無責任賛歌
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2007年08月08日(水) |
『新・UFO入門』(唐沢俊一)の盗作疑惑について |
日記再開の内容が、また不穏な感じのものになってしまい、いささか恐縮ではあるのだが、どうしても気になって仕方がないことを綴っておこうと思う。
「事件」をよくご存知ない方には、まずこちらのまとめサイトを見ていただきたい。 「ネット上の文章の盗用問題:『新・UFO入門 日本人は、なぜUFOを見なくなったのか』(唐沢俊一著)を巡って」 http://www.jarchive.org/temp/copyright2.html
このサイトも「グーグル八分」とやらにあっているらしく、「唐沢俊一 盗作」で検索をかけてもヒットしない。どういう仕組みかはよく分からないが、既にあちこちの有名サイトでリンクされてもいるし、このサイトだけを検索できなくしたところで、いくらでも周辺事情は検索することができるので、誰がどうしてそんな措置を取っているのかも疑問ではあるのだが、それはさておき。
「漫棚通信ブログ版」の日記に「これは盗作とちゃうんかい」と題して、唐沢氏の盗作疑惑が書かれたのが6月7日のことである。 これが、事件発覚当初の唐沢氏の主張するように「大いに参考にさせていただいた」性質のものでないことは、後に唐沢氏自身が交渉の経緯を記した文章の中で、「ほぼそのままの形のものをペーストしてしまい」と書いていることでも明白である。 これを「参考」と言い張るのは詭弁でしかない。もしも他の作家がそのような執筆方法を取っていたとしたら、唐沢氏はやはり「それ、盗作だよ」と明言するに違いないからだ。
唐沢氏が、誰もが指摘するように、どうして事件発覚当初に素直に謝れなかったのか、という疑問については、唐沢氏に本作の続編執筆の予定があったため、それが頓挫することを恐れ、「盗作作家」のレッテルを張られることを嫌ったのではないか、という推測がネットでは流れている。 『新・UFO入門』が絶版になることだけは避けたかった、ということなのだろう。
しかし、唐沢氏が本気で漫棚通信氏に謝罪する意志があるのなら、本自体を完全に絶版、封印するくらいの潔さは見せてもよかったのではないかと思う。 『新・UFO入門』を子細に読んで行けば分かることだが、「ペースト」は「漫棚通信ブログ」からだけではないのだ。 『新・UFO入門』の第5章「UFO群、ピラミッドに舞う!」ではCBA事件が取り上げられているが、これが、新戸雅章氏が『歴史を変えた偽書』(ジャパン・ミックス社)に掲載した文章をコピーペーストしたと思しき部分がいくつか「残って」いるのである。
新戸氏の元の文章はネットにも掲載してあるので、そちらを参照していただきたい。
「六〇年代のハルマゲドン −UFO教団CBAの興亡―」 http://www.asahi-net.or.jp/~ve3m-snd/shindo/essay/cba.html
全文の引用はこの日記にはとても入りきれないので、いくつかの要所だけを「引用」させていただく。 例えばこの新戸氏の文章の「地軸は傾く」の項に、このような文章がある。
「八月になって、Cは選ばれたメンバーにだけ伝えられることになった。会合に集まった数十人のメンバーに対して、幹部がレイ・スタンフォードの訳書を示しながら、Cが間近に迫っていること、われわれはその準備をしなければならないことなどを説いて、団結と協力を促した。この頃、期日は一九六〇年から六二年の 間に設定されていた。」
比較して、『新・UFO入門』の108ページには以下のような文章が見られる。
「会合に集まった数十人のメンバーに対し、幹部がレイ・スタンフォードの訳書を示しながら、カタストロフ(CBAはこれを、頭文字の“C”で表現した)が間近に迫っていること、その準備が急務であることなどを説き、団結と協力を促した。そのCの期日は、1960年から62年の 間であると説明された。」
