無責任賛歌
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2005年05月22日(日) |
どうしてみんなあえて狂いたがるのか/舞台『お父さんの恋 -Family Tale-』 |
JR九州にも尼崎事故以後もオーバーランが何件かあったとかで、国土交通省から厳重注意があったって。でも、尼崎事故はオーバーランそのものが問題なんじゃなくて、その失敗を取り返さなければと高見運転士を精神的に追い詰めた「日勤教育」のほうに問題があったんじゃないの? なんだかこの注意の仕方って、逆にJR九州に対して「事故を起こしやすい」プレッシャーを与えてることになってるんじゃないかね。「オーバーランするな」だけなら、結局はJR西日本と同じ指導の仕方じゃん。客のことを考えてない体質は上からしてそうなんで、これじゃあJR九州にも早晩、事故が起きるかなあ(涙)。
また飲酒運転による悲しい事故が発生、しかも今度のはかなり悪質。 宮城県多賀城市で、佐藤光容疑者が運転するレジャー用多目的車(RV車。ったって、クルマに興味関心のない私には、どんなんだかよう分からん)が、乗用車に追突した上、学校行事のウォークラリーをしていた仙台育英高校の生徒の列に突っ込んだ。ちょうど横断歩道を青信号で渡っていた生徒たちがはねられて(30メートルも吹っ飛ばされた子供もいたという)、3人が死亡、4人が重傷、16人が軽傷という悲惨な事態に。佐藤容疑者は七軒の店をハシゴしてすっかり泥酔、居眠りもしていたというから、同情の余地は全くない。 同じことを何度も繰り返して書くのはうんざりするのだが、この日本の「酔っ払い天国」状況は何とかならないものか。佐藤容疑者、一人で飲んでいたわけではなくて、同乗者もいたのだがこいつもすっかりへべれけ、それまで居酒屋を飲み歩いてた仲間もみんなぐでんぐでんだったのである。誰一人、「お前、運転あるんだろ? 飲むなよ」と止めたやつがいない。間違いなくこいつらは「常習犯」で、全員で子供たちを殺したようなものだ。 オタクが事件を起こせば、すぐに「ゲームが悪い」「マンガが悪い」と、すぐに有害なものは規制しろという声が上がるのが常だが、飲酒運転の事故(つか殺人)はそれこそ頻繁に起こってるのに、何で「酒のせいだから規制しろ」って声は上がらないかね? もちろん、本当は酒のせいではなくて本人のせいだから、そんな声は上がらなくっていいのだが、だったらオタクの犯罪もオタク本人のせいで、マンガやゲームのせいじゃないだろうが。なのにどうしてオタクに対しては世間の目が厳しいのに、酔っ払いには甘いかね。つまりは世の中、下戸に比べて酒飲みの数のほうが圧倒的に多いってことだね(笑)。行政も世論も腐ってるから、結局は腐れた酒飲みの味方になってんだ。 酒飲みはすぐに「酒を飲んで何が悪い、酒は日本の文化だ」と嘯くが、日本には「酒を飲まない」文化だってあるのである。 基本的に私は文化相対主義の考え方をしてるから、酒自体を撲滅しろとまで言うつもりはない。確かに酒は日本の文化を代表するものの一つだろう。けれど文化によってはどうしてもお互いに「相容れない」ものも存在しているわけで、例えば「首狩り文化」を持ってる部族と対等に付き合うのは到底不可能だ。嫌でも向こうがその習慣を捨ててもらわなきゃ、怖くて仕方がないのである。同様に考えれば、「下戸の存在を認めない酒飲み」には「酒は文化」なんて主張する資格はないのだ。「俺の酒が飲めないのか」なんて言ってるやつはそもそも人間として性根が腐っているんだが、そんな最低レベルのメンタリティしか持ち合わせてない輩が、この日本にどれだけ蔓延していることか。 ハッキリ言うが、酒とタバコに関して日本人は、誇りを持って「文化」と呼べるほど成熟したものを築き上げているとは言いがたい。銘柄なんてどうでもよくて「酔えりゃいい」「吸えりゃいい」の安酒安煙草で満足してる連中がゴマンといて、何が文化か。 事故そのものもどうにもやりきれないのだが、もっと胸糞が悪いのは、これだけの事故が起こったからといって、今現在酒かっくらってる連中がこの事故を他山の石と考えて自己反省するわけではないってことである。