琴 星 商 事 日 乗
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2005年01月31日(月)
  深大寺蕎麦道中 <画像あり>

 調布・深大寺。古来より湧き水が豊富で、都内でも有数の蕎麦処。と言うか、こんなに蕎麦屋ばかりが軒を並べる所は、東京には他にないんじゃなかろうか。今では湧き水の量も相当減り、蕎麦も生産していないようだけれど、蕎麦屋の数だけは群を抜く。そんな所に、エレと二人、蕎麦を食べに行ってきました。

 実は、学生時代にもエレと広報部長と初詣がてら深大寺で蕎麦を食べたのですが、どうにも美味しくなく。その時は広報部長が言い出したんだったか、何故か蕎麦屋を3軒もハシゴしたにも関わらず、余り美味しいお蕎麦には巡り会えませんでした。そういう訳で今回はその時のリベンジ。

 が、ネットで調べてみても、深大寺には「美味い蕎麦」というものは殆ど存在しないモヨウ。確かに、「深大寺門前」という地域単位で蕎麦テーマパークのような様相を呈している訳で、そんな所に美味い蕎麦があるかと言えば、疑問な気もします。「深大寺の蕎麦は雰囲気を食べるものだ」と書いてる人までいて、納得。確かに、門前のレトロな感じ、武蔵野の面影を色濃く残す緑なんかは、蕎麦を食べる雰囲気としては満点なんですよね。

 調布駅からバスに乗り、終点の深大寺下車。美味しい蕎麦屋は寺に近い所にはない、という情報(確かに、前に門前で食べた蕎麦はハズレだった)を元に、今バスが走ってきた道を戻ります。途中にネットで美味しかったと言う人もいれば美味しくも不味くもないと言う人もいた蕎麦屋を発見。エレが蕎麦なんて人それぞれだから、美味しいと言う人がいるのなら食べてみよう、と言うので、ここに決定。
 中に入り、窓際のテーブル席に通して頂きました。テーブルにはガーベラが2輪生けてあって、窓の外には屋外席に生け垣の緑。そうそう、都心部にはないこの長閑さが、深大寺の蕎麦屋の魅力なのよね、なんて思いつつ、私の方を向いているピンクのガーベラ越しに窓の外を撮影していたら、丁度蕎麦つゆと薬味を運んできた女将さん?か店員さん?が「あらまぁ、お花を撮って下すったんですか? ありがとうございます」と声を掛けてきました。店内での撮影は嫌がるお店もあるので、「下すった」「ありがとう」なんて言われると恐縮です。
 注文したのは、平日限定20食の言葉に惹かれて冷たいお蕎麦。普通のもりとは粉が違うみたいです。何が違うのかは食べ比べた訳ではないので判りませんが、以前食べた3店より全然美味しく頂けました。「うまっ!」ってほど美味しかった訳ではないですが、まあこれなら満足出来ます。深大寺なら、リベンジもこんなものかも(爆)。

 再び道を引き返し、深大寺へ参詣。門前で草餅を食し、腹ごなしも兼ねて歩いて調布へ向かいます。途中、道すがらの青渭神社と布多天神社にもお参り。布多天神社は流石天神様。中学生と思われる女の子達が恋みくじを引いていました。つられてエレも恋みくじ。
「一人の夜々は辛くても 実に素晴らしい人に遭い 熱い愛を交す運勢の下にあります 気付かないでも恋されているかも知れません その時こそ一つの愛に生きましょう 今こそ倖せを祈りましょう」
 ちなみに中吉。

 調布には水木しげる氏がお住まいらしく、深大寺門前には鬼太郎茶屋、調布駅北口の天神通り(だったかな)には鬼太郎を筆頭とした妖怪達のモニュメントが設置されてました。鬼太郎茶屋は本日休業でしたが、止まっていた鬼太郎茶屋の車は、鳥取ナンバー。境港から遠路はるばるやってきたのかしら・・・。

花と目が合ったの限定20食の蕎麦青空の下、深大寺。「鬼太郎ッ! 下駄はきちんと揃えんか!」「はいっ父さん!」
思ったほど寒くなくて、良いお出掛け日和でした。
ちなみに、前回来た時は、深大寺の本堂は工事中でした。御陰でまだ綺麗。
一番右は、鬼太郎茶屋の前の木にあった鬼太郎の家。中に鬼太郎と目玉の親父がいます。



