その存在を象徴する役割なのよ。何もせずただそこにいるだけで意味を感じさせねばならない、むちゃくちゃムズカシイ役なのだ。 よくもまあ、こんな大根の、存在感のカケラもないヤツを振ったよな。事務所の力か? ……これ、私の勝手な予想だけどさ、最初製作者側が狙ってたの、上原多香子じゃなかったかと思うんだよ。はっきり言って、ルックスからいけばSPEEDの4人の中じゃ上原の美形ぶりが突出してたしな。 けど、残りの三人もなんとか売りたいってのがプロダクションとしてのホンネだろうから、「上原ダメだけど今井なら」って話になったんじゃないかと。 そんな話蹴って、加藤夏季にやらせればよかったのに。……って、そこに落ち持っていきたかったんかい(^_^;)。
けれど、大いに不満だったかっていうと、そうでもなくて、クライマックスの晴明(野村萬斎)と道尊(真田広之)の立ち回り、ワイヤーワークにところどころ頼っちゃってる欠点を除けば、日本の殺陣史上、屈指の名シーンと言っても過言ではない。他の全ての欠点がこのシーン一つで消し飛ぶほどだ。 狂言の足さばきと、JACで鍛えたアクションとの異質のアンサンブルが、こんなリズムと緊迫感を生むとは。「殺陣」ファンはこのシーンを見に行きなさい。そうでない人にはお薦めしません。
個人的に気に入っちゃったのが、石井愃一演じる藤原兼家。ご承知の通り、摂関政治によって最大の権力を得た藤原道長のお父っつぁんで、歴史上、晴明のパトロンだった男だ。 側室の藤原道綱母(『蜻蛉日記』の作者ね)が、この父っつぁんに浮気されて、「なげきつつひとり寝る夜のあくるまはいかに久しきものとかは知る」(=アンタが他の女とイチャイチャしてる間さあ、アタシは一人で布団に入ったまま、ずっと夜明けまで眠らないで待ってんのよ。オ○ることもできないのにさあ、どれだけ長く感じるか、わかってんの?)って歌を詠んで締め出したら、 「げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸もおそくあくるはわびしかりけり」(=君が怒るのは解るよ、ボクが悪いんだから。でもさあ、いくら冬の夜が明けるのが遅いからって、君の家のドアまで開くのが遅いなんて、あんまりじゃない?)と返歌して謝っときながら、でも浮気はやめなかったという、ツワモノである。 ……まあ、女の一人や二人に祟られてて当然ではあるわな。 晴明に「祟られる心当たりは?」と聞かれてぶんぶんぶんと首を横に振るあたり「ウソつけ」と思わず突っ込み入れたくなるような名演♪ 東京ボードヴィルショーのファンは、兼家と博雅(伊藤英明)の二人ボケ漫才を見に行きましょう(^o^)。
2000年10月07日(土) V2/ムック『本多猪四郎全仕事』ほか
| 2001年10月06日(土) |
新番……第何弾だよ/『星のカービィ』第1回/『ヒカルの碁』(ほったゆみ・小畑健)14巻ほか |
オタアミ当日まであと49日!
朝のっつーか、夜中の3時すぎ、しげが誰かに電話をかけている。どうも口調からすると鴉丸嬢らしい。 ちょうど連休の初日ってことで、こっちも夜更かししてたから、別に睡眠のジャマになってはいないが、最近、こういうことが多いのだ。 かと言って、「夜中に掛けるな」とは言えない。しげと鴉丸嬢の都合が合うのが、今の時間帯しかないのだ。それに、私が寝てる時にはできるだけジャマにならないように気遣って、奥の部屋で喋るようにしてくれてるし。 でも、この「奥の部屋で喋る」ってのが実は問題なのよ。 本人は迷惑かけないように声を落としてるつもりなんだろうけど、おかげでくぐもった不気味な声がかえって寝てる私の耳に響いてくるのね。 あのね、アナタ、「ふふふふふふふふふふ」って、楳図かずおのマンガからそのまま抜け出てきたような声が聞こえてきたと思ってごらんなさいな。いっぺんで目が覚めるどころか、ドアのスキマからヘビママがヌルって滑りこんでくるんじゃないかって、エライ恐怖に襲われちゃうんですよ。 ……これだけヒトを怖がらせといて、本人は私が怪談話をしようとすると、悲鳴をあげて嫌がるんですよねえ。当人、別に幽霊信じてるわけでもなさそうなのに、理不尽だ。 劇団の連中とか集めて、一度百物語やってみたいんだけど、そういうのってみんなもイヤがるのかなあ。
