無責任賛歌
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| 2002年10月14日(月) |
若本規夫賛江/映画『サイン』/『エドワード・ゴーリーの世界』(濱中利信編・柴田元幸・江國香織) |
三連休最後の日。 せっかくの三連休、ただ無為に過ごすのもなんだよなあ、と思ったので、ちょこちょこと部屋を片付ける。 とりあえず新聞を片付けて、本を積み上げてケモノ道を作る。 休みの間、何もしてなかったとしげに言われたかないしな。仕事がなくてしげに甲斐性があれば本気で主夫してーよ。
昼間、ヨナさんとこのチャットを覗いてたら、ちょうどユースケさんに出会う。チャットの経験もそれなりに重ねてきたつもりではあったが、やはり顔を知ってる方と違って、語りかけ方に気を遣う。話題が合わないんじゃないかとか、オタクだとバレると嫌われるんじゃないかとか(^_^;)。 差し触りのないところで、カラオケ話でお茶を濁したが、やはりチャットに参加しようと思うなら、趣味は幅広く持っておかねばならんよなあ、と思うのである。入りはしたが、語ることが何もないではなぜそこにいるかが解らない。人の顔色を見て空気を読みつつ、ということもできないので、ともかく話題だけが頼りってとこがある。 最低限の一般常識も持った上で、さらに自分の個性を訴えることのいかに難しいことか。いつもいつも思うことだが、みなさんと語っていると、自分自身の無個性ぶりがコンプレックスになって胸がズキズキしてくるのだ。 ユースケさんが落ちたあと、ヨナさんとちょっと会話。「女の子はどうしてお互いにチチを揉みたがるのか」とセクハラで不遜な話題。男は絶対、○○でない限り、○○○○揉みあったりしないもんな。 ふざけてるようだが、これは突き詰めて考えていけば結構マトモなSEX論になりそうだ、と思ったのだが、そろそろしげが合宿から帰ってくるので、中途で退出。ちょっと思ったが、実は女性とはもともとユニ・セックスなのではなかろうか。「男」という性自体が実は存在自体、アブノーマルなのである。いや、根拠はあまり考えてないので、そのうち資料なんかも調べて考えてみようかな。
昼過ぎになって、しげ、合宿から帰ってくる。どんな様子だったか聞いてみたかったが、よっぽどぶっくたびれてたらしく、「眠い」と言ってそのままフトンに倒れこむ。 「合宿の間、眠ってなかったのかよ」 旅行に行くときはいつもそうだが、緊張して寝付けなかったらしい。 「よしひと姉様はすごいよ、どこでも寝れるから。夜もすぐ寝たし、車の中でも寝てたし」 人生の半分を寝て暮らしてるしげには言われたくないセリフだな。 帰ってきたら一緒に映画に行くとか言ってたけど、こりゃ今日もダメかな、と思ってたら、7時を過ぎたころに、トイレに起きてきた。ちゃんと起きるためには寝る前に水分をたくさん取っておく、というのも一つの手であろう。これだと私の場合、睡眠が2時間でもなんとか起きられる。ただ、これが続けられるのは私のトシでは二日が限度だ。 掲示板にレスなど付けたあと、キャナルシティに向かう。
ラーメン食いたいとしげが言うので、久しぶりにキャナルシティのラーメンスタジアムに行く。 若本規夫のナレーション、相変わらず「ラーアアアアアメン者たちよ!」と全開バリバリである。マジでスカールが演じてるように聞こえるぞ。これ、CD出してくれんかなあ。この日記見てる人でキャナルシティの関係者いないか。こそっとテープ廻してくれ(^^)。 「ちよ父」もいいけど、若本さんの代表作はこのナレーションであると断言しよう(^o^)。 しげは餃子のある店にしか入りたがらないので、「むつみ屋」か東京ラーメン「香月」かで迷うが、ジャンケンで香月に決める。と言っても、勝った方の好きな店に入ろう、と決めといたのに、勝ったしげがどっちか決められなかったので手近なところに入ったただけなのだが。ジャンケンした意味ねーな。 二人で豚の角煮醤油ラーメン。別に相談して一緒にしたわけでなく、気が合っただけなのだが、案外しげはこういうのを喜ばない。同じメニューだとこちらの具をピンハネできないからである。