無責任賛歌
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2004年04月11日(日) |
とりあえず台本完成。人質のアレはもう、なんつ〜かねえ(-_-;)。 |
昨日から今朝にかけて、やっさこいて(=ひと苦労して)台本書き。第二稿であるが、こないだ書いた第一稿が評判悪かったので、後半は殆どまるまる書き直しである。先週の書き直しも含めれば、ページ二十枚くらい(原稿用紙なら三十枚くらいか)全く構想を練り直したことになるわけで、確かに好きじゃなきゃやってられないよなあとも思うのである。 でも不思議なもので、書き直して悪くなるということは滅多にない。時間をかけて、あとから思いついたことは確実に前のアイデアよりもよくなっているので、こうなるとシメキリをどんどん伸ばした方がどんどんよくなる計算になるが、それで毎回メンバーには迷惑かけちゃっているので、今回はともかく「シメキリは守る」はスローガンに掲げている。眠気なんぞ何のそのである。 なんとか朝8時半には仕上がったので、起きてきたしげに手渡す。しげは私が突然「構想が膨らんだからシメキリ2週間伸ばしてね♪」とニコヤカに語る、庵野秀明か大友克洋かってな夢を見たそうで、それが正夢になるんじゃないかと心配していた。全く信用がないことであるが、せっかく原稿上げたってのに、夢にまでそんなん見んでもええやん、とちょっと文句も言いたくなる気分である。 そのあと、アニメ『レジェンズ』の第2回を見る。第1回を見逃した人のためなのだろう、ストーリー展開が第1話と殆ど同じ。シュウを含めて主役キャラ3人に殆ど魅力を感じないのがネックなんだけれど、その分、シロンの井上和彦とハルカの渕崎ゆり子の両ベテランが頑張ってくれているおかげで、少なくとも前作の『鉄腕アトム』よりは見応えのある作品になっている。ランシーンの声、テロップでは「?」になってるけど、私の耳には飯塚昭三さんの声に聞こえてるんだけど違うんかな。でもわざわざネットで調べようってほどの気は起こらないのである。
ひと寝入りして夕方に起きる。テレビを付けたら「谷亮子」という聞きなれない人が柔道アテネ五輪出場を決めていたが、田村亮子選手のことだった。しかし確かに戦ってる姿を見ると、ワザのキレが他の選手とは雲泥の差で美しいのである。「ヤワラちゃん」の仇名は決して遜色のあるものではない。問題はこの人の場合、その称号が「技だけ」にしか適用できないことと(だからさあ、あの髪を結んだチョンマゲまで猪熊柔のマネするのやめようよ)、喋らせるとナマイキにしか聞こえない、というのが最大のネックになってるんである。「柔道家」のイメージは、どうしたって「姿三四郎」なみに寡黙でストイックってのが定着して壊れようもないんだから、オモテに出る仕事をしている自覚があるなら、世間の求めるイメージに合わせてあげるくらいのことはしてもいいんじゃないかって思うんだけど。
練習の終わりに慌てて顔を出す。バスの中で寝過ごしたんで、練習場に着くのが時間ギリギリになって、すんでのところでみんなとすれちがうところであった。遅れたお詫びを言ったが、しげ、ニコニコしながら「いいっスよお、けいちんは。キャストでさっき来た人もいるから。誰とは言わないけどお」。でもキャストって3人しかいないし、一人うなだれてた人がいたから誰かはバレバレなのであるが。今日のメンツはカトウくん、鴉丸嬢、其ノ他くん、ハカセ(穂稀嬢)、しげに私。カトウくんとハカセはそれぞれの理由で最近落ちこみ気味ということだったのだが、外見の印象はそうでもない。顔で笑って心で泣いているのであろう。いかにも日本人らしくてよいことである。 それからロイヤルホストに移動して、台本の打ち合わせ。前回ダメ出しが入りまくったのに比べると、今回はやたら評判がいい。打ち合わせの最中にもみんな実に楽しく突っ込んでくれること。