朝もはよから新番アニメのチェック。 7時半から『星のカービィ』と『ガイスターズ』の二本が重なっていたので、どっちかは録画にしておくしかない。 迷って『ガイ』のほうを録画セットして、『カービィ』を見たのだけれど、これが意外にいい出来。 主役のカービィと悪玉キャラのデデデ大王の二人だけデジタル作画の頻度が高くって、ほかのキャラは手描きってのに何の意図があるのかわからんという欠点はあるが、脚本、演出にはなかなかキレがある。 謎の怪物に襲われ、飼っているヒツジが何十匹と犠牲になっている村。村人たちはその怪物がデデデ大王の居城からやってきていると訴えるが、大王はせせら笑って否定するばかり。仕方なく伝説の勇士「カービィ」が現われることを期待する村人たちだが、ある夜、村に落ちてきた星を見て、すわ勇士の降臨か? と浮き足立つ。 ところが、星の中から出て来たのは、丸っこくってかわいらしいヘンな生き物。 「これがカービィ?」 主役が全く喋れず、意志疎通が出来ない、という設定は、ドラマを盛り上げる上ではネックになることも多いのだが、そこを逆手にとって、果たしてカービィは伝説の勇士なのか? と村人たちの不安が高まるようにしているのは悪くはない。 やがて、怪物の正体が大王が通販で買った(笑)オクタコスというタコが巨大化したものだと判明。これからの展開が一気に大活劇、東映動画の名作、『長靴をはいた猫』を髣髴とさせる城の内外の破壊と追っかけが始まる。 ようやくその力を発動させたカービィ、星に乗っての空中戦は、まるで『わんぱく王子の大蛇退治』!(若い人は『ナウシカ』の空中戦を想起されたい) いや、ホント、城の壁をなめるように飛んでいくカービィを、後ろからタコの足が追いかけてく構図は、『わんぱく』そのまんまなんだから。なんで敵がタコだったかって、「足が8本」あるからだったんだね(^^)。これは、まさしく「アメノハヤコマに乗ったスサノオとヤマタノオロチの対決」の再現なワケで、相当自信がなきゃやれない演出なのよ(実写の『ヤマトタケル』は見事にコケてたし)。その演出の要求に、作画陣が見事に答えてるのが立派だ。 このレベルが来週以降も持続されるんだとしたら、オトナのお客様も充分期待していいと思うぞ。脚本・演出は『ルパン三世 ルパンvs複製人間』の吉川惣司監督。監修が『アルプスの少女ハイジ』の作画監督小田部羊一(『じゃりん子チエ』の、とか『ポケモン』の、と言ったほうが通りはいいか)。
あ、『ガイスターズ』はクソでした。 世界的規模の破壊ののち、宇宙に避難していた人々が戻ってきた地球は、怪物たちの跳梁する世界と変わっていた。まあ、なんでそうなったのかってのはおいおい説明されていくんだろうから突っ込まないけどさ、怪物のCG、GONZO以上に浮きまくってるぞ。 で、あとは頭の悪そうな戦闘員どもと怪物との争いが延々と盛り上がりもなく続くだけ。 ……ああ、つまり『スターシップ・トルーパーズ』がやりたいだけなのだね。エイリアンもどきの怪物が人殺すシーンを見るのが好きな人は見てもいいんじゃないですか。 私は少なくとも、もう録画はしません。つーか、もう見ません。
さて、しげが「車を見にいくからつきあって」と言うので、近所のマツダ展示場まで、散歩がてら出かける。 我が家はずっと家訓で「クルマ買うべからず」ということになっていたので、私には車に関する知識が殆どない。多分、「常識を逸している」と言われても仕方がないくらいないであろう。 何しろ以前、同僚の車に乗せてもらう時、“自動ドアが開くのを待っていた”というヤツなのだから(タクシーしか乗ったことがないから、全ての車は自動ドアだと思っていたのだ)。 今回、しげは自分の貯金と給料でローンを組むことにしているのだが、それだと相当長期間に渡ってオカネを払い続けねばならないようなのである。 いや、そんな高い車買うのかって誤解しないように。しげの給料が安いだけなのだ。 私の冬のボーナスまで待ってくれれば一括で払える程度の金額なのだが、しげは一刻も早く車がほしいらしい。 「なんで?」 と聞くと、 「免許取って間が空くと、運転忘れるから」 ……だから運転すること自体が間違いだ、とは思わんのか。 少しは手出ししてやらなきゃならんのかなあ、と思いながら、「でも私は免許持ってないからお金出せないし」と言ったら、しげとマツダの人に怪訝な顔をされる。 ……なんか、バカなことを言ったらしい。 「あの、車って、免許持ってなくても買えますよ」 ……え? そうなの? 「だって、おカネもちが車だけ持ってるってことあるでしょう」 「運転は運転手にさせればいいんだし」 そういうものなの? でもそれじゃ無免許運転を予め認めちゃうことになるんじゃないの? 何となく納得がいかないが、世の中そういうものなのであろう。 クルマ音痴ってのはこんなものなのである。 しげ、結局即決で契約をすまして、なんたらいうクルマを買う。こういう時、しげの思いきりは早い(だったら日頃の優柔不断もなんとかしろよ)。 どんなクルマか、詳しく紹介したいが、クルマ音痴なのでどう形容したらいいのかわからんのよ。 スズキの軽自動車で、ドアが4つの中古車で、7年前の型だけど3万キロしか走ってなくて、高さがある程度あって、後部座席をフラットにできて、後ろのドアがパカッと上に大きく開いて、まあまあ荷物が置けそうなことはわかった。 さあ、おトクなブツなのかどうか?
