無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年04月10日(水) ヒミツ、ヒミツ、ヒミツのしげ/『クロサワさーん! 黒澤明との素晴らしき日々』(土屋嘉男)

 しげがソルボンヌK子さんプロデュース、春風亭昇輔さん筆のネームプレートストラップを注文したらしい。
 寄席文字(勘亭流ってやつだね)で書かれたカッチョエエものなので、私もほしいな、と思ってたのだが、給料日前なのでちょっと待っていた。
 ……抜け駆けしやがってよう。~凸(-~~- )
 けど、天然マヌケのしげ、応募要項で「郵便振替で」と明記してあるのに、なぜか定額小為替で申しこんだらしい。……どういう間違え方だ。
 ちゃんと対処してもらえるかどうか分らないけれど、ダメだったらン千円ドブに捨てたことになるのかな。


 帰宅すると、私宛てにNiftyから郵便が。心当たりがないので首を捻っていると、しげが横からサッと手を出して取り上げる。
 「……何だよそれ?」
 「Niftyにアンタの名義で新しいIDを頼んだの」
 「なんでまた?」
 「ホームページ移転しようと思って」
 「は? どうして?」
 と聞いても既にしげは歓喜のダンスを踊っていてアチラの世界に逝ってしまっている。……こうなるともう、私の声は届かない。
 全くストラップの件といい、私にヒミツでいろいろやってるよな、しげも。そのくせ私がヒミツを持つことは徹底して嫌うのだから、人間の格が低すぎるというものである。

 しげが劇団のホームページを開設して2年、私がそこから抜けてもう1年以上になる。正直な話、内容の更新は殆どされていない。
 パソコン持ってるスタッフが殆どいないというのもネックではあるのだが、持ってるメンバーも、積極的に参加しようとはしなかった。……やる気ね〜よな、みんな。
 こういうものは強制して何とかするものではないので、私もさりげなくしか注意して来なかった。余りにさりげなさ過ぎたのか、おかげで誰にも伝わっていない(^_^;)。
 ホームページも目先を変えて、心機一転、というつもりかもしれないけど、外見変えたって、中身が変わんなきゃ、どの程度効果が上がるものかねえ。……しかしなあ、10人以上スタッフがいるってのによ、電脳環境に対応しようってやつが殆どいないって、どういうわけなのよ。


 夕方、くてっと寝たら、そのまま5時間ほど爆睡。
 12時過ぎに目覚めて、あちこちネットサーフィンしたけれど、またもや睡魔に襲われる。
 しげがネットを使い始めたので、交替して横になったらそのまま落ちる。で、朝まで目覚めず。通算したら10時間くらい寝てるぞ。何をそんなに疲れていたのだろう。


 土屋嘉男『クロサワさーん! 黒澤明との素晴らしき日々』(新潮文庫・540円)。
 単行本が出た時、買おうかどうしようか随分迷ったけれど、待っててヨカッタ。
 著者について特撮ファンに説明するのは野暮というものであろう。
 ミステリアンでありX星人であり、なんといってもガス人間第一号である。
 地球の女欲しがったりまだ見ぬ未来に旅立ったり、八千草薫の手術に失敗して病院の屋上で延々泣き続けた人である(最後のは違うぞ)。
 近年では『ゴジラVSキングギドラ』で、ゴジラとしばしキック・オフ(死語)したあと、めでたく昇天なさいました。あの映画も毀誉褒貶はげしいが、私ゃツチヤさんが出てることで結構許してるんだけどな。
 ご本人はどうやら本気でUFOを宇宙人の乗り物と信じてらっしゃる方らしいので、多分結構トンデモさんではあるのだろうけれど、役者としては大好きだ。SF映画に偏見なく出演されてるってだけで、嬉しくって仕方ないよ。
 でも、SFオタクのみなさん、この本で特撮系の話を期待はしないようにね。確かにちょっとは本多猪四郎・円谷英二の特撮コンビの話に触れたりはしてるけど、オタクにとっての目新しい話はそれほどないから(黒澤明が決して『ゴジラ』シリーズをバカにしていなかった話などは面白かったが。やっぱりクロサワは凄いよなあ)。
 タイトルが示すとおり、これは『七人の侍』を中心とした、土屋さんが黒沢家に寄宿していた時の思い出を綴ったものなのである。