とことん実利的なやっちゃ。 醤油ラーメンのわりにえらく油が浮いている。スープを飲んでみると見た目ほどしつこくはないが、もう少しあっさりした味を期待していたので、ちょっと首を傾げる。もしかしたら東京で出してるものと違って、豚骨ベースにしてるのではないか。これがもし、福岡の人間は豚骨、という摺り込みでされたことだとしたらマジでゆゆしき事態である。全国各地のラーメンが食えるというラーメンスタジアムのコンセプトが崩れちゃうではないか。それどころか、福岡の人間はともかく豚骨しか食わない舌バカ、と思われてるんじゃないかと心配になってくる。……もう遅いのかなあ。
福家書店を回ってコミックスの新刊を何冊か買ったあと、AMCで映画『サイン』。 相変わらずしげは、M・ナイト・シャマラン監督の“M”を「ミッド」だと主張する。ミッドナイト・シャマランって、そりゃナニジンだよ。 しげにはほかにもこの手のアホ話がやたらとあって、「ねえ、エドガー・アラン・ポーって、エドガーとアランとポーなの?」って意味不明のものもある。そんなこと言ってたら、パブロ・ピカソは何人いるんだ(本名がすげー長いんである)。多分、しげの脳構造は人間のものと違ってるんだろうな、あれ、エイリアンだから。 シャマラン監督がどうしてMをイニシャルのままにしているのか、理由はよく知らないが、多分インド系の人だから発音が難しいとか、あるいは宗教上の理由があるとかそんなんじゃないかね。 それはそれとして、今回、批評が殆ど書けないのである。ヒッチコックの『サイコ』あたりが嚆矢だと思うが、いわゆる「この結末は誰にも話さないで下さい」ってやつだね。『シックス・センス』でも『アンブレイカブル』でもそうだったけれど、それに触れずに感想を述べることがそもそも不可能な映画なんである。 予告編で仰々しく紹介されてたミステリーサークル、これが果たして大掛かりなイタズラなのか宇宙人のシワザなのか、それとも全く別のものなのか、この謎の答えをヒミツにしてくれと言われちゃ、もう話自体が進められない。もちろんネットを散策すりゃあ、ネタバレ思いっきりしてるとこだってゴマンとあるだろうが、一応ミステリファンのハシクレとしては、まあ、三年は秘密にしておきたい(『影武者』かよ)。 というわけでストーリーも一切言わないで、感想だけ述べれば、限りなくフツー。堅実と言えばこれほど堅実な演出もない。シャマラン監督、今回は『シックス・センス』や『アンブレイカブル』のときのような無意味などんでん返しは全く行わなかった。伏線は全てラストに向かって有機的に築き上げられているから、素直に見ていけば、ラストもまあ、物語としては納得できるのである。もっとも、あの作品やあの作品にインスパイアされたんじゃないかなってのは今回も強く思った。ただ、それは欠点とまでは言えない。 でも、だからって面白いとは限らないんだよねー。映画としての欠点はないが、ツッコミどころは腐るほどある。そのツッコミどころも全て謎に絡んでるからやっぱり書けないのだが。 しょうがないからもう、演技的なことを書くくらいしかないが、メル・ギブソン、最初から最後まで同じ表情。『身代金』の時もそうだったから、この人の演技ってやつがパターン化されてきてるってことじゃないのかね。今回の映画にこの人の重々しすぎる演技が合ってたかどうかってのは賛否が分れるところだろう。 どっちかって言うと、今回はオトナより子役二人の名演が光るな。カルキンくんは目にクマのできたマコーレー(^^)。いやあ、あの暗さがいいねえ。特にあそこんとことかあそこんとことか。アビゲイルちゃんは、角度によってはなんかデクノボーに見えるが、真正面から表情をしっかり撮ると映える。アチラは子役もしっかり演技指導されてるんだろうなあ。アレがアレした時のあの仕草はすげーかわいかったな(^o^)。 何が言いたいんだか、具体的なことを書かないでは全く分らないだろうが、仕方がない。まあ、リピーターが出るのも分るなあ、とは思うのである。かと言って、ホントにありふれた映画なんで、さほどお奨めはしませんが。