「モスバーガー」で昼食。 エビかつバーガーが250円で割引だけれど、マクドナルドのチーズバーガー80円に比べれば、割高感は否めない。 もちろん、材料費をケチってるマックとモスとが比較になるはずもないのだが、実際に出て行く金は少ないほうがいいに決まってる。 モス、今は苦しいんじゃないかなあ、と思うが、私みたいに、たとえ安売りしてても、マックで何食えってえの? みたいな感覚の人間がいる限り、モスの火は消えないであろう。 焼肉ライスバーガー(既にバーガーではないという批判は置いといて)をぱくつきながら、ウワサ話などに花が咲く。 ここしばらくすっかりお見限りの藤田君、なんだか大変なことになっているようだ。 「藤田君の親がね、『育て方間違えたかなあ』って言ってるんだって」 「なんだよそりゃ。一体何やったの?」 「今ね、○○○○○○○○○○○だって」 「なんでそんなに? 何に○○○○○?」 「だって○○○○○○○○○○○ってよ」 「いくら何でもそこまではいかんだろう。やっぱり○○○○○○○じゃないのか?」 「さあ……?」 端から見てると面白いヤツなんだけど、ご家族にしてみれば気苦労のタネだろうなあ。何しろ忠告したら忠告されただけ、「オレはダメなヤツなんだ〜!」って言って、ますます落ちていくヤツだし。っつーか、「落ちていくのがカッコイイ」って思いこんでるマゾだし。 フジタく〜ん。もうこの日記読んでないかもしれないけれど、ある程度のところから引き返したほうがいいよ〜。別に家族に迷惑かけるなってことじゃなくてさ、周りのみんなが笑って見ることができなくなるところまで落ちちゃうってのも、娯楽の一つがなくなっちゃうわけで淋しいからさ。
『ザ! 鉄腕! DASH!! 爆笑! 秋の大収穫祭! おにふすべスペシャル』再放送見る。 実はこの番組、ときどきしか見てないが結構好きなのだ。何しろテレビのコメディ番組がバラエティに押されてほぼ全滅状態にある中、体を張って見せてくれるもののほうが何倍も面白いことは事実なのだもの。『ガチンコ』みたいにヤラセっぽいのはどうも好きになれんけど、こういうのはゴマカシ効かないからね。 自転車3000コギで鎌倉の海まで行けるか、ってネタ、ちゃんと一人脱落したのがいいねえ(笑)。 「DASH村を作る」ってネタ、偶然撮れた「おにふすべ」の成長過程ビデオ、実に勉強になる。たった五日で人間の頭大にまでデカくなるのだ、あれは。こういうのはヤラセでっつーか、そんなんなるなんて誰も思っちゃいないから面白いのだ。
CS時代劇チャンネル『天下の御意見番罷り通る 彦左衛門外記』。 原作は山本周五郎の『彦左衛門外記』。 大久保彦左衛門が本当に天下のご意見番だったかどうかはちょっと、どころか大分疑わしい。所詮はただの旗本であるわけだし、家康の側近だったことは確かだが、親しいつきあいがあったわけでもなさそうだ。『三河物語』を書いていなければ、巷間、話題に上ることもなかっただろうし、あの話にしたところで、感じとしては、「有名人とちょっとお近づきになったことがある」ファンがやたらそのことを自慢話にしてるようなものじゃないかって思う。 『三河』のほうは安彦良和さんが漫画化してるので、そちらのご一読をお薦めします。 山本周五郎の原作はその虚々実々の狭間を縫うようなウマイ脚色がなされていて、果たして「ご意見番のお墨付きはあるのかないのか?」という話になっている。何しろほぼ架空の人物とされている一心太助を登場させないことで、より現実感、信憑性が増す仕掛けになっているのだ。 良くも悪くも山本周五郎は菊池寛に連なる主題主義の作家なワケで、結末がお定まりのところに落ちついちゃうのは仕方ないかな、という気はするけれど、彦左衛門を演じるのが晩年の三船敏郎であること、ワキを藤村俊二、田中美佐子、田村亮といった芸達者で固めていることで、充分見応えのあるドラマになっていた。 個人的には三船さんにボケ老人みたいな役を演じてほしくはなかったけど。
広島の友達から電話がある。 この友人とは盆と正月に必ず会うことにしてたのだが、今年は私の入院で会えずじまいであった。 会えば必ずオタクばなしに花が咲くのだが、あちらも既に二人の子持ちであるし、なかなか自分の時間も取れないのであろう。休憩がてらウチに来ないかと(汚い部屋であることは無視して)誘う。 しかし、シンクロニシティというものはあるものだよなあ。 今日マツダで車買ったと思ったら(まあ買ったのはしげだが)、マツダに勤めてる友人から電話があるとはねえ。
