無責任賛歌
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2006年02月07日(火) |
だから自分の立場に置き換えて考えてみろってば/『戦国自衛隊 関ヶ原の戦い』 |
秋篠宮妃紀子さまが第3子をご懐妊……という、タイムリーと言うか、逆に間が悪いと言うか、大変な時期に大変なニュースが飛び込んできたものである。テレビのニュースは「おめでとう」を口にすることも忘れて、「皇位継承県がどうの」という話題ばかりだ。こういう事態になっちゃうから、男系に拘ることがどれだけ皇室にとって弊害か、ということは明白だと思うんだけど、馬鹿にはそのあたりのリクツはまるでわかんないんだろうね。 女系天皇容認論者(というよりは長子相続論者と言った方がいい。女系に拘ってるわけじゃないんだから)にとっては、紀子様が男子をお生みになろうが女子をお生みになろうが、どちらでも構わない。ただ「おめでとう、どうかお体をお大事に」と言うだけのことなのである。けれど男系天皇に拘る人々が今どんな状態になっているかと言うと、もう何が何でも紀子様に男子を産んでもらわなければ困る、そんなイカレた強迫観念に捉われてしまっているのが、ニュースの偏向報道ぶりからも明らかに見てとれるのである。あるニュースキャスターなんか、「事態を静観するということは、男子が誕生することをまつという意味です」なんてコメントしてたぞ。なんじゃそりゃあ? 「男子が生まれれば、皇室典範を改定せずにすむのだ」という思い込みね、それが紀子様に対してどれだけのプレッシャーになるか、分かっているのかね? じゃあ、紀子様に対して、女子を産んだら困るとか許さないとかこの役立たずとか思うわけか? これってさ、女の子ばかりを産む嫁さんを「女腹(おんなばら)」と呼び、子供を産めない女性を「石女(うまずめ)」と呼んで、離縁状を叩きつけて「家」から放逐した封建時代の差別意識に繋がってるんだよ? そんな不埒な目で紀子さまを見るわけ? そんなの気が狂ってるって、どうしてそういうフツーの常識が持てないのかね。 世の女性が「長男と結婚したくない」と言ってるのはなぜだ? 平成の現代ですら、「跡取りの男子誕生を」と望む「家」が幅を利かせてるからだろう。けれど、そんなことを言っていたら、たとえ男だろうが女だろうが、天皇家に婿入り嫁入りなんかしたくないと思うようになるのは必然じゃなかろうか。男系論者の主張は、伝統に拘るあまり、伝統を途絶えさせる原因を作っているに等しいよ。 政府与党内にも慎重論は高まっているということだが、果たして本当にそれは「慎重論」なのかね? 私には、皇室に群がって甘い汁を吸おうとしている連中に同調して自分たちもおこぼれに預かろうとしてるか、イカレたウヨクにビビらされたか、いきなり増え出したアタマの悪い付和雷同タイプの俄か男系論者相手への人気取りか、本人もただの馬鹿なのか、あるいは皇室をいずれ滅亡させようと画策しているか、いずれにしたって腰の座った態度でモノを言ってるわけじゃないとしか思えない。実際、そうだとは思わないか? で、改めて聞くが、そこの男系論者さんよ、紀子様がこれで女子をお産みになったら、あんたは「落胆」するのかね? どうして男子を産んでくれなかったんだって思うのかね。あんたが既婚者だとして、自分ちに女しか生まれなかったら、そのことで他人から非難されたとしても、腹も立てずに「その通り」なんて言っちゃうのかね。 もしそうなら、あんたは皇室を本当に慕っても尊敬してもいないよ。人間やめてると言ったっていい。魂が腐っているのだ。 それは違うと反論できるものなら言ってみろ。「皇室は一般家庭とは立場が違う、男子を産むのは妃となったものの義務だ」とでも主張するか? ふざけるな! 雅子さまも紀子さまも、血の通った人間なんだよ! 天皇家にとって何が不幸かって、デントウデントウと停電した家の住人みたいな繰言ばかりツバ飛ばして言ってる糞野郎どもが、宮内庁にはびこってるどころか、同じ皇族にすらいるってことだな。これぞまさしく獅子身中の虫。結局、男系論者の連中は、雅子様にプレッシャーがかけられて体調崩したことも流産したことも、全く意に介していないのだ。 しかし私は本当に分からないのである。「伝統」とやらに拘っている連中は、自分たちの主張が、天皇家を途絶えさせる原因となりかねないことに、本当に気付いていないのだろうか? 側室制が取れない以上、長子相続制を取る以外に、天皇家を存続させ得る方法はないことは自明だろうに。だからこそ、男系論者は、馬鹿でないとすれば、「裏」があると考えざるを得なくなるのである。まあ馬鹿なんだろうけれど。 ネットを散策してみると、「このめでたい出来事と、皇室典範改定問題とは切り離して考えるべきだ」というマットウな意見も多い。けれども、この問題を過熱化させてしまったのは、まさしく「男系」に拘った馬鹿どもだという事実は、指摘しておいた方がいいと思うのである。 全く、馬鹿には勝てねえ世の中だよ(タメイキ)。
