無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年11月03日(木) この程度のことならまだ自由にモノが言えるとは思うが/映画『タッチ』

 どうすっ転んでも、女性天皇は決定的だろうなと思ってたところに、とんだ横槍。
 しかもそれがよりにもよって皇族の中からの発言だから、これはちょっと厄介な事態になってしまう可能性も孕んでいる。
 「ヒゲの殿下」こと、三笠宮寛仁さまが、自分が会長を務める福祉団体「柏朋会」の会報にエッセイを寄せて、文中で「プライヴェート」と断った上で、「女性天皇」について疑問を表明したというのだが、その内容の紹介がね、ネットじゃね、かなり「省略」して紹介されているのだわ。ちなみに、読売新聞のネット配信記事はこうなっている。

> 寛仁さまはまず、「万世一系、一二五代の天子様の皇統が貴重な理由は、神話の時代の初代・神武天皇から連綿として一度の例外も無く、『男系』で続いて来ているという厳然たる事実」と強調。〈1〉皇籍離脱した元皇族の皇統復帰〈2〉女性皇族(内親王)に元皇族(男系)から養子を取れるようにし、その方に皇位継承権を与える〈3〉廃絶になった秩父宮や高松宮の祭祀(さいし)を元皇族に継承してもらい、宮家を再興する――などの方法を挙げられている。

 問題点を列挙すれば、まず、「神話の時代の初代・神武天皇から」と、「神話」という明らかに考古学的には信憑性に乏しい伝承を根拠としていることだね。「紀元は2600年」どころか、大和朝廷の成立はせいぜい4世紀ころまでしか遡れない、というのが定説だから、「厳然たる事実」でもなんでもない。
 皇族の一人としては神話だろうが伝説だろうが、それを根拠としなきゃならんというリクツは分かるんだが、「神話」が根拠になるなら、そもそも皇統の始まりは天照大神(アマテラスオオミカミ)にまで遡れるんだよね。国譲りを受けた瓊々杵尊(ニニギノミコト)は天照大神の「天孫」ってことになってんだから。天皇家、もともと女系じゃないの(もっとも、天照大神は男だという説を唱える人もあるが)。それにもしも邪馬台国が大和朝廷の前身だとしたら、この国は女王卑弥呼および壱与によって治められていたわけだ。まさしく日本は「事実」として「女系国家」だったってことになるんだよね。
 もう一つ、三笠宮様の根拠をどのネット配信でも三つまでしか紹介してないけど、実は四つ目があって、これが「『側室』を娶る」となってんだよね。うわあ、「皇太子に女を世話しろ」って主張する皇族。こんな意見は確かに「プライベート」だけに留めてもらいたいものだけれど、これがさあ、三笠宮様の更に次の発言、「陛下や皇太子様は、御自分達の家系の事ですから御自身で、発言される事はお出来になりません」と合わせて考えると、まるで自分が「天皇陛下や皇太子殿下の代わりに本心を代弁している」と主張しているように聞こえちゃうんだよね。つまり、「皇太子様が、雅子様以外に妃を欲しがってる」ってね。
 本当にそうか? あの、雅子様のためについ宮内庁批判とも取れる発言をしてしまった皇太子様が、他に側室がほしいと思っていると? 断言するが、そんなことは絶対に「ありえねー」ことだろう。
 もしもこの件について三笠宮様に「皇太子様自身が側室をほしがっているのか?」と問い質してみれば、「そんなことは言っていない」と否定するかもしれない。しかし否定をするのなら、最初からこんな馬鹿げたことを口にすべきではないのだ。皇太子様が別に側室のことなど考えていないのなら、これは三笠宮様のとんだ勇み足、いや、雅子様のご心中などを察するなら、人格を疑われても仕方のない発言である。
 これはもう、三笠宮様が勝手に妄想したことを垂れ流しただけだと考えざるをえない。一般には市販されない小雑誌に寄稿したものとは言え、こうして内容が出回ってしまうことは三笠宮様にだって予測がついたはずだ。ご自身、政治的発言ができないと分かってるんだったら、それこそ「沈黙」を守るくらいの自制心が、この方にはなかったのだろうか。なかったと判断するしかない。
 仮に、万が一、億が一、皇太子様が「側室」を欲しがっていたとしても、皇太子様が沈黙を守っているのに、それを勝手に代弁できる立場の者なんて、この世のどこにも存在しない。たとえそれが皇族であってもだ。

