無責任賛歌
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2005年11月04日(金) |
ミクシィ・デビュー!/映画『ブラザーズ・グリム』 |
WOWOWで深夜0時ちょうどから新番組アニメ『かりん』第1話「あふれちゃって 恥ずかしい」。 何かもう、サブタイトルが既にアレだけれども、Hアニメではナイ。「あふれる」のは「増血鬼」であるかりんの血液が、鼻血ブーするからであって、別の液ではないの。って、見ようによってはHアニメか(笑)。 J.C.STAFF制作だから、作画も演出もそんなに悪い出来ではないのだけれど、アニメ化に際して原作から一歩も踏み出てはいないなあという恨みはある。かりんがいくら顔を赤らめても、原作の「斜線」が醸し出す淫靡な雰囲気にはかなわない……ってやっぱりこれってHアニメなのか?(笑) これは多分NGだろうなあと思っていた、興奮するとかりんの瞳がお○こマークになってしまうというのはやっぱり普通の瞳に変更(考えてみれば原作は凄いマンガだ)。鼻血ブーは一応、赤い色のままだったけれども(アニメによっては残酷だということで色を灰色などに変えられてしまうのである)、吹き出したら「紅い花」になってしまったのは、思わず「つげ義春かい!」と突っ込んでしまった。眠れや。 声優さんは総じてアニメアニメし過ぎているようで、かえって今ひとつ乗れないのだけれども、これは上手い声優自体が払底しているから、致し方がないところだろう。とりあえず次回以降も見続けて見る予定。
昨晩、下村嬢からメールがあった。 今度うちに遊びに来ると言ってたので、その話かと思ったら、「ミクシィに入りませんか?」というお誘いであった。 ミクシィのことを知らない人ももう少なかろうが、会員制の秘密SMクラブである。うそ。でもちょっとだけ合ってる面もあるかも知れない(笑)。だいたい、「会員制」ってものくらい胡散臭いものはない。 トップページには、
> mixi(ミクシィ)は、これまでの友人関係を更に素敵なものへと導き、新しい交流も生み出す日本初のコミュニティエンターテイメント・ソーシャルネットワーキングサイトです。
とあるが、この「ソーシャルネットワーキングサイト(SNS)」というのを「はてな」検索すると、
> 「人同士のつながり」を電子化するサービス。自己情報のコントロールや出会い系といった目的を掲げ、各社がサービスを始めている。暗に「つながりをもちたくない人を排除する」という意図も持つ(「orkut八分」参照)。
とあって、やっぱり胡散臭い(笑)。普通に個々人でホームページを開設したり、一般にサイトを公開してコメント付け放題にしていたら、どれだけ「荒らし」が来るか分からないから、こういうコミュニティが増えていくのも自明の現象ではあるが、では会員制にしたからと言って、安心できるとは限らないのである。 以前、誘われて入ったことのあるネットサークルでは、主宰者の方がちょっと心を病まれた方だったので個々の発言についていちいち難癖を付けられることも多く、そんなに迷惑だと仰るのなら身を引きましょうと退会したのであるが、そのあと、私がそのサークルのURLを2ちゃんねるに貼ったという根も葉もないウワサを流されたのである。私のこの日記のアドレスも当然のごとく一緒に貼られて、いかにも首謀者であるような書き方すらされてしまったが、私は自分が犯人ではないことを知っている。誰がそんな真似をしたかと言えば、私のホームページのURLを閲覧可能だったのは、そのサークルの誰かしかいないので、その主宰者さんを「裏切った」のは、そのサークルに参加していていかにも仲間でござい、という顔をしていた誰かであることは間違いないのである。 そのサークルの人たちの何人かとは面識もあったし、実際に私という人間を見てもらっていれば、そういうヒレツなマネは大っ嫌いだということは理解してもらえるんじゃないかと思っていたのだが、結局はそれは私の認識が甘かったのであった。 人は人の心など見通せることなどできはしないし、ウソをつくことも何の罪悪感もなく、平気でする。一つ一つの証言をつき合わせて行くうちに、誰がどんなウソをついたのかは見えてきたのだが、そのころにはもう、そのサークルにはすっかり興味がなくなってしまっていた。それからしばらくして、2ちゃんねるで叩かれまくったそのサークルは、閉鎖に追い込まれてしまうことになる。 主宰者の方は可愛そうではあったが、信頼していた仲間の中に実はヒレツな裏切り者がいるとは最後まで気付かず、私や他の何人かの無関係な人たちを疑っていられたことは、知らぬが仏でかえって幸せだったのかもしれない。「会員制」のサークルやコミュニティというものは、何か一度トラブルが起きれば、閉鎖された関係であるがゆえに、逆にお互いの疑心暗鬼を起こして身を滅ぼしたりすることもあるのである。
