無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年05月14日(土) 形ばかりの反省なら黙ってようよ/『時代劇スペシャル 丹下左膳 剣風!百万両の壷』

 JR福知山線の脱線事故で、乗客を救助しないまま出勤したJR西日本の男性運転士2人の手記が発表された。掲載されたのはヒゲの暴言記者の件で謝罪したばかりの読売新聞で、さて、手記を書きたいと本人たちが望んだものか、それとも読売のほうから「書きませんか」と持ちかけたものか、まず間違いなく後者だろうな。JR西日本も、謝罪姿勢を見せようと、積極的に書け書けと薦めたんじゃなかろうか。そういう政治的判断が見えるから反省の弁とやらもあまり素直に受け取れないんだけれどもね。
 ちょっとここで内田春菊の『幻想の普通少女』風に、二人の文章心理を分析してみる(悪趣味)。

 サンプルA〔尼崎電車区運転士(27)〕

 〉事故が起こった時、大きな衝撃とともに体が後ろに飛ばされ、パニック状態でした。

 →予め、「自分が普通の状態ではなかった」ということを主張しようとしていますね。周囲の状況を説明するためなら、「パニック状態」という言葉を使う必要はありません。パニックに陥ったのは事実でしょうが、それを、乗客を救えなかった言い訳にしようとしています。常に人生を言い訳して生きてる後ろ向きな人間に多い書き方です。

 〉警察の方が車内に来られて、線路横の駐車場に誘導されてからも、しばらく放心状態で何が何だかわかりませんでした。

 →事故の連絡をJRにしたのはいつの時点なのか、書いてませんね。上司に判断を仰いで、「出勤せよ」と言われて出勤したのはこの人でしょう。だとすれば当然、「放心状態」から覚めた瞬間があったはずなのですが。明らかなウソとまでは言いませんが、都合の悪いことは隠蔽しようとする性質が見て取れます。

 〉今、落ち着いて考えると、自分の仕事が気になったといっても、事故の現場でお客様の救助をしないで現場を離れたことはJRの社員としても、一人の人間としても無責任であり、本当に申し訳なく思います。

 →「今、落ち着いて考えると」で、再度「事故当時は冷静ではなかったので、何もできなかったのは当然だ」という主張を暗にしています。「自分の仕事が気になった」も、救助よりも優先すべきことがあった、という言い訳をしたいからで、本気で謝罪するつもりなら、書く必要のない記述です。「JRの社員としても」が「人間としても」よりも先に来ていることが、結局この若造が「JRにマインドコントロールされている」ことの証左でしょう。つか、「人間としても」は付け足しで、こいつに人間らしい心なんてものは「今も」ありません。謝らなきゃいけないから謝ってるだけの、実に形式的な文章です。タバコ吸ったガクセイが書く中身のない反省文かと思いました。

 サンプルB〔森ノ宮電車区運転士(59)〕

 〉気が動転していたとはいえ、現場に残ることができなかった判断の甘さと、これでいいのかという思いが出勤途中に何度もあり、時間がたつにつれ、一人の人間としての愚かさ、悔しさがますます強まり心苦しい毎日です。

 →若造よりはマシな文章ですが、やはり「気が動転」ということが先に書かれている「言い訳文」です。さらに「これでいいのかという思いが出勤途中に何度もあり」という部分は、当然「出勤すべきか」「残って救助すべきか」で迷ったことを示しており、その結果の「出勤」という判断が間違っていたことを「一人の人間の愚かさ」として認めてはいますが、残念ながら、その結論に辿りつくまでの思考の過程がわざと省かれています。なぜ「出勤」を選んだのか、その説明は、やはり都合が悪いから書けないんですね。
 それが「会社命令には逆らえないから」なのか、「こんな現場から逃げ出したい」のか、どちらともなのかは分かりませんが、やはり肝心なところで「自分を守ろう」という姿勢が表れてしまっています。更に「悔しさ」「愚かさ」という言葉は、自分についての判断の言葉であり、被害者の方への言葉がここまで少しも出て来ておりません。「心苦しい」のも「自分が」心苦しいのであって、「こんなに私は苦しいんだから同情してください」という気持ちのほうが先に立っているのです。