濱中利信編・柴田元幸・江國香織ほか『エドワード・ゴーリーの世界』(河出書房新社・1575円)。 ネットで『The Wonderful World of Edward Gorey』というホームページを開設している濱中さんによる、日本初のゴーリー解説本。ゴーリーの作品紹介など、ホームページからの流用も多いが、やはり本として手に取って読めるというのは嬉しい。カラーページで様々なゴーリー・グッズを見られる楽しさ。Tシャツほしいなあ。 ゴーリー作品の魅力をヒトコトで伝えるのは難しい。 その諧謔、皮肉、悪意、狂気と混乱、嗜虐と被虐、暗さ、奇怪さ、ブラックユーモア、いくら言葉を尽くしても、ほんの一端しか語れていないように思う。しかし、その一端を分析し、集めて行くことで成り立っているのがこの本だ。そこにはこれまで見えてこなかったゴーリーの魅力が横溢している。 ともかく、ゴーリーに関する情報なんて、ついこの間までは皆無に等しかったから、ともかくページを捲るたびに新情報が次々に飛びこんできて、ワクワクしてくるのだ。 日本で最初にエドワード・ゴーリーを紹介したのは、かの植草甚一氏で。1976年12月、『ミステリマガジン』誌上に『オードリー・ゴアの遺産』が載ったのが最初だったとか。全っ然知らんかったわ。そうと知ってりゃ、こないだ東京に行ったときにミステリ文学資料館で、『MM』のバックナンバー探してみるんだった。まあ、この手の後悔はしょっちゅうすることではある。 ゴーリーが日本通であった事実も読んでビックリである。『源氏物語』が愛読書で(サイデンステッカー訳だろうか。十数回読み返したというから本格的である)、成瀬巳喜男のファンって、渋すぎるぞ。今時の日本人でもそんなん、そうそういないって。確かに人間の不幸を冷徹に見つめる視点は、成瀬監督と共通するものがある。考えてみたら、一人の女が全く報われることなく一生を終える林芙美子原作の成瀬監督作『浮雲』などは、ゴーリーの『不幸な子供』そのまんまじゃないか。脳天気なハッピーエンドドラマがキライな向きには(私だが)こたえられない魅力なのだ。 アメリカの『Mystery!』という番組(NHKで放送してた『シャーロック・ホームズ』や『ポワロ』、『ブラウン神父』や『ジキルとハイド』などのシリーズを放送していた枠だそうな。初期のホストは何とビンセント・プライス!)ではゴーリー氏はオープニング・アニメーションを担当していたとか。見てみてえー! ともかくゴーリーのミステリファンぶりはものすごいものだったらしく、特にアガサ・クリスティーはお気に入りで全作五回は読み返してたとか。「ミステリーは読み捨てるものではない、読み返すものだ」と言う氏の意見には激しく賛同。でも『X‐ファイル』の大ファンだったってのは少々頂けないが(^^)。 柴田元幸、江國香織両氏との対談で濱中さんが明かしていることだが、ホームページにアクセスしてくる全世界のゴーリーファン、相当濃い人ばかりのようである。アメリカ人で「ゴーリーとガッチャマンのグッズは全部集める」と豪語している人がいるそうだが、どんな人間なんだ(^_^;)。そこまではいかなくとも、少なくとも日本で集められるゴーリー関係のものはこれから集めて行こうと思っている。ああ。またハマっちゃったものが増えて行くなあ……。 てなこと言いながら、新刊の『敬虔な幼子』(ゴーリーにはときどき別名で作品を発表するクセがあって、これもその一つ。でも「エドワード・ゴーリー」のアナグラムになってるので本人だとすぐわかる。本作は「レジーラ・ダウディ」名義で発表された。このあたりもゴーリーがミステリファンである証拠)、まだ買ってないんだよなあ。っつーか近所の本屋じゃ見かけない。やっぱり天神の福家書店まで行かないとダメか。
2001年10月14日(日) 新番紹介、大トリ!/アニメ『サイボーグ009』第1話「誕生」 2000年10月14日(土) 「野草」刈りと漂泊者と生ベルばらと/『あこがれの遠い土地』(トーベ・ヤンソン)ほか
| 2002年10月13日(日) |
芸のためならって問題でもないんだけど/DVD『アベノ橋魔法☆商店街』3巻/アニメ『サイボーグ009完結編』 |