つまりこれから先も飲酒による被害者は少しも減りゃしないのだ。たいていの酒飲みが「自分は大丈夫」って高をくくってるんだろうが、そういうやつほど危ないってこと、これまでの事故の例を見ていて気がつかないものかね? 今度の事故の佐藤容疑者も、日頃はすごく真面目な、普通の会社員だったって言うぞ? つまり、いったん酒を飲み始めたら、「飲んだら車を運転しちゃダメだ」という判断自体、できなくなるということなのである。たとえごく普通の人間であっても「酒を飲んでる限り、事故を起こす危険性を常に持っている」のだ。そんな単純なことにも気がつかないくらい、酒飲みってやつは馬鹿で糞っ垂れなやつばかりだ。つか、もうただの既知外ね。否定できるか? そこの酒飲み。 そこまで言わんでもいいじゃないかとこれ読んでムカついてる酒飲みの人もいると思うが、警察庁の発表によれば、「酒気帯び運転」の取り締まり件数は、毎年20万から30万の間を推移しており、車による事故およそ4千件のうち、酒酔い運転が原因の事故は常に1千件以上、死亡事故もそのうち200〜400を数えている。つまり毎日一人は酔払い運転のために人が死んでいるのだ。オタクの犯罪よりよっぽど発生率が高いだろうが。自分たちが「犯罪者予備軍」「人殺し一歩手前」なんだってこと、少しは自覚してくれよ。 酒税で日本経済がまかなえているんだから、と反論される向きには、次のデータをお示ししたい。厚生省の発表によれば、アルコールによる社会的・経済的損失は、年間に6兆6000億円以上に上るということである。それに対して、国税庁が発表している酒税収入は、年間およそ2兆円。利益よりも損失のほうが圧倒的に多いのだ。単純計算でも、酒の値段が今の4、5倍しないと、ペイしないってことになる。もちろん、だからと言って、それで失われた人の命が戻ってくるわけではないのだ。 そこの酒飲みさんよ。これはさ、下戸な人間がみんな等しく願ってることなんだけどさ、アンタがどんなことがあろうと酒文化を守ろうって気概の持ち主じゃないんならさ、もう無理して酒飲むのやめてくんないかね。人の趣味嗜好の問題だ、ガタガタ文句言うなって気分なんだろうけどさ、心構えや覚悟のない人間が趣味云々言うのって、一万年早いんだよ。本気で酒が好きで節度守った飲み方してる人間から見れば、アンタらみたいな存在は鬱陶しいだけだ。日頃どれだけ鬱憤やストレスが溜まってるのか知らないがな、そんなの酒で誤魔化そうとするな。酒飲んでるだけで人間としてのランクを確実に下げてんだ、これ以上恥の上塗りしてんじゃねえ。開き直って「へいへい、どうせオレは酒飲みでござんすよ」と卑下して見せるのはもっと最低。飲酒運転のせいで死んだ子供の遺族の前でも、そんな態度が取れるか? 下司めが。 どうせ酔っ払うならさ、いつか人を殺したり女子高生襲って犯したりする前にね、側溝に落ちるか豆腐の角に頭ぶつけるか自分の臍噛むかして、早いとこ死んでほしいよ。性犯罪者には刑務所から出た後も監視がつくようになるみたいだけど、酔っ払いにも同様の処置をしてもらいたいね。中毒になったやつってのはどうせまた同じこと繰り返すんだからさ。
休日だけれど、午前中は出張。六時にゃ起きないとバス、電車に間に合わないのだが、目覚ましが鳴る前に5時に目覚めてしまう。不眠症(つか、深く眠れないのね)も役に立ってる面はある。 かなり田舎のほうに出かけたので、空気だけはいい。多少小雨は降っていたが、涼しいくらいのものである。間近の山も少し霞んで見えるのがいい風情。仕事は予想外にきつかったけどね。 午後までかかるかと思っていたのが、意外に早く片付いて、帰宅は午後3時。おかげ出昼寝ができて、昨日の寝不足をちょっと回復。やっぱり休日はできるだけ睡眠時間を確保しておきたいものだ。