 天皇家に対して好意的な感情を抱いている国民が多いのは、その発言一つを取ってみても、自由が制限、あるいは剥奪された状態であるにもかかわらず、「象徴」としての立場を弁えて、礼節を守り続けていらっしゃる真摯さ、敬謙さによるものであろう。本心がどうかは分からないが、「皇室アルバム」で紹介される天皇家の皆様の一挙一動は、全て、日本人にとっての「理想の家族」のイメージとして機能しているのである。仮にあれが「虚構」であったとしても、その「虚構」を信じていたい国民はもう、大多数いるのである。
 うちの母親も生前、「天皇ご一家を批判する人もいるけど、殺伐とした世の中を見てると、ああいう人たちがいてくれてよかったって思えるんよ」と言っていた。三笠宮様は、「国民一人一人が、我が国を形成する『民草』の一員として、二六六五年の歴史と伝統に対しきちんと意見を持ち発言をして戴かなければ、いつの日か、『天皇』はいらないという議論に迄発展するでしょう」と書かれているが、今まさにその天皇家の存続を危機に陥れようとしているのが自分の発言だということに、三笠宮様は気付かれていない。
 三笠宮様の不穏当な発言はこれが初めてではない。だいたい、三笠宮様は皇族ではいらっしゃるけれども、「ヒゲの殿下」と揶揄されてる通り、いささか自由奔放にモノを言い過ぎる傾向がある。いやしくも皇族としての立場を自覚しているのなら、散々その「失言」を咎められてきた過去を思い返してみて、もうちょっと気をつけてもらいたいものなんだけどねえ、全然、懲りてないんだろうねえ(若い人は知らないだろうが、昔、「皇族があのように髭を生やすのはいかがなものか」と批判を受けたのだけれど、無視して生やし続けているということがあったのである。別に生やしたっていいと思うけど、「伝統」に基づくのならば、天皇、皇太子よりも偉そうに見える髭を生やすのは確かに「いかがなものか」ってことになるわな)。正直、女性天皇が容認されて、この方の皇位継承権がずっと後ろに回ってくれることを希望しないではいられない。
 それにしても、どのニュースも、三笠宮様の発言を“意図的に”改変し、情報操作してることについてどう思っているのかね。でも「これはヤバい」と判断して、削除したという事実自体が、「男系天皇」に固執しなければならない根拠の薄さを露呈しているとも言えるのである。世論も、「三笠宮様の人となりをご存知の人が多ければ」今回の発言は自然とスルーされちゃうでしょう。


 政治的なことは書くまい書くまいとしながら、つい書きたくなってしまう出来事がちょこちょこと出始めている。政治も確かに絡んでいるけれど、天皇家の問題とかは、日本文化をどう考えるかって問題と密接に絡んでるから、やっぱりいろいろと考えちゃうのだね。
 靖国神社の問題もまたまた喧しくなってきたけれども、中国の唐家璇(セン)国務委員が、小泉首相の靖国参拝について、またまた抗議を示したとのニュース。「中曽根内閣当時の後藤田正晴官房長官が、アジアの感情を配慮し、首相、官房長官、外相は参拝しないことを約束した」という、つい数年前までは口にしたこともなかった「紳士協定」を主張したって言うんだけれども、中国の欺瞞はかなり日本人の間に浸透して来ているので、「ああ、また中国が嘘八百を」と冷静に状況を判断できるようになっている人も増えていると思うのである。これも、小泉首相が曲がりなりにも「靖国参拝」を続けている結果だ。
 政策に問題はあっても、小泉首相が「政治家」だなあと思うのは、まさしくこの参拝を継続することで、「靖国問題を風化させない」現象を作り出していることだ。中曽根首相の時のようにいったん中止してしまえば、それはたとえ中国の内政干渉を腹立たしく思っている国民の間であっても、いつの間にか忘れられてしまうだろう。
 小泉首相が参拝を続ける限り、中国は、韓国は、小泉首相を批判し、反日デモが起こり、日の丸や首相の肖像を焼き払ったり、日本料理屋が暴動で打ち壊されたりするのである。中国のバカっぷり、野蛮人ぶりが全世界に晒され続けるのだ。そして、いくら日本人の首相が参拝を続けようが、日本が全く右傾化することなく戦争を起こさず、世界平和に貢献することを続けて行けば、国内外の世論の趨勢が「どちらに傾くか」は自明のことだろう。中国だって、こんなことで日本に対して何らかの制裁措置とかができるはずもなく、せいぜい抗議を繰り返すか、会談を延期する程度のことしかできないのである。そこまで確実に読んでるよな、小泉首相は。でも、この程度の政治的手腕はちょっとでもアタマの働く人間ならできることで、即ちこれまでの首相がどれだけ無能であったかってことの逆証明になっちゃうんだけれども。


