無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年11月09日(土) 探偵って卑下しなきゃならない商売なのかね/映画『トリック 劇場版』

 ここんとこなんとか週に一本は映画に行けるようになっている。
 しげとの休みがちょうど合ってるおかげだけれど、一緒に行動することが少ないと、しげの機嫌はどんとん悪くなっていくので私もホッとしている。
 なんせ私にベタボレなしげは、私がちょっと目を逸らしただけで寂しがって「いや〜ん!」と言って抱きついてくるのである。傍目には嬉しそうな光景であるかもしれんが、日頃クッカーで腕の筋肉をレスラー並に鍛えているしげに「フンギュッ!」と抱きつかれるのである。マジで上と下からナカミが出そうになるのだ。逃げると「オレのこと好かんと〜!」と言ってダイダロス・アタックを掛けてくるのである。死ぬって。
 まあダマ婆さんに「お爺さ〜ん!」と襲われるようなもんだと思っていただければよろしい。
 しげのココロを落ちつかせるためには、日頃から「ボクはいつも君のこと思ってるよ」ビームでもしげに発してなければならんのだろうが、私はフツーの人間なのでそんな怪しいビームは出せない。仕方なく、できるだけ一緒にいて、しげが泣いたり怒ったり○○したりしてもすくに機嫌を取り結ぶことができるようにしてなきゃならんのだが、そのためには見に行く映画も厳選せねばならない。面白い映画だと見終わったあとは私もしげもニコニコなのだが、つまんない映画だと、途端にしげの眼は三白眼と化し、「なんでこんなつまんない映画にわざわざ連れてきたんだ二時間ずっと苦痛だったぞケツは痛いし腹は下るし酸欠起こして頭痛はするしこれはオレへのイジメかそうかそうなんだなこいつオレのことなんてなにも考えてないんだクソ悔しい悔しいどうしてくれよう」と言う目つきに変わっているのだ。
 で、今日、見に行く予定の映画は『トリック 劇場版』である。
 ……これって自殺行為か?(^_^;)

 トリアス久山に向かう車の中で、前を行く車を指してしげが、「あれヤン車やね、で、オレたちと一緒のとこへ行くよ」と言い出す。
 マンウォッチングの趣味でもあるのかと聞いたら別にそういうことではないらしい。私には見た目どういうのがヤン車なのかは分らないが、少なくともトリアスに行くなんて断定はできないと思ったので、その旨をしげに告げたら、「絶対だ」と主張する。
 「なんでトリアスに行くって断言できるんだよ。別の用事かもしれないじゃん」
 「だってトリアスから向こう、何もないよ? ヤンキーがこんな寂れた所、トリアス以外にどこに行くんだよ」
 「わかんないじゃん、もしかして誰か家族が危篤で、慌てて家に向かってるとか」
 「賭ける?」
 「いや賭けないけどね」
 で、間もなくトリアスに着いたのだが件の車、しっかりトリアスに入っていきやがった。しげが勝ち誇ることと言ったら。日頃から頭悪い頭悪いとなじられつけてるから(言ってるのは私だが)、ちょっとばかし知恵が働いたことが嬉しくて仕方がないのだろう。でもやっぱ偶然だよな。

 ずっとずっと昔、当時の彼女に「喫茶店で道行く人のマンウォッチングでもしようか」と言ったら、スゴイ形相で嫌われたことがあった。他人のことを勝手に憶測するのは卑劣で汚らわしく、人の道に悖る行為だそうである。
 でもエスパーでもない限り、人は自分以外の人がどんな人間か分らない。だからいつだって「この人は何を考えているのだろう?」なんてことが気にかかる。しげなど一時期は(今でもそうかもしれないが)他人を「敵か味方か」だけで考えていた。無条件で相手を信頼することができないから、人は人を外見や素性で判断する。もちろんそれは偏見であり差別であり、だからこそ昔の彼女の言わんとすることも理解はできるのだが、実は人はその偏見を通してしか人を判断することができないのである。
 そして人は自らもまた他人から「見られて」いるのであり、そのことを覚悟しなければ人は人の中で生きて行くこともできはしない。私は風采も上がらない中年だが、だからと言ってその事実を否定して「オレを中年と呼ぶな!」と叫んだりしたら世間からは「アホか?」としか思われまい。我と我が身が周囲にいかに見られているかという事実を受け入れず、現実から目を背けていれば、それは逆に自らの尊厳のみを絶対視した他者への蔑みとはならないか。
 昔の彼女の態度は美しくはあったのかもしれないが、「私は他人を差別なんかしていない」という思いこみがその心を支配していたのも事実である。どうせ偏見から逃れられないのなら、自分の「罪」を認めちゃった方が自分に正直になれると思うんだけどねえ、私が「汚らわしい」人間ならシャーロック・ホームズも明智小五郎も平塚八兵衛も薄汚い外道、とうことになると思うがね。