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・過去の「今日」。


2005年01月29日(土)
  猫と道行き <画像あり>

 一泊二日で毎年恒例の熱海に行ってきました。

 本日の熱海では、猫が道先案内。まあ、多分、君が生まれる前から、我々はこの道を知っているんだけれど、今はこの一角は、君の住処みたいだから。

 相変わらずの良いお湯で、満足です。泉質は、カルシウム・ナトリウム−硫酸塩・塩化物温泉だそうです。弱アルカリ性なので美肌効果は勿論、痩身効果もあるんだとか。でも夜中に宴会しちゃうから、そんな効果も台無しなんだけどね(睡眠3時間弱)。









帰りは汐留シオサイトに寄ってきました。


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・過去の「今日」。


2005年01月26日(水)
  江戸っ子気質

 うちの父は江戸っ子ではありません。神奈川生まれの神奈川育ち。祖父は沖縄生まれ、祖母は海のない静岡生まれ。
 でも、世間で言う「江戸っ子」に近い、と思うのです。

(1) 短気で頑固。
(2) でも涙もろい。
(3) 味付けが濃い。何でも醤油をかける。
(4) 熱い風呂が好き。

 全部モロに当てはまります。流石に宵越しの銭は持ちますが。寿司ばっか食べたりしませんが。

 かく言う私も、父好みの味、というよりは、正真正銘の江戸っ子で且つ料理人という父を持つ母の味で育った故か、濃い味が好きです。何にでも醤油はかけませんが、広島のめんつゆじゃ醤油足りません。

 私が激マズで食べきれず、「二度と食うまい」と心に誓った西日本版赤いきつね、友人(勿論関東人)にあげたところ、フツーに食べられたそうです。私がおかしいのか友人がおかしいのか。それとも赤いきつねが悪いのか。
 個人的には、東日本版は赤いきつね>どん兵衛、西日本版は赤いきつね<どん兵衛 なのではないかと(勝手に)思っています。西日本版どん兵衛は食べたことないんですが、どん兵衛のが店頭に出てる品数が多い気がするので。

 お風呂も、幼かりし頃に、父が好き勝手に熱した風呂に「10数えるまで!」とかぶち込まれ熱湯コマーシャルさながらのシャレにならん状態を繰り返し味わっていただけに、結構熱くても平気です。寧ろぬるい方が寒くて駄目。

 でも、実家に戻って実家のお風呂に入って、
「うち(広島)のお風呂の温度ももう少し熱くしよう」
 と思った私は、やっぱりあの父の娘なのかもしれない。うん。

 実家サイコー。ビバ上げ膳据え膳!


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・過去の「今日」。

2003年01月26日(日) "変わってないなー"

2005年01月25日(火)
  明日から東京です

 またかよ、と言われても、まぁまたなんですが。
 金土で毎年恒例の熱海旅行、日曜は府中。その他、深大寺に蕎麦を食べに行こう計画なんかもあります。あと、クラブオンカードのポイントが溜まってるので商品券に交換するのと、ヨドバシカメラのポイント有効期限が今月末なので、何としても行かなければ。
 今年の東京は例年に比べ雪が多いので、履いていく靴に悩みます。いつもの年ならそんな心配しなくていいはずなんだけど、今年は明日の朝も少し積もるかも?とか言ってたしなぁ。東京育ちで雪になれてないからこそ、こういうこと悩むんですが、その悩みの場所が東京ってのが如何なものか。

 雪が積もるなんてのは私にとっては「珍事」ですから楽しみなんですが、降るなら東京に帰ってる時じゃなく、広島で降ってほしい。

 現在、サイトのリニューアルを考えています。東京から戻った辺りに決行しようかと。

 全然関係ないけど、トラジ・ハイジの「ファンタスティポ」(・∀・)イイ! ヨドバシのポイントでCD買っちゃおうかなw いや、近所の本屋のポイント(新本には使えないけど、CDや古本には使える)も1000円溜まったんだ。そっち使うかな・・・。