 〉小さな力ですが、私が残って手助けをしていれば、あるいは助かった方もあったかもしれず、悔やんでも悔やみきれません。

 →「助かった方もあったかも」という可能性を示唆する言葉でしか反省を語れないのが、事故の責任を回避したい心理の表れです。「俺がいても助けられなかったかもしれないんだから責めないでくれ」と思っているのでなければ、こういう書き方はできません。「悔やんでも悔やみきれません」という言葉は決まり文句で、感情が殆どこめられていません。こういう言葉で文を締めるあたり、「もう、これで勘弁してくれ」という逃げの姿勢の表れなのです。

 〉私の行動は非難されてもしかたのない行動で大変申し訳なく思っております。

 →「非難されてもしかたのない」であって、「非難されるべき」とは言っていません。つまり、彼を責める我々が悪く、彼自身は悪くない、と内心では思っているのです。積極的に罪を認めるつもりがないことがよく分かります。

 〉私は一生、この重い荷物を背負っていかなければならないし、二度とこのような事故を起こさないようJR社員一同が一丸となり、信頼回復に努めなければならないと思っております。

 →もう「殉教者」気取りです。ハタチそこらの人間が「一生重い荷物を」と言うのならまだ若さゆえの重い上がりとも言えましょうが、六十になろうとする老い先短いジジイが「一生」だなんて、何歳まで生きるつもりなんでしょうか。「こんなことで自分の人生に烙印押されてたまるか」という気持ちがなければ、こんな台詞は出てきません。「JR一同が」にも、「自分にだけ責任取らせるんじゃねえぞ、悪いのはJR西日本全体だろうが」という憤懣が背景にあります。それはその通りなんだけれども、だからと言って、自分が逃げた責任から逃れられるわけはないんで、かえって本人の卑劣さが行間からにじみ出てしまっています。

 一応、ワタクシメも大学時代から文章心理学を専門にやってきた過程がありますので、この分析、そうたいして外れちゃいないと思ってますが、いかがなもんでしょうか。まあ私も決まり文句ばかりで実のない文章はよく書いてるんで、人のことは言えないのですが(←この「人のことは言えない」というのが決まり文句ね。こう言っときゃ反省してるように見える、というやつです。そのココロは「人のことは言えないけど、私の意見は変えないよ」という意味なのね(笑))。
 でも、ここまで底が浅くて見え透いてる反省文を書かせるってのも、JR西日本が、それだけ国民を思いきり愚弄してるってことなんである。国民の知的レベルをその程度と踏んでいるということなのである(でなきゃ、あんなヘボ反省文、書きなおさせてらあ。「実は自分たちは悪くない」と言いたいからあんな文になるのだ)。
 あれ読んで「ああ、この二人は本当に反省してるんだなあ。可哀想に」なんて言って騙される人、いると思ってるのかね? たまにホントにいるから情けないんだけど。


 休日なので、朝からしげと映画に行く予定であったが、直前になってしげがキャンセル。継続中の鬱のせいである。
 病院に通っていても、最近はクスリ以外の治療効果があまり上がっていない。問診で先生から「どうして鬱なんですか?」と聞かれるのが嫌なのだそうだ。
 それこそ「どうして聞かれるのが嫌なのか?」と問いただしてみるのだが、「だって、理由を“作らないといけない”から」と答える。本人にもどうしていきなり情緒不安定に陥るのかが分からないのだそうだが、かと言って、本人以外に理由が分かるはずもないのだから、先生にしても「どうして?」と聞く以外にななかろう。ぶちぶち拗ねるしげのほうが間違っているのである。直感だけで生きてる人間は自己分析の能力もないから困るんだよね。
 「だからどうして映画に行きたくないのさ」と詰め寄ったら、「だって今日は、新しい抗鬱剤をもらったんだもん」と言う。それがどう効き目があるか分からないから、映画はやめるのだとか。よく分かるような分からないような、妙なリクツで、映画見た後で飲むのじゃダメなの? と思うのだが、しげの様子を見ていると何だか切羽詰っている感じで、なるほど、映画を見ている最中にぼろぼろ泣き出しそうな気配である。
 つい2、3日前も、しげは私を駅まで迎えに来て、私の顔を見た途端にべそべそ泣き出した。半日会えなかっただけでこれだから、安心して仕事に行くこともできやしない。映画館は一緒にいるじゃないか、と言われそうだが、一緒にいたって目はスクリーンに向かっているから、やはりしげは孤独を感じてしまうらしいのである。観劇中に「もう帰る!」なんて愚図られた日にはたまったものではない。前にも書いたが、私としげは一回りほど年齢差があって、更に見た目はもっと離れているように見えて(私が老け顔でしげは童顔だからである)親子くらい離れていると勘違いされることも少なくないのである。だから、しげが泣いてるのを私がなだめているのを人が見たら、どんなゴカイをするか知れたものではないのだ。
 映画は明日行くことにして、今日は控えることにする。と言いつつ、明日になってクスリの効き目が切れたらまたどうなるか分からないのだが。

