無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年06月11日(水) 夢の中のもどかしさ/『ガゥガゥわー太』5・6巻(梅川和実)

 6月2日から7日まで、フランス・アヌシーで開催された第27回国際アニメーション映画祭で、山村浩二監督の『頭山』がグランプリ[The Annecy Cristal (Grand Prix Annecy 2003)]を受賞。米アカデミーアニメーション短編賞を逸したことなんか、これでどうでもいいことになってめでたいことである。
 とかなんとか言いながらまだ『頭山』見てないんだよな。DVDはもう届いてるはずなんだが、連絡よこしてくれないのか、天神LIMB。


 朝方またヘンな夢を見る。
 細かいシチュエーションは忘れたが、何かの用事で道を歩いていると、脇道からひょいと現れた女の子が「手を握って」と頼むのである。
 まあ、握っちゃいけない理由もないしなあ、と、ギュッと握ってやった途端に、女の子の顔にひび割れが生じ、中から赤黒いバケモノが飛び出して来た。
 騙しやがったなと腹を立てるが、同時に私は「化け物とか幽霊とかいるわけないじゃないか。てことはこれは夢だな」と気付くのである。
 「私のやつめ、夢だからと思って、私に幽霊の存在を信じさせようとしたな!」と私に対して怒った私は(ああ、ややこしい)、腕から電撃を放出して、バケモノを爆発させる。
 あたりを見まわすと、何となく印象が「薄っぺらい」。試しに空間を平手で叩くと、空間はくしゃっとくずれた。これが夢であることを確信した私は、怒りの電撃ビームを発射しまくって、夢を破壊していくのであった。
 ハッと目覚めて思った。『うる星2』じゃん(-_-;)。
 しかし、ヘンな夢を見ても、たいてい「これ夢だよな」と冷静に判断してしまうものだから、展開が至極つまらなくなる。自分の夢なんだから、も少し破天荒な展開があってもよさそうなもんなんだけどねえ。


 溜まってた仕事を片付ける一日。上司に眼底出血のことを報告したら、すぐにでも精密検査を受けるように言われる。もちろんそのつもりだったので、「じゃあ、土曜日に病院に行きます」と返事。ああ、これで今週は休日出勤させられずにすむな。ちょっとだけいいことがあったってことか。
 帰りは今日もバスを乗り継ぎ。晩飯をどこで食べるか考えたが、運動がてら少し歩いた方がよかろうと思い、家から2キロほど離れたところにある「バーミヤン」の前のバス停で降りる。
 焼きソバ、北京ダック、黒酢のスープ。
 北京ダックは薄皮にキュウリ、大根の千切りを一緒に乗せて、つつんで食うのだが、単品で食べた方が美味い。黒酢のスープはカラダにいいかと思ったが、だ酸っぱいだけ。水を混ぜて薄めて、なんとか喉に流しこんだ。
 この店にも久しく来てなかったが、それはしげの好きだったエビのマヨネーズ煮がメニューから消えてなくなってしまったからである。エビ料理で今あるものは、チリソース煮だけだ。
 単品を組み合わせて食事ができるので、ここは結構重宝した店なのだが、今まではそんな理由で足を運べなかった。我ながら今までは随分しげに合わせた食生活をしてたのだなあと実感。もう少しワガママを言ってもよかったかもしれないと思う。


 帰宅して、ひとしきリDVDの整理。録画したはいいものの、表紙に何も書かずに放置しといたやつが溜まっていたのである。マジックでタイトルを書いていくのだが、既に見てないDVDが30〜40本はある。こんなの、毎日見てかないととてもハケる量ではない。ホントは日記なんか書いてはいられないのである(^_^;)。ああ、なんで一日は48時間くらいないのだろう(そんときゃ仕事も2倍に増えるって)。


 マンガ、梅川和実『ガゥガゥわー太』5・6巻(新潮社/バンチコミックス・各530円)。
 しまったなあ、5巻出てたのに気がつかなくて初版買い損ねた。えらく間が空くなあとは思ってたんだ。これだから『ダ・ヴィンチ』とかの新刊案内は丹念に読んどかないといけないんである。
 なんで初版に拘るかって言うと、特典で折りこみのカラーポスターが付いてるからなのね。どこか古本屋で5巻だけ見つけたら改めて買っちゃうかも。
 さて、どうしても未だに集英社から出てるんじゃないかと勘違いしちゃうバンチコミックスだけど、実際、表紙絵からして、5巻6巻ともにジャンプっぽいんだね。動物マンガなのに、女の子ばっかりだから。いくら売れセン狙ってるからって、露骨だよなあ(^_^;)。
 表紙の明るいラブコメ風な印象と裏腹に、中身は一層ハードになって来てる。太助がついに獣医になりたいと決意するに至るまで、「命あるものを飼うこと」を読者に問いかけるかのような展開が2巻に渡って繰り広げられる。このへん、語りだしたらキリがなくなりそうなので端折るけど、動物を「ペット」としてしか見られない人間には生き物を飼ってほしくはないなあ、と思っちゃうんである。全体、イマドキ生き物を飼うのにそれ相応の覚悟をしてる人がどれだけいるのかね。社先生の「家族で飼育の責任を持つ覚悟がないうちは動物はやめた方がいいですよ。子供がいらないと言ったからオトナもいらないと言うような家庭では動物が不幸になるだけですから」って言葉、生き物飼ってる家庭なら、本気で考えてほしいよ。
 思うんだけど、作者の梅川さん、『動物のお医者さん』とかすごく嫌いじゃないのかなあ。あれは「動物マンガ」ではなくて「動物観察マンガ」だからねえ。