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・過去の「今日」。

2004年01月25日(日) 重大任務

2005年01月22日(土)
  平穏の願い <画像あり>

 「国際法を守る壁」プロジェクト、なるものに参加してみました。「紛争の平和的解決や核兵器の違法性など、国連で定められた国際社会のルール」を守ろう、と訴える為のプロジェクト。木製の小さなブロックにメッセージを書き、それを繋ぎ合わせて壁にする。その壁は今年5月にNYの国連本部へ運ばれ、世界中から集められた「壁」と繋ぎ合わせて、国連本部の周囲に壁を築くのだそうです。でも、難しいことは抜き。ただ、私の今の暮らしを保ちたいから、私の街が、国が平和であってほしいから、そして世界中の人が、笑顔で生きられればいいと思うから。
 というわけで、私が書き記したメッセージは、「laugh and Peace」。判る人には判ると思うんですが、2002年に日テレと吉本が「笑いは世界を救う」とか何とかいうプロジェクト?をやった時のテーマです。テーマ曲はTM NETWORKの「CASTLE IN THE CLOUDS」。この曲の中でも「We can bring back Laugh & Peace」と歌われています。
 木片には、様々な言語で平和への願いが記されていました。中には核廃絶への願いや「NO WAR」といった具体的なものも勿論ありましたけど、私は敢えて、そんな強い意志ではなく、「笑って過ごせればいいじゃん」的ないい加減さを記してみました。「平和」も勿論大事。でも「平穏」に暮らしたいのです。

 本日の広島は晴れ。現在は普通の街中にある爆心地に設置された「爆心地」の碑に足を止めているカップルを見かけました。明日は、都道府県対抗駅伝らしいです。


出来かけの「壁」、「平和の灯」、元安川の対岸から見た原爆ドーム。

 その後、そごうのファイナルバーゲンにて70%offで真っ赤なショートコートを購入。それから、鯉城通りと平和大通りの交差点にある「白神社(しらかみしゃ)」へ。こんな一等地に、小さな神社。一体どういう神社なのか、車で通るたびに気になっていたんです。
 広島城が出来た頃(1591年)、このあたりまで海で、本殿下の岩々は岩礁なんだそうです。浅瀬の岩礁で海難事故が多かったので、この岩礁の上に白紙を立てて航海の目印にしたんだとか。これを「白神(白紙)」と称し、1475年に大友時盛が祈願して神殿を建立したのが神社の由緒(のよう)。
 近くに旧日銀の建物とかあるような超一等地にあるんだから、それなりの由緒を持つんだろう、とは思ってたんですが、そういう由緒でしたか。海でしたか。
 祭神が何なのかまでは判らなかったんですが、宮司さんの名字は「宗像」でした(社務所に表札出てた)。宗像。海の三女神ですな。やっぱり海神なのかなぁ。

 帰りにソレイユのMOTHER LEAFでワッフル食べて帰りました。シモキタにあった頃、よく行っていたMOTHER LEAF。西日本初出店の地が、広島のダイヤモンドシティ・ソレイユです(昨年3月オープン)。


岩礁の上に立つ白神社本殿、白神社の広島式狛犬(鞠付きのは広島式らしい)、ワッフル♪



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・過去の「今日」。

2003年01月22日(水) 再び痛い話です

2005年01月18日(火)
  カセットテープ

 ふと思ってしまって書き留めております。

 小学校中学年頃から、私の生活には音楽が付きものです。勿論、幼少時にレコードでピンクレディ、とかは聴いていたようですが(記憶にはない)、記憶の限りでは最初はカセットテープ。中学生からCD。今持っているミニコンポでは、CDMD・カセット・ラジオが聴けます。これを新居に持ってきたので、実家の私の部屋には、音楽を再生するための機械はありません。ましてやカセットテープを再生出来るものなんて。

 なのに何で、私は軽く100本はあっただろうカセットテープを、全て実家に置いてきたんだろう。

 確かに、MDが導入されてからは借りたCDを録るのもMDだったし、テープを聴く機会はすごく減っていました。でも手元にはカセットテープしかソースがないあんなのとかこんなのとかもあるのに!