直後に父から電話。 こう、あちこちから電話がかかるのもシンクロか? ってただ単に休日に入ったからってことなんだろうけど。 21日の母の七回忌についての打ち合わせである。 親戚に強欲の俗物の高慢ちきの人でなしの、そのあまりの性格の悪さゆえ、縁を切ってた人がいるのだが、もう大分時間が経ったことでもあるし、招くことにしたい、ということであった。 内心、またこのお人好しが、香典泥棒されたこと忘れてるのか、とは思うが、母のことに関しては父に一任すべきだと考えているので、口出しはしない。 葬式だの法事などが下らないと思うのは、生きている人間たちの思惑がまるでまとまらないというアホらしい事態に落ち入ってしまうことがしばしばなので(映画の『お葬式』以上のトラブルが現実に起こりまくる)、そこに私がまた何か言い出せば、ますます混乱を呼ぶばかりだ。 けど、一番苦労させられるのは、母のあとを継いで店を切り盛りしている姉なのである。父の話によると、今度の法事、参席を一番いやがったのは姉だそうだ。 そりゃそうだろう。面倒臭いのでいちいち書いてないが、姉と呼んではいても私と血のつながりはないのだ。血縁でもない者が母の跡継ぎだということで白眼視するクサレ外道がウチの親戚にはゴマンといるのだ。父も私も納得している(どころかぜひ跡を継いでほしいと頼んでいる)ことだというのに。 父は「十三回忌はお前に任せた」と言ってるが、私ゃ客は一切呼ぶ気はない。「宗教は嫌いだ」と私がしょっちゅう言ってるのを、どこまで本気で聞いてるのか。こっちがいくら言ったって、暖簾に腕押しなのだ。 いい加減マジで打ち合わせしてもらわないと、困るんだけどな。だいたい、親父の葬式だって、こっちは出す気がないんだから。
マンガ、西岸良平『ヒッパルコスの海』(双葉社・300円)。 月の土地を買った男のところに(そういうジョーク企画が、昔本当にあった)、宇宙人が売買契約にやってくる、というネタは、藤子・F・不二雄のマンガにもあったネタだけど、もしかして、ほかにも思いついた人がいるかもしれないなあ。いちばん最初に書いたのはだれだろう? 小説にもあるかもしれないから、そういうのを全部比較対象してみると面白いかもしれない。 藤子マンガでは首尾よく大金を手にした主人公だが、西岸さんのこのマンガでは、主人公はやはり貧乏生活に舞い戻ってしまう。 昭和30年代に強い郷愁を覚える西岸さんと、過去を冷ややかに見つめる藤子さんの資質の違いであろうが、どちらが上かってのは決められるものではない。ただ、どちらも背景にある「貧乏」のリアリティは相当なもので、イマドキの批評家が西岸さんの作品を「ほのぼのマンガ」でくくっちゃうのはやはり見る眼がないってことになると思うのである。
マンガ、ほったゆみ原作・小畑健作画『ヒカルの碁』14巻(集英社・410円)。 佐為と塔矢名人の対決、完結編。 連載中に読んでいた『ヒカルの碁』白眉のシーンが連続するが、ラストで消え行こうとする佐為が「神のさだめたこの運命にはあらがえないのか!?」 と語っているのを見逃していた。 これを「佐為復活」の伏線と見るのは穿ち過ぎかなあ、とも思うが、一回完全に消えちゃった以上、そのままの復活は絶対に無理だと思うのである。 ありえるのは「転生」ってヤツだけど、そうなると以前、ネットにニセモノの「SAI」がいたのが気になる。アレが実は時空を越えて転生していたホンモノの佐為だったりして(過去の記憶をなくしていたので、囲碁はまだ弱かったのである)。 ……マンガと関係ないがオマケマンガ「ネームの日々」36、ジャンプの編集部は「非通知」で電話していることが判明。 あそこの編集者に社会的常識がないってのが如実にわかるエピソードですねえ。「ジャンプの編集部員です」ってウソ電話をかけるイタズラ者が出たら、どうやって区別つけるのよ。こういうバカどもにせっかくのマンガ連載が引っ掻き回されてるってこと、読者はもっと怒っていいと思うんだが。
2000年10月06日(金) 詳しくはコメディフォーラムを見てね
| 2001年10月05日(金) |
新番第4弾/『クレヨンしんちゃんスペシャル』/『化粧した男の冒険』(麻耶雄嵩・風祭壮太)ほか |
オタアミ当日まであと50日!