2002年06月11日(火) 有久家の崩壊……直前?/『パタリロ西遊記』4巻(魔夜峰央)/『くらたまのお蔵だし』(倉田真由美)ほか
2001年06月11日(月) 誰だってどこか変なんだし/『ぶたぶた』(矢崎存美)


2003年06月10日(火) 遠くなった人たち/『きみのカケラ』1巻(高橋しん)

 なんだかテレビのニュースは、「万景峰(マンギョンボン)92」の出航取りやめのことばかりである。
 いや、報道するのはいいんだけどさ、どうしてこう、拉致被害者の家族のデモとか、在日朝鮮人のインタビューとか、事件の全容を解明するのに何の貢献もしない内容ばかりなのかね。こちらの知りたい事実は全くって言っていいほど報道しないんだもの。もしかして、マジで何も知らないのかね? だとしたら、日本の報道機関の調査能力って、ゼロってことじゃん。「情けない」を通りこして、もう「あほ」としか言えませんな。
 しかもそのほんの些細な報道内容にしたところで、「拉致被害者の家族らは安堵の表情を浮かべ、在日朝鮮人社会には困惑が広がった」という具合に、「で、どっちの味方がしたいんや」と突っ込みたくなるほど無内容。平等報道のつもりかどうか知らんが、こんな電波のムダ遣いみたいなニュースばっかり垂れ流されてるとさあ、なんかイラついちゃってねえ。
 「北朝鮮の亡命技師が米議会公聴会で、『ミサイル部品の90%は万景峰号で3カ月ごとに運ばれていた』と証言した」。
 それはわかった。だったら、その万景峰号のどこにどう部品を隠してたのか、その可能性を検証することを報道陣はどうしてしない? 万景峰号の構造が分らない? 狭いところでも隠そうと思えば隠せる? そういうことじゃないんだよ、かつてその船に乗り込んだことのある人や、これから乗船する予定だった人に「政治的な意見」しか聞こうとしないその姿勢に、事実を検証しようなんて気がサラサラねーんだなってことが見てとれるから「バカかてめえ」って言いたくなるんだよ。
 結局、この船がホントに工作船であったかどうかということなんて、マスコミにとっては実はどうでもいいことなんである。こういう無内容な報道ばかり続けてるとさ、聞いてる方はもう、全く関心を示さなくなるか、あるいは白か黒か何の検証もしないで先入観だけで物事を判断するようになるか、どちらかになっちゃうんだけどね。そうなるともう、「相互理解」なんてのはほぼ不可能になる。まさかそれを狙ってるのか? マスコミさんよ。


 地下鉄のFカード、すっかり使いきってしまって、ホントはまた新しいのを買わねばならないのだが、いちまんえんなどという大金は今の私に出せる額ではないのである。それならば千円のでも三千円のでも、とりあえず買っときゃいいではないかと言われそうだが、そんな大金は今の私にはとても出せる額ではないのである(^o^)。
 だもんで、バスカードのみで博多駅まで遠回りして帰るのだが、これだともう、家に着くまで2時間近くかかる。全く、何でこんなめんどくさい職場に毎日通わねばならんのだ。
 もっとも、博多駅に寄れると、バス待ちの10分ほどの間に、立ち食いウドンが食えるという楽しみがありはする。久しぶりにコロッケうどんとかしわ握りを頼む。隣にいたサングラスをかけてちょっとお洒落な感じのおばちゃんが、偶然同じものを注文。「久しぶりにかしわ握りが食べられたわねえ。いつ来ても売り切れてるんだもの」と喜んでるのだが、その感想まで一緒(^o^)。
 ウドン屋の類にかしわ飯やいなり寿司を置いているのも、福岡の隠れた名物である。お握り=かしわという図式が擦りこまれてるので、実際、飛ぶように売れている。十回通って一回食べられるかどうかなのだ。
 しげとすれ違い生活が続いてる私の、これが今のささやかな楽しみであったりする。