しばらく覗きに行ってなかったのだが、友人の話によると、作家の山本弘さんのホームページ「SF秘密基地」の、掲示板が閉鎖されてしまっていると聞いて、覗いてみたらその通りであった。トップページには「家庭の事情により」となっているが、友人の話によれば「『仮面ライダー響鬼』の『30話問題』(苦笑)で、荒らしがあったのが原因らしいよ」ということである。本当かどうかは分からないが、もう山本さんのところの掲示板が、荒らしの標的にされまくっていたのは事実である(常連さんがまた全く学習能力のない馬鹿揃いで、荒らしを無視できずに何度も応対して傷を広げていた)。 山本さんの批判サイトも覗いてみたら、山本さんがミクシィで発言していた『仮面ライダー響鬼』に関するコメントがアップされていた。ミクシィとて万全ではない、という何よりの証明である。
で、誘われて入るかどうか、三秒ほど迷ったが、この際、また「別テイスト」の日記を書いたりするのもいいかな、と思って招待状を受けることにした。率直に言って、「本職を明かして日記を書く」ことをやってみようと思ったのだ。 今しがた、「ミクシィも万全ではない」と言っときながら、何でまた参加するのか、ということであるが、もともとこの「無責任賛歌」だって、別に職業や本名を是が非でも隠したいと思って始めたわけではないのである。人が、社会の中で生きる以上は、それぞれに「立場」というものがあるから、何かモノを言おうと思えば、どうしたってその「立場」はしがらみとなって自己を規制する。それを軽減してできるだけ自由になろうと思えば、ある程度の「匿名性」は必要になってくる。 日記を続けるにはどうしてもその匿名性に依拠するしかないなと思ったのだが、と同時に問題が生じてきたのは、そうやって好き勝手にモノを書いていると、私のことを見知っている人がこの日記を読むと、この日記に書いていることの方が私の「ホンネ」であって、日常、私が口にしたり書いたりしていることは、「タテマエ」であるかのように錯覚されてしまうことだ。 私の「立場」から自由になれば、こういうことも言える、という趣旨なので、別に私は自分の立場を放棄したいわけではない。そこを勘違いされると困るから、私は職場の人間にはこのホームページは教えてはいないのだが、どこから伝わったか、たまに職場の人間でこの日記に辿りつくやつがいる。すると「こんなことを書きおってケシクリカラン」と文句を付けてきたりするのである。名前も職場も明かしちゃいないのに、何を難癖を付けてくるのか、と言いたいのはこちらの方なのだが、馬鹿といくらやりあったところで仕方がないので、これまでにも日記を削除したと見せかけて、アドレスの変更を何度か行っているのである。 この日記は、今も書いた通り、私の「ホンネ」ではない。「私」という一つのキャラクターを通して考えたことをレポートとして書き連ねていく「思考実験」のようなものである。全くの他人なら、そこのところをどう考えていただいてもかまわないのだが、知り合いが勘違いして私の文章に憤慨し、文句を言って来ても、実物の私にはどうしようもないのである(だから『無責任賛歌』なんだってば)。 ミクシィには確かにセキュリティに不安はある。しかし、どんなに堅牢なシステムにだって穴はあるのだ。最終的には、その人が2ちゃんねる等に晒しあげられるかどうかは、ネット上でたまたま関わった人が執念深い性格であるとか、羊の皮をかぶった狼であったとか、不運だとしか言えないような偶然に左右されるものである。出会った人が相手を思いやる気持ちに長けているかどうか、それを無条件で信頼する以外にない。 多分、ミクシィには、先述したヒレツな人たちもまた参加しているだろうから、どこかで接触する危険性もなくはないのだが、あれから時間も経っていることだし、こっちがあえて関わるようなそぶりを見せさえしなければ、日記に「突撃」されたりすることもなかろうと思う。要するにどうして私がそのサークルの人たちに恨まれたかと言うと、私の自由なモノイイが気に入らない、という非常に低劣な理由だったりするのだ。自分の不自由さは自分の責任だろうに、他人の自由さに嫉妬するというのは、いささか情けないのだが、人間なんてたいていそんなものである。