朝は爆睡。起きたらまた昼の12時である。連休はどうしたって気が抜けるなあ。 もう最近はハナちゃんがどんなトラブル起こしてるかもわかんなくなっちゃってるよ。ライダーはもう13人分ったのかな。羽田さんまだ下手なトーク続けてるのか。ぴたテン、少しは作画マシになってないかなあ。 そろそろ朝ちゃんと起きて、午前中のうちに原稿書いたりホームページの準備をしたり、建設的な生活をしたいものだが。
『アッコにおまかせ』を何気なく見ていたら、水沢アキが17歳当時、森本レオにレイプされたのを激白したとか。30年前ってことだからもう彼女も47歳か……遠い目(いや、若い頃はいろいろおセワに)。一見、清純派に見えるんで、ウチの親父なども隠れファンだったのだが、実は結構若い頃から2時間ドラマなどでレイプされる役など演じてたのである。心にキズ持っててよく演じられたなあ。 事件の経過は、本人の談によれば、当時、毎日テレビのドラマ『夏に来た娘』で共演していた森本に「演技指導してあげるから」と言われて、自宅へ招かれたところ、フトンが敷いてあって押し倒されたということである。今になってどうして告白したかというと、最近、森本の不倫騒動が報じられて、自分と同じような目に合ってる人がいるのを考えたらガマンできなくなって、ということだ。 突然30年前の古傷をえぐられた森本レオの方は、「オトナの付き合いでした」とレイプを全面否定。なんだか初めから真相は藪の中って感じだ。 普通ならレイプの報道ということになれば、加害者である森本レオ、ケシクリカラン、ということになりそうなものだが、和田アキ子も峰竜太もアリとキリギリスも小池栄子も(こうして並べると濃いメンツだよな)、ほぼ一方的に「なんで今さら、水沢アキ」という意見に終始している。……嫌われてるんだなあ、水沢アキ。 何しろ、「仮にレイプが事実でも時効」「森本レオが名誉毀損で訴えて、売名行為が立証されたら水沢アキのほうが罪になる」とまでフリップを用意して説明してるのだから、念が入っている。 確かに、これまでレイプの事実を「黙っていた」ということは、本人の体と心の傷がいかに大きかろうと、客観的にはそのレイプの事実を「許容していた」と見なされても仕方がない面がある。言っちゃなんだが、その30年の年月の間に、水沢アキの心の中で合意の行為だったものがレイプにすり返られた可能性だって否定はできないのだ。人間の心って、それくらいの記憶操作は簡単にする。 ただ、和田アキ子たちが水沢アキに対して怒りを露わにしているのは、必ずしも彼女の告白の信憑性を云々しているわけではないようだ。和田アキ子はいつものかるーい調子で(でもドスは利いた声で)「私なら、レイプされてても30年経って言ったりしないな」と発言していた(もちろん「するほうじゃん」とのツッコミあり)が、そのウラには、大なり小なり、自らの身を犠牲にして今の立場を築いてきた芸能人としての呪詛が篭っているように思える。なんか呪詛なんて言い方をするとえらく重く聞こえるかも知れないが、やはり芸能界、特に役者の世界は「体張ってなんぼ」の世界なのである。法がどうの、女性の権利がどうのと言ったようなキレイゴトなんて通りゃしない。やはり映画版『Wの悲劇』での三田佳子のセリフ、「あなただってカラダ使いませんでした?」ってのは真実であるのだ。「たかがレイプごときでなぜ騒ぐ」、これが口にこそしないが、芸能人たちの一般常識なのだろう。 これが、告白したのが一般の女性であったなら、たとえそれが売名行為であったとしてもこういった反応は少なかったのではないかと思う。「シロウト女を犯して捨てた悪いヤツ」という、森本レオに対するダメージのほうが大きかったのではないか。なんで被害者である水沢アキのほうが槍玉に上げられるかというと、つまりは彼女が30年間、役者として一歩も進歩してこなかったということが、今回の告白でバレちゃったからなのだ(水沢アキって役者だったの? という声も聞こえてきそうだな)。 「犯されるのも芸のコヤシ」、というのはムチャクチャな論理ではあるが、それは役者の世界において一面の真実であることは間違いのないことなのだ。彼女の行為はシロウトの行為でこそあれ、役者のソレではない。