無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年11月08日(金) ウチもベストカップルだと言われることはあるが(-_-;)/『アフター0 著者再編集版』7・8巻(岡崎二郎)

 理想の有名人カップルを選ぶ「パートナー・オブ・ザ・イヤー」ってのがあるそうである。で、今年の受賞者が西村知美・西尾拓美夫妻なんだって。
 別に誰が選ばれようが文句つける理由はないのだけれど、西村知美カップルを見て「理想的」とか思う人っていたのか、この世に。
 だいたいコミュニケーション不全のまま○○歳になってもチョンガーだったりヤモメだったりして、でもやっぱり三次元の人間より二次元キャラへの思いが立ち切れなくて、寂しく暗くさもしく虚しい暮らしの中で、○○○○のフィギュアを抱きしめながら毎晩枕を涙で濡らしているような一人ぼっちのオタクから見れば、「カップル」なんて、つがってるというだけでケツから蹴り入れたくなるような存在であるのだろう。
 それがよりによってトロリン夫婦である。ナマで存在してるミッチーとヨシリンなんである。三原順子とコアラもカンベンしてほしいが、だからと言って西村知美ならまあいいかという問題ではないのだ。ほかにいないからとかいう消極的な選考理由なのかもしれないが、少なくともあれ見て「素敵?」なんて思っちゃった人間がこの世にいたってことは間違いないのだ。世間は広い。広すぎる。
 なんせ西村知美はこないだ百キロ走ったばかりなのである。かと思ったらどういうわけか4日にはニューヨークマラソンにプライベート参加して、42.195キロを6時間43分19秒で走り切っちゃったってんである。そのうえ今回ベストカップルに選ばれて「結婚5年目でこんな賞をもらえるなんて感謝感激です」とかなんとか言っちゃって(5年目だからって、それが何?)、公衆の面前でキスまでご披露してるんである。どんどん図に乗ってないか。図に乗ったその先のベクトルがいったいどこに向かってるんだか全く分らないから、これがまた怖い。
 ……いや、何が怖いかって、この暴走を止めていいのかいけないのか、それ自体がよくわかんないってことだと思うんである。いったいどうしたらいいんでしょうかね、ホント。


 夕方、しげにいつも通り職場まで迎えに来てもらったのはいいのだが、今日は仕事が早出だそうで、食事を一緒にするだけの時間がない。
 仕方がないのでマクドナルドでハンバーガーを買って帰る。好き嫌いのない私だが晩飯にバーガーはあまり食べたくはない。夕食って感じともディナーってのとも全然違うし。


 携帯電話を新しく交換。
 何だかよく分らないが、しげの話では交換しなければならない理由が何かあるらしいのである。以前使ってたのはなんだかおもちゃっぽかったが、今度のは二つ折りになっててパカッと開けるとディスプレイが光るのである。ボタンも大きく押しやすくなってて使いやすくなってはいる。
 でもやっぱりウルトラ世代の私としては、携帯電話ってのは腕時計式で画像が映るレシーバー式のものてせないと! などと思ってしまうのだが、そんなん普及しそうにないよなあ。もうどこかで作ってそうな気はするけど。


 今日はいよいよ『プリンセスチュチュ/卵の章』の最終回、仕事に出かけたしげからも「ちゃんと録画しといてね」と頼まれる。
 そりゃオレだって楽しみにしてるんだから、とデッキにテープを入れた途端、「ガガガガ」とイヤな音がして、デッキがウンともスンとも動かなくなってしまった。
 「血の気が引く」とはこんなときに使うコトバであろう。どうしてよりによって最終回直前にデッキが壊れにゃならんのか。
 悪戦苦闘してデッキのフタを取り外し、ひっかかっていたテープを回収して、配線をつなぎなおしたが、やっぱりデッキは作動しない。
 時間は空しく過ぎて行く。キッズステーションにチャンネルを合わせたら、『チュチュ』は今しもラストシーン、ドロッセルマイヤーが「お話はまだ終わっちゃいない」と不気味な言葉を残して消えて行く。……チュチュとクレールの対決はどうなったんだよう(T∇T)。
 ……『ザ・リング』見て七日経ったけど、もしかしてサマラの呪いなのか、これは。(@@;))))〜〜(((((;@@)