何しろ普段ジョークを全く言わない其ノ他くんまでが「このシーンはオカマがカマをかけてるんですね」と駄洒落を飛ばしていたくらいなので、みんなどれだけノッていたか、ご想像頂きたいくらいだ。でも、後ろに座ってた爺さんは「なんだこのウルサい連中は」とこっちを睨んでたとか(^_^;)(この爺さんはロイホを出るときも一緒になって、わざと鴉丸嬢にぶつかり、ブツブツ言って出て行った。どうやらトンガリさんだったらしい)。 全編ギャグで通したのが効を奏したようだが、最後にちょっとしんみりさせるのも狙いとしてはある。オタクネタを散りばめてはいるが、マニアックにはなり過ぎない程度だし、一見スラップスティック風ではあっても内実は昔ながらの人情喜劇である。つか、完全ナンセンスが日本人の好みに合わんことは解りきっているので、そこまで「跳んじゃう」わけにはいかないのである。そこが趣味と実益との間で心が揺れてしまう点ではある。けれど、キャストのノリがいいと、こちらも頑張りがいがある。今後は細部の手直しだけですみそうであるが、キャストのアドリブにも期待したいところだ。 鴉丸嬢と其ノ他くんを車で送って帰宅。今週の休日もあまりコンテンツの更新ができなかったが、このようにやんなきゃなんないことが多かったので、ご容赦願いたいのである。
イラク人質事件についての続報。 ヨルダンからイラクに向かっていた日本人男女3人が武装集団に拘束され人質となった事件で、カタールの衛星テレビ「アルジャジーラ」は、日本時間の11日午前3時前、犯行グループが3人を24時間以内に解放することを決めた、と速報した。イスラム教スンニ派の指導者の説得に対し、犯人グループが応じたためということであった。 しかし、昼過ぎには解放される見込みだった人質は、夕方を過ぎても解放確認の情報がもたらされず、家族の不安は時間を追うごとに高まっている。家族は午後5時25分、小泉首相に対して自衛隊のイラク撤退を求める約15万人分の署名を持って内閣府を訪れ、内閣総務官室の鈴木俊彦参事官に手渡した。 わずか数日で15万人もの署名が集まったというのも驚異的だが、つまりはあの家族の背後には、短期間にそれだけの運動を展開できる「支援団体」とやらが存在している、ということである。だから、彼らの活動は親も含めて「政治活動」であるわけで、決して彼らはただの「私人」ではない。いや、テレビという公共機関を利用してあれだけの政治発言を行っているのだから、「公人」として糾弾されるのは当然だろう。 それを、「親の情」に基づいて行動してかのように振る舞い(昨日も書いたことだが、「情」に基づくのなら、専門家でもないのに人質解放の手段にまで口出しできるものではない。「イラク撤退」を訴えるのは、そこに確実に政治的意図が働いているのである)、国民の同情を利用して政府に圧力をかけようという行為は、姑息で卑劣な手段以外の何物でもない。それにまんまと乗せられた馬鹿が15万人もいるってのも情けない話であるが、政府はどうやら彼らの訴えを表面的には受け入れていても実際は一蹴する模様であるから、日本の政治家も一応、本物の馬鹿よりゃマシってことになるか。 Yahoo掲示板では一秒に数10件の超ハイペースで書きこみが続いているが、殆どが「あの三馬鹿が」というものばかりである。反論もたまに見られはするが、それも「そこまでいうのは言いすぎ」程度のものや、撤退反対派を装った煽りが定期的に書きこんでるくらいで、世論も圧倒的にあの三人および家族に「ふざけるな」と憤りを感じているようだ。実は人質になってるということ自体、「ジサクジエン」だという説まで飛び交っていて笑えてしまう。この手の事件で人質に対する同情がここまで起こらなかった例というのも珍しいんじゃないか。 ……とかなんとか書いていたら、また、未確認情報ではあるけれども、「アルジャジーラ」が日本時間午後10時すぎに、ファルージャの反米抵抗勢力との仲介役を名乗るイラク人男性へのインタビューを放映して、「イラクの日本人人質3人の解放条件として、(1)、24時間以内の自衛隊撤退、(2)、連合軍によるファルージャ攻撃に対する日本政府の公式な謝罪――の要求が抵抗勢力からあった、と述べたとか。