 ・・・というより、再生する機械がないのに、そんな荷物を実家に置いておいてどうするつもりだったんだろう昨年3月の自分。




 ちなみに。

 あんなの・・・物凄い時間かけて計算して120分きっちり収めたマイベスト とか
 こんなの・・・「吸血鬼ハンターD オリジナルサントラ」とか空手バカボンとか「YMOのカバ」とか

 多分マニアックです。


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・過去の「今日」。


2005年01月17日(月)
  私の1995.1.17

 1995117日火曜日、10年前のあの日。私は勿論、東京にいた。当時は高校3年生で、即ち受験生だった。

 早朝、6時頃。小さい地震で目が醒めた、気がする。でもそのまま、すぐに眠った。
 いつも通り7時過ぎに起きると、テレビが関西で大きい地震があったことを報じていた。少し前に北海道でも大きな地震があって、マグニチュードや震度の割にはさほど大きな被害がなかったから、今回もまたそんな地震だったんだ、と思った。
 そして、学校へ行った。
 この日はセンター試験の翌日で、私の高校では、午前中は通常授業、午後はセンター受験者のみ自己採点が行われることになっていた。私はセンターを受けておらず、12時間目の選択授業(確か、英語だったと思う)と34時間目の必修授業を受け、恐らく学校で昼食を摂って、5時間目が始まる頃に帰宅したのだと思う。
 学校では「そういえばあったね」くらいしか地震のことは話題にならず、私たちの専らの関心事は、自分、或いは友人たちのセンター試験の結果だった。この日唯一、地震の話で覚えているのは、私の後ろの席で結構仲の良かったOくんが、お父様が大阪に単身赴任中だったとかで、
「朝っぱらから、みんな寝てたのに、俺は大丈夫だぞ、って電話があったよ。地震あったなんて知らないから、みんな"はぁ? 何が?"って」
 って話をしてたことくらいだ。東京にいて、朝8時頃には情報から遮断された私たちにとっては、この時点ではこんなモノだった。

 センターは受けていないけれど一応受験生だった私はこの頃、源氏物語のストーリーを頭に叩き込もうと橋本治の「窯変源氏物語」を図書館で借りてきて読んでいた(勉強法が間違ってるとかいうツッコミは今更要りません)。この頃、7巻あたりを読んでいたんじゃなかったかと思う。14時頃帰宅し、続きを読もうとテレビの前に座り、テレビを付けた(私は時計代わりにテレビをいつも付けている)。
 時間的には、ワイドショーの時間。朝の地震の続報とかもやってるかも、とは思ったと思う。でも画面に映し出された光景に、「あれ? 映画か? 何チャンだ?」と思った。あの高速道路が横倒しになった光景が、その時映し出されていた。朝、家を出た時には、数人の死者とか怪我人とか、そんな話だった。それが高速が倒れ、駅舎が潰れ、街が焦土と化している。
 びっくりした。
 びっくりした、なんて言い方じゃ全然言い表せないけど、とにかくびっくりした。
 それからも刻一刻と情報は変化し、死者・行方不明者の数は増えていく。
 結局この日から、「窯変源氏物語」は1冊くらいしか読み進められなかった。だって、殆どテレビのニュースを見ていたから。

 あの日から10年が経った。
 震災を経験していない私でも、「あの日」のことはこうして朧気に覚えている。あの日から10年。

 今日から10年後、つまり「あの日」から20年後、私が「私の1995117日」を今と同じくらい覚えていることはきっと無理だろうから、今日は備忘録として書き留めてみました。しょーもない日常が、とても大切なんだってことと共に。
 そもそも、私の「10年後」があるとも知れないし、ね。


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・過去の「今日」。

2003年01月17日(金) 忘れた頃にやってくる。
2001年01月17日(水) 修論提出、そしてLive!