 帰宅したしげに「『チュチュ』はDVD買うから」と言って謝る。
 けれどしげ、無言のまま、表情も変えない。
 悲しいのか怒ってるのか、「言はで思ふぞ言ふにまされる」ということであるのか。
 しげの沈黙ほど怖いものはない。


 マンガ、岡崎二郎『アフター0 著者再編集版』7・8巻(完結/小学館/ビッグコミックス オーサーズ・セレクション・各530円)。
 『世にも奇妙な物語』スタッフは、岡崎二郎作品を原作にしてまるまる2時間、スペシャルドラマ化を図ったらどうか。それくらい、岡崎作品はバラエティに富んでいる。その質の高さはマンガによる『トワイライト・ゾーン』と称しても過言ではなかろう。
 7巻は『生命の鼓動』というタイトルで動物モノを収録。最終8巻は『未来へ…』と題して科学の発達・進化の行く先を空想したSF作品を集める。特に8巻は、シリーズ第一作『小さく美しい神』と最終作『無限への光景』を同時収録するという、岡崎作品の原点と、未来への展望を同時に味わえるという粋な構成になっている。「オーサーズ・セレクション」の名に恥じないってとこだね。
 『小さく美しい神』は、業界で五指に入るほどの大企業、大洋電機の成長には座敷童子がいた、というお話。カイシャなんていう、民話のキャラが住まうのには不似合いなところに、どうして童子が居付いたのか、というのがこの短編のキモなわけだが、その真相の提示のしかたがいかにもフレドリック・ブラウンのような藤子・F・不二雄のような小粋なモノだったので、「おもしろい作家さんが出てきたな」と注目したのだ。ちょうど『こちらITT』で草上仁さんが出て来たときの鮮烈な印象に近い感じだ。
 『アフター0』というタイトルは、当然「アフター5」をもじったものだろうから、そこに「深夜を過ぎてのフシギな時間」というイメージとともに、「会社もの」というシバリをかけてどこまでSF・ファンタジーがやれるか、という作者の挑戦の意味もあったと思う。日常SFこそがSFの王道、と考える私には、岡崎さんのこの方針がいたく気に入った。
 最終作『無限への光景』で、この「0」が「輪廻の輪」をも暗示していることに気付いたとき、「してやられた!」とも思った。こういうダブルミーニング、トリプルミーニングにセンス・オブ・ワンダーを感じられるかどうかで、その人がSF者か否か、資質の境が問われることになると思う。
 ある意味、岡崎さんの作品は落ち自体は予測がつけやすい。意外性に欠ける、という点では「そこにセンス・オブ・ワンダーはあるのか?」という疑問も湧きはする。けれど、それでもその予測可能なオチを「期待」しつつページをめくる心理、一度読んだ話を何度も反芻したくなる心理、そのような心理がどうして起きるのかを考えてみると、やはりそこには、SF者が最近ついぞかつえている「初めてのドキドキ」を思い起こさせてくれる「何か」があるからではないか、と思わざるを得ない。
 「懐かしさ」という言葉だけでは表し切れない、まさしく我々が世界との接点をどう見出して行けばよいのか、絶望と希望と、現実と夢の交錯するはざまに立っていた「あのころ」の感覚。岡崎作品から感じるものはそういうものだと思う。

2001年11月08日(木) エロに偏見はありません/『伊賀の影丸 邪鬼秘帳の巻(上)』(横山光輝)
2000年11月08日(水) チンジャオロースって漢字変換できねー/『家出のすすめ』(寺山修司)



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