「これで自分が干されても構わない」とか決意表明のようなことを言ってるらしいが、彼女が干されるとしたら、芸能界のタブーを犯したからではなく、単に「使えねえ」役者だからだろう。今後の経緯がどうなるか知らんが、まあ水沢アキの決意に反して「レイプ? それがどしたの?」ってことで流されちゃうんじゃないかね。 こんなこと書いてるからって、私がレイプを肯定してる、なんて誤読しないようにね。もともと反道徳的な世界の論理を、杓子定規に一般的な正論で判断しようとしたら、かえって現実から目を背けることになるよって話なんでね。これはまあ、素直に「水沢アキの売名行為(レイプも多分、彼女の被害妄想)」と捉えといて構わないと思うけど、いかがでしょうか。
続いてもう一つの「今さら」話、荻野目慶子さんがもう十年以上も深作欣二さんの愛人だったんですって。これは水沢アキの場合と違って、著書の中で告白してるからまさしく「女優」としての活動の一環。押し倒されたとたん、思わず「カントク!」と叫んだとか、「これはもしかしたら死んだ河合義隆監督が(荻野目慶子と不倫関係にあって自殺したのである)蘇えったのではないか」と考えたとか、キテますねえ、これは(^_^;)。 深作監督も、ガンの手術をして男でなくなるくらいなら死んだ方がマシだと、命かSEXかでSEXを選んだってんだからねえ、根性入ってるというか、いかにも深作カントクらしいというか。さすがの和田アキ子たちもこのニュースにはヒトコトもコメントしなかった。そりゃ「さいですか」としか言えんよなあ。 で、彼女がまさしくレイプ経験を芸のコヤシにしてることは、『高校教師』や『忠臣蔵外伝四谷怪談』の狂気の演技で証明ずみ。全く、『獄門島』のころの可憐な美少女はどこに行っちゃったんだか。 この二つのニュースが並べられてるってのは、全く妙な偶然もあったものである。役者としての軍配は圧倒的に荻野目慶子に挙げられるだろうが、実際に付き合う相手としてどっちがいいかというと、どっちも泣き寝入りしてくれないって点では同じなのである。 しげはもちろん荻野目慶子タイプだが、もちろん襲われたのは私の方なのである(じゃあ和田アキ子じゃん)。
せっかくの休みだし、買ったままでまだ見てないDVDを見ようと、まずは1本、アニメ『アベノ橋魔法☆商店街』3巻。 CS放映時には見損なってた第七話『回想! 魔法商店街☆誕生』、これはこれだけで青春アニメの一編としてよくできてる。『王立宇宙軍』と言い、『ポケットの中の戦争』と言い、通じ合わない恋を描かせたら山賀博之さん、絶品だね。無駄な描写を極力省くテクニックがうまいのだ。 どういうところかっていうとさ、夢音が好きな相手の阿倍のために弁当を作ってるわけよ。なのにそれを阿倍のところに届けようともしないで、花に黙々と水を遣っている。それを見て、若き日の雅ジイ、嫉妬してその弁当を「阿倍に届けてやるから」と言って取り上げる。夢音は雅ジイを呼びとめようとするけど、すぐに諦める。もちろん、雅ジイはその弁当を届けないで自分で食っちゃうんだが、ゴマで作ったんだか、弁当のハートマークが切ない。 説明すると陳腐になっちゃうんだけど、もう、この時点で三人の関係は壊れちゃってるのだ。阿倍は雅ジイが夢音のことを好きだと知ってるから、一旦は関係を持ったものの、もう夢音を避けようと思ってる。夢音はもう阿倍が自分の弁当を食べてくれないと知ってるけど、それでも作らないではいられない。雅ジイは嫉妬はしてるけど、弁当をそのままにしている夢音を見てるのがつらくて仕方がないから、それを持って逃げる。夢音だって、雅ジイが自分のことを気遣ってくれてるのが分るから、呼びとめることができない。お互いに相手のことを思っているのに結局ドツボにはまっている様子を、くどい説明をせず、演技だけで示している。こういうのを「演出」というのだ。 山賀監督、殆ど映画を見ない人らしいけど、こういう脚本が書けるというのはやはりスバラシイ才能だ。だから早いとこ『蒼きウル』作ってよって。
