無責任賛歌
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〔昨日の日記の続き〕 〔これより3月21日の日記〕 夕べは興奮していたのか「寝付けない」と言っていたしげ、朝っぱらからイビキをかいて寝ている。最近とみに顎の下に肉が付きつつあるので、その騒音は弥増す一方である。 一夜明けて、テレビを点けてみると、昨日は放映されていなかった地震当時の映像がいくつか増えている。戦没者慰霊会の様子やら、昨日とは別の保育園の卒園式の様子やら。いつもいつも思ってることなんだけれど、こういう映像ってどうやって入手しているのかね。局のほうから「そちらに映像はありませんか?」って尋ねに行っているのだろうか。素材がそこまで必要なのかよと、これもいつもながらマスコミに対する不快感は晴れない。あとは九電記念体育館に避難している玄海島の人々の様子を紹介。これも一時避難でしかないわけで、先行きが見えない様子は見ていて胸が痛む。私はまだ運がいいほうだ。 yahooの掲示板を覗いてみたが、「前日に地震雲を見た」だの「飼ってた動物が暴れていた」だの、お前ら江戸時代の人間か、と言いたくなるくらい非科学的な書き込みが跳梁している。断層が電磁波起こして電離層に影響を与えて変な形の雲を作るとか言ってるのだが、別に断層が生じなくても電磁波は空を飛びまくっているし、変な形の雲なんてしょっちゅう見かける。「地震雲」と称するものの形が一定していない以上は、地震と雲との間に明確な関連性はないと断定するのが常識的な判断というものだ。「動物が騒ぐ」に至っては何をか言わんやで、ケダモノはいつだって騒いでいる。うちの近所の犬は逆に昨日のんびり昼寝してたがこれはどうなるのかね。 そんなのは何の科学的根拠もないことはとうの昔に証明されてるんだが、未だに平然とこういうデマを流している御仁が多いということは、ネット社会の情報伝達能力なんて、日常においては屁の役にも立ってない面も大きいということだ。結局、人は自分の信じたいことしか信じない。占いだの血液型などにかぶれる能天気な連中が途絶えないのもムベなるかなだ。 ハカセ(穂稀嬢)から携帯のアドレス変更のメールが来たので、これで劇団の連中で消息が知れないのは、らぶやん(桜雅嬢)だけになった。けれどハカセが元気なら、らぶきっつぁんもきっと大丈夫だろうから(^o^)、多分、仲間うちで大きな被害にあった者はいなかったろうと思われる。暢気な彼女の性格からすると、無事ゆえに連絡する気も起こらなかったというところだろう。 結局、地震で一番被害を受けたのはウチか。震度五弱の余震の危険はまだ数日は続きそうだと言うし、散乱した部屋を片付ける気にはまだなれない。台所を片付けようと足を踏み入れてみたら、サラダ油がこぼれていて、滑って転んだ。左肘を打って、ちょっとすりむいたくらいだが、これも一応二次災害と言えるか。 しげの部屋に入るとき、割れた食器を踏んで足の裏をすりむいたが、これは食べた後で食器を片付けずに放っといたしげの仕業なので、天災ではなく人災である。しげのだらしなさがこういうときでも被害を増大させているのである。 ニュースでは、地震の負傷者は七百人を越えたと伝えた(グータロウ君のお子さんが、この数字の中にしげも含まれているのかと心配していたようですが、病院にかかるほどの傷ではありません)。それでもこれは震度を考えると比較的被害が少なかったと言えるらしい。筑紫平野の岩盤は、かなり頑丈だったのである。 それでも、中央区では倒壊の危険のある四階建てのビル付近から、住民が避難したというニュースを伝えている。映像を見ると、そこは支柱の二本が折れていて、なるほどピサの斜塔ほどではないが建物が傾いているのは見て取れるので、これは危ないとすぐに分かるのだが、ほかにも目に見えないところに亀裂やら破損やらが生じている建物も多いのではなかろうか。福岡・佐賀の住人は、これからはちょっとした“家鳴り”があってもそういう不安に苛まれる日々が来るのである。