無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年11月10日(水) チャット再開?/映画『キャット・ウーマン』

 日記のカウンターがいよいよ10万に近づいております。
 これまでの1万、2万と違って、なんたって10万! なので、大々的に何かイベントでもやりたいところなのですが、今んところ大したことが思いつきません。新しいコンテンツを立てようかって気は前々からあるんですけれども、最近息切れが激しいから(^_^;)。
 このままのペースで行けば、多分、休日中か週明けくらいには10万ヒットは達成できるんじゃないかと思いますが、とりあえず久方ぶりにチャットを再開しようと思ってます。題して「思えば遠くへ来たもんだチャット」f(^^;) 。
 予定は11月13日(土)の夜11時から2時間程度。1回こっきりの再開のつもりですので、数少ない読者のみなさま、ぜひこの機会をご利用くださいますようお願い申し上げます。なんか文句言いたい人もいるだろうし(~_~;)。今まで1度もチャット参加はおろか、掲示板書きこみもしたことのない劇団メンバーのみんなも、来てくれると嬉しいんだけれどもね。
 あ、あまりに久しぶりなので、入り方が分らない方へ。日記の上の「ホームページ」からトップページに行ってもらって、そのあと、ずーっと下までスクロールしてもらうと、「おしゃべりリスの鍋煮込み 〜chatterer's room〜」ってとこがあります。そこから入ってくださいませ。イチゲンさんも大歓迎だけれど、時間的に誰も来ない可能性も大かな(^_^;)。
 あと、10万ヒットの記念品も一応用意してはいます。某作家さんのサイン本とかですが。カウンターにご注目いただいて、「踏んだぞ〜!」ってご申告と一緒に、メールでご住所を教えていただければ、ひと月以内くらいにはお送りいたします。どうせ通りすがりさんが踏むんだろうけれどさっ(`-´)。


 昨日の日記に書き忘れていたこと。
 映画に行く前にヤマダ電器に寄って、ついにテレビを修理に出すことにした。
 いや修理もそうだけど、もう思いきってソニーのデジタルチューナー内臓液晶テレビ買っちゃうことにしました。いずれ買わなきゃならないものだし、自分では忘れていたけれども、ヤマダの特別会員になっていたので、修理費がタダ、新しいテレビを買っても、ポイントが付くので10万円の値引きになるのである。テレビが届くのは土曜日になるとか。
 これまでの28型よりひとまわりでかい32型になるので、この本とDVDがひしめき合ってる狭い部屋ではちょっと場所取りにひと苦労しそうではあるのだが、ある程度デカい画面でないと、目が悪いんで何が映ってるかよく分からんのである。これでデジタル放送も録画できることになれば、見たい番組がまた一気に増えることになるが、とても見る時間が捻出できるものではない。在宅の仕事だったらまだ楽なんだろうけど、サラリーマンはそうもいかないのである。
 なんだかね、誰ぞの仕事を肩代わりしさえしなけりゃね、もちっと時間はできると思うんだけれどもね(-_-;)。


 今日はなんとか定時に仕事を終えることができたので、しげと待ち合わせをしてキャナルシティで映画『キャット・ウーマン』を見る。お客さんは結構いっぱい、昨日の『80デイズ』はかなり閑散としていて寂しい限りであったが、本国では大コケしたという『キャット・ウーマン』、日本ではそこそこヒットはしてるのかも。
 事前情報では主演のハル・ベリーがミスキャストとか言われていたようだったが、『バットマン』本編とは関わりがない、という作りであったし、私はあれはあれで悪くないと思う。日本も外国も、思い入れが強い人にしてみれば、オリジナルイメージとちょっとでも違えば「許せん!」ということになるのだろうが、そもそもキャット・ウーマンにオリジナルイメージなんかあるのか。原作キャラとこれまでのキャットウーマン女優とを比較して見ればわかるが、そのスタイルも性格も千差万別と言っていいくらい違うけどね。
 でも今回のキャット・ウーマン、そもそも何者だかよくわからん、という点ではキャラ設定を失敗はしているのである。別に女怪盗ってわけでもないし(本能に駈られて宝石盗んじゃうけど、正気に戻るとちゃんと返しに行ってるのである)。自分を殺した企業に復讐を果たし、「女は男に支配される存在ではない」って嘯くまではいいけれど、じゃあ、そのあと夜の街を徘徊して、あんたはこれから何をしたいのか、っていう点になると、結局何も描かれないまま終わってしまうのである。こりゃ確かに拍子抜けだ。あとやっぱリキャットウーマンのコスチュームが魅力的に感じられないのも痛い。
 『ヴィドック』のピトフ監督、今回は特に高画質の映像を目指したわけではなかったようだが、アングルや編集には凝ったシーンが見受けられはするものの、もう一つ、夜の街の神秘さを演出するまでには至っていない。CGと実写を連続させる技術は見事だが、映像効果として評価できるかというとそうでもない。エジプシャン・マウの精を受けて蘇えるんだから、もっと眩惑的なムードを漂わせてもよかったと思うんだけどね。そのへんは『猫の家』のシーンあたリでちょっとだけ感じさせはしてくれたけれど。