出張のため、『エウレカ7』は今日も見られず。評判いいんで、来週こそは何とか。 録画しておいた『仮面ライダー響鬼』十七之巻 「狙われる街」。 ついに魔化魍が街中に……つか、こないだから続いているレギュラー陣の「私服編」ですな。イブキ(渋江譲二)のショッピングはどうでもいいが、香須実(蒲生麻由)の薄黄色一色のファッションセンスってのはどうなんかね。あまりチャラチャラしてるのもよくないだろうが、ヒロインなんだから、もう少し華やかさがあってもよかろうとは思う。 華やかといえば、ひとみ(森絵梨佳)とあきら(秋山奈々)に挟まれた明日夢(栩原楽人)君、両手に花ですごく幸せそうだったなあ(笑)。でもこれで明日夢君、全国のロリ系オタクは敵に回してしまったね。どうせスタッフもオタクだろうから、ファン心理というものは先刻ご承知だと思うのである。これからは視聴者の溜飲を下げるためにも、明日夢君を何かと苦しめる展開になるんじゃないかと予測するがどうか。盲腸とか万引き犯に狙われるとか、そんな生ぬるいことじゃまだまだだね。 関係ないけど、「天美あきら」の「天美」って、ずっと「てんみ」って読んでました。今日初めてこれが「あまみ」であることに気がついた(ボケボケである)。というとやっぱりこの子もイニシャルが「姓・名」ともに同じ。やっぱり「鬼」になる運命なんだねえ。けど、明日夢と同じイニシャルってことは、二人で「逢引鬼」(アイビキ)とか……。すみません、座布団一枚返上します。
昨日WOWOWで録画しといた、パルコ+サードステージPresentsの舞台『お父さんの恋 -Family Tale-』を見る。 これも福岡公演があって、私はすごく見に行きたかったのだが、しげは全くと言っていいほど興味を示さなかった。主演、前田吟だぞ、オイッて言っても全然伝わんないのがちょっと寂しい(タイトルロールは境雅人が筆頭だが、実質的な主役は前田吟である)。 前田さんはこないだ『キネ旬』でも、1968年の初主演映画『ドレイ工場』に出演したときの思い出を語っていらっしゃったが、俳優座養成所出身だからやはりもともとは舞台の人なのである。『男はつらいよ』で長く博役を演じてこられたから、どうしても実直で融通が利かない、けれど下町の人情味に溢れた労働者、というイメージが付いて回るが、そこから「解放」された現在、どんな演技を披露してくれるのか、それが楽しみであった。 タイトルだけだと確かに地味で興味を惹かれないのも無理からぬことだけれど、これはかなり意欲的な脚本、演出の舞台である。開幕当初、上手のベッドに前田吟扮する“お父さん”杉本正樹が寝ていて、そこへ派遣ホームヘルパーの深谷さおり(星野真里。『三年B組金八先生』の金八の娘・坂本乙女役の美人さん)が入ってくる。二人の会話が“噛み合っている”ので、いっときは“気が付かない”のだが、杉本家の次女・美樹(菊池麻衣子)が登場してきたあたりから、なんだか“雰囲気がおかしい”ことに観客も気付き始める。父親が娘に声をかけても、何の反応もしないのだ。娘には父親の姿が見えていないのか? と一瞬訝るが、どうもそうではないらしい。美樹は正樹がちゃんとベッドにいるものとして、様子を窺っている。正樹は当然、美樹に声をかけるのだが、その声は“美樹には届いていない”のだ。長女の武藤正子(七瀬なつみ)、医者の藪一平(池田成志)が登場するに至って、正樹は実は「寝たきり」の植物人間で、喋っているのは正樹の「心の声」に過ぎないことが分かる。冒頭、さおりとの会話が成り立っているように見えたのは、さおりが「正樹さんには意識がある」、と信じて声をかけていたからなのだ。 全編、お父さんは植物人間のままで通し、その声が他の家族に届くことはない。ある意味、これは「幽霊もの」の変形であって、映画『ゴースト ニューヨークの幻』のように、現世の人間との交流は可能か、という興味で物語を引っ張っていく。ところが、お父さんはちゃんと「生きていて意識もある」のに、ほんの少しも家族との会話が成立する様子を見せないのだ。植物人間は植物人間、決して目を覚ますことはない。だからいかに前田吟が熱弁を振るおうと、これは極めて現実的な物語であって、「幽霊もの」のようなファンタジーではないのだ。 長女の正子は家庭が崩壊し、現在不倫中である。次女の美樹は会社の金を騙し取られていて、父親の財産を狙っている。長男の大樹(堺雅人)は今流行りのニート(要するにプー太郎だよな)だ。そんな家族のテイタラクを目の当たりにしても、正樹には何もできない。