漢字を数字に変更したりの改変はあるが、ほぼ同じ文章であることはお分かりいただけるだろう。 また、次のような箇所の変更もある。 元の新戸氏の文章(「りんご送れ」の項目)はこうだ。
「それによると、Cは地軸の急激な傾斜により起こる全地球的規模の大洪水である。これによって多くの生物が死滅し、陸と海は入れ代わり、新しい陸地では三年間は作物が育たない。しかし会員とその家族は、その前にUFOで飛来した宇宙の兄弟たちによって救出される。 Cの期日は十日前に『「リンゴ送れ」シー』という電文等によって知らされる。その時は登山の用意をし、一週間分の食糧を持って、家族とともに指定の集合場所に行け。一週間前にはラジオ、テレビを初め、あらゆる報道機関を通じて、Cの到来が告げられる。その後、否定の報道がなされるが、最初の報道を信じて行動すれば一般人であっても救済される可能性が高い。救出された者は他の遊星で再教育を受け、地球に輝かしい黄金時代を築く……。」
これが、唐沢氏の著書の111ページから112ページにかけて、以下のような文章に若干の「書き換え」が施されてペーストされている。
「ともかくも、CBAメンバーたちには、そのCは全地球的規模の大洪水であり、これによって陸と海が入れ代わるほどの大変動が地球にもたらされるが、会員とその家族は、その前にUFOで飛来した宇宙の兄弟たちによって救出される、と告げられた。 そして、救出の具体的な手順も説明された。Cの期日10日前に『「リンゴ送れ」シー』という電文が会員の元に届けられる。その時は登山の用意をし、1週間分の食糧を持って、家族とともに指定の集合場所に行くこと。1週間前にはラジオ、テレビをはじめ、あらゆる報道機関を通じて、Cの到来が告げられる。その後、否定の報道がなされるが、最初の報道を信じて行動すれば一般人であっても救済される可能性が高い。救出された者は他の遊星で再教育を受け、地球に輝かしい黄金時代を築く……。」
ほかにも類似の部分は多々あるが、唐沢氏が『新・UFO入門』を、資料を自分自身の文章と考察でもって捉えなおすことを怠り、安易なコピーペーストとその改竄で作り上げた部分も多い(決して一部ではない)ということは、これだけでも充分証明できると思う。 新戸氏も唐沢氏も、同じ『CBAの歩み』から原稿を起こしているから類似の文章になったのではないか、ということは考えられない。原資料の要約が、文脈まで(3点リーダーまで!)一致するはずはない。第一、唐沢氏は『歴史を変えた偽書』の新戸氏の文章を読んでいることを『新・UF入門』の前章「日本UFO史の暗黒面」90ページで、ちゃんと明記している。「偶然の一致」ではないのだ。 「引用元」ならぬ「盗用元」をうっかり書いてしまっていることになるが、つまり唐沢氏は、「ある事実や作品の紹介であるならば、誰かが要約した文章をそのまま使っても盗用には当たらない」と考えて執筆を続けてきたと考えざるを得ないのである。
そりゃ、シロウトが自分のブログなどで本や映画の紹介をするときに、amazonなどの「あらすじ」をコピペするようなことはいくらでもあるだろうが(それも厳密にはよくない)、それはあくまでシロウトのレベルの話である。プロの作家がやっていいことではない。 いつごろからなのか、最初からなのかは分からないが、唐沢氏の中にある「プロ意識」が麻痺していたことは残念ながら疑いようのないことのようである。
新戸氏自身は、唐沢氏の『新・UFO入門』を読まれていて、自身のブログでは「本書は、UFOという古いテーマに新しい切り口をつけ、そこを通して日本の戦後文化や戦後社会のありようにまで照明を当てた好著である。一読をおすすめしたい。」とまで絶賛している。 http://blog.goo.ne.jp/tesla1856/m/200706 どうやら、自身の文章が殆どそのまま使われていたことにはお気づきでなかったようであるが、この一連の盗作騒ぎにはどのようなご意見をお持ちであろうか。
