無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2001年02月07日(水) ♪それ行け、不倫不倫不倫、どこまでも♪/『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』ほか

 脚本家、松原敏春氏死去。まだ53歳だ。若いなあ。
 名前だけはよく見かけるものの、この人の作品だから見る、という意識を持ったことはなかった。にもかかわらず、そのフィルモグラフィーを見てみると、結構好きな作品が多い。『ゲバゲバ90分』がデビュー作だったとは、トシの割りに結構古い。1969年だぞ。当時慶大在学中だったということだが、アレだけ先鋭的なギャグを(スタッフの一人だったとしても)21歳で考え出していたというのか。最終回、セットが掃けたあと、ぽつんと残った電話が鳴り出し、スタッフが受話器を取り、「はい、『ゲバゲバ90分』は今日で終わりです」と言ってそのまま去るという、余韻を全く残さない演出、アレはショックだった。いったい誰が考えたのだろう、松原さんだったのだろうか。
 『カリキュラマシーン』と並べると、私と同世代のコメディーファンなら絶対に忘れてはならない両作品に関わっていたのだ。そういう人を認識していなかったとは不明なことである。
 奇しくも遺作は『菊次郎とさき』。コメディアンのルーツを探ることを始めていた矢先だったのだろうか。

 この日記を借りて以来、ほかのホームページの個人日記も時々覗くようになっている。人気投票のシステムもあるので、さて、どんなモノに人気があるのやらと1位を見てみると、毎回決まって『secret LOVE日記』というところ。
 うわあ、これはいわゆる不倫日記ではないか。まあ別段私はモラリストでもなんでもないので、誰が誰と不倫しようが構わないのだが(あ、私が浮気したいという意味ではありませんよ、念のため)、その「不倫」という点を除いてしまえば、そこに書かれてあるのはただの切ない「恋愛日記」である。逆に言えば「不倫」という付加価値がついただけで世の人々はかくも好奇心をそそられ、スキャンダラスな匂いを嗅ぎ取り、鼻息荒く目をぎらつかせてコトの推移を追いかけ、恐らくは「破滅」を期待しつつ、投票を続けているのだ。
 下らん、と切って捨てるのは簡単だが、実のところ我々は「愛」というモノに何の価値もなく、その付加価値たる「スキャンダル」のほうにこそ真の価値があることに気づいている。しかしその付加価値は本体たる価値がなくば存在し得ないものであり、ゆえに形骸的な価値に過ぎない「愛」が未だに「スキャンダル」の母体として珍重されているという実にややこしい情況を呈しているのだ。
 つまり「破局する愛」こそが現代の愛の<客観的な>理想形なのである。で、それを忠実になぞったのが数年前の「失楽園」ブームであるわけだが、正直な話、レシピに忠実過ぎるメニューには食傷気味である。そろそろまた別のムーブメントが出てきてもいいのではないか。
 いや、日記についてここまで突っ込む必要はないんだけど。

 女房、ようやく『花嫁はエイリアン』のデータ収集を終えたらしい。字幕を全部ノートに書き写し、シーンごとに見えるアイテムをいちいち確認して、そこから映画の「作り」そのものを浮かび上がらせようという試みだが、今時大学生でもやらないような作業をよくやれるものだと感心する。この方法に更に分析能力が加われば、立派な評論家になれるんだが、そこで女房はいつも言葉を失ってしまっているのである。
 女房はいつも口喧嘩で私に負けるとベソをかくが、要は対象を批評することで何を表出させられるのかという分析ができないから負けるのである。あともう一歩ってとこなのに惜しいなあ、と我が妻ながら思うのである。

 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』読む。……と言うより、見る。
 これが実に面白い。
 題名どおり、大正から昭和初期にかけて、詩人の朔太郎が撮った写真を集めたものだが、ただ有名詩人が撮った、という点で面白いのではなく、その殆どが「ステレオスコープ」なのである。つまりは立体写真。……いや、大正だよ。ちょっと一瞬目を疑ってしまった。
 マンドリン、手品ほか、当時としては斬新な趣味を数々もっていた朔太郎だったが、「普通の写真には全く興味がない」と言い、「立体写真は光学的に郷愁を写す」とまで言いきった朔太郎のそれは、徹底的に「奥行き」のみを追求した写真集であった。
 そこに写される風景の中心になっているのは大抵が消失点を持つ「道」である。その道の先にあるもの、詩人がその奥行きの果てにあるものを見続ける時、この世のどこにもない世界、それは例えば『猫町』のような、現実のはざまに見え隠れする夢幻境が、もしかしたらどこかに本当に存在しているかもしれない、という気にさせてくれるのだ。
 解説は朔太郎の娘、葉子と、その息子、朔美。
 実は萩原朔太郎と朔美が祖父と孫の間柄だということをずっと知らなかった。名前が似ているのでそうかもしれないと思ってはいたが、それを確認する文章に長いこと出会わなかったし、何となく朔太郎マニアでつけた芸名ではないかと疑ってもいた。『毛皮のマリー』の美少年が耽美派詩人の孫というのはいかにも出来過ぎで、にわかには信じがたかったせいでろう。

 仕事から帰宅、何とか『パワーパフガールズ』の時間に間に合う。
 ようやく悪役が出揃った感じだが、どうも今一つキャラクターが立っていない。作りこみ過ぎとでも言えばいいのだろうか、主役陣がシンプルなのに対して、「彼」にしろ「ギャング・イン・ギャング」の面々にしろ、ゴテゴテしていてまるで『ウルトラマンA』の超獣である(譬えがオタク世代にしか分らんな)。『バットマン』シリーズの悪役のシンプルかつ強烈なイメージを望むのは酷かもしれないが、ヒットシリーズは、大抵、敵役の方が主役を凌駕するほどのキャラクターを持ってこそ生まれ得るのである。……って、今後どうにかなるのかなあ。
 『ワンピース』、やっとオープニングから見た。で、ドラマがオープニングで完結してしまっている(^_^;)。オリジナル編に入っているが、ストーリーの骨組は恐らく次にやるだろう「アラバスタ王国編」と同趣向。そんなのやるくらいなら、原作追い越していいから、とっとと「ワンピース」の謎解いちまえ、と思ってるのは私だけだろうか。このままだと視聴率が落ちて、尻切れトンボのまま打ち切りってことにもなりかねないと思うが。

 ダラダラとテレビを見ているうちに睡魔に襲われ寝る。今日も女房はそのころになって起きてくる。困ったなあ、こうもすれ違いの毎日だと、女房のドジネタを日記にアップできないじゃないか(^o^)。



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