無責任賛歌
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2005年05月15日(日) |
腐女子さんは今日の内容読んだら気を悪くするよ/映画『失われた龍の系譜 トレース・オブ・ア・ドラゴン』 |
劇団メンバーの日記が充実してきているので、巡回が楽しい。今、しげと私の一番の注目を浴びているのはグータロウくんとこの娘さんで、しげも日記に書いているが、将来が実に楽しみな小学二年生なのだ。いや、性格がではなくて体型が(笑)。 思春期になればそれなりにスタイルとか気にしだすとは思われるが、現在は肉食大爆走。第二のしげになりかねない印象で、それを気にしてハラハラしているグータロウくんの親ばかぶりがいじらしいのである。多少太ってももとが可愛いからそんなに心配しなくても「売れ口」はきっとあると思うんだけどなあ。いや、売れたら売れたで彼は絶対泣くだろうけど。 グータロウくんは私の日記を読んで、「優しいやつ」とか書いてくれているが、私の優しさはたいてい偽善なのであまり信用しないように(笑)。知り合いでもなんでもないマンガ家さんの将来を心配するなんてのは余計なお世話以外の何物でもないので、思いあがったゴーマニストじゃなきゃ、あんな「ジャンプふざけんな」みたいな口は利けないのである。別に小林よしのり二世を気取りたいわけじゃなくて、本質的に博多人はゴーマニストなの。逆にゴーマニストでない博多人はニセモノだとも言えるな(笑)。
しばらく更新が途絶えていた桜雅嬢やよしひと嬢も久々に日記をアップしている。人間、気が抜けることだってあるし、自分のペースで更新すりゃいいと思うので、たとえ何ヶ月も何年も間が空いたって構わないと私は思っている。書いてなくても、みんなのことは忘れてないよ。慢性健忘症のしげはどうだか知らんが(冗談ではなく、出張で2、3日家を空けると、しげは私のことも私と確認するのに間が空くのだ。みんなとしばらくぶりに会うときもそういう「作業」をしていると思ってください)。お気に入りに入れているみなさんの日記も同様です。もう何年も更新されてない方の日記も、決して忘れてはいません。 確かにずっと更新してないと、どうしているのかなあと気がかりにはなるけれど、「どうしたの?」とメールを送ったりするのも場合によっては相手へのプレッシャーになりかねない。間が空くのが普通の方の日記だと、そのたびに「どうしたの?」「どうしたの?」と問い合わせていては、鬱陶しいどころか、こちらがネット中毒にかかっていてストーカーしていると思われても仕方がないだろう。つか、そういうのは間違いなくストーカーである。……ホモオタさんから毎晩深夜の2時に電話がかかってきていた頃を思い出すなあ(泣)。メールの返事が遅れると「催促メール」をどんどん送りつけてくるお人とも知り合ったことがあるし、自分がそういう立場にはなりたくないやね。 連絡を取るにしてもきっかけとタイミングが必要になるのは私自身経験済みで、これが難しいところなのだが、連絡もらって嬉しいときと、放っといてほしい時の差が激しいのだ。 まあ私も少しはオトナになりましたから、イヤな気分のときに連絡もらっても空元気で応対できるようになりましたけど、若い頃はストレートに感情ぶちまけて友達なくしたこともありましたよ。私の場合は持病のこともあるし、日記が停滞してるときは確実に疲れてるときか入院してるときなので、できるだけ更新は滞らないようにしときたいと思ってるんだけど。 