 ヴァージンシネマズに予定の時間より20分ほど早めに到着。まだ開いている店もないので、しばらく外でぼんやり。寒がりのしげは車の中で震えている。
 手持ちのオペラグラスで雲の向こうの飛行機なんかを眺めていると、しげが車の窓を開けて「貸して」と言って取り上げる。
 何を見るのかと思ったら、「ああ、やっぱり! あそこにユニクロがあるよ!」と言う。私の視力じゃ見えないがあるのは間違いない。なぜなら今し方その側を通りすぎてここまで来たからである。てゆーか、何度も久山には来てるんだけどなあ、記憶力ないんか。なかったな。
 やっぱりしげの知力はこの程度である。

 10時を回ってようやく映画館が開く。
 『TRICK トリック 劇場版』、公開初日の1回目だけれど、客は十数人程度。小学生くらいの子連れの親子もいて、この子らも深夜テレビ見てたんかなあ、今時の親は子供の夜更かしとか別に叱らなくなってきてるらしいからなあ、と、親に9時には寝るように躾られてた自分のことと引き比べて隔世の感を覚える。

 相変わらずの極貧生活を送っている自称天才奇術師の山田奈緒子(仲間由紀恵)は、糸節村の青年団と名乗る二人の男女(山下真司・芳本美代子)から、自分の村に来て「神」を演じてほしいと頼まれる。300年に一度、村に起こるという災いを、神が来臨して救うという伝説があるというのだ。
 金になるならと喜び勇んで糸節村に入った奈緒子だが、そこには「亀の呪い」を訴える占い婆・菊姫(根岸季衣)と、先客の「神」(竹中直人・ベンガル・石橋蓮司)が三人もいた。
 埋蔵金を探しに来た日本科学技術大学教授の上田次郎(阿部寛)も合流して、「災い」の謎を解こうとした矢先、お約束通りに連続殺人事件が起こる。謎を解く鍵を握るのは奈緒子の母・里見(野際陽子)か!?

 自分で書いといてなんなんだが、あらすじだけだと一見面白そうだよな。露骨に『八つ墓村』のパクリだけど。テレビシリーズでも『黒門島』とか『六つ墓村』とかやってるから、結局性懲りもなく、ということになる。
 実際、濃茶の婆みたいな菊姫が出て来ても、それはパロディとして笑えるどころか、出来の悪いモジリ、失笑のタネでしかない。紹介される手品のトリックが殆ど子供だましなのは製作者も自覚していると見え、上田次郎の友人たちも糸節村の人々もみな一様に奈緒子の手品を見て白けるが、それがドラマのつまらなさをかわす効果を全く上げてないことに監督は気付いているのだろうか。「どうせつまんない手品見せて、回りが引くんだろうな」という予測がつく段階で、白けるのは観客もなのである。ギャグのレベルも信じられないくらい低いし。
 「お二人の関係は何なんですか?」
 「毎晩まぐわってます」(←村の方言で紙相撲のこと)
 こんなギャグで笑える人間いるのか。
 肝心の事件のトリック、犯人についても全くと言っていいほど意外性がない。『ケイゾク』のころはバカトリックではあってもまだ露骨なパクリは少なく、オリジナリティのあるものもあって許せたのだが、『トリック』にはそもそもミステリを構築するためのトリックというもの自体がない。監督の堤幸彦は「これはミステリではありません」と言ってるそうだが、じゃあミステリっぽいシチュエーションを持ってきてること自体、大間違いではないのか。
 それに、ミステリ以前にマトモなドラマとして考えてもあちこち破綻しまくってるんだけどねえ。オープニングの伝説の奇術師・ロベール・ウーダンのエピソード(口で弾丸を受け止めるってやつね)、これが本編に殆ど絡まないのもドラマ造りってものを堤幸彦が根本から知らないことの証拠だ。
 ラスト、三百年前の呪いの正体がいよいよ明かされるわけだが(ミステリじゃないということだからバラしちゃってもいいだろう)、地下水が三百年の間にたまって鉄砲水となって村を襲うのである。折りしも真犯人が狂気に走って山火事を起こしていた。奈緒子と上田は鉄砲水の「栓」となっていた亀石を動かし故意に鉄砲水を起こして山火事を消す……って、そもそもその水で村が水没するって設定じゃなかったの? 自分で作った設定、しかもドラマの根幹に関わる設定を作者が忘れちゃしょうがねえよなあ。奈緒子はやたら登場人物たちのおかしな言動に対して突っ込みを入れるが、まず監督に突っ込み入れるべきではないのか。