2002年11月10日(日) 永遠という名の魔女/『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』40話/『ギャラリーフェイク』26巻(細野不二彦)
2001年11月10日(土) AIQ機動!……いや、とっくにしてるんだけども/『不死身探偵オルロック』(G=ヒコロウ)ほか
2000年11月10日(金) 今日は本読みすぎて感想書ききれない/『クトゥルー怪異録』(佐野史郎ほか)ほか


2004年11月09日(火) 『笑の大学』余燼/映画『80デイズ』

 映画版『笑の大学』を見て以来、しげの機嫌が頗る悪い。『キネマ旬報』の映画評を読んで(評者によって賛否は分かれている)、「ねえ、あとで弁償するから、この雑誌、破いていい?」と来たもんだ。「鬱憤晴らしたいなら外で叫んでこい!」とどやしつけたけど。私もエンディングロール見ながら石投げつけたくなったから、気持ちは分からないでもないのだが。
 『笑の大学』は、劇団のメンツで一緒に見に行こうかという計画があったのだが、スケジュールが合わずに結局断念した。でもツアーを組まなくて正解だったかなと思う。
 大人数で映画を見に行けば、当然、一人一人の意見の違いが生ずる場合だってある。そこで自由にモノが言えなかったら、そもそも一緒に映画を見に行く意味なんてないと思うのだが、中に頭でっかちなヤツが混じっていると、往々にして次のようなしたくもない応酬が行われたりするのである。
 「今日の映画、すっごい素敵でしたね! 私、大感動しちゃいました!」
 「そうかあ? 脚本は穴だらけだし、演出は陳腐で退屈、役者の演技に至っては素人以下で、見てて吐き気がしたけど」
 「ひ、ひ、ひどい! 私は面白かったのに、それを貶すなんてヒドイ!」
 「思ったこと言ってるだけじゃんかよ。何が悪いんだよ」
 「あの映画の素晴らしさが分からないなんて、アナタは人として何かが欠けてます! ええそうですともアナタは人間じゃありません、ケダモノですゲドウですアクマです!」
 「なんでそこまで言われなきゃなんないんだよ! つまらなかったものを無理して誉める方がどうかしてるだろ!?」
 「そんなにイヤなら初めから見に来なきゃいいじゃないですか!」
 「見る前からつまらないかどうかなんて決められるか! 時空を捻じ曲げた難癖つけてんじゃねえ!」
 ……こういう理不尽な目にあった人、たくさんいらっしゃるでしょうね。ホントによう、この手の「イヤなら見るな」って屁理屈が通ると思ってる野糞野郎どもがごちゃまんといるからねえ。場合によっては、映画を作ったスタッフとかがこんなこと言ったりするんだよ、情けねえ。だったら「見ろ」って宣伝してんじゃねえや。公共に提示されたものなら、批判を受けることだってあり得るんだから、それにいちいち怒るくらいなら、ハナから映画なんぞ作るなって。
 私ゃ自分が面白く思った映画を貶されても「視点が違うからしゃあないなあ」で終わるんだけれども、世の中、「自分の判断が絶対」って信じてる人間がやたらいるのだ。今更ながらだけれども、一応、注をつけておくとね、そういう「自己中」野郎と、そうでない人間との簡単な見分け方はね、「自分の判断を貶されて、怒るか怒らないか」なの。「貶されたら怒るのは当たり前じゃん!」と仰る御仁は、その時点で世間的には「あほ」だと判別されるので、ご注意ね。でもね、悲しいことに、そういう「あほ」の数も昔に比べていやになるほど増えちゃってるんでね、いくら私が「いちいち怒るな」って言ってもね、「バカにされたら怒って当たり前だ!」と堂々と主張するようなとっちゃんぼうや、全然減らないのよ。だって、そういうやつらほど群れなしてお互いを認知しあってるから、いつまで経っても自分が世間に迷惑撒き散らしてる存在なのか気がつかないままなのね。筒井康隆の『農協月へ行く』を想起して貰えれば私がどういう連中のことを指して言ってるか分かると思うけど、そういうのを「猿山の猿」って言うのよ。
 うちの劇団のメンバーにそこまでお軽いアタマの持ち主がいるとは思わないけれども、意見の相違はやはりあろうと思うのだ。特に舞台版を見たことがなくて、映画版だけを見た人だと、「面白い」部分も確かに残っちゃいるので、あれを「傑作」と勘違いしてしまう可能性だって大なのである。ネットでも舞台を見ている人の批評で映画版を称賛しているものは殆ど見かけないのだが、舞台未体験者に向かって、あの映画がいかに舞台を映画に移し変える際に失敗しまくっているか、口が酸っぱくなるくらい唾を飛ばして説明したところで、ピンと来ることはないんじゃないかという危惧がある。だとしたら私が言えることは「ともかく舞台の方を見てよ」しかないのだが、DVDも販売されてはいないし、私がエアチェックしたビデオを貸してあげるしか手はない。……でもそれって「押しつけ」になっちゃうんだよなあ。そこまでして舞台版を見てほしいかというと、それほどまでには舞台版も評価しちゃいないんでねえ。三谷さんの舞台で見せるのなら、まだ『出口なし!』の方が面白かったし、そっちの方を見せたいと思うのである。まあ、結局、映画見たあと、たいして会話が弾むわけでもないやな、と思えるので、みんなで見に行かなくてよかったかなあ、と思う次第なのである。