アニメ『サイボーグ009完結編 Conclusion God's War』第二幕「光の羽音(はねおと)」。 さて、先週見そこなってたので、果たしてどんな出来になっとるものやら、と思ったけれど、作画がやっばりガタガタ(^_^;)。つーか、「文成動画」って、また外注に出したかよ。ラストの5分だけはなんとかまともな作画に戻ったけれど、絵コンテ段階で既に演出のセンス一つ感じられない雑なもの。これが三十年近く待たされた完結編の序章ってか? やっぱり1話分削られたのは、少々きつかったのかなあ。 こういう中途半端なとこで終わっちゃって、果たして続編は作られるんだろうか。希望としては1年の間を置いて、テレビシリーズ第2部、映像化されてない『海底ピラミッド編』とか『エッダ編』とか『ディープスペース編』とかもやってほしいものだけど(結構『神々との戦い編』に直結しそうなネタを避けてたことから、スタッフはそういう路線も考えてたんじゃないかって気がする)。もちろん最終回は今回の続き、神々との戦いを描いてもらってね。 今回の『序章』編、神々とは何か、原作の『天使編』ではまさしく「造物主」として描かれていたものが(半村良の『収穫』だね)、今さらハネのはえた天使でもあるまいって判断だったのか、全世界の神話・伝説を統合したような全く違った設定で描かれる、と聞いてたんで、そんな御大層なことができるのかいな、と危惧してはいたのだ。 で、やっぱりモアイとかみょうちくりんな神殿とか、神の巫女とか、どうしょうもないアイテムばっかり出てくるし(-_-;)。もう既にトンデモ本等が流行したあとじゃ、そんなの、どうにもニセモノくさく見えちゃってねえ。グレイも出てくるんじゃないかとマジで心配しちゃったよ。あの光の中の神(?)がソレ臭いよな。 神々の正体、『海底ピラミッド編』みたいに姿を見せないままでやるしかないんじゃないかと思ってたけど、それだと009たちのアクションがなくなっちゃうからねえ。だから代理としての巫女を出すのは分るんだけど、せめて演技の付け方、なんとかならなかったものか。この土壇場でスタジオOX、降りてんじゃないよって。 まあ戦闘服が青くなってたのもねえ、アイデアはいいんだけど色塗りが徹底的にヘタだったから、なんとも地味に見えちゃってさあ。キャラクター、みんな沈んでるよう。いっそのこと最初の映画版みたく、009だけ白にしてくれたらよかったのに。 もう一つの疑問。『天使編』のラストでも描かれてた。001がみんなに与えたって新しい力、エスパー能力じゃなかったの? 008の「水を自由に操れる」というのはそれっぽいけど、004なんてスキルアップしたってだけじゃん。それは改造手術でなんとかするものであって、001がどうにかできるものでもないように思うんだがなあ。
連休の合間ということで、一番ゆったりできたが、日記の更新は遅々として進まず。ネット散策して早々と就眠。明日は少しは部屋を片付けようっと。
2001年10月13日(土) 封印/第三舞台『ファントム・ペイン』(鴻上尚史作)/アニメ『カスミン』第1話 2000年10月13日(金) 病気自慢と白髪三千丈と……ね、眠い/映画『レッド・ブロンクス』
| 2002年10月12日(土) |
第一稿完成!/『ちょびっツ』7巻(CLAMP)ほか |
太陽が明るい。 全く、このトシになって徹夜で原稿上げてるだなんて、わしゃ〆切前のマンガ家か。いや、修羅場ってほどじゃないけどさ。 後半殆どはしょった感じにはなったが、ともかく第一稿は仕上げた。しげにいろいろ文句は付けられたがなんとかギリギリで間に合わせたのだ。約束破りが常連のしげにとやかく言われたくないものである。 しげはいそいそと合宿に出かける。泊まりこんでまでどんな練習をするのかよく分らないが、ともかく今は眠い。額に手を当てると熱もある。 空気が抜けたままのベッドに倒れこんで、そのまま夜まで爆睡するのであった。