 クスリを飲んだしげは、そのままコトンと寝て、12時間起きなかった。9時から9時までである。寝相は最悪で、寝たときにはちゃんと服を着て、布団もかけていたのに、目覚めたときには布団もとっ散らかした上に全裸であった。起きるなり私のほうを見て、「いやん、えっち♪」なんてこきゃあがったが、私が脱がしたのではない。自分で勝手に寝ながら脱いだのである。しかも、私が、脱ごうとする服を下げてやり、布団を何度もかけてやったというのに、結局、「うにゃあ!」とか奇声をあげてぜんぶうっちゃらかしたのだ。何で私が変態のように見られなきゃならんのだ。
 今朝の鬱はどこ吹く風、という調子なので、多分、今度のクスリは利いたのだろう。全く、自分で脳内麻薬くらい分泌してセルフコントロールくらいしてくれと言いたい。


 昼間はだらだらとテレビを見る。『行列のできる法律相談所』の再放送とか、『義経』の再放送とか。渡哲也の清盛があっさり死んで、松坂慶子の時子が檄を飛ばすんだけれど、これがまるで迫力がない。『キネ旬』でいつぞやこの松坂慶子を誉めてた評論家がいたが、何をどう見てるんだか。

 『究極の二択クイズコロシアム ホントはどっち!』という特番、パネラーがいかにもどうでもいい二択を選ばされるという楽しいバカバラエティ。問題だけのばかばかしさで、妙な演出をしてないのがいいやね。
 「豚と三瓶、体脂肪率が高いのはどっち?」(答え・三瓶。豚は29.1%で、ちょっと小太りの女性程度らしい。三瓶は36%くらいだった)
 「安田大サーカスの『クロちゃん』とかつみ・さゆりの『さゆり』、声が高いのはどっち?」(答え・さゆり。なんと1100デシベル! 人間の限界を超えてるとか言ってたけど、ヨナさんとこのあやめさんならこれ越えられるんじゃないか)
 「『佐藤』と『鈴木』。日本で一番多い苗字はどっち?」(答え・佐藤。昔は確か鈴木が多かったと記憶してるが、今は逆転してるのかな)
 「パンチパーマの人に聞きました。哀川翔と高倉健、あなたの『心の兄貴』はどっち?」(答え・高倉健。聞いた対象が中年以上の人が多かったから、そりゃ健さんになるでしょ)
 「新宿No.1ホステスとホスト。これまでに貢がれた額が多いのはどっち?」(答え・ホステス。しかしホントにどうでもいい二択だよなあ)
 パネラーの江川達也がやたら薀蓄語ろうとして森下千里から「うるさい」とたしなめられていたのがおかしかった。