 今日も仕事がちょっと遅くなって、しげとの待ち合わせが6時半。
 朝方、「今日は6時は過ぎるよ」と伝えておいたのだが、聞いたそばから忘れていたしげ、4時に職場に着いていた。2時間半駐車場で待ちぼうけしていた勘定になるが、これは私のせいではない。なのに「聞いたことなんて、忘れるに決まってるやろ!? 『何時になる』ってメールで送ってよ!」なんて言うのである。理不尽にも程があるというものだ。だったら自分でメモしとけよなあ(-_-;)。
 だいたいのうたりんなしげは、今日、なぜ待ち合わせをしていたかまで忘れていたのである。
 「……さあ、帰るか」
 「帰るって、映画はどうする?」
 「なんか見るのあったっけ?」
 「お前、昨日『80デイズ』見るって言ってたろう!」
 「ああ、そうだった! よく覚えてたね」
 「自分から言ってたこと忘れるな!」
 しかも、待ちくたびれてやたら寂しくなったのか、車に乗ってる間、「ねえ、オレのこと好き?」とか言って絡んでくるし(運転しているのでホントに絡んでは来ない)。
 「ねえ、オレのこと今でも好き?」
 「別にオレは変わらないよ」
 「別れてもやっぱり好き?」
 「別れたいのかよ、お前は」
 「別れることになったらだよう」
 「オレの方から別れるつもりはないから、仮定の話はできんな。別れるとしたらお前がほかのやつを好きになった場合だけど、そのときはオレがお前のことを好きかどうかなんて関係なくないじゃん」
 「その時も、アンタはオレを引きとめんっちゃろ?」
 「うん」
 「ドラマがなくてつまんない〜」
 「無理矢理ドラマにするな! お前がオレと別れたくなったらそれでおしまいってだけだから、楽だろ?」
 「楽じゃないよ。離婚には絶対エネルギーが要るよ。ハンコ押すだけでも大変だし」
 「どう大変なんだよ」
 「旧姓のハンコ作るのがめんどくさい」
 ……それが理由かい(-_-;)。しげの話にマトモに乗ると必ず疲れたオチがつくのだが、平日の、しかも週明け間もない頃にこれをやられると一週間がすごく長く感じられてしまうので、やめてほしいのである。って、平日に付き合わなきゃいいんだけどねえ。そうもいかないしねえ。