連休前ともなると、仕事がドッと押し寄せてくる。 で、連休明けも溜まった仕事がドッと来ることが初めから解りきっているのである。 だったら連休なんかなきゃいい、と言ってしまいたいが、来週は休日出勤があるので、全く休みがないのだ。 じゃあ、明日休めることを感謝せねば……と気持ちを切り替えてはみたものの、まるでこりゃ「朝三暮四」そのまんまである。 ……それより悪いな。結局あるはずの休みが潰れていくんだから。
日々の雑感を書きながら思うことだが、読者のみなさんは、私が自分の商売を隠して日記を書いてることを、どうお感じだろうか。 と言うか、いちいち「私はナニナニです」と書いてある公開日記もそう多くはないから、「別にカミングアウトするかどうかなんて本人の勝手じゃん」と寛大にお考え頂いているのかもしれない。 でも、私としては覆面かぶって好き勝手言ってるようで、なんだか申し訳ないなあ、と思ってる部分はあるのだ。 たとえば私の正体が小泉○一郎だったとしたら(゜∇、°)、こりゃヒミツでサイト持ってるってだけで国民への裏切り行為である。内容を読めば更に非難囂々、内○支持率はあっという間にヒトケタ台まで落ちてしまうであろう。 ……それくらい、バカなこと書いてるってくらいの自覚はあるのよ、これでも。 でも、だからこそ、「自分がなんであるか」ってことは、社会的な立場からモノを言う意味でも、あるいは、“いかに社会的な立場を無視してモノを言ってるか”っていう意味でも、きちんと明かしといた方がいいと思うのだ。 実際、「なぜ私がこんなことを言うのか」ってこと、私の商売を知った人じゃないと意味が分らないってことも多いのだよね。
たとえば、今日こんなことがあった。 私の知人が、6年ぶりくらいに私を訪ねて来てくれた。 しかし、その用件とは、彼の個人的な事情についての深刻な相談だったのだ。 明言するが、私の人格は「人として最低」である。それはこの日記をお読みいただければよくご理解頂けることであろう。 しかし、実は私の商売上の肩書きってヤツ、これ、社会的には相当信用に値しちゃうものなのだね。 だからこそその知人は、「私の肩書きを当てにして」訪ねて来てくれたのだ。 もちろん、知人の頼みを私はその場で頷いて聞き入れた。 しかし同時に私は、その肩書きがなかったなら、自分が知人の頼みひとつ聞いてやれないほど卑小な存在だということを自覚せざるを得なかった(いやまあ、たいていの人がそうだろうけど)。昔、しげにも「アンタが○○でなかったら好きになってない」なんて言われたことあるんだよなあ(しげも相当「人として最低」である)。 っつーかねー、なんか自分の肩書き使って知人に恵みを施してやったみたいでイヤになっちゃったのよ、今日のことで特に。批判されてもいいから、自分の正体明かして心のモヤモヤを取り払いたいなあ、なんて思っちゃったのね。 でも、私が正体を明かさないのは、私個人の事情ではないので、到底できることではないのだ。ああ、もどかしい。 ……もう、お解りであろう、私は本当に小泉○一郎だったのである。 今度から「ソーリ」と呼んでください。って、中村雅俊か。
秋の新番組アニメ、全部見ちゃうぞ(ムリだって)ツアー、個人で勝手に始めているが、そのためには仕事を定時で切り上げて猛ダッシュで帰って来ねばならない。 ……できるこっちゃないのだが、今日もちと帰りが遅くなり、それでも『VANDRED the second stage』、前半を見逃しながらもテレビにかじりつく。 なんだかね〜、男と女がそれぞれの文化圏を持ってて、宇宙戦争繰り返してるって聞いたらもう、真っ先に「『マクロス』やん」と思ってしまうのだが、第2シリーズに入っても、まだ仲直りが出来ていないらしい(^_^;)。 ……SFの名を借りた集団ラブコメだからなあ。批評がどうのこうのって言えるほどのものでもないんだけど、これも制作はGONZO。この、CG使いまくりの違和感アリアリの、ストーリーやプロットは定番どころか陳腐のパクリのって、なぜこれだけのクリエイターが集まっててそんなになっちゃうかね。 今回もラストでお約束の新キャラが導入、やっぱりボケ美少女で、主人公といちゃいちゃ、ヒロインがヤキモチ焼くっていうトホホな展開。 もうどーにでもして(-_-;)。