妻が体調を崩して寝込む。 仕事の帰りに、電話を入れてみたら「今日は父ちゃんとこに行ってない」と言うので、いったいどうしたのかと聞いてみたのだが、体のどこがどう悪いのか、何が原因なのか要領を得ないのもいつもの通り。 「風邪か? 熱はあると?」 「ない」 「喉は?」 「痛くない」 「じゃあ、どこがどう悪いんだよ」 「なんか知らんけど体がだるいと」 「病院には行ったと?」 「行かん。お金ないもん」 「知らせてくれればお金のありか言うのに!」 箪笥貯金ではないが、家の貯金箱に一万円くらいはあるのだ。と言うか、たとえお金があろうと、しげはこういうときは病院に行くのを億劫がって、いつも症状を悪化させてしまうのである。学習能力がどうしてこうまでないのか、もう全く理解できない 一応、具合が悪いというのは本当らしいので、栄養ドリンクと胃腸薬を買って帰ることにする。 「他になんかいるや? 飯はなんか食べたとや?」 「今日は何も食べとらん」 「何で食べとらん! それが原因やろうもん! 栄養が足りんで、抵抗力がなくなっとうったい」 「……そう?」 「お前、無理してダイエットしようくらい思いよろ?」 「……」 図星のようである。そう言えば、おとといとさきおととい、二日連続で映画を見に行った時に、しげはやはり二日連続でオムライスを注文し、ペロリと平らげていたが、多分あれで体重が少しリバウンドしたに違いない。それで慌てて絶食しようとしたのだろう。急な断食は百害あって一利無しである。たとえ食事を制限するにしろ、少しは食べておかないと体に毒だ、なんてことは常識だろうに、これだから馬鹿は……。 「じゃあ、飯ば買って来てやるけん。駅弁とほか弁、どっちがいいや?」 「ほか弁」 ちょうど一週間限定で「牛すき弁当」が安かったので、それを買って帰る。肉好きのしげが肉断ちをするとどうなるかってあまりにも結果が明白で、あまりしげに同情する気が起こらないのである。
『DRAMA COMPLEX』枠で、『戦国自衛隊 関ヶ原の戦い』後編。 何と監督が、かつての劇場版『戦国自衛隊』を撮った斎藤光正である。自作をリメイクするとは、まるでセシル・B・デミルのような、ってそれほどの大監督じゃないけど(失礼)。 けれど、前・後編と続けて見て、これは新・旧の二本の角川映画版より、はるかに面白いと思った。 原作の半村良が述懐している通り、この作品のアイデアは、斬新ではあったけれども陳腐である。矛盾した言い方だが、つまり、作者が思い付いた段階で、「これはほかの誰かが思い付いてもおかしくない」ということに気が付いたということである。言わば原作小説は、作者が「早いもん勝ち」の感覚で、小説というよりは殆どシノプシスに近い感じで一気に書き上げたごく短い作品なのである。半村良は、あとで全面的に書き直すつもりだったらしいが、結局その夢は果たせず、物故してしまった。せめて最初の映画化の時に、改稿してくれたらよかったのにと、意外に早かったその死が悔やまれる。 そういう事情だから、この小説は実は小説としての体を為していない。「あらすじだけ」と言ってもいいのである。だからドラマにするためには脚色がいろいろと必要で、これまでの映画でも、一つは伊庭三尉以外はその他大勢でしかないサブキャラにスポットを当てるという「忠臣蔵銘々伝」方式が取られてきた訳だが、今回の脚色は、そういう瑣末的なことよりも、物語の根幹自体を大きく変更することで、前二作よりもはるかに骨太でドラマチックな展開を作り出すことに成功している。 時代設定を従来の織田信長の時代に設定せず、天下分け目の関ヶ原に移したこともスケールアップに繋がってはいるが、何と言っても大胆かつ最大の功績は、自衛隊自体を東軍=伊庭(反町隆史)と、西軍=嶋村(渡部篤郎)に二分させ、争わせたことだろう。原作は、自衛隊が戦国時代に呼ばれたのは、このパラレルワールド世界が、我々の知っている世界と“ごく近いが、微妙に異なっている”ため、それを歴史通りに動かす目的のためだ、という説明になっている。簡単に言えば、「世界の予定調和」のためだということだ。 しかし今回のドラマ版はそうではない。自衛隊を敵味方に分けたために、予定調和のラインは崩れた。SF設定としては自衛隊のタイムスリップには「偶然」という原因以外にはなにものもなく、歴史の意志の介入もそこにはない、ということになる。だから、果たして伊庭は歴史を修復して現代に戻ることができるのか、それとも嶋村によって改変された歴史が紡がれることになるのか、予断は許さない、ということになるのだ。 SF性は薄れたが、よりサスペンスフルなドラマになったことは間違いない。まあ、小早川秀秋が藤原竜也ってのはどうかと思うんだが、それもまあ好き好きの範囲内ってとこかな。長門裕之・津川雅彦が、『相棒』に引き続いて、本田正信・徳川家康に扮して兄弟共演しているが、こういうとき、長門さんがよりはしゃいでしまうのはよっぽど嬉しいんだろうか。そのあたりを「微笑ましく」見ると、この殺伐とした物語がちょっと「可愛らしく」見られるのである。
2005年02月07日(月) 金ならないっ!/『ルパン三世officialマガジン』VOL.3 2004年02月07日(土) 入院日記6/けーかほーこく 2003年02月07日(金) ベスト?/『赤ちゃんをさがせ』(青井夏海)/『じつは、わたくしこういうものです』(クラフトエヴィング商會)/映画『白夫人の妖恋』 2002年02月07日(木) びっくりにびっくり/アニメ『七人のナナ』第5話/『なんだかコワレ丸』1巻(矢也晶久)ほか 2001年02月07日(水) ♪それ行け、不倫不倫不倫、どこまでも♪/『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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