PTSDとはこういうものかと実感する人も多かろう。 こうした災害時に、行政の対策の出遅れが指摘されるのは常であるが、はっきり言って大規模災害に際しての対応のノウハウなどあってなきがごとくであるということをこそ今回は実感した。 「まさかこんな事態が起こるとは」と被災者が口々に言っているのは全て「嘘」で、一応考えてみたことがあるけれども、何一つ対応を取らないでいることで現実から目を逸らしていただけなのである。 まさしく誰もが「現実よりも虚構」の中で生きているようなもので、極端に言えば、小松左京の『日本沈没』に描かれているように、どんなに事前に警告が行われようと、「なすすべもない」部分はどうしても生じるのだから、“初めから対策を放棄している”のである。そのくらい、人間は、あるいは日本人は、不慮の災害に対して事前に何かを想定することなど出来ない。「事故を考えまいとする文化」の中で育てられてきている以上、どんなに優秀な人材が行政に関わっていようと、結果としては不手際しか生じないようになっているのである。 さびしい事実ではあるが、人生はやはり「運次第」だと諦観するよりほかはない。 今日は国際会議場で阿佐ヶ谷スパイダースの舞台『悪魔の唄』の公演が行われる予定で、運良く前から二番目の席が取れていて楽しみにしていた。 しげは昨日の今日なので、公演が無事行われるかどうか心配していたのだが、これは実際に出かけて見なければ状況がわかるものではない。気になるのは、会場が博多埠頭の近くで、地震、津波の影響を受けやすい場所であることだ。祈るような気持ちで会場に行ってみたのだが、会場の前で係員の方がメガホンを持って「公演は中止です」と怒鳴っていたので、ああ、と天を仰いだ。 「会場が使用できない状態になった」という説明だが、具体的なことは分からない。会場前のアスファルトの道路を見ると、排水溝から溢れたと見られる「潮」の跡が白く乱れて広がっている。報道では「津波は来なかった」とのことであるが、実際にはある程度の波は来たのだろう。配線がイカレたか、天井から照明器具が落ちてきでもしたか。もしそうなら、『オペラ座の怪人』のまんまである。会場の向こうを救急車がぱーぽーぱーぽーと走っていく。まだ「何か」が起こっているのだろうか。 会場の入り口ではチケットの払い戻しの手続きとともに、作・演出の長塚圭史さんほか三名の方が、お詫びを兼ねてであろう、急遽サイン会を開いていた。 長塚さんは、役者としては以前『奇跡の人』であまり印象のない役を演じられていたが、演出家としては『ピローマン』などで素晴らしく濃密かつ緊張感溢れる舞台作りをされている。しかし、考えてみれば長塚さん、まだ20代なのである! 私自身、最近は自分がとみに頑固ジジイ化していると実感しているので、若い人で、しかもこの人は才能があると見込んでしまったというのは自分でも驚いている。 長塚さんは、先日、第55回芸術選奨文部科学大臣新人賞演劇部門を『はたらくおとこ』『ピローマン』で受賞。また、第4回朝日舞台芸術賞でも舞台芸術賞を受賞している。サインを頂きながら、ちょっと緊張してしまったが、「『ピローマン』が素晴らしかったので楽しみにしていたのですが」「受賞おめでとうございます」と声をおかけすると、逆に「残念です」「とんでもないです」と頭を下げられた。頂いたサインを見ると、今しがた仰った「残念です」という言葉がそのまま書かれてある。多分、長塚さんも、何とか公演が出来ないものかと、ギリギリまで粘られたのだろう。しかし、もしも公演中にまた余震が来たらどうするか。お客さんのことを考えれば、中止もいたし方がない。こういう不慮の事故で公演が出来ない心境というのは痛いほどに感じるので、こちらも「残念です」というしかない。 シアターチャンネルでの放送はあるようだが、DVD発売の予定はないとのこと。うち、シアターは入らないんだってば(泣)。 「せっかく出てきたのにい。地震のやつめ」と愚痴りまくるしげを宥めながら、せめて食事でもと「バーミアン」で奮発してコース料理。