 キャナルシティに着いて、しげに今度の公演の美術セットの模型を見せてもらう。模型と言っても紙製の簡単なものではあるが、イメージが伝わるものであればそれで充分である。製作したのは細川嬢。
 最近、彼女の株は我々の間でぐんぐん上がっていて、しげなどは次回公演の美術も頼めたら頼みたい、と言ってるほどなのだが、実際モデルを見てみると、簡素な中に機能とデザインの調和が取れていて、なかなか見事なものである。なるほど、プロを目指してるだけのことはあるなあ。会場のアクロスは円形舞台なので、その舞台構造を生かした袖幕の引き方も難しかろうと考えていたのだが、その問題点があるアイデアで美しくクリアーされていたのだ。全く感服。
 ただ、模型だとどうしても布の質感が分からないので、イメージイラストを描いてもらえればよかったか。実際にセッティングを担当するのは其ノ他君だから、その方がイメージを伝えやすいと思うのである。


 映画『80デイズ』、これまで何度も映像化されてきたジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』のリメイクであるが、ほぼジャッキー・チェン演じるパスパルトゥーが主役のアクション映画といってよく、ハリウッド製のジャッキー映画としては『ラッシュアワー』や『上海ヌーン』シリーズよりもアクション度において満足度は高い。なんたって後半に至るまで殆ど追っかけに次ぐ追っかけ、アクションに次ぐアクションなんだから、ジャッキーファンとしてはようやくハリウッド映画でもジャッキーの真骨頂を見せてくれた! と嬉しくなるばかりである。いやまさか、『酔拳』とまでリンクしてくるとはビックリ(ただし、ウォン・フェイフォンを演じるのはジャッキーではなく、サモ・ハン。……太り過ぎだって! よく動いてるけど)。
 どうして見るからに中国人であるジャッキーがフランス人であるパスパルトゥーを演じられるのかと疑問に思っていたのだが、フォッグ氏には「こう見えてもフランス人です」と正体を隠してウソをついていたのであった。って信じるなよフォッグ氏!(^_^;) 
 こういう無理矢理ギャグは好き嫌いが分かれるだろうが、エリック・アイドル主演の『ナンズ・オン・ザ・ラン』にも同様に、アイドルが「ぼくってインド人じゃなかったの!?」とショックを受ける無理矢理なギャグがあって、こういう“パイソン風”の笑いは大好きなのである。ジョン・クリーズがカメオ出演していたのは、監督のオマージュもあると見た。
 ただ、ジャッキーが前面に出た分だけ、原作のゴージャスな世界旅行記としての印象は薄れてしまっているので、原作ファンには不満かもしれない。ヨコハマにも立ち寄らないし、未見の方にご注意しておくが、あくまで「ジャッキー映画」を楽しむ感覚で見に行かれたらよろしかろう。


 作家の南條範夫氏が、10月30日に肺炎のため死去していたことが判明、享年96。
 この人についても書き出したらキリがない。映像化された作品がやはり親しみ深く、『武士道残酷物語』『元禄太平記』『月影兵庫』『からみ合い』などがすぐに思い浮かぶ。もっとも原作をかなり換骨奪胎したものが多いんだけど。
 近衛十四郎の『素浪人月影兵庫』が、あまりに原作とかけ離れた内容になってしまって、原作者からクレームがつき、途中から「顔は同じだけれども全くの別人」という設定で『素浪人花山大吉』というタイトルになったのは有名(このシリーズも今の若い人たちに見てもらいたいんだよなあ)。大衆作家に括られてはいても、社会派的な作品を数多く書いており、その映像化に関しても一家言があったのだと思われる。『元禄太平記』は数ある忠臣蔵小説の中でも、「敵方」である柳沢保明(後の吉保)を中心に描いた点で、私の最も好きな作品であった。ドラマの石坂浩二も酷薄でよかったなあ。

2002年11月09日(土) 探偵って卑下しなきゃならない商売なのかね/映画『トリック 劇場版』
2001年11月09日(金) いちまんななせんえんの幸福/『GUN BLAZE WEST』2・3巻(和月伸宏)ほか
2000年11月09日(木) だって猿なんだもん/『グーグーだって猫である』(大島弓子)ほか