しかもその要求が認められなければ、24時間以内に1人目の人質を殺害、その12時間後に2人目を殺すと脅迫している、という。 未確認情報だからどこまで信じてよいかは分らないけれども、もしこれが事実だとしても「3日以内に3人の人質を殺す」と言ってた期限は過ぎて、要求の形を変えてきたことは間違いないのである。テロリストの要求にウカツに乗ってはならんということを当のテロリストが証明している。言っちゃ悪いが、たとえ要求を飲もうが飲むまいが、人質の命の危険度に変化は全くないのだ。その程度のこともわからずに「自衛隊撤退」を現時点で主張するヤカラは、当人がテロリストの一味と断罪されても仕方ないということをよーっく覚悟しといてもらいたい。 不謹慎とか人非人と言われようが、私は現時点で言い切っておく。これで本当にあの三人が殺されたとしても、私は一切のお悔やみを言うつもりはない。……ああ、なんかここしばらくの中でこんなに本気で腹の立つ事件も珍しいよ。
2003年04月11日(金) ヒゲもリビドーに関係あったかな/『ブラックジャックによろしく』第1回 2002年04月11日(木) 幻想のステキな奥さん/『八犬伝』14巻(碧也ぴんく)/DVD『ルパン三世 生きていた魔術師』ほか 2001年04月11日(水) ヒマなし貧乏/『学活! つやつや担任』A(吉田戦車)ほか
2004年04月10日(土) |
勇気を持って言おう。 |
イラクの邦人人質事件についてはあまり書くつもりは無かったのだけれど(書き出しゃキリがなくなるから)、日本に残された家族が「自衛隊撤退」を訴えてるのを知って、気が変わった。 あの家族は馬鹿か、でなけりゃテロリストの仲間か? 心情としては私も「自衛隊、イラクに行かなきゃいいのになあ」とは思っていた。アメリカ追従の腰のない政治戦略は、結局はアメリカの暴走を抑止することが不可能になる(もうなってるか)。どこかでそれを見直さなければ、現実として性根のない日本は、しなくてもいい犠牲を強いられるばかりになろう(イラク派兵はどう拡大解釈しても安保の範囲越えてるべえよ)。 ただ、だからと言って私は反作用的にイラクの反米勢力が正しいとも全く思っちゃいない。自国民の、しかも政治的に別段親米派でも何でもないただの一般人を巻き添えにした爆弾テロ繰り返してるやつらのどこがレジスタンスか。仮にアメリカ追い出してあいつらが政権取ったって、どうせまた恐怖政治やらかすに決まっているのだ。あんなのは所詮、糞と糞の争いだ。 けどそりゃあくまで私の個人的な心情なんで、国家としての日本の立場なら、同じ糞でもマシな糞に付くしかないのは仕方がない。日本はその糞にたかってる蝿なんだから。 けど、「国」の代表である自衛隊がイラクに行くのは仕方ないとして、民間人がいったい何のためにイラクをうろついてたのか。NGO? けれど、自分で自分を守るすべも知らぬ民間人が、今のイラクでいったい何の役に立つというのか。結果的に「足手まとい」であることが証明されただけではないか。もしも、彼らが「人間の盾」のつもりで入国していたのだとすれば、脳みそが膿んでいる。「人間の盾」が「盾」としての意味を全く持たないことはこれまでのイラク戦争の経緯でも明らかだろう。日本政府だって、かつて「ダッカ事件」で人質の命を優先したために世界中にテロリストをばら撒いた痛い過去がある。そのことを世界各国から散々非難されてきたことを実感している小泉首相が、テロリストの要求に屈して自衛隊を撤退なんかさせるわきゃないのである。 あの人質たちは自己犠牲に陶酔しているだけの馬鹿であろう。自分たちの命が国家への圧力に利用される可能性を考えていなかったわけではなかったようだから、テロリストに同調していると断じられても仕方がない。いや、間違いなく、自分たちが捕らえられることを意図した上で乗り込んだのだろう。そんなやつらを送りだしといた家族が、何を堂々と「自衛隊を撤退させろ」と要求できるのか。 