ほかにもあちこち覗きたいサイトもあるのだが、一日の仕事を終えて、帰宅して映画を見たり本を読んだり、それからネットを覗いて日記を書いて、と、こうも毎日過密スケジュールでは、ネット上のウェブサイトをそうそう回れるわけでもない。本当に毎日「巡回」しているのはニュース関連と仲間内の日記、お気に入りに入れている日記くらいのものである。Yahooの掲示板はたまに覗くが、2ちゃんねるは殆ど覗かなくなった。作家さん、マンガ家さんのサイトはたまに覗く程度のものである。普通の暮らしをしていればこの程度のものなので、とてもネット中毒になんぞなりようがない。 こないだうちの日記を覗きに来た人のサイト、アクセス解析で分かったんだけれど、これがまあ、百を越えようかってほどのサイトをお気に入りに入れてるんだわ。全部巡回してるとはとても思えないんだけど、それがタイトル見るだけでそれと分かるエロサイトが多いことったら(笑)。かなりな変態さんらしいが、どういう流れで私んとこに来たんだか。もう私は変態さんと係わり合いになんぞなりたかないので、覗きにも来ないでほしいんだけどね。
『仮面ライダー響鬼』十六之巻 「轟く鬼」。 引くなあ(笑)。 いや、「明日夢はいつヒビキの弟子になるのか」って話題なんだけどもね。今回、ヒビキに「少年を弟子にする気はないんだ。少年も鬼になる気はないだろう?」って言わせちゃったから。 確かに、「傭兵になってイラクに行きなさい」以上にキツイ仕事だからね(なんせ相手は化け物である)。そりゃ簡単に「弟子になる?」「はい、なります」って展開にはならないことは分かるけれども、そうやって距離置いちゃうと、「じゃあ、どうしたら明日夢が鬼になるのか?」そのきっかけを作るのが難しくなるよねえ。 昔からこれのクリアーの仕方は、 「1、危険が迫って仕方なくそうなる」か、 「2、偶然そうなる」 くらいしかないんだけど、できれば新しいパターンを開発してほしいもんだね。 今回は(つか前回から)、「轟鬼」誕生編なんで、明日夢君話は次回以降に持ち越しのようだけれど、ふと思ったのは響鬼とか威吹鬼とか斬鬼とか、コードネームなんだから本当は本名があるってことなんだよね。 最終回までに発表はされるのかな?
シネ・リーブル博多駅で、モーニングショー一回のみの映画『失われた龍の系譜 トレース・オブ・ア・ドラゴン』。 日本のジャッキー・チェンのファン・サイトなどでは未だに彼の本名を「陳港生」としているが、実はそうではない、というあたりからこの「物語」は始まる。 うっかり「物語」、と書いてしまったが、このジャッキーの父、陳志平(チェン・ジーピン)、実は元国民党の工作員、房道龍(ファン・ダオロン)の激動の人生を追ったドキュメンタリーは、そのまま戦前、戦後の中国史を「物語っている」。 1915年、中国山東省で生まれた房道龍は、南京で育ち、やがて安徽省に移り、そこで結婚して、男の子二人を設けた。しかし糟糠の妻は長男が七歳のときにガンで死んだ。戦争の影がちらつき始めたころ、生活のために国民党の工作員として働くようになった道龍だったが、日中戦争終結後、国共内乱が起こると、一転して共産党から命を狙われる立場となる。身の危険を感じた彼は、亡妻との間に設けた息子二人を捨て、香港に逃れた。残された二人の子供がいかにして生き延びていったか、それは殆ど描かれない。 香港で道龍は一人の女性と出会う。夫を日本軍の空襲でなくし、二人の娘を育てるためにアヘンの密売で生活を立てていた陳月榮(チェン・ユエロン)は、港の検査官として働いていた道龍に逮捕される。