 夜、こうたろう君改めグータロウ君が(たまに覗くかもしれない読者さんのためにしばらく併記しておこう)、いつもの朝の書きこみをしてなかったので、カラダの具合でも悪いのかと、ちょっと電話してみる。
 休日の「祭り疲れ」は残っていたものの、もう大丈夫だということで、ひと安心だったのだが、逆に昨日の日記の記述のことで心配され返されてしまった。全く、お互い心配しあってりゃ世話はないのである。
 まあ、心配してくれる友人がいるということはありがたいことである。もっとも、陰で私のことを中傷している人間がいるらしいことに対して、わがことのようにグータロウ君が立腹してくれるのは、ありがたいことはありがたいのだが詮無いことだよなあとも思う。
 誤解する人間は何をどう弁解したって誤解するものだし、一度仲がこじれたあとで自分が間違っていたと気付いても、人はそうそう素直に謝れるものでもない。謝ったところで、そこで仲が元通りになることはなく、しこりは残る。
 私自身は心底バカなので、何かトラブルがあった相手に対してもそういうしこりが全く残らないのであるが、残るタイプの人間にはそんなことはわかりはしないのだ。それが証拠に、私のことを中傷してた人たちは、とうの昔にそれが誤解だったってことは分かってるはずなのに、未だに何のリアクションもしてこないのである。自分に対する言い訳を考えるのに汲々としてるんではないかね。
 あるいは事実でないことを脳内変換して、あたかも事実であるかのように思いこんでいるのかもしれない。となれば、そういう人たちはみんな「触らぬ神」なんだわな。疎遠なままにしておいていいんじゃないの、と思うんである。


 マンガ、高橋しん『きみのカケラ』1巻(小学館/サンデーコミックス・410円)。
 発売されてたのは随分前だったのだが、ようやく読了。
 高橋さんが体調を崩されて活動を休止しているようなので、2巻がいつ出るかは心許ないのだが、何だか本格的なSF作品になりそうな雰囲気なので、ぜひ再開してもらいたいものだ。
 副題に“LOOK FOR ONE PIECE.TO THE FUTURE OF YOURS.”(カケラを捜せ。君たちの未来のために)なんて書かれていると、どうしてもシェル・シルヴァスタインの『ぼくを探しに』を連想してしまうが、実際、そんな感じの話である(^o^)。
 高い壁に囲まれ、降り続く雪にいつか埋もれて、死ぬことを待っているだけの狭い国。ヒロインの王女(ではあるが権限は既になく、奴隷扱いである)イコロには「笑顔」が欠けている。突然「落ちて来た」少年、シロには「痛み」や「記憶」が欠けている。その「欠けたカケラ」を探しに、二人は狭い世界から旅立っていく。
 二人を追う「戦族」の3人組が、まんまドロンボーで、「ヒトガタ」と呼ばれる「何か」を追ってきて……となると、その展開はどう見ても『ふしぎの海のナディア』なんだけれども、これは冒険モノの王道パターンなんだし、あまり目くじらは立てまいよ。
 しげにはまた、「また、高橋しんなんか読んで」と言われそうだが、こういう切なげ系なマンガに惹かれてしまうというのもアレですよ、私が昔なくしてしまったココロのカケラに対する未練なんだと思って(^_^;)、お目こぼし願いたいのである。

2002年06月10日(月) 騙されて騙されてどこへ行く/『ありえない物語』(ポール・ジェニングス)/『マンガ狂につける薬21』(呉智英)ほか
2001年06月10日(日) ハカセ、負傷?!/『少女鮫』2〜5巻(和田慎二)ほか


2003年06月09日(月) いや、落ちこんでるわけじゃないんだが/『なんてっ探偵▽アイドル』12巻(北崎拓)ほか

 ちょっと書こうかどうしようか迷ったのだが、いずれそうなることを予測はしていたので、一応書いておく。
 先日の健康診断の結果が出たのだが、ついに眼底に出血が表れた。明日すぐ失明ということではないのだが、もうそんなに長く持つものでもなさそうである。食生活も改善できないし、仕方がないと言えば仕方がないのだが、体重が減り加減であったので、自分としては少しはマシな状況になってるんじゃないかと油断していた。あとどれくらい本が読めて映画が見られるのかなあと思うと、ちょっと寂しい。
 もともと私の視力は極端に悪い。数メートル先の人の顔の区別もつかないし(つかなくても生活に支障は来たさないのだが)、とうに人の顔を覚えようという気はなくしている。そんなんで本や映画をよく見られるなと思われるかもしれないが、だから劇場の大画面で映画を見るのが好きなんである。活字は大きいに越したことはないが、多少つぶれたように見えていても、慣れでどんな字か見当はつく。それでも出血がひどくなって、目が霞むようになれば、本も映画も見るのを諦める日が来るのだろう。数ヶ月先か、数年後か、10年後か。でも、最初に失明宣告を受けたのは小学生のときだったから、よくここまで持ってくれた、と言った方が正しいかもしれない。
 とは言え、何せ救われぬ煩悩の徒であるから、潔く諦めきれるかどうかは自信がない。メクラの癇癪モチの因業ジジイになりゃしないかと心配である。
 このサイトも、どれだけ長く運営できるかしらないが、できればしげに口述筆記で日記くらいは書き綴ってほしいなあと甘えたことを考えている。でも一日10行以上は絶対いやがりそうなんだよなあ(^_^;)。
 週末はとりあえず眼科に行って、精密検査を受けるつもりである。それでまた結果がどう出るか、今後はいったいどうなるのか、世は全て“Que sera sera”。