『起動戦士ガンダムSEED』第2回「その名はガンダム」。 あっ、東京より一週間遅れで放映すると思いこんでたけど、福岡もちゃんと先週が第1回だったのか。前回こうたろうくんに見せてもらっててよかったなあ。 でもやっぱりファーストガンダムのリメイクって印象が強いなあ。いい加減仮面の男を出すってネタ、やめたがいいと思うんだけど。 「ガンダム」ってOSの名前なわけか。「GUNDAM」がそれぞれ何かの頭文字らしいがまるでMOGERAだな。面白いのかねえ、こういうの。私には姑息な語呂合わせにしか思えんが。スタッフが自分たちだけで悦に入ってる姿が透けて見えて、ちょっと鼻白んじゃう感じだ。 キャラクターデザインがみんな同じ顔で80年代テイストなのと、三石琴乃がまた葛城ミサト役で出演しているので(^o^)、なんだか全然新しいアニメを見てる気がしない。 富野さんが『キングゲイナー』やってんだからなあ。どうしても薄いアニメに見えちゃうんだけど、新人育成のダシに使われてる気がしてならんなあ。セリフもありきたりだし好みの女の子も出て来ないし。次回も見るかどうかは微妙。
夜、ヨナさんとこのチャットを覗く。 ヨナさん、初めましてのユースケさん(男性かと思ったら女性であられた)とご挨拶したあと、番人を頼まれる。 ちょっと待ってるとあやめさんが来られたので、ちょっと有頂天になる。全く、人妻に何を萌えてんだか(^_^;)。カラオケ話が、いつの間にやらあやめさんの写真集を出そう話にスライドする。聞くところによるとあやめさん、○○姿とか○○○○○姿とか○○○○○姿の写真もお持ちだそうである(伏字にするとかえってえっちっぽいな。いや別にヘンなものではないと思う。見てないけど)。 そういう立派なモノを隠しておくというのは、人類にとって世界にとって罪であろう。早いとこヨナさんにホームページを立ち上げてもらって、WEB上で公開すべきだ、と主張したら、ニベもなく断られた。ちっ、ガードが固いぜ(~_~;)。 途中から参加されたBobyZさんも、私があまりに「写真集出そうよ」と主張するものだからすっかり呆れている。しかし私はおエライさんにゴマをすったりするのは抵抗なくできても、お世辞や追従は大嫌いである(ゴマスリはお世辞じゃないのか?)。山登りがそこに山があれば登るように、そこに美人がいればのぼ……ああ、いやいや、世間にお披露目したいと考えるのは自然な流れであろう。 まあ別に写真集に拘らなくても、ご夫婦揃って特技や趣味を幅広くお持ちの方々だから、WEBサイト運営したり、同人誌でも作られれば、すごく面白いモノができると思うんだがなあ。 同人誌作られるんでしたら、小説でもなんでも寄稿しまっせ(^o^)。
マンガ、CLAMP『ちょびっツ』7巻(講談社・540円)。 謎が随分と解かれてきた。こりゃ、あと数巻で終わるかな? 少なくとも「世界にとって危険」てな大風呂敷まで広げちゃったんだから、半端な形では終わってほしくないものだ。 フレイヤとエルダ(ちぃ)が、子供の生めない体である日比谷さんの子供として作られた、という設定が語られたことによって、『ちょびっツ』がまさしく『鉄腕アトム』直系の作品であることがハッキリしてきた。となれば、「ロボット(本作の場合はパソコン)に心が生まれるか?」という疑問は疑問としての体をなさないことになる。ロボットもパソコンも現実のそれではなく、あくまで一つの寓意であるからだ。『アトム』は差別との戦いの物語であったし、『ちょびっツ』もまた、その匂いを濃厚に漂わせている。 『アトム』は自己犠牲の末に、最終回でその身を太陽の炎で焼き尽くしてしまったが、ちぃに対して本須和は力強く「しあわせになってほしい」と断言した。ならば、絶対にこの物語をアンハッピーエンドにしてはならないだろう。世界の危険よりも、ちぃの幸せを優先するくらいの話にしてくれなければ、読者は黙っちゃいまい。……でもなんとなく安易な方向に行っちゃいそうな気がするんだよなあ。キャラクターを結構掘り下げて描いてあるんで、あまり小ぢんまりとまとめないでほしいんだけど。
2001年10月12日(金) それはそれ!/『ゲッベルスの贈り物』(藤岡真)ほか 2000年10月12日(木) 乳の電話と江戸のエンコーと胃袋女と/『十時半睡事件帖 おんな舟』(白石一郎)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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