口直しにと見た7時からの『クレヨンしんちゃんスペシャル』。 前半の『魔法使いしんちゃんだゾ』は、しんちゃんの被害にあうカザマくんがいい味出していて、なかなか笑えたのだが(でも「『サリーちゃん』も『アッコちゃん』も『マコちゃん』も人間界に行ってるのに!」としんちゃんが叫ぶところ、確かにサリーちゃんとマコちゃんは魔法界、人魚界のお姫様だけど、アッコちゃんはもとから人間で鏡の国の王女様は別にいるのだけれど)、後半の『おうちはなかなかできないゾ』はちょっとダレた。 原作はこんなにスペシャルにするほど長くないのに、妙に幸田露伴の『五重塔』みたいな職人話にしちゃったからねえ。 しんちゃんがイタズラして「先行者」作ってたギャグはよかったけど(^^)。
8時から、あともう一本の新番組、CSカートゥーンネットワークの『パワーパフガールズ』、もちろんテレQでやってるやつの再放送なのだけれど、局が変わるんで(っつーかもとのところに帰るっつーか)、声優の変更があったりするのかなあ、とか心配していたのだ。 でも、心配は杞憂に終わり、テレQではカットされてた本国版のOP&EDも復活、しかも日本語版のエンディングもフルコーラスでインターバルに放送と、CS版は結構豪華。ホッと胸をなでおろしてひと安心。 パワーパフガールズへの視聴者の質問コーナー、「どうしてブロッサムだけマントをつけてるんですか?」(ポニーテールのことだな)なんての、いかにもヤラセだが、かえって楽しい。あれは、そのために新作のアニメ作り下ろしてるのかな、それとも既成のフィルムのツギハギだけで作ってるのかな? 一つだけ不満だったのは、日本語版サブタイトルが紹介されなかったこと。 何か理由があったのかなあ。版権とかは関係なさそうだけど。
そんなこんなの埒もあかないことを、毎日「オタアミ会議室」に書きこんでいるのだが、少しは関心を集めていただいているのだろうか、今日はあの「と学会公認(笑)」占い師の、稗田オンまゆらさんからレスがついてしまった。 しかも、リクエストつきだったりして(^_^;)。
「今日夜中3時10分からテレビ東京で放映される「バビル2世」リメイクはいかがざんしょうかどうやら、声優総とっかえだそうなので、見たいような見たくないような、なんですが、、、、、、、」
ああ、ちゃんとアニメ見てレスをつけたい! けど、テレQの○○野郎、テレ東のネット局のくせに、『バビル2世』を放 送しやがらないのだ。 鈴邑君がなー、以前そこに勤めてたんで、裏事情を聞いたことがあるんだが、編成会議で「アニメは何本か落とす」ことになってるみたいなんだなー。 たいてい、深夜ワクがターゲットになってカットされちゃってるんだよなー。 で、今日、何をやってるかって言うと、映画『極道戦国志 不動』。……こんなんに三つのシモベも歯が立たないってかよう。 泣くに泣けねーや。うううう(T∇T)。泣いてるじゃん。
主役の名前が山野浩一から神谷浩一に代わってるのは、笑っちゃったけど。 「やっぱ山野浩一はマズイでしょ(←特にオタクでない人のために解説。SF作家で山野浩一って人がいて、そこから勝手に拝借したらしいんだよね、この名前。原作の横山光輝、パクリに関しちゃ感覚が結構ユルイのよ)」 「じゃあどうする?」 「せっかくだから神谷明さんに名字だけ借りましょうか?(←これも解説。最初のテレビアニメ化で主演したのが神谷明さん。しかもこれが主演第一作だ)」 「おお、それいい!」 ……てな発想で決められた過程が見えるその安易さからして、脱力ものだ。 なんで放送しなかったかなあ、ポスター見ると、ヨミのそばにいかにも『ジャイアント・ロボ』の銀鈴っぽいキャラがいたりして、以前のOVA版より、はるかにヘタレそうな気配が濃厚でタノシミだったのになあ。 時期遅れでもいいからやらないかな。 ……けど、局にリクエストハガキ送るほどの出来でもないんだよな、きっと。
ネットを渡り歩いていて、岡田斗司夫さんの「OTAKING SPACE PORT』の巻頭言に目が止まった。
「 あるサイトでこんな「フロン」感想を見つけました。
>『フロン』読んでわたしは違和感を持ちました。 >著者には申し訳ないけど、しょせん頭のなかで生きてる >オタクの言うことだなあ、と正直言って思いました。
本を出したからには、どんな感想を持つのも本人の自由です。 でも、上の感想は、なんかイヤな感じがしました。ちょっと考えたらわかったのですが、これを書いた人はオタクを差別しています。これが「しょせんバカの書いたタワゴト」と書かれたら、別にイヤな気分はしなかったと思います。 この感想を書いた人の「オタクだからダメ」という視点が、なんかイヤだったんでしょうね。
たとえば「オタク」を「女」と言い換えてみましょう。 >『フロン』の感想を読んでわたしは違和感を持ちました。 >書いた人には申し訳ないけど、しょせん頭のなかで生きてる >女の言うことだなあ、と正直言って思いました。