ミクシィに入れば、これで私の日記は全部で三つになる。こんなに増やすつもりはなかったのだが、これもまた人の縁(えにし)というものであろう。「無責任」は、これまでと同じく、時事ネタから見た映画、読んだ本、中身を問わず気になったことを随時好き勝手に書いていく。 「はてな」は、加入するきっかけになったイッセー尾形さんのワークショップでご一緒した仲間の方が、なぜか日記をプライベートモードにされてしまったので(嫌われるような書き込みをした覚えはないのだが)、何だか軒に上がったら梯子を外されてしまったような気分ではあるのだが、一応、しげが一番気に入っているようだし、「無責任」と違って「世の中を優しく見よう」という視点で書いているので(笑)、書くのに苦労はない。これも続けられる限り続けようと思っている。 「ミクシィ」は、先述した通り、本職を明かして、その立場から見た出来事について書いていく予定だが、だからと言って、職場の名前や、仕事上でプライバシーを侵害するような内容を書き連ねていくつもりはない。こういう会員制のネットワークに入った途端に陰口を叩きたがる人もいると思われるが、職場への意見や批判なら、私は職場で堂々とやっているのである(まあ、言葉は柔らかめにしてますが)。「無責任」では遠回しでしか書けなかった、仕事上の「面白い話」がいろいろ紹介できればいいかと思う。
この日記をご覧になっている常連さんの中で、自分もミクシィに興味がある、参加してみたい、私の日記を読んでみたい(笑)と仰る方もいらっしゃると思います。 ご希望であれば、招待状をお送りいたしますが、基本的に私と面識があるか、何度かメールや掲示板等でやりとりをしたことがある方に限らせていただきます。ただ「ROMだけしてます」、という方は申し訳ありませんが、参加をご遠慮ください。一応、「友人を紹介するシステム」というルールは守らないとな、と思いますので。 でも、そんなこと言いながら私が入っても友達が誰もできなかったりして、すぐに退会させられたりする可能性もなくはないのだがな(笑)。
伯父の受勲についてだが、職場で、昨日のある新聞を見てみると、なんと伯父の写真がデカデカと載っていて驚いた。記事も三段組くらいで、伯父の経歴、受勲までの経過、談話など、かなり詳しく掲載されている。 勲章ったって、四千人以上が貰えるのだから、めでたくはあるけれどもそれほど大騒ぎするほどのことでもなかろうとタカを括っていたのである。こんなに大々的に取り上げられるなんて、伯父はこの新聞社と何かコネでもあったんかいなと思って首を傾げていたのだが、次の瞬間、ああ、と気がついた。 つまり、他の受勲者たちはみんな喜んで東京の受勲式に出かけていっているので、地元福岡に残っていたのは、勲章をいったんは辞退した伯父くらいしかいなかったのである。記事には「特にこの方に注目したい」みたいなおべんちゃらが書かれていたのだが、実態はそうに違いない。こういうのも「怪我の功名」と言っていいものかどうか。 伯父はもともと優しげな顔立ちをしているのだが、写真に写っている伯父は、苦虫を潰したような、実につまらなそうな表情をしている。受勲を喜んでいる様子が少しもない。もちろん、全く喜んでいないからなのだが、これはカメラマンも困ってしまったのではなかろうか。 帰宅したら父から今度の法事について電話があったので、「写真見たよ」と話をしたのだが、肝心の勲章が映っていなかったのはどうしてか聞いてみると、「まだ送られてきていない」ということだそうだ。これで「宮内庁まで取りにこい」とか言われた日には、また伯父は辞退するんじゃないかと思うが、連絡一つないとは、こういう仰々しいことであっても、お役所仕事はお役所仕事であることだ。
夜、ダイヤモンドシティ福岡ルクルまで、映画『ブラザーズ・グリム』を見に行く。 普通、「グリム兄弟」と言えば「グリム・ブラザーズ」と並べるのが普通だろうが、これをあえて逆にしているのがミソ。「チーム・アメリカ」と同じノリなわけだ。 「グリム兄弟は実はゴースト・バスターズだった」、というテリー・ギリアム監督の発想が既にマトモではない。本来なら、ドイツを舞台にした物語で登場人物が英語を喋っているというアメリカ中心主義的な映画には反発しか覚えないのだが(ちょうど『SAYURI』の予告編が流れていたが、これがやっぱりすごくデタラメっぽいのである)、今回はデタラメファンタジーが目的だから、フランス訛りの英語だってドイツ訛りの英語だって全然問題なし。 そもそもモンティ・パイソン・チームは、テレビシリーズでもフランス人に扮してその言葉をバカにするスケッチをたくさん作っていたし、エリック・アイドル主演の『ナンズ・オン・ザ・ラン』では、どう見てもイギリス人なアイドルが、自分がインド人だと思い込んでいたというムリヤリギャグだってやっていた。だから、どう見てもアメリカ人なマット・デイモンがドイツ人でも構わないし、弟を「ジェイク!」と呼んでも、「そうかあ、『ヤーコブ・グリム』は英語だと『ジェイク・グリム』になるのかあ」と感心すらしてしまうのである(ヴィルヘルム・グリムは当然、ウィル・グリムね)。