 朝から天神東宝で映画のハシゴ。
 一本目は『ステルス』で、実は大して興味はなかったのだけれども、職場の同僚から招待券をもらったので見に来たのである。
 ストーリーは、最新鋭の人工知能を乗っけたステルス機が暴走したけど、主人公の説得で何とか事態は収めました、けれどステルス開発を指示した上司はトラブルが露見するのを恐れて、主人公もろともステルスを……ってな話。三行で内容を要約できちゃったよ(笑)。
 SFとしてはあまりにも定番過ぎて、つまんないとまでは言わないまでも新味がない。この手のパターンのSFは、藤子・F・不二雄がもっと完成した形でマンガにしてるしなあ。今、どうして、こういう映画が作られなきゃならないのか、その意味が分からない。多分製作者は何も考えちゃいないのだろうが。ヒロインのねーちゃんはきれいだ。

 二本目は最終日に駆け込んだあだち充原作の『タッチ』。
 私はこの作品は柏葉英二郎あってこそ価値があると信じているので、彼のいない『タッチ』なんて、『タッチ』とは思えない。だから逆に、そういう思い入れは捨てて、普通の青春ドラマとして見てみると、そんなに悪い出来ではないな、とフツーに鑑賞することができはする。その点で一般的な評価も二分されるのではないかと思う。
 今更『タッチ』の筋を説明する必要もなかろうが、双子の兄弟が一人の女を取り合うが、弟が交通事故死したおかげで、残された兄が弟の亡霊に悩み苦しみ、けれど愛された女も兄を救うすべを知らずに悩み苦しむというドロドロの愛憎劇である。「違うぞ」と言いたいファンもいるだろうが、『タッチ』は本質的にそういう話だ。
 脚本と演出は、原作のそういう「濃い」部分を見事に見逃して、物語をきれいにきれいにまとめていく。だから、決勝戦のマウンドに立つ達也に、和也がダブって見えるシーンも、原作では和也に呪縛されるシーンとして描かれるのに(その呪縛から達也が解き放たれるために柏葉英二郎の存在が必要不可欠なのだ)、映画では達也に和也が力を貸したような、全く逆の解釈がなされている。物語を尺に収めなければならないための措置だとは言え、これはもう『タッチ』ではない。
 原作ファンとしては、こんなものは到底認められるものではないのだが、犬童一心監督のこれまでのフィルモグラフィーを見ていけば、まあきれいなお話がお好きなようだから、上っ面だけの擬似恋愛ドラマにしかならないことは充分予測ができたのである。だから上っ面だけの恋愛に憧れちゃうような若い女の子とかにはちょうどいいんじゃないかと思っていたら、映画館で隣に座っていた女の子がやっぱりグスグス泣いているのであった。ちなみにしげは「退屈」の一言。しげもスレた女になりやがったなあ。って、昔からだけど。
 役者に目を移せば、双子の俳優二人の演技はどうでもいいとして(笑)、問題は長澤まさみである。『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』や『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』に小美人の片割れとして出演しているから、それと認識してもいいはずなのに、『世界の中心で、愛をさけぶ』まで私は全く注目できていなかった。アイドルを見抜く目が衰えたか(笑)と思ったが、未だにこの子が売れてしまったのは何かの間違いではないかという気がして仕方がないのである。庶民的で可愛い子だとは思うが、正直、イメージは地味で化粧っ気もなく、華のある役者だとは言いがたい。けれど、コギャル(もう死語か?)的なアイドルが増えている中ではこの清純さが反作用的に輝いて見えているのではないか。
 ヒロインがヒロインとして輝くのは、観客が「惚れる」瞬間を作り出せるかどうか、そこに掛かっているのだが、そのためにはヒロインをある程度突き放して、少し「遠い存在」として描かなければならない。アイドルには憧れるための「適度な距離」というものがあり、あまり近すぎても困るのである。その点で行けば、長澤まさみのアップはこの映画の中ではいささか多すぎる。カメラが長澤まさみに惚れすぎているのである。これでは逆に観客は彼女に乗り切れない。
 今、ナマの南ちゃんを演じられるのは彼女くらいしかいないのかもしれないとは思う。新体操やってくれないのは痛恨の極みだが(創作ダンス踊るくらいで誤魔化してんじゃないよ)、小林信彦が「デビュー当時の香川京子に雰囲気が似ている」と評したのも分からないではない。けれども、長澤まさみは今が旬かな、言い換えれば、後は下り坂になっちまうんじゃないかと思ってしまうのは、もう『ロボコン』『セカチュー』それに『タッチ』と来れば、清純な役(というよりはクセのないヒロイン役)以外はやらせようがなくなっているからだ。同じような役柄ばかり演じていれば、早晩、「飽きられる」のは必然である。いずれ「大人の役者」になるための転機が来るとは思うが、これまでもアイドルが本格的な役者を目指した時に、極端な汚れ役を演じて脱皮に失敗、という例はそれこそ枚挙に暇がないのである。
 東宝シンデレラで今もちゃんと生き残ってるのは、沢口靖子くらいしかいない。彼女だって、一時期は「危なかった」。小高恵美は今どこに行ってるのか。コスモスの二人は細々ではあるがまだ頑張ってはいるらしい。長澤まさみも十年後には「細々」となっちまう危険はあるんだけど、ちゃんと育てる気が東宝にはあるのかねえ。