と言ってもチェーン店のコースだから1500円しかしない(笑)。 やけ食いして帰宅、そのままフテ寝。 小一時間して起き、映画にでも行こうかとしげを誘うが、「いい、もう」と布団をかぶったまま。しげのショックを考えれば、これはもうどうしようもない。ちょうどよしひと嬢が日記に「ROSSO」のライブで博多に来たことが書いてあって、こちらは地震をものともせずに予定通り実行するとのことなので、しげの悔しさは弥増しているのである。 ネットを見ていたら、中田秀夫監督のリメイク版『ザ・リング2』が、20日発表された週末の北米興行成績で、推定3600万ドル(約38億円)の1位に輝いたとのこと。もちろんこれは、昨年10月の清水崇監督の『THE JUON/呪怨』に続く、日本人監督としては史上2度目の快挙である。 クロサワもたけしもゴジラも成し得なかったことを清水・中田の両監督は成し遂げたわけで、これはもっと喜んでいいことだと思うのだが、なんか日本人の反応は今一つ鈍い。 私も基本的にはセオリーだけで作ってるようなハリウッド映画はつまらないと思っているし、『呪怨』については作品として本当に評価できるのかどうかという点では疑問を抱く部分もなくはないのだが、かと言って黙殺すべき映画だとも思わない。『ザ・リング2』についてもせめて「期待」くらいは持ってもいいのではないか。 竹島問題について、本日21日、韓国の俳優、ペ・ヨンジュンが自分のホームページで「韓国の領土であり、だからこそ理性的に対処すべきだ。私に与えられた役割は、領土に線を引く一言より、アジアの家族の、心と心の線をつなげていくことではないかと思う」という見解を述べたとか。 何でまた「ヨン様」がわざわざそんなことを、と思っていたら、先日の新作映画の記者会見で、記者から竹島問題の立場を問われたけれどもそのときは回答を避けていたので、インターネットの掲示板などで批判を受けていたということである。一介の役者に政治的立場を明確にするよう求めるというのは、やっぱりあの国も所詮は自由のない「軍国主義」の国なんだねえと思わざるを得ない。日本も戦時中はこういう「非国民探し」が横行していたのである。 結局、ぺさんは「竹島は韓国領」と言わざるを得なかったわけだが、韓国人ならそう主張することは別におかしなことでもない。それをあえてはっきり言わせようというのは、親日的な役者を苛めてやろうとする記者たちのいやらしさでしかあるまい。ぺさんは「だれの領土かという一言で実際に変わることは何か、真の解決のためにどんな役に立つのか、冷静に考える必要がある」と述べて、踏み絵を強要し、感情対立をエスカレートさせる現状に懸念を示したという。 私は別に『冬ソナ』にもたいして関心は持っていなかったし(何回か見た程度)、日本人のおばさんたちがヨン様ヨン様とキャーキャー言ってるのを見ていても、好きにしてれば、としか思わなかったのだが、なんという「オトナ」な態度であることか。それこそ「冷静」に考えれば、竹島が日本領土か韓国領土かというのは、双方の言い分にそれぞれ根拠があることなので、日本人だろうと韓国人だろうと断定したモノイイはできないはずなのである。要は行政のサボリが根底にあるわけで、本気で「日韓友好」とやらを考えているのなら、別に深く関わる必要もない「庶民」が立場を明確にするよう強要させられるような事態は、はやいとこ解決してほしいものだと思う。 テレビで『青春の門 筑豊篇第一夜』。 原作読んだのも映画見たのもかなり昔なので、こんな話だったかいなと首を傾げながら見る。東宝版と東映版があるわけだが、吉永小百合ないしは松坂慶子、大竹しのぶないしは杉田かおるのエッチシーンしか覚えてないぞ(笑)。 鈴木京香の熱演は光るが、全体的にはドラマのポイントが親子の情愛にあるのか朝鮮人問題にあるのか筑豊の人間の直情さを肯定的に見たいのか少年の性の目覚めにあるのか、それぞれ突っ込みが甘く、やや散漫な印象。映画の方も長ったらしかったけどね。 ベストセラー小説の映画化と言ってる割りにはどちらのシリーズも途