しかし彼女の事情を知り、こっそりと逃がし、友人として助力するようになる。彼らは上海に移り住み、月榮は女だてらに顔役となったが、再び共産党の手が道龍に伸びようとしていることに気づき、娘たちを置いて、二人だけで香港に舞い戻る。そのとき道龍は名前を「陳志平」と変えた。娘たちがどのような苦難の人生を歩くことになったか、それも映画は描かない。 その後、二人の間に誕生したのがジャッキーである。だから彼は自分の姓は「陳」だと信じていたし、自分に異父・異母の兄姉が4人もいることなど、父親が告白する気になった1999年まで知らなかったのだ。当然父親はその時までジャッキーの兄姉を完全に放置してきていたのである。なんともウソ臭いが、どうやら本当の話らしい。 映画の中では、このジャッキーの父親という人が、実に屈託なく自分の過去を語っている。そのおおらかさというか、あっけらかんとした態度は、かえって彼の語る「歴史の真実」が『ビッグ・フィッシュ』のほら話に聞こえるほどだ。 共産党に狙撃され、足や頭にはまだそのときの傷が残っているが、それを平気で見せる。隣にいたジャッキーが、「僕も同じところに傷があるよ」と映画の撮影でできた頭の傷を示して、「親子の絆(?)」をアピールするのだが、これは笑っていいのか感心すればいいのか。 犯罪に荷担していた月榮をどうして救う気になったのか、ジャッキーは父親に問い掛けるのだが、「中国人は人情に厚いから」といけしゃあしゃあと答える。もちろん人情以上の感情があったに違いないのだが。 ジャッキーが入学した中国戯劇学院のカンフーの師匠を「共産党のスパイ」と呼び、ジャッキーに向かっても「お前がアメリカ進出を図ったのも共産党のスパイ活動のためだろう。私には分かっているのだ」と言ってのける。ジャッキーが頷きも笑いもせず、無表情で聞いているものだから、おいおい、ホントにそうなのかよ? と見ているこっちがビクビクしてしまう。 40年以上もして、どうして真実を語る気になったかは、妻の月榮が病気になり、死期が迫ったからであったが、タイトルにある通り、「失われた龍の系譜」を回復するためでもあったのであろう。道龍はほぼ50年ぶりに息子二人、娘二人を探し当て、再会、名前も「陳志平」から「房道龍」に戻す。兄たちは、姉たちは、自分たちを捨てた父親をどう思っていたのだろうか? 映画はそれも深くは語らない。多分、「語れない」のだ。映画は、その兄や姉たちの家族に囲まれて、「おじいちゃん」となった道龍を、いかにも幸せな大家族のスナップショットの中心に映し出して終わる。 そしてジャッキー・チェンは、「陳港生」ではなく、「房仕龍」(ファン・シーロン)となり、芸名の「成龍」だけでなく、本名でも「龍」の字を継いだ。出来すぎた結末で、ドキュメンタリーでありながら何か「足りないもの」を感じないではいられないのだが、その最大のものはこの父親の話をジャッキーが「どう受け止めたか」である。歴史の年表だけを見せられて中身の説明がまるでないようなものなのだが、兄姉たちの過去も含めて、それらが本当に語られることはないのだろう。 月榮は2002年に他界した。現在に至るまで、ジャッキーは兄たちに面会してはいない。父は「会う必要はない」と語り、兄は「会わなくても弟は弟だ」と答える。そしてジャッキーは沈黙を守る。 多分、それでも彼らは「家族」なのだ。どうしてそう思うかについては、私もジャッキーに倣って沈黙を守りたいと思う。
帰宅したら、しげはまた爆睡。だから昼間練るなって。夜、練られなくなるだろ?