ね、けっこうひどいでしょ? 今まで「しょせん女だから」「女の考えることなんか」と差別される側にいた女性でも、こんなに簡単に人を差別して、おまけにそれには無自覚な様子なのでイヤになっちゃいました。」
私は岡田さんが怒ってくれてるってことで嬉しくなっちゃったぞ。 『オタク』と言うコトバが一般に浸透した原因は、ルーツと言われる中森明夫のエッセイよりも、宅八郎と宮崎勤の存在が大きい(それが証拠に、私の大学時代、既に中森氏のエッセイは発表されていたが、私を含めて、私の周辺のオタク的な人々の誰一人として「オタク」と呼ばれたことはなかった)。 言わば、全くのマイナスイメージだ。 そのとき作られたマイナスイメージは、未だにあちこちで偏見と差別を生んでいて、「アニメが好きだ」と言っただけで「え〜、キミ、オタク?」なんて言われちゃうこともままある。
宮崎勤事件が起きた時、たいていのオタクは「アレはホンモノのオタクではない」と、そのコレクションの「レアものならなんでもいい」みたいな嗜好性のいい加減さを指摘して、オタク仲間からの「追い出し」を図ろうとしていた。 私の場合、当時は逆に「俺はオタクじゃない、マニアだ」とか言ってたなあ。でも実質、宮崎勤との間に差別化を図ろうとしてた点では同じだ。でもなあ、やっぱり社会的常識から言えばさ、何万本ってビデオを持ってるってだけで、充分「オタク」なんだよな。いくら本人が否定したって、物理的な共通項があれば、世間は一つのカテゴリーでくくっちゃうよな。 かと言って、くくられて仕方ない、と諦観できるわきゃない。 なんたって相手はヘンタイの犯罪者だ。当時のオタクたちはたとえムダだと知りつつも、宅八郎や宮崎勤なんかと同一視されることを嫌がる言質を繰り返して訴えてきたのである。……まあ、嫌がらないほうが不自然だよね?
オタクたちは、自分たちが好きなもの好きだって堂々と言えるだけの文化的土壌を持っていなかった。それどころか、宅や宮崎の登場で、自分たちの立場を社会的に認知させるためのコトバすら奪われてしまっていた。 「オタクのどこが悪い!」 たったこれだけのことを、口に出せないムードが、社会を支配していたのである。 それを、「オタク」というコトバはそのままに、内実のイメージを全く逆にプラス転換するというアクロバットのような手法で逆転させてしまったのが岡田さんの「オタクエリート論」なのだ。 もちろん、その論の創始者は必ずしも岡田さん一人に限定は出来ないが、世間に対して積極的に戦略を展開していったのは紛れもなく岡田さんだ。 「夢と現実との区別がつかないオタク」なんて陳腐なイメージの中に、「何かに熱中する人間を全て放りこんでしまおうとする」世間の人々の偏見を、次々に遺伝子操作よろしく「組み替えて」いった手腕は、もっともっと評価されていい。
そして、岡田さんは未だに怒ってくれているのである。 この『フロン』について、女の人が「頭の中で生きてる」って批判したってのはつまり「夢と現実の区別がつかない」って批判と同質のものであろう。 しかし、人間は「心」を持ってしまった時点で、現実を認識できる能力を殆ど捨て去ってしまった動物であるのだ。
……あの、今回のテロ事件だって、我々がどれだけあれを「現実」として認識できてると思います? というか、「現実」と認識すれば認識するほど、心がその事実の重みに耐えられなくなってしまうとは思いませんか? あるいは、こういう例を考えることもできるよね。何か事件が起こるたびに「まさかあの人がこんな事件を起こすなんて」ってみんな言うじゃない。てことは、その事件を起こした本人じゃなくて、周囲の人間の方が犯人の「現実」が見えてなかったってことでしょ? 人間の防衛規制って、全部「現実から目を背けること」から成り立っているのよ。
この女性も、自分が「頭の中で生きてる」人間であることに気付いていない。気付いていれば、こんな言葉は使えないからだ。 というか、「現実を見てない」なんて批判は、もとから批判としての機能を持ち得ない空虚なコトバなのだという「現実」すら、世間の差別者たちには「見えていない」のだ。 ……悲しいよな。
作り置きのカレー、やっと全部食えた。 前のよりは「美味い」と言って食べたしげだったが、最後はあまり食べてくれなかった。 「肉が固い」というのである。 鶏肉の切り落としを具に使ったのだが、確かにコリコリした肉が入っていたのは事実だ。けど、それが私には美味しかったんだがなあ。 だいたい、ウシとブタの区別もつかないくせに、ウマイのマズイのって言えるってのがいい根性してるよなあ。