2005年01月16日(日)
  ここ数日メモ "φ(.. )

 風邪を引き、4日間寝込んでいます(現在進行形)。
 今回の風邪は鼻風邪です。熱は、いつもながら出ません。でもだるかったり眠かったり体の節々が痛かったりで、4日間の殆どをベッドの上で過ごしました。外にも一歩も出ていないし、家事も一切してません(コラ)。

 起きている間は、主に音楽を聴きながら本を読んでいました。先日九州を訪れて、再度読み返したくなった「古事記」。学研M文庫から出ている梅原猛が現代語訳した古事記を、年末に出たTM NETWORKの「Welcome to the FANKS!」をエンドレスでBGMにして再読してました(まだ読み終えてません)。

 「Welcome to the FANKS!」はデビュー20周年の記念盤で、ファン投票の上位20曲+今までアルバムに収録されなかったシングルのカップリング曲などを収めた3枚組のCDです。私も何曲か投票しましたが、結構マイナーな曲がランクインしていてびっくりしました。「雨に誓って−SAINT RAIN−」、やっぱり良い曲なんだわ。

 そんなことをしながら、少しだけサイトのリニューアルを考えています。リニューアルと云うよりは、コンテンツの整理といった方が正しいかもしれません。考えているだけでリアルなヴィジョンがある訳でもないので、どうなるのか、どうするのかは判りませんが。

 そんな感じのここ数日です。生きてはいます。


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・過去の「今日」。

2004年01月16日(金) 携帯その後
2003年01月16日(木) 本日の収穫

2005年01月12日(水)
  いただきます

 「いただきます」の時、手を合わせる習性がある。特に意識してやっているのではなく、自然に。

 先日、阿蘇神社門前でお昼を食べた時、夫婦揃って「いただきまーす」と手を合わせていたら、お店の女主人に「育ちがいいのね」と感心された。勿論、夫はともかく、私は感心されるような育ちの出ではないのだけど(親にそんなことを教えられた覚えもない)。

 食事を摂る、というのは、まさに命を受け継ぐこと。自分で料理をするようになって、より強くそう思う。私は魚介類は苦手なので、自ら命を奪い、それを捌いていくようなことはしないし、したくない(自分の目の前で生きている魚を殺してまで食べたいとは到底思えない)。でも、鰺の干物はやっぱり鰺の木乃伊なワケで、ぶつ切りはバラバラ死体に他ならない。野菜は植物だから私たちと違って動いたり(多分)痛みを感じたりしないけど、命をいただくことに変わりはない。

 「いただきます」なんだよなぁ。

 あなたの命を、あなたの栄養を、いただきます。

 せめて、なるべく無駄なく、なるべく美味しく料理してあげたいんだけどね。修行が必要です修行が。


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・過去の「今日」。

2004年01月12日(月) 連休レポ <画像あり>

2005年01月09日(日)
  マックホルツ彗星 <画像あり>

 ここ数日、肉眼でも見えると噂のマックホルツ彗星が観望の好機を迎えています。私も一昨日と今日、双眼鏡片手にベランダに出て見ました。
 「星はすばる」で有名なおうし座のすばるぼし(プレアデス星団)のすぐ近くに見えるので探しやすいのですが、
結論:肉眼では見えません。
 約4等級でしょ? しかも彗星でしょ? 彗星って他のフツーの星と違って「点」ではなくある程度の「面積」をもって見えるワケですよ。他の星(恒星)が「・」なら彗星は「●」。だから同じ4等星でも、彗星の方が暗く見えるんです。マグライトなんかで光を1点に集中させた時と拡散させた時だと、1点集中の時のが明るく感じるでしょ? そんな感じです(多分)。
 今日のウチのあたりはとっても綺麗に星が見えています。すばるは肉眼でオッケーです。でも絶対にマックホルツ彗星は無理。双眼鏡(8×42)でも彗星を見たことがない人には確認出来ないんじゃないでしょうか。それくらいの見え方です。すばるの北側を中心に丹念に見ていくと、ぼやややーんとした雲か埃かレンズの曇りのようなものがあるハズです。それがマックホルツ彗星。よく映像や写真で見るぐわーっと尾を引いたようなほうき星を期待しても、それは見えません。

 てワケで、肉眼で見るには、相当空の暗い所に行かないと無理と思われます。まあ双眼鏡で視認出来る彗星も、めったやたらとあるものではないので、それなりに貴重なんですけどね。
 機会があったら是非夜空を探してみて下さい。何しろマックホルツ彗星の公転周期は約10万年。絶対に、二度と見られないワケですから。


これは1997年のヘール・ボップ彗星。
都区内の自宅より撮影。



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・過去の「今日」。

2004年01月09日(金) 安否は携帯に依存
2003年01月09日(木) ここだけの話(一言日記)