 そんなにつまらないなら、なんでわざわざ見に行くかというと、もちろん第一の目的は仲間由紀恵である。『ケイゾク』の中谷美紀の時もそうだったが、女優にヘンなことさせてキャラクター性を強調する演出には堤幸彦は長けている。「テメエラのやってることはマルッと全てお見通しだ……って誰もいないか」という一人ツッコミの間なんか実にうまい。糸節村のテレビ欄が『暴れん某将軍』ばかりなのを見ながら「一生住みたいくらい……」とウットリする演技なんかまさしく入魂。美人女優のわりにはこの人、姿勢がイマイチ悪いので、使いようが難しいのだが、こういうキテる役をやらせりゃいいのだな。
 ただやっぱりドラマとしてはとても評価できるものではない。殆ど不条理劇を見に行く感覚でないとフツーの映画を期待している向きには辛かろう。何しろ登場人物たちの殆どがいったい何をアイデンティティとしていて、どういう行動原理を持っているのかさっぱり掴めないのだ。作者が多分何も考えていないからである。見ているうちに笑っていいのか怒っていいのか、段々わからなくなっていくのだ。
 『ドグラ・マグラ』より『ハム太郎』より、『トリック』の方がよっぽどトリップ・ムービーだと思うがどうか。

 深夜出勤のせいで、『トリック』の内容を全く知らないしげに、「小説読んどく?」と予め水を向けていたのだが、「つまんなかったら見たくなくなるから読まない」と言い返されていた。けれど、こっそりコミック版の方を読んでいたしげ、マンガのほうは単に「つまんなかった」と言うだけだったのが、映画の方はそのわけのわからなさに困惑したようだった。
 「ねえ、これ、なにを面白がればいの? なにが面白いと思ってこんなの作ってるの?」
 と私を質問責めにするが、既知外の発想なんてわかんねーよ。

 しげ、ユニクロで練習着が買いたいというので、道に迷いながら(しげが表示板の矢印を見落として逆方向に歩いていたのだ)到着。私は特に買うものがないので、ベンチでぼんやり待っていたのだが、そこへちょうど通りかかった男の人の眉毛が、絵に描いたように『こち亀』の両さんにソックリだった。冗談じゃなく、数字の3を横にしたように黒々と、海苔を貼りつけてんじゃないかってくらいに太かったのである。世の中にはいろんな人がいるものなのだなあ。今日の一番の収穫はこれかも。って、なんの収穫か。
 しげは結局、気に入った品が見つからず。


 昼飯、「村さ来」に入ろうかと思ったがこんなに早くにはやっていない。繁華街でならそうかもしれないが、トリアスは家族客だって多かろうに夕方から開いても集客力ないと思うんだがなあ。
 しげはなんと「村さ来」の存在を知らなかった。全国展開してる居酒屋としては一番有名だと思ってたんだが。……あ。でも福岡でここ以外「村さ来」ってあまり見かけないな。中洲は「つぼ八」だし(この店もしげは「たこ八」と覚えている)。
 以前食事したこともある「カルビ家族」で焼肉。壷入りの特製ホルモンとやらが美味い。あと紫芋のアイスも。焼肉自体は殆どしげに食われたので、外に出てたこやきとサラダパスタを買って食う。


 帰宅してあとはずっと一心に日記書き。
 ウソです。疲れて寝てました。
 早いとこ更新したいんだけどもね。

2001年11月09日(金) いちまんななせんえんの幸福/『GUN BLAZE WEST』2・3巻(和月伸宏)ほか
2000年11月09日(木) だって猿なんだもん/『グーグーだって猫である』(大島弓子)ほか



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