ドイツ各地の民話を収集する傍ら、各地で跳梁跋扈する魔物、妖怪、化け物を退治して歩く、賞金稼ぎのグリム兄弟(マット・デイモン&ヒース・レジャー)。ところが魔物たちは予め兄弟が仕込んでおいた人形や仲間で、全ては金儲けのためのペテンだったのだ。村人たちには感謝され、女にはモテまくり、すっかり有頂天の兄弟だったが、彼らには子供のころに詐欺に合って、愛しい病身の妹を薬が買えずになくしてしまったという悲しい過去があった。 しかし彼らのイカサマもついに将軍ドゥラトンブ(ジョナサン・プライス)にバレ、拷問好きの部下・カヴァルディ(ピーター・ストーメア)に逮捕されてしまう。兄弟は、命を救う代わりに、マルバデンの村で起きている少女連続失踪事件の解明を命じられる。てっきり自分たちと同じく、イカサマ野郎の仕業だろうとタカを括っていた兄弟だったが、村の猟師の娘、アンジェリカ(レナ・ヘディ)に案内されて森へと足を踏み入れた兄弟は、歩く大木や狼に襲われる。そこは、鏡の女王(モニカ・ベルッチ)が支配する、本物の魔の森だったのだ……!
グリム童話のキャラクターたち、赤ずきんやヘンゼルとグレーテルが登場して魔物に襲われたり、カエルの王様にウィル・グリムがキスしたり、悪趣味な描写はあちこちにあるのだが、総じて見るとストーリーはそれほど捻りのない、ごく普通の「妖怪退治もの」であって、テリー・ギリアムにしては独が少ないなあ、これじゃティム・バートン並みだなあという印象である。 もっとも、そう感じるのはこちらがモンティ・パイソン以来、ギリアム作品を殆ど見続けて来ているからで、今回初めてギリアム作品に出会った若い観客は、グロな描写と能天気なギャグとのギャップに呆気に取られてしまうかもしれない。ギリアム監督、来日記者会見では赤ずきんに扮した上戸彩に盛んにモーションをかけていたらしく、まあその無邪気っぷりは昔といささかも変わっていないのである。今回は題材がグリムなだけに、セオリーをあまり外すことができなかったものか。続編を暗示するラストもあくまで「定番」としての終わり方であって、必ずしも本当に続編を作るつもりはないように思う。 キャラクターも、主役の二人が無個性なのが頂けない。マット・デイモンは、当初、折れた付け鼻をする予定だったそうだが、プロデューサーのハーヴェイ・ワインスタインが、「客は俳優の顔を見に来るのだ」と反対して止めさせたそうだ。ギリアムはそれでヘソを曲げたと言われる。『ゴジラ』の田中友幸も、沢口靖子について似たようなことを言って、『ゴジラ(1984)』や『ゴジラvsビオランテ』をあんなテイタラクにしてくれていたが、洋の東西を問わず、映画を勘違いしたプロデューサーはいくらでもいるものである。 主役が冴えない分、脇のキャラクターがかなり頑張ってくれてはいる。妖怪退治ものと来れば、「ねずみ男」キャラがどこかにいなければ収まらないものだが、今回その大任を担うのはカヴァルディ役のピーター・ストーメア。いささかはしゃぎすぎではあるが、いいところでグリム兄弟の足を引っ張ってくれるのである。 画面作りも、「ギリアムにしては」平凡で、せいぜい鏡の女王の塔を俯瞰して森を捉えたカットや、「罅割れた鏡」に映りこむ女王の眼の演出などに往年の才気を感じる程度である。と言っても、ギリアム監督作品がこれで終わりなるわけもない。次回作はギリアム風『オズの魔法使』か『不思議の国のアリス』と言われるミッチ・カリン原作の『Tideland』。今回の『ブラザーズ・グリム』はこれの露払いだったのかな。
2004年11月04日(木) だから日記書く時間なんてないんだってば。 2002年11月04日(月) 勲章って文学賞じゃないでしょ?/舞台『父歸る』(見てないけど)/『鉄人』1・2巻(矢作俊彦・落合尚之) 2001年11月04日(日) デリケートにナビして/映画『紅い眼鏡』/アニメ『ターザン』/アニメ『サイボーグ009』第4話ほか 2000年11月04日(土) まさかあの人があんな人だなんて……
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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