2004年11月08日(月) 最後のお小遣い/映画『笑の大学』

 母が私名義で買っていた株券がようやく売れる。これまで書類手続きがいろいろと煩雑で伸び伸びになっていたものだが、もちろんバブル崩壊後の株価の下落を受けて、買値よりかなり減殺してはいるが、それでもちょっとしたお小遣い程度のおかねは手に入った。母から貰う最後の小遣いである。何か記念になるものでも買いたいようにも思うが、とりあえずはテレビの修理代に回す予定。何ヶ月か前にイカレて画面が映らなくなっていたウチのテレビ、実はまだ修理に出していなかったのである(^_^;)。じゃあこれまでどうやってテレビを見ていたかと言うと、お風呂テレビに電波飛ばして、それで見ていたのですね。
 デジタルテレビを買おうかって話もあったんだけれども(それで映るようになるCSチャンネルもあるし)、それはそれで次のボーナスのときに考えることにしたのである。今月から来月にかけては、うちはちょっとだけ裕福になるかな。この間に東京行きの資金を溜めとかないと。
 この日記読んでると、旅行だの上京だのDVDだのと、やたら遊んでやがるなあ、という印象を持たれて、我が家には無尽蔵に財産があるように錯覚してる人がいるかもしれないが、もちろん、んなわきゃあない。結構あれやこれやとやりくりはしているのである。ちなみにこの数年、私はTシャツ以外の新しい服なんて買ったことがないぞ。スーツなんて一気に数万ふっとぶようなもん、誰が買うか。誰かヘンな柄のTシャツとかあったら恵んでくれ(^o^)。


 残業で退社が8時。遅くなると伝えてはいたのだが、しげは駐車場で小一時間待たされる。6時に予定されていた会議の始まりが同僚の都合で遅れて、結局7時からになってしまったせいである。しげとは9時から映画を見ようと約束していたのだが、もう時間はギリギリ。当然しげはブスくれている。けれど、昔ほどにはヒステリーは起こさなくなっているので、ケンカして結局映画を見損なう、といったような事態に陥ることは避けられている。こちらもできるだけ仕事を早めに終わらせようと努力はしているので、そのあたりの事情を鑑みて、気遣ってくれるくらいの心の余裕が生まれているのなら、しげも少しは成長していると言えるかもしれない。単に面倒臭がりなのが進行しただけって可能性も否定できないが。

 場所は久しぶりの大野城サティ。レストランに入ってゆっくり晩飯を食うほどの時間の余裕すらないので、回転寿司の店に入り、十五分ほどで7、8皿を平らげる。そのあと、ワーナーマイカルで映画『笑の大学』を鑑賞。
 ……いやねえ、舞台版を先に見てるってこともあるけど、演劇を映像化する際に「やっちゃいけないヘボ演出」をこれだけやりまくって地雷踏んでる映画は見たことないよ。監督の星護、ドシロウトよりヒドイ。「密室劇」だからこその面白さを、やたら外に出して流れを途絶えさせる(『12人の怒れる男』の爪の垢でも煎じて飲めよ)、無駄なカットが多すぎて終始退屈、役者に意味不明な演技はつける、これ以上ないってくらいにヒド過ぎる演出なのである。稲垣、役所の役者二人も脚本がまるで読めていず、トンチンカンな演技をしまくっている。どこをどう取っても「最悪」で、誉めようがないのだ(小松政夫さんの「さるまた失敬」が見られたのは嬉しかったけど)。ともかくあの陳腐でつまんない幕ギレ! 舞台を見てない人が、映画で初めてあれを見て、「これが真の『笑の大学』だ」なんて思ったとしたら、こんな悲しいことはない。舞台版は映画の100倍は面白いんだよう!
 舞台版だって、実は大傑作とは言えない。脚本家の三谷さんの時代考証の甘さは目立つし、劇中劇がアチャラカになりきれていないという大欠点があるのだ。けれど、それでも近藤芳正さんの汗まみれの熱演で、そういう弱点がかなりカバーされていた。稲垣には到底ムリなことで、力不足も甚だしい。あの、「演技してますよ」的なクサイ小芝居の連続にはとても耐え切れん!(T∇T) 結果として、「笑いの起こらない喜劇」が出来上がってしまっているが、見せられる方は苦痛でしかない。ああ、なんで戯曲を戯曲のままにしておいてくれなかったかな。
 文句を付け出したら一昼夜はかかりそうなのでやめとくが、ある意味、映画『デビルマン』よりもむかっ腹の立った映画であった。つか、見終わったあと、マジでスクリーンに石投げつけたくなったよ。

 帰宅して、“口直し”に舞台版の『笑の大学』を見ながら寝る。ああ、近藤さんはやっぱりいいよなあ。

2002年11月08日(金) ウチもベストカップルだと言われることはあるが(-_-;)/『アフター0 著者再編集版』7・8巻(岡崎二郎)
2001年11月08日(木) エロに偏見はありません/『伊賀の影丸 邪鬼秘帳の巻(上)』(横山光輝)
2000年11月08日(水) チンジャオロースって漢字変換できねー/『家出のすすめ』(寺山修司)



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藤原敬之(ふじわら・けいし)