マンガ、神坂一原作・トミイ大塚作画『スレイヤーズすぺしゃる』4巻(完結/角川書店・546円)。 映画公開が近いのに、本編シリーズもこのすぺしゃる版のマンガ化も終わっちゃった。 結局、マンガ版はあらいずみるい版、義仲翔子版、そしてこのトミィ大塚版と3種類も出たわけだけど、ほぼオリジナルといっていいあらいずみ版を除けば、原作のノリに迫り切れたものはない。この4巻も、ページ数の限界で、今一つ感が強い。原作を消化しきれずにここで終わりってのも無理からぬ気はする。 でもなあ、ラストはもうちっと最終回らしくしてほしかったなあ、とは思うのだ。ラスト前の1話をフィリオネル王子編でシメてたんで、てっきりナーガとの親子対面があるかと思ったのに、すれ違いなんだものなあ。 いい加減、このすれ違い、引きすぎじゃないのか、『君の名は』じゃあるまいしよ。まあ、マンガ版より先に小説版でやんなきゃいけないことだけどね。 そのためには、本編の第3部を神坂さん、書かなきゃいけないと思うんだけど、そんな気配もないよなあ。
麻耶雄嵩原作・風祭壮太作画『メルカトル鮎の事件簿 化粧した男の冒険』(秋田書店・540円)。 原作は短編集『メルカトルと美袋のための殺人』(講談社)。 ここ数年で随分増えたよねえ、新本格ミステリのコミック化。 しかも、こないだ読んだ『モーツァルトは子守唄を歌わない』もそうだったが、必ずしも原作におんぶに抱っこの、マンガとしての工夫のないつまらないものではなく、意外といい出来ってのが多いのである。 あ、内田康夫原作のは除いてね。ヽ(^。^)丿 おかげで、「原作読まなくてマンガでいいか」って気になっちゃうのはよくないけど。 この『メルカトルの事件簿』も、最後の『水難』が真犯人が○○という、掟破りの手に出ている点を除けば、まあ、悪いデキではない。 探偵の性格が悪い(何しろ自分の天才を証明するために犯人の殺人を誘発さえする。……ってそれって真犯人って言わんか)、というのは実はミステリーの伝統だといってもいい。 シャーロック・ホームズだって「自分の知的好奇心を満足させてくれる事件が起きないか」っていつも考えているし、明智小五郎だって、ある事件じゃ真犯人の片棒担いだりしている。 ラスト・ケースの真犯人が探偵ってパターン、どれだけあるかね(^.^)。 マンガが犯罪の誘発要因のように言われ出す前、目の敵にされてたのはミステリーだった。戦前、乱歩の小説が谷崎潤一郎と並んで、有無を言わさず全作発禁になったのは、そのエロ・グロ性ゆえであったが、そういった暗いイメージを払底しようと、戦後は「ミステリーは健全な読み物です」みたいなキャンペーンが張られることも多くなった。まあ、悪は滅びるっていう「勧善懲悪」的な物語ばかりが量産されちゃったんだね。 けれど、探偵と犯人の知恵比べっていう設定は、実は勧善懲悪とは何の関係もない。探偵が悪に手を染めることだって、あるのが「自然」だ。 シルクハットにタキシード姿、自分は名探偵ではなくその名を後々まで人々の心に刻む「銘」探偵である……って、性格が悪いっていうより、破綻してるぞ。 だからこのシリーズ、ある意味で全ての事件の真犯人は、メルカトル自身とも言えるのだ。 凄いんだかヘンなんだか。
マンガ、清涼院流水原作・蓮見桃衣漫画『エキストラ・ジョーカー JOE』(角川書店・588円)。 で、これもミステリの漫画化ってことになってるけど、「日本探偵クラブ」とか、「L犯罪」とか、非現実的な設定がやたらぶちこまれてるので、どこまで事件をまともに受け取っていいのかわかりにくい。なんだか『ケイゾク』の後半のようである。 まだこれが前編ということで評価は下しにくいが、新時代のミステリの一つの形式を作るのか、ただの大バカ漫画になっちゃうのかは、神一重ってとこだろう。 少なくとも「ファジィ推理」ってのが、「直観」とどう違うのか、くらいは説明してほしいもんだけど。
……それにしても、まさか『全てがFになる』までが浅田寅ヲで漫画化されるたあ思ってもみなかったなあ。買いはしたが、怖くてまだ読めないでいるのである。
2000年10月05日(木) ちょっと浮気(?!)とSFJAPANと/『荒野のコーマス屋敷』(シルヴィア・ウォー)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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