無責任賛歌
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2005年05月23日(月) |
人間嫌いなわけではないのですが/『新暗行御史』第十一巻(尹仁完・梁慶一) |
ハカセ(穂稀嬢)から、結婚式の案内メールが届く。 個人情報を垂れ流すのは人としてどうか、と非難される方もいらっしゃるだろうが、別にこれでハカセの人生が狂わされてしまうようなことにはならないので、まあ、いいんじゃないか。ちゃんと「書かないでくださいね!」って言われてることはいつも書いてないからね。 結婚式はもう何ヶ月か後のようだが、当日はほかに先約の用事があって出席できるかどうか分からないので、その旨を連絡した。返事はすぐに返ってきたが、ハカセも案内を送るかどうか、ちょっと迷ってたらしい。多分、ハカセも知ってることだと思うが、私としげは結婚式を挙げていない(写真だけは撮った)。その辺の事情まで詳しく話したことはないが、まあ、一応何やらありそうだと気遣ってくれたのかな、と思う。
私は自分の結婚式を挙げなかったばかりか、ここ20年ほどは親戚や友人・知人の結婚式なども殆どオミットさせてもらっている。どうにも断りきれなくって出席したことは何度かあったが、気分を悪くして吐いたりした。酒に酔ったとか。そういうことではなくて、結婚式に出たこと自体が私にとっては苦痛だったのだ。条件反射のようなもので、これも一種のPTSDかな、とも思う。 子供のころはこんなことはなかった。小学生の時分に、両親に連れられて父方の叔母の結婚式に出席した記憶がある。しかし逆にそのころから、両親も、親戚の結婚式になかなか出席しなくなった。正確に言うなら、母が、父方関連の結婚式には殆ど出なくなったのだ(母方関連でもかなり少なくなった)。「言い訳」は「仕事が忙しくて休めないから」である。確かに床屋は月曜が定休日なので(地方によっては違うのだろうが、博多はたいていそうなのだ)、土・日が定番の結婚式には出席しにくいのは分かる。しかし、それならどうして私が子供のころには家族そろって出席していたのが、パタッとやんでしまったのか。 おかげで私はまだ小学生でありながら、一家の代表としてたった一人、あちこちの親戚の結婚式に送り出されることになったのだが、どうして母が晴れがましい席を避けるようになったのかはすぐにそれと知れた。要するに母が父なし子だったからである。 母は生前、私に「何かあったとき、お父さんの親戚は当てにならないからね。お母さんの親戚を頼りなさい」としょっちゅう言っていた。現実には父方の親戚のほうが穏やかな人ばかりで、母方の親戚はほとんど金にだらしなくて母に借金しに来る連中ばかりだったのだが、それでも母は意地になったかのように父方と縁を結ぼうとはせずに自分の親戚の求めるままに稼いだ金を吐き出していた。 幼心にも私は「どうしてそこまで」と思っていたものだったが、つまり母は、父方の親戚に(多分、祖母か曾祖母だろう)、「何か言われた」のである。母が父方に顔を出さなくなれば、当然、父も遠慮をせざるを得なくなる。かと言って義理を欠き過ぎるのもまずいので、両親はまだ子供の私を代理として送り出していたのだろう。とんだスケープゴートであったが、そこには、まだ小学生の子供に対してまで、親戚連中も何か言うことはなかろうという甘い判断があったと思われる。 両親がお人好しだなあと思ったのは、世の中には、たとえ相手が世間知らずのガキであろうと、「何か言う」腐れた連中は確実にいるということをよく知らなかったことだ。そのあたりの「事情」を両親に話したことはなかったが、長じるにつれて明らかに私が「式」と名のつくものに強い不快感を示すようになったから、ある程度は察していたのではないかと思う。私が自分の結婚式を挙げるつもりがないことを「だってお金がもったいないから」と、普通なら「ふざけるな」って怒鳴られてもおかしくない理由を挙げて両親に告げたときも、全く何も言わなかった。母が死んだ後、父は「今まで不義理ばかりで悪かったね」と、親戚の結婚式に出るようになったが、私には一切「一緒に来い」とは言わない。 親戚の結婚式じゃなければ平気か、と思って、知り合いの結婚式に出たことも何度かあるのだが、既に私には「式」そのものに拒絶反応が出てしまうようで、熱は出る、動悸は激しくなって、吐き気はする、PTSDと言ったのは別に誇張でもなんでもなくて、本当に体調が悪くなってしまうのだ。リクツで割り切れるものではないので、治療のしようがない。ひたすら「自分のようなものがこんなところにいていいのか」って強迫観念が頭の中に広がって、立っていられなくなるのである。 今だからもう言っちゃうけど、よしひとさんのお父さんのお葬式に出た後で体調崩したのも実はそれです(笑)。焼香だけでさっさと帰ったから、たいして響かんだろうと思ってたんですが、判断が甘かった。あのときは関係各位にご心配をおかけして申し訳ありませんでした。 もちろん結婚を祝いたい気持ちはあるので、ハカセの結婚式にも時間の余裕ができるなら出席したいし、仮に体調崩しても翌日も休日なんで静養できそうではあるから何とかなりそうな気もするのだが、それでも滞在は2時間が限度だと思うので、お色直しは一回くらいだったらありがたいなあ。ハカセはメンバーの日記もちゃんと覗いてるって言ってたから、ちょっと注文つけとこうかな(笑)。 ……いや、ホントに回数減らされたら困るけど。