『アニメージュ』6月号、恒例のアニメージュグランプリ、数えてもう27回であるが、まあ想像通りグランプリを取ったのは『機動戦士ガンタムSEED DESTINY』(2501票)で、2位の『鋼の錬金術師』(1478票)を大きく引き離していく。更に3位以下は得票が一気に3桁台に落ち込むので、アニメージュ読者にとっての昨年のアニメと言えば、“この2本しかなかった”ということになる。『アニメージュ』も腐女子に乗っ取られて久しいから、この結果も仕方がないのだが、70年代からアニメブームの牽引的役割を果たしてきた老舗がこのようなテイタラクに成り果てていることに忸怩たる思いを抱いているアニメファンも多々いらっしゃるに違いない。何たってねえ、このグランプリ、『マインドゲーム』が一票も入っていないのだ!(たいていの批評家がベストワンに推していると言うのに!) この十年くらい、あまりにもベストテンに「偏り」があるために、グランプリとは別に批評家のベスト作品を紹介したり座談会を開いたりして、読者のアニメに対する啓発(つか啓蒙に近いな)を行ってきているが、効果は殆ど上がっていない。ともかく今のアニメファン(と言うよりはキャラ萌えの腐女子)くらいアニメを見ていない連中はいないのだ。以前は私も「頼むからもう少しほかのアニメも見てよ」と言ってたが、もう最近は「頼むから『アニメファン』を名乗らないでくれ」と言うしかないな、という気持ちになりつつある。 今回の藤津亮太、斎藤良一、小黒祐一郎三氏による座談会は例年以上に辛辣な批判が飛び出しており、かつてこれほど読者を罵倒した記事があっただろうかと思えるほどだ。ちょっと抜粋すればこんなとこだ。 「得票を募集したときの人気作品に票が集まる(半年や一年前の作品だと忘れられている、という意味)」 「『アニメージュ』にたくさん記事が載ってる作品が、順当に上位に来ているということでしょ。それが良いことか、悪いことなのかはわからないけど」 「そういう意味では、グランプリ結果を見て『アニメージュ』も、もっといろいろな作品を取り上げてよ、とは思いました」 「最近は『萌え』か『BL』ばかりになっちゃって、中・高校生の男の子が本気で見られるアニメがなくなってる」 「基本的にアニメ雑誌の読者は、キャラ中心に見てるから。(『イノセンス』について)主人公がバトーとトグサのおっさん二人で、あとは犬と人形じゃあ、『アニメージュ』読者は投票しようがない(笑)」 要するに、アニメファンを称する連中が、幼稚で視野の狭いバカガキの娘っ子ばかりになっちゃった、ということである。かつての「コミケからヤオイを駆逐するぞ!」の吾妻ひでおの檄も、今はむなしい。 こういうことを書くと、またメールやら掲示板で「今のアニメファンの土台を作ったのは、あんたたち昔のオタクでしょうが。責任逃れするな!」と腐女子のミカタの方が現れたりするので、素直に反省しましょう。ハイ、確かにその通りです。昔も今の腐女子と同じく、キャラと声優にしか興味のない腐れオタク女子はいましたが、そいつらを我々は「まあ、人の趣味はいろいろだし」と戦後民主主義的に暖かく見守っておりました。それがよくなかったのですね。我々は彼女たちにこう言ってやるべきだったのです。「キモいからやめれ」。 アニメーションにはさまざまな可能性がある。ところが腐女子はその可能性に目を向けない。見えないと言った方が正しいかもしれない。“そういう人間しかアニメを見ない”ような事態になれば、アニメーションという表現芸術自体が崩壊してしまうだろうことは火を見るよりも明らかだろう。 雑誌は売れなきゃしょうがない。だから今が旬のキャラをフィーチャーした特集を組まざるを得ないのは商売としてはわかる。しかし、今、アニメ雑誌が相手しているのは、一人のキャラへの興味が尽きたらほかのキャラに乗り換えるような、ジゴロか風俗通いの変態レベルのメンタリティしか持ってないキモオタ女どもである。こんな連中を視野に入れた雑誌作りが、果たして長続きするものかどうか。長い目で見るならば、もっとファンを「育てる」誌面作りをすべきではないか。そのためには、今までのように単に「ほかにもいろんなアニメがありますよ」程度の紹介だけでは生ぬるかろう。ここは徹底的に「下らんアニメの吊るし上げ」特集を毎号組んでいくしかないのではないか。 『SEED DESTINY』にしろ『鋼錬』にしろ、ネット上ではケチョンケチョンに貶している意見もまま見受けられる。それらは単純な感情の垂れ流しに過ぎないものも多いから、ここは雑誌媒体としての威厳を持って、もっと多角的かつ建設的な分析を試みた批評を多数載せるのである。なんならテーマを決めて読者に論争をしかけたっていい。ネットみたいに誰でもが書きこめて収拾がつかなくなることはないのだから、「私の○○を貶さないで!」みたいなヒステリー投稿は無視して、きちんと根拠を示して反論してくる意見だけを取り上げればよい。読者が活性化しないと、雑誌は存続できないのだ。 ……でも、ホントにそんな特集やったら、批判されたアニメのプロダクションは怒って番宣資料くれなくなるかもしれないよなあ。アニメ業界って、アニメファン以上に性格歪んでそうな人間も多いらしいから(と、誰のことかは言わないでぼかしておこう)。 日本はもうアニメ大国ではなくなっていくのかな、と思う。どうせ腐女子は自分たちがアニメの未来をつぶしているという自覚なんかないのだろう。そしてこれからも数々の迫害にもめげず、ゴキブリのように増殖し、アニメーションを食いつぶしていくのである。業界に入ってくる新人も萌えオタクばかりになる。そんな奴らが新しく作り出すアニメがどんな代物になるか。十年先、二十年先のアニメ界がどんな姿になっているか、想像するだに恐ろしいのである。
『エウレカ7』、福岡じゃやってないと思ってたら、しっかり今朝放映してたのな。だから番組表だけじゃ小さくてわかんないんだって。アニメ雑誌って、放映前は○○系としか記載しなくて、放映が始まってから地方のキー局載せるから、情報発信の昨日、イマイチ果たしてないと思うんだけど。
夜、久しぶりにアニメ『ワンピース』を見る。もう35巻のあたりまで来てるんだね。原作にかなり追いついてきてるけど、大丈夫かね。ひとシリーズ終わらないことには場つなぎの屑エピソードだって挟みこめないと思うけど。 こないだ日記に『ワンピース』の悪口を書いたら、長いこと私の日記をお気に入りに入れてくれていた方からあっさり削除されてしまいました。まあ仕方ないんだけど、やっぱ「自分の好きな作品を貶されたら怒るのが当然」って考えてる程度のメンタリティしか持ち合わせてない腐女子さん(男にもいるけど)は基本的にコミュニケーション不全だと思うんだけどねえ。自分が思いあがってることに気が付いてないのな。
続いて、やっと終わってくれた『名探偵ポワロとマープル』最終回。『雲の中の死』はマンガ版の感想にも書いたけど、原作自体が中以下のレベルの出来なんで、ポワロがトリックを語って犯人を指摘しても、「そんなん、その場で犯人バレるわ」としか思えない。作画も平板で、最後まで向上しなかったなあ。ラストに取ってつけたようにメイベルの「私も少しは成長できたかも」なんてナレーションが入るのも、スタッフが投げやりでこのアニメを作ってたようにしか思えず、腹が立つ。 仮にもタイトルに『ポワロとマープル』と銘打ってるんなら、ラストでこの二人を出会わせるくらいの演出をしろよな! それとも、原作にそういうシーンがないからできないとでも? これだけ原作をデタラメに映像化しといて、それ言うんなら、このアニメのスタッフは全員打ち首もんだ。
続けて『義経』も見たけど、清盛が死んだら、やっぱりドラマ全体の「重み」が消えちゃった感じだね。代わりに頼朝が前面に出てこないといけないところだけど、中井貴一、頑張ってるんだけどまだ重みを出すまでには至ってない。声がまだ頭の方から出てる感じなんだなあ。いや、デビュー当時の大根役者ぶりに比べたら格段に上手くなっては入るんだけどね。
2004年05月15日(土) 遅れ馳せながら今年の「アニメグランプリ」。 2003年05月15日(木) すっ飛ばし日記/ベストテンな本 2002年05月15日(水) 目出物雄三ってキャラが某マンガにいたね/『まんが アベノ橋魔法☆商店街』(鶴田謙二)/『ガウガウわー太』3巻(梅川和実)ほか 2001年05月15日(火) 本を売るならBOOKOFF/『BLOOD THE LAST VAMPIRE 2000』(玉置勉強)
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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