8月3日、漫棚通信氏と交渉決裂はしたものの、唐沢氏の一応の謝罪文がホームページに掲載された。 事件が起きて以来、私は、閲覧度の低いと思われる個人ブログのコメント欄で意見を書き込みしたことはあるが、特に表立っての発言は控えていた。唐沢氏と今でもお会いする仲ならばともかく、あまり思い出したくもないトラブルで縁が切れている以上、ちょっとでも批判めいたことを書けば、ここを先途と意趣返しでもしているように取られかねない、という危惧の念が働いたからである。
実際、かつて唐沢氏と親しかったが今は疎遠になっている人たちは、概ね唐沢氏に対して批判的な意見が多く、なにやら「いじめ」的な様相すら呈していて、あまり気持ちのいいものではなかった。 逆に、唐沢氏に近いはずの人々が、ほとんど沈黙を守っていたのもどうして立場を明確にしないのか疑問に思った。批判するにしろ擁護するにしろ、こういう時に何も言わないでいるというのは、人としてどうなのだろう、という疑問である。なんだかキリストの逮捕の時に「私は彼を知らない」と三度言ったペテロのようではないか。自分にもとばっちりがふりかかってくるのを恐れているだけなのではないか、という疑問をどうしても拭い去れないのである。 唯一、ブログで「友情から」唐沢氏を批判したのが、「鬼畜」であるはずの村崎百郎氏だけだったというのは皮肉だとしか言いようがない。
私自身は、この問題そのものは、最終的には『新・UFO入門』の回収、絶版で終わると思っていたのである。このような日記も、当初は書く予定はなかった。 ところが、唐沢氏の以下のような「謝罪文」の内容を読んで、気が変わったのである。
http://www.tobunken.com/news/news20070803110042.html 謝罪文 幻冬舎新書で刊行した唐沢俊一の著作『新・UFO入門』初版の中で、 一部(同書134ページ〜139ページ)にサイト『漫棚通信ブログ版』 (http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/)の 内容とほぼ同一の文章を無断で掲載してしまった箇所 がありました。この件に関し、漫棚通信様に大きなご迷惑 をおかけしてしまったことを認め、謝罪いたします。 なお、初版印刷分に関しては出版社在庫を裁断し、当該部分を 差し替えた版を至急製作して、当該箇所にはその事情を説明した 文章を付記させていただきます。今回の件に関し深く反省し、 今後このようなことのないよう、出版活動に対し身を引き締めて あたる所存です。重ねて深くお詫び申上げます。 平成19年8月3日 唐沢俊一 幻冬舎新書編集部
「当該部分を差し替えた版を至急製作して」って、絶版にする気はない、ということなのだなと。 「今回の件に関し深く反省し、今後このようなことのないよう」と言うのであれば、当然、ほかの「盗用」部分についても反省していなければおかしいではないか、ということである。 唐沢氏の「反省」とやらは決して充分なものではない。どこかにこの出来事を「甘く」見ている面が残っているのではないか。
『新・UFO入門』が、単にUFO事件を取り上げているだけでなく、近代という科学的合理主義によって支配されているかのように見える我々の「意識」が、案外、前近代的なものに強い影響を受けていること、そして恐らく今はUFOを見なくなっている我々が、近い将来には「別の何か」を見ることになるのではないかと予見させる内容になっていること、これは本書を後世に残したいと思わせるに足るだけの充分な価値がある。だからこそ、盗用部分がかなりあることが残念でならない。 だとしたら、いっそのこと、「一部訂正」などという姑息な手段を取らずに、「完全全面改稿版」を出版することにしたらどうか。朝日新聞の書評委員を自粛するというのなら、時間もおできになるだろう。当座の生活に困るということはないと思う。「盗作」という汚名を返上しようと思うのなら、それくらいの「禊」は必要だろうと切に思う。
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