 ショックの余り、我知らず神経のバランスが崩れたりはしないだろうかとかなんとか不安に思うが、そういう思考をしていること自体、既にバランスを欠いている証拠である。
 仕事が手につかないというほどではないが、ふと、廊下を歩いていて、目的の部屋を通り過ぎている。これがココロ、ココニアラズ、という状態なんだろうか、ああ、意外とオレも脆いなあ、と苦笑する。
 帰宅途中、博多駅に寄って、近くに今年のトンデモ本大賞の例の歯医者があるんだよなあ、ちょっくら寄って、パンフでも貰って来ようかと考えて、「今、夜じゃん」と気がつく。焼きソバ屋に寄って、マヨネーズをかけていてふと気がつくと一本使い切っている。目の前の焼きソバはマヨネーズのこんもりとした山に埋もれている。でもってそれをまたヤケになって食うのだ。
 自分で自分がおかしくなってるなあ、と理解はしているのだが、では、そのおかしくなってる自分を見ているもう一人の自分は誰なのだろう?
 どうもこう調子が悪いと、しげの情緒不安定を笑えない。


 帰宅すると、まだしげが寝ている。検査結果のことを言おうかどうしようか迷ったが、どうせ日記を読むんだしなあ、と思って黙っている。一日経てば私ももう少し落ちつくだろうから、それからでも話して悪くはない。だいたい、私が失明しそうだからと言って、いきなりかいがいしくなるような人間ではないのだ(だったらとうの昔になっている)。
 しげが仕事に出て行ったあと、日記をほとほとと綴って、チャットを開く。いつもより一割増しくらい、露悪的な書き込みになることが多い。やっぱり神経が高ぶっているのである。ヨナさん鍋屋さんには、いったいどうしたのかと心配なされたことであろう。実はこういうわけだったのである。いや、申し訳ない。


 録画しておいたCSアニマックスの『ジャックと豆の木』を見る。前にも感想を書いた気がするので、詳しいことは繰り返さないが、『銀河鉄道の夜』や『源氏物語』のような幻想世界を見事に描いた杉井ギサブローの、スラップスティック感覚が横溢したもう一つの代表作。音楽がBGM的な働きしかしておらず、今一つミュージカルになりきれてないのがウラミだが。
 しかし声優陣は豪華だ。市村正親・山本リンダ・西村 晃・悠木千帆(樹木希林)・日下武史・水島 弘・一谷伸江・麻生美代子・上村一夫・左とん平。今だったら、キャストだけで製作費が吹っ飛びはしないか(劇場公開は1974年)。
 樹木希林と麻生美代子の声質がよく似ているので、麻生さんがいつもよりやや甲高い声で当てているのがおかしい。


 マンガ、北崎拓『なんてっ探偵▽アイドル』12巻(小学館/ヤングサンデーコミックス・530円)。
 えー、「闇のドッキリ番組編」「青い目の逃亡者編」「アキラ拉致問題編」「ゆかりん視姦編」「リスト対テロリスト編」を収録だそうです。
 なんかもー、どの話もとことんトホホな展開で、確かに私自身なんで未だにこれを買ってるのかよくわからないのだが、やっぱこの作品、基本的に「ハレンチ学園」モノだからなのかもなあ。これが「刷り込み」なのであろう(そう言えば『ハレンチ学園』もコンビニで発売されましたね。なぜか第1話から収録されてませんが)。
 だって、アレですよ、アキラが誘拐される話なんか、自分の居所を清春と片岡に知らせるために、アキラがプラジャーやパンツを落としていくんですよ。こーゆーマンガをどう評価すればいいというのか。……だから自分でもなぜ買ってるか説明がつかないんですってば。

2002年06月09日(日) チキュウは狂気で回ってる。/『全日本妹選手権!!』1・2巻(堂高しげる)/『おごってジャンケン隊』5巻(完結/現代洋子)ほか
2001年06月09日(土) イカレポンチ天国/映画『大菩薩峠 第一部』(1957東映)ほか



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