 帰宅した途端、いきなり父から電話がかかってくる。また食事の誘いじゃないだろうなと思ったが、そうではなかった。
 先日、伯父が保護司として勤続30年になろうという功績が認められて、勲章をもらう話が出ていたのに、辞退したと日記に書いたのだが、どうやら辞退は認めてもらえなかったらしい。新聞に、伯父の受勲の記事が載っているというのである。
 「結局、貰ったとね」
 「それがおいちゃんも貰ったこと知らんでからくさ、テレビは来るわ、新聞は取材に来るわで、それで初めて知って、びっくりしたげな」
 「なんて勲章?」
 「よう覚えとらん。おいちゃんもよう知らんとやないかいな」
 「ホント、欲が無かね。受勲式には行っとらんっちゃろ? 勲章は送ってきたとね」
 「そやろね。で、お祝いばすることになったけん、お前も少し包まんや」
 否やもないので、承諾して電話を切ったが、「勲章を辞退した人」の話はよく聞くけれども、「勲章を辞退したのに、知らないうちに勝手に押し付けられた人」の話は初めてである。思い出したが、亡くなった祖父もまた、本人が全く知らないうちに、福岡市の準文化功労者かなんだったかに選ばれていたのだった。勲章とか肩書きが勝手に向こうからやってきてるってのも、考えてみたらものすごい話である。世の中には欲深で、名誉とか肩書きに執着する人だっていっぱいいるっていうのにねえ。
 どこの誰が受勲者を選定しているのか知らないけれども、地元でうちの一家のことを陰ながら見てくれてる人たちがいるってことなのかもしれない。となると私もあまり悪いことはできないのである。いや、してないしてない(笑)。


 WOWOWで舞台中継『世界の中心で、愛をさけぶ』に『電車男』。感想は書いてたら長くなりそうなので省略。
 読んだ本の感想とかも書きたいんだけど、ともかく量が多くておっつかないのである。

2004年11月03日(水) 女になって出直せよ/『DEATH NOTE(デスノート)』4巻
2002年11月03日(日) 妻にはナイショ(^_^;)/映画『OUT』/『プリティフェイス』1巻(叶恭弘)ほか
2001年11月03日(土) 10000HIT!o(^▽^)o /映画『エボリューション』/『電脳なをさん4』(唐沢なをき)ほか
2000年11月03日(金) 文化の日スペシャル/映画『マン・オン・ザ・ムーン』ほか



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