意外や意外、ハカセは毎日買い物もすれば、食事もきちんと朝晩自分で作っているそうで、しげよりよっぽど普通の主婦している。漢字や日常語を知らなくても、生活手段知ってるほうがありがたいわなあ。 私も人並みのことしかしげには要求してないんだけど、なんとか二月近く続いていた弁当作りもそろそろ朝寝坊で時々忘れかけてきているのである。洗濯やゴミ捨てなどの家事も、まるで実行に移さない。「トイレに紙を貼って忘れないようにする」って言ってたくせに、案の定小さな紙を「貼っただけ」で安心してしまい、肝心の家事をすること自体を忘れてしまっているのだ。私から「洗濯忘れてるぞ」と言われて初めて動くのなら、結局はこれまでと変わりがない。 なかなか人に言っても信じてもらえないのだが、しげの健忘症は、家事を始めた途端に都合よく発動するらしく、白昼夢や妄想も併発して、全て中途半端に終わってしまうのだ。例えば台所で食器を洗っていても、疲れてくると健忘症のスイッチが入って全部洗った気になってしまい、途中で作業を放棄して寝てしまうのである。目の前にまだ洗ってない食器があるだろう、と突っ込みたくなるのだが、その食器が「見えなく」なるのだ。おかげで洗い場にはまた小バエが発生し始めてしまった。 「やれ」と言われた次の瞬間に「やった気になる」のでは、処置なしである。昼間グーグー寝ていれば、家事なんてできるはずがないのだが、どうして「やった気になれる」のか、どうにも納得ができない。根本的に心がどこか壊れているか脳に疾患があるのかもしれないと、私もしげ自身も、そこんとこを病院にもきちんと診断してほしいのだが(しげが単なる虚言症であるという可能性も含めて)、もう一年以上通院しているというのに最近はまるで進捗が見られない。面談してお話を聞いてそれで終わりってのは何なんだろう。 最近はやっぱり医者を変えたほうがよかないかとも感じているのだが、そうするとまた薬をもらえるようになるまでに手間がかかり、診療費がかさむことにもなるらしくて、踏ん切りがつかないのである。こっちはしげが家事ができるようになればそれだけでいいんだけど。
マンガ、尹仁完原作・梁慶一作画『新暗行御史』第十一巻(小学館)。 曼陀羅華の鍼を打ち、過去の幻想の中を彷徨う文秀(ムンス)。夢の中という設定で、これまで語られた物語の間隙を補完する形で、山道(サンド)が文秀に付いて行く決心をしたエピソードなどが描かれる。しかし、ファンの最大の関心を引くのは、待ちに待ってた“聚慎滅亡”の顛末を描くことになる「快惰天戦」のエピソードだろう。 悪獣どもの母体・快惰天を辺境の地に追い詰めた文秀率いる聚慎軍。しかし最終決戦を覚悟した悪獣どもの反撃は激しく、聚慎軍は「絶対聚慎!」を叫びつつも逆に劣勢を強いられる。歴戦の英雄たちが次々と命を落としていく中、文秀の副官・阿志泰(アジテ)は一時的な撤退を進言するが、文秀は自ら突撃部隊を編成し、先頭に立つ。対峙した快惰天は少女のように美しい本体を現し、雷撃で自ら生み出した悪獣どももろともに聚慎軍を全滅させる。果たして文秀はこの戦いに勝利することができるのか。そして、この戦いの中、暗躍する阿志泰の本心はどこにあるのか。 梁慶一氏の緻密な作画はこの「快惰天戦」を圧倒的な迫力で描き出しており、さながらハルマゲドンを彷彿とさせる。しかしだからこそ文秀と元述(ウォンスル)しか生き残らない状況で、なぜ快惰天を倒せたのか、そこにも実は阿志泰の陰謀が働いてるのだろう、ということは予測が付くことではある。読者はこれが文秀の見る「過去の夢」であって、既に聚慎が滅亡しているという前提を知っているから、「このままではすまない」ことも分かっている。 この『新暗行御史』のストーリーの背景には、「人間は、真実を知ることを極力嫌っている」という作者の人間認識がある。これまで登場してきた主要キャラクターたちはみな一様に「目の前の現実」を認めようとせず、自分の作り出した妄想、幻想の中に生きてきた。フィリップ・K・ディック的というか『マトリックス』的というか押井守的というか、この作品はその発想において極めてSF的である。SFは、幻想にすがらなければならない人間の弱さを切なく描いてきたが、この『新暗行御史』の第一の魅力はまさにそこにあるのだ。そして、幻想が現実に打破され、謎が明かされていく展開はミステリー的であって、そこから立ち直って現実を認めていく人間の「強さ」が爽やかな感動、第二の魅力に繋がっているのである。 そして、これまで彼らに向かって「奇跡なんかない」と言い続け、現実を認識させようとしてきた文秀自身が今、「夢」に囚われてしまっているのである。ドラマ展開の流れから言っても、この「夢」から覚めたときが、文秀対阿志泰の最後の決戦のときとなるのだろう。 もちろんその前には「更なる悲劇の夢」を文秀は見なければならないわけで、これから先、どれだけ物語を盛り上げていけるのか、前巻までの「活貧党編」がちょっと低調だっただけに、ぜひ読者の心を切なくかつ熱く感動させてほしいと思うのである。
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