2005年01月05日(水)
  TSUNAMI

 日本は地震大国だから、日本人は津波のこともよく知っているはずだと思う。地震があれば震源が内陸だろうと海底だろうと津波の有無を報じるし、年に一度は津波警報を目にしているだろう。「津波」が「TSUNAMI」として英語になっているあたり、判らない土地の人には判らないことなんだろうなぁ、と思う。

 波が通常有り得ないほど引いたら、次に大波がやってくるから高台に逃げなければならない。
 日本人なら、常識だと思っていた。少なくとも、地震が少ない国や海のない国の人より、その辺りの知識は豊富なはずだ。
 でも、「通常有り得ないほど」って、その海の通常の潮位を知らなければどうにもならないのかもしれない。
 どうして逃げられないんだろう、と思ってしまうけれど、その場にいなければその恐怖や切迫感、そして無力感は判らないんだ、とも思う。プーケットの水上コテージなんかにいたら、波が引いたことにすら気付かず、津波に襲われたかもしれない。

 津波が来る前、タイの観光用の象たちは足の鎖を引きちぎって高台に逃げたらしい。異常な鳴き方をしていたため周囲の人も危険を察知し、難を逃れたとか。
 その昔、津波の被害にあった町には「波が引いたら高台に逃げろ」と言い伝えられており、同じく難を逃れたそうだ。

 大きな揺れを感じた後の津波は、覚悟があるから逃げられるかもしれない。でも震源は遠い海で、津波だけがやってきたら、やっぱり人間は簡単には逃げられないのかな。

 自然の猛威に立ち向かう術は、今の人にはないのだろうか。
 昨年は、自然に対し余りにも無力な年。今年はどうか穏やかであるよう。

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 年末の九州旅行、アップ終わりました。上のINDEXか左フレームの「Trip! Trip! Trip!」からどうぞ。左からは4日分まとめて見れます。


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・過去の「今日」。

2003年01月05日(日) 年齢詐称
2002年01月05日(土) 府中金杯

2005年01月01日(土)
  謹賀新年 <画像あり>

 明けましておめでとうございます。

 今年の正月は広島で迎えました。大晦日、広島市内では路面が白くなるくらいの雪も降ったようですが、呉は時折小雪が舞った程度。山の上は白くなっていたようですが、下界は雨。それも程なく上がり、初詣は星空の下。
 でも帰り道に小雪が舞いました。御降。お目出度い徴です。

 ところがですよ。うちのダンナは初詣に行った近くの神社で御神酒を頂く時、盃落として真っ二つに割りました。有り得ません。

 東京は積雪の中迎えた2005年のようですね。大晦日の雪は21年ぶりだそうで、記憶にありません。実家の辺りも3cmくらい積もったらしいです。年末年始は車も人も減るから、道路が凍結してるとか母が言ってました。
 一方、田舎のコチラは見たことない程人がいます。初詣に行った神社で、「この辺にもこんなに人がいたのか!」と思うくらいです。人が多い田舎なんてサイテー。

 年末の九州旅行記はそのうち書こうと思ってますのでしばしお待ちを(昨年の日記を書くのもどうかとは思うけどさ)。概ね天気には恵まれました。予報は雪マークも付いたりでかなり不穏だったんですが、4日間、車内で雨に見舞われることはあれど、外にいる間に傘を必要とすることはなかったです。別府から久留米方面に向かう際に湯布院に寄ったのですが、流石に山間部は雪が積もってました。でもその2日後には小倉でも積もってたワケで。2004年は最初から最後までカンペキ晴れ女の年でした。何しろ、あまり傘を使った記憶がありません(1年間全く働いてない所為もあるけど)。今年も続くといいなぁ。

 それはともかく、皆様にとって2005年が佳い年となりますよう。
 本年も何卒御愛顧の程を。

写真は阿蘇神社の大楼門(門松付き)。
1日遅ければ雪景色だったでしょう。この日は晴天。



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・過去の「今日」。

2004年01月01日(木) 謹賀新年 <画像あり>
2002年01月01日(火) 神様の視点から
2001年01月01日(月) ―はじめに―

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