私はてっきり、家族は政府に「息子たちの行方をつきとめて、助け出して下さい」と願い出ると思っていたのだ。それが親としての「情」というものである。それが「自衛隊を撤退させろ」「民間の命を救うはずの自衛隊がなぜ息子たちを見殺しにするのか」って……。それが「愛情」のつもりか、ふざけんな。「情」を越えて「政治」を行おうとしているよ、この馬鹿親どもは。 だから、あんたらの息子たちは「民間人」じゃなくて「テロリスト」なんだってば。つか、あんたらもそうだろう。さっさと火あぶりにでもしちまえばよいのである。
体調はほぼもと通り。朝も普通に目覚める。 よし、今日こそは『セラムン』が見られると思ったら、特番で中止であった。『クレヨンしんちゃん』も潰れているし、なんだか面白味のない土曜日である。映画に行こうかともちょっと思ったが、風邪がぶり返したらいかんなあと思って、今日は控えることにする。 ホームページを更新したり、テレビを漫然と見たり(『カトケン』の特番見てたら、MEGUMIがジャンケンの「最初はグー!」の掛け声がドリフから生まれたことを初めて知った、と言っていた。ジェネレーションギャップもここまで来たか……)、「レッドキャベツ」まで水をガメに(=盗みに。いやホントに盗むわけじゃないが)行ったりして一日を過ごす。まあ細かく書いてくといろいろあるんだけど、明日の練習のために台本を書かねばならんので、今日はこんなもんで。どうせ食事はうどんだし。
2003年04月10日(木) 最近教育テレビづいてるかも/『名探偵コナン』41巻(青山剛昌) 2002年04月10日(水) ヒミツ、ヒミツ、ヒミツのしげ/『クロサワさーん! 黒澤明との素晴らしき日々』(土屋嘉男) 2001年04月10日(火) 大江山枕酒呑草子/『カエル屋敷のベンジャミン』(玖保キリコ)ほか
2004年04月09日(金) |
うどん談義と『新選組!』低迷 |
今朝はまあ、爽やかな目覚めとは言えない、少しばかりシャレにならない事態が起きてしまった。つっても仕事に寝坊したってだけなんだけど。ハッと目覚めて時計を見たら8時半である。もう始業時間になっちゃってるじゃないの! いやもう慌てた慌てた。 イラク情勢が急変とか、新聞の見出しが真っ黒けになってるときに、この程度のことでオタオタしているというのは客観的には微笑ましいことではあろうが、当人にとってはイラクなんかもうどうでもいい気分である。でももともと寝起きは決して悪いものではなかったし、ここんとこずっと風邪っぴきだったのも、昨日あたりから随分回復していたつもりだったので、まさか目覚まし時計が鳴っているのにも気づかずに眠りこけたままでいるとは思いもしなかった。ともかく服を着替えて、隣で寝こいているしげを叩き起こす。こいつも今朝は通院の日だというのに、すっかり予約の時刻を忘れてぐわげげ、ごごごとイビキをかき、ヨダレを垂らし、鼻提灯を膨らませているのである。 「寝過ごした! すぐ車出して!」 「えっ? オレも病院行かなきゃならないから今日は送れんよ!」 「だったらタクシー代貸せ!」 こういう切羽詰まった時には人間の本性というものが出るのである。金欠病で手許不如意だったものだから、しげから問答無用で金をふんだくった。そのまましげを顧みもせず表通りまで飛び出していって、タクシーを拾って職場に直行した。全く、とんだ暴力亭主だが、日ごろは私の方がしげにたかられまくって同じ目に会っているので、たまにはいいだろう、と勝手に自己正当化するのであった。
なんだかんだで仕事もバタバタと息つくヒマもない一日。最近記憶力の減退が激しいので、やらなきゃならない仕事はできるだけ後回しにしないで片っ端からこなしていく。おかげでこの一週間くらいは同僚に「ありがとうございます」と感謝されることがやたら多い。欠勤もあって遅刻もしてるってのに、まるで白い目で見られずにすんでいるのは、一応、その努力が実を結んではいるのだろうが、なんとも面映いことである。 四月とて、うちの部署に新人さんも入ってきているのだが、今日は上司から「藤原さんを見本にするように」とまで言われてしまった。だから私ゃ病気持ちの欠勤魔なんですってば。そういうことを言われるとくたびれていても休むに休めないのである。もちろん休むときにはどうしたって休んでしまってるんだけど。
しげもどうやら病院に間に合いはしたようである。夕方、帰りは迎えに来てくれるのかどうか、携帯に連絡を入れてみたが、アッサリと「起ききらん」と寝惚け声で断られた。 しげ、どうやらもらったばかりの睡眠薬を飲んでいるらしいが、最近は薬に慣れてきたせいか、通常の量ではなかなか寝つけなくなっているのである。で、結局現在は2倍の量の薬を飲んでいるのだが、素人考えだと薬が増えるというのはどうしてもよくない兆候なんじゃないかと思ってしまう。でも、しげに言わせれば、2倍にしたほうがグッスリ眠れて目覚めもスッキリするそうだ。逆に通常の量だと起きてもしばらくはアタマがボーッとして、仕事にならないのだとか。 帰宅してみると、しげは朝同様、だらしない顔で寝ていた。足をカニのように広げているのも同じだ。前世、カニなんじゃないか。でなきゃ、妖怪寝肥(ねぶとり。ホントにそういうのがいるのである)。一日のうち、しげと会ってるのはこの寝姿の方が多いので、これがコイツの本性なんだよなあとどうしても感じてしまう。 でも、こんなにグッスリ寝ていていも、「うどん食うか?」と声をかけると「くうー!」と何だか清涼飲料水のコマーシャルみたいな声を出して飛び起きるのである。訂正。前世は戦後すぐに栄養失調で死んだ某作家さんの妹だろう。 しかし、こう毎日「うどん」「うどん」ではお読みに鳴って頂いてる方々にも「いつまで続くんだ」と言われてしまいそうだが、昨日、しげにカレーを作ってやったら、「やっぱりうどんが好き!」と言われてしまったので、結局今日もうどんを作るしかなかったのである。 おかげで、某サイトの日記では「うどん職人」という仇名まで付けられてしまっていた(^_^;)。確かに毎回同じうどんじゃつまらないので、麺をしょっちゅう変えるくらいの工夫はしているが、そんなにたいしたことはしていない。なんというか、苦笑するしかない呼称ではある。 けれど実のところ近所のスーパーでは昔ながらの博多うどんがすっかり姿を消して、讃岐うどんばかりになってしまっていて、あまり選択の余地というものがなくなっている。讃岐うどんにはコシはあるけれど取り柄はそれだけで、うどんとしての個性がない。なにより博多うどんの引くと伸びるモチモチ感がないのが昔ながらの博多の人間には美味くないのである。福岡のうどんはコシもなけりゃ引くとすぐ千切れる柔か過ぎる麺なので、一番うまくない、というかうどん食ってる感じがしない。私が「博多のうどんが一番美味い」と言ったら、若い人から「コシがなくてまずいっスよ」と返されることが多いのだが、これは「博多うどん」と「福岡うどん」と混同されているのである。この二者は全く別モノなので、ここでも「福岡と博多を一緒にするな!」と叫ばなきゃならなくなるのだが、するとまたすぐ「また博多至上主義が」としげに睨めつけられる。でもたとえ「刷り込み」だとしても、美味いと感じるものは美味い、不味いものは不味いんだからしょうがないじゃないの。 老舗の博多うどん屋もどんどん潰れているし、名店「かろのうろん」も代変わりして少し味が落ちた。ほんの十年くらい前まではあっちこっちに博多うどんの店舗があって、そこで麺も買えたんだが、めっきり少なくなってしまった。博多うどんも絶滅の危機にあるのである。 という次第なので、「博多うどん」はもう食いたくとも食えない。仕方なくほかのうどんを、といろいろ物色、食いっくらをしてみると、今んとこ一番口にあうのはなんと名古屋の「きしめん」か山梨の「ほうとう」になってしまった。でも、これがほかのうどんよりちょっとお値段が高目になってしまうのがいささかネックなのである。 いつもは「夕飯はうどん」だけの記述ですましてしまっているが、せっかく「うどん職人」とまで書いてもらったことでもあるし、特に今日はしげから「ンま〜イ!」と藤子不二雄A風のお褒めのコトバも頂いたので、どんな風に作ったか、レシピ風に書いてみることにする。
1,鍋にお湯をたっぷり、キャベツ、ニンジンの千切り野菜と一緒に、うどん玉を湯がく(こうするとうどんがあまり鍋の底にこびりつかない)。 2,ドンブリにアブラゲ、ネギ、天カスを入れ、「水」で混ぜる(しげは猫舌なので)。あと、カツオだしのつゆを少々、ノンオイルの青じそドレッシングを少々、醤油を少々。量は適当(^o^)。それぞれあまり入れすぎないように注意して、味をととのえる。 3,冷凍コロッケを予め電子レンジで2分間、温めておく。それから充分に熱した油でサッと表面がちょっと黄ばむ程度に揚げる。 4,ドンブリに麺をあげて、軽く混ぜ、上に油をよく切ったコロッケを乗せてできあがり。
まあ、いかにもな男の手料理で、たいした工夫っちゃないんである。 それはそうと、一昔前のマンガで、さいとう・たかをの『うどん団兵衛』というのを覚えてる人はいるかな? 今思うに、あれは隠れた「うどんグルメマンガ」の嚆矢であった。
ここんとこ、時間が合わないこともあって、NHK大河の『新選組!』もここ数回は見ていなかったのだが、当初は20%近くあった視聴率が、最近は15%程度で低迷しているのだとか。脚本家の三谷幸喜はコメントを求められて、「15%は自分にとっては高視聴率」と言い訳をしていたようだが、こんな誰にでもあっさりと「苦しい弁解」だと見抜かれるようなことを言ってる時点で、相当追いつめられてるんだろうなという見当はつくので、まだまだ先は長いというのに大丈夫だろうかという余計な心配までしたくなるのである。 言っちゃなんだが、「新選組」の見せ場って、結局は「池田屋」しかないのである。あれが『忠臣蔵』の「討ち入り」の縮小版であることは昔から指摘されていることなんだが、『忠臣蔵』には他にも冒頭に「松の廊下の刃傷・内匠頭切腹」という見せ場があって、この二つの「見せ場」の「サンドイッチ状態」の間をエピソードで繋いでいくことでドラマを持たしているのである。ところがその「冒頭の見せ場」を作ることに『新選組!』は失敗しているなあと、最初の数回を見た感じでは思わざるをえなかった。これまで作られてきた『新選組』ドラマの根底には常に「狂気」が介在しており、それは三谷幸喜が私淑しているみなもと太郎のギャグマンガ『冗談新撰組』においてさえそうなのだが、これが『新選組!』では見事にケツラクしてしまっているのだ。土方があんな「不貞腐れたヤンキー坊ちゃん」じゃ、『新撰組血風録』や『燃えよ剣』(どっちもドラマ版の方ね)のファンは納得しないでしょ。前にも書いたが、『風光る』の少女マンガファンを取りこもうという意図の方が強く出た失敗じゃないかと思うが、だとしたら、新撰組は既に壬生にあるものとして、キャラクターが確立した前提でドラマを始めるべきであったろう。少女マンガが最も忌避するものは、実はキャラクターが「揺れ動いてしまう」ことなのであり、個人が「成長」するドラマなのである。『ガラスの仮面』とか『エースをねらえ!』とか、ありゃ主人公は実は全く「成長」なんてしてないんだからね(念のために言っとくが、少年マンガのキャラの大半も成長なんてしない)。
2003年04月09日(水) 最近日記に書けないことが多いなあ/『エンジェル・ハート』6巻(北条司) 2002年04月09日(火) 正義なんて要らない/DVD『指輪物語』/『UAライブラリー10 すごいけどヘタな人』 2001年04月09日(月) ハートブレイカー/『DRAMATIC IRONY』(藤崎竜)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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