しかし、そんな彼らを見ていて、さおりが突然、思いもよらないことを言い出す。「あなたたちには正樹さんを任せておけません。私は正樹さんを愛しています。正樹さんと結婚させてください」。 もちろん、“意識のある”正樹は、もうずっと先からさおりのことが好きだった。妻をなくし、孤独に耐え切れなくなった正樹は、家を新築すれば子供たちが戻ってきてくれると信じて、この家を建て替えた。子供たちが好きだと言っていたシャンデリアに暖炉……。めちゃくちゃなインテリアだったが、それで家族の絆がつなぎとめられると思っていた。ところが、子供たちは父親を見捨てた。正樹は自殺を決意したが、その直前に脳溢血で倒れる。自分には死ぬことすらかなわない。悔し涙を流すこともできず、絶望のどん底に陥れられていたちょうどそのときに、さおりが現れ、実の子供たち以上にかいがいしく自分に尽くしてくれるようになったのだ。正樹は恋をした。そして、生きる気力を取り戻したのだが、情熱を傾けたいと熱望するその人とは、会話することすらかなわなくなっていたのだ……。 正樹は確かにさおりに恋心を抱いている。けれど、自分の娘たちよりも若い、この美しい娘が、寝たきりの老人に恋をしたなんて、本当だろうか? 物語は、家族一人一人の隠し事を少しずつ暴きながら、その心の奥底を覗いて行く……。 イマドキの演劇の常として、むりやりギャグでつないでいく展開があるのはちょっと気に入らないが(もっぱらギャグは成志君が担当してるんだが、正直な話、物語の展開上は殆ど必要ないキャラである)、前田吟の演技、自分の意志が伝わらないもどかしさが、話が進むにつれて切実感を増してくる。見ているこちらは、「いつか何らかの形で意志が伝わるようになるのではないか」と期待しているから、それが外されるたびに、悲しみが弥増していくのである。いや、前田吟自身は決して悲痛な演技はしていない。その演技はあくまで軽い。しかし、軽いからこそ、寂しいのだ。『男はつらいよ』シリーズのファンなら、すぐに気づくだろう、これは、渥美清の演技である。 物語の冒頭、さおりが家族みんなに向かって「正樹さんを愛しています」と啖呵を切り、正樹に「行きましょう、正樹さん」と声をかけるシーンがある。そのときの正樹の返事が、一拍置いて、上ずった声で短く「はい」である。ああ、この「間」と「発声」は「寅さん」だ。自分がモテるなんて露とも考えていなかったのに、急に告白されてドギマギしてしまったときの寅さんだ、まさしくそうなのである。 フーテンで、家族に迷惑ばかりかけている「お兄ちゃんの恋」と、寝たきりで、家族の絆を結べない「お父さんの恋」。どうにもならない恋をしている図式も同じなら、その悲惨さを悲惨と見せない喜劇としての作劇の仕方も、実は全く同じなのだ。前田吟は明らかに渥美清を念頭において演技プランを立てている。脚本の中谷まゆみが前田吟を主役に据えたのは、渥美清を20年以上にわたって見てきて、その「芸」を盗んでいるに違いないと確信しての起用であったのだろう。前田吟はまさにそういう役者であった。だから、観客が正樹に感じる切なさは、寅さんに感じるものと同質なのである。 前田吟の前では、形式上の主役(失礼)、NHK大河ドラマ『新選組!』で山南敬助を好演した堺雅人もいささか影が薄くなってしまうのが残念だが、共演した役者さんたちも、何らかの形で前田さんの「芸を盗」んでくれればいいと思うのである。ああ、やっぱりこの芝居、ナマで見たかったなあ。
2004年05月22日(土) 関係者にしか意味が分らない文章ですみません。 2003年05月22日(木) すっ飛ばし日記/本な男 2002年05月22日(水) 風邪引き第一日目/『クレヨンしんちゃん映画大全』(品川四郎編)/『ビートのディシプリン SIDE1』(上遠野浩平)ほか 2001年05月22日(火) 我々は夢と同じものでできている/『MY SWEET ANIME 私のお気に入りアニメ』
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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