 黒澤明クラスの人間になると、その評価を下すことは容易ではない。
 百人百様というより、誤解が誤解を生んでいる面も少なくないだろう、と推察される。
 日本のように文化が偏在している国では、「誰もが知ってる有名人」なんてのは実は存在しない。「黒澤明? 誰それ?」とポカンとする人間と、「黒澤明を知らないのか?!」と憤る人間とが、どちらも等価値で存在しているという奇妙な国なのである。
 もちろん私は後者なのだが、日頃、周囲にいる人間がほぼ前者なもので、もうイライラが溜まることったらねーやな。
 だいたい、国語の教科書・参考書のどこにも「映画」の項目がなくて、『七人の侍』も『生きる』も『用心棒』も見たことがないって世代を生み出し続けてる国なんだぞ、日本は。
 そんな環境の中で、いくら「黒澤はスゴイぞ!」と私が口角泡を飛ばしたところで、知らない人にその凄さを伝えるのは不可能に近い。リバイバルもテレビ放送も殆どされなくてビデオも発売されていなかった時期、10年以上、黒澤映画が見られなかったこともあったのだ。
 アンタね、子供のころの私はだよ、両親から「ミフネはもう『七人の侍』が最高だ!」とか、「主役が七人もいる映画なんて、それまでの日本映画にはなかった!」とか力説されて、なのに見ることができなかったんだぞ。今やいつだってビデオでレンタルできるようになってるってのにまだ見てないヤツは映画ファンを名乗るなと言いたいぞ、マジで。
 現在ですら、アメリカでは『七人の侍』のDVDが発売されているのに、日本では未発売なんだものなあ。……と、この辺の愚痴は本書の内容とはカンケイナイ。
 言いたいことは、やっぱり本書を読む前に、黒澤明初心者は、せめて『七人の侍』くらいは見ておいて欲しい、ということなんである。
 黒澤明という人がこの文化果つる日本でどのように持ち上げられあるいは全く逆に蔑まれてきたか、その流れを知っているのと知らないのとでは、この本の面白さは天と地ほども違う。

 けれど、矛盾するような言い方で恐縮ではあるが、たとえ黒澤映画を一本も見ていなくても、やはり本書を手にとってみてほしいのである。
 評論家が扱うことのない、日常の黒澤明、人間黒澤明がここには生きているのだ。それは、肝胆相照らすように黒澤明と衣食をともにした「弟子」である土屋さんだからこそ描けたものであろう。
 極めて心情的でありながら、決して黒澤明の名声におもねることのない土屋さんだからこそ黒澤明の喜びも悲しみも憤りも、目の前に黒澤明がいるかのように活写し得たと言ってもいい。
 監督と土屋さんと、やたら連れションする話が出てくるのも面白い。
 だいたい、二人の出会いからして偶然便所で出会っているのだ。
 河原で連れションしてたらヘリコプターが飛んできて飛沫が上がったんで腹立てて石投げつけたとか、そんなエピソード、他の黒澤本に出て来るものか(^_^;)。
 「カレーは黄色くなくっちゃ。今のはみんな茶色でダメだ」なんて黒澤さんのセリフ、今の若い人にはわかんないだろうなあ。昔の「ライスカレー」はホントに黄色かったんである。だって食べると舌が黄色くなってたのだ。
 グルメなんて言葉がない時代の「味」の方がずっと味わい深かったように思うのは、郷愁だけではない気がする。

 土屋さんは、やがて黒澤映画から離れる。
 三船さんや他のたくさんの役者さんが黒澤映画から離れていったように。
 その理由について土屋さんは詳しくは語らない。
 いや、語っているのだ。しかしそれは「監督との確執」だの、マスコミが喜ぶような通り一遍のコトバでではない。
 その日、雪が降っていた。
 黒澤明が小さく見えた。
 土屋さんはそう書く。
 そして、多分、それだけで充分だったのだろう。

2001年04月10日(火) 大江山枕酒呑草子/『カエル屋敷のベンジャミン』(玖保キリコ)ほか



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