 CS「日本映画専門チャンネル」で『世界の中心で、愛をさけぶ』。
 劇場公開時は「なんじゃこりゃ?」と思った映画であったが、『デビルマン』を見た後では(もうこのフレーズも懐かしいな)。
 やっぱり白血病患者を美しく描いて儲けようって偽善ぶりが鼻につくのは変わらないのだが、演じている長澤まさみに罪があるわけじゃなし、よく熱演はしてるし、この映画見てドナー登録した人も増えたと言うし、「偽善もまた善のうち」と、大きな目で見てあげてもいいかな、という気分にだけはなったんで再見。でもやっぱり感動はしないのである。
 しげの今一番フェイバリットな役者さんである近藤芳正さんが出演しているので(でもチョイ役)、録画してあげようと思ったのだが、生DVDを初期化し損なって失敗。でもまた再放送があるだろうから、勘弁してね。


 CS「ディズニーチャンネル」で『ヘラクレス』。
 一応ギリシャ神話がモチーフだから、いやがるしげを誘って劇場まで見に行った記憶があるが、今見返してみても薄味でつまんない映画である。ディズニーアニメ凋落を象徴する一本。もっとも、劇場公開時は字幕スーパー版だったので、気になってた吹替え版が聞けたのは嬉しかった。ヘラクレスの松岡昌宏、メガラの工藤静香はまあこんなもん、という出来であったが、ハデスの嶋田久作のハジケぶりが凄かった。悪役ではあってもディズニーアニメの中ではハデスはかなりヌケサクで愛嬌もあるので、そのあたりを考慮しての熱演だろう。何たって映画の締めはハデスにおいしいとこ持ってかれてるのである。


 CS「時代劇専門チャンネル」で『時代劇スペシャル 丹下左膳 剣風!百万両の壷』。
 昭和57年制作の仲代達矢主演版で、原作の『乾雲坤竜の巻』と『こけ猿の壷の巻』を適当にこき混ぜての映像化。左膳が隻眼隻腕の剣士になったいきさつも冒頭にあり、またその因縁が本編に絡む一幕もあり、大岡越前との丁丁発止もあり、つまりは原作シリーズの殆どを一作に詰め込んじゃったわけで、続編を作る意図がなかったことがよく分かる。単発で終わってしまったのが惜しいくらい、力の入った仕上がりだが、どこか原作のつん抜けたような豪快さがなくて辛気臭いなあ、何となく脚本も演出も五社英雄っぽいなあと思ったら、ホントに五社英雄が監督だった。まあ、仲代に、可憐なヒロインが夏目雅子とくれば、これは確かに『鬼龍院花子の生涯』の流れである。
 仲代達矢の左膳はまあ、仲代達矢であって、痩せぎすの風貌が大河内伝次郎よりは原作に近いので、もう少しギラギラしたところがほしかったが、ややもっさりとしてしまっているのが惜しい。それもある程度は仕方がないのは、この当時ですら仲代達矢は既に50歳になっていて、左膳を演じるにはもうギリギリの年齢だったのである。『用心棒』の頃(29歳)の仲代さんだったら、さぞや似合っていたことだろうと思われる。まあその頃はその頃で、東映で大友`柳太朗の『丹下左膳』シリーズが継続中(最終作が『用心棒』の翌年)であったから、仲代さんに左膳を、という話は多分なかったろうが(時代劇ヒーローのもう一方の雄、『大菩薩峠』の机龍之助を三十代のときに演じることができたのは僥倖だろう)。
 数ある左膳映像化の一本に埋まる出来なのかと思ったのだが、拾い物だったのは意外にも(失礼)、櫛巻きお藤役の松尾嘉代だった。実は私はあまりこの人の演技が好きではなかったのだが(特に2時間ドラマとかはどれもこれも「流した」ような印象があるのね)、このお藤は驚くほどにいい。伝法で凛々しくて、それでいてチョビ安を慈しむ母性もある。短筒を構えた艶姿なんぞは身震いするほどカッコイイ。女はやっぱり男前でなくちゃな、という感じなのだ。

2004年05月14日(金) 内憂外患、振り回されてますよ(T∇T)。
2003年05月14日(水) すっ飛ばし日記/モテる男の心中
2002年05月14日(火) 2001年アニメグランプリ/『ななか6/17』7巻(八神健)ほか
2001年05月14日(月) 今日の実験……失敗/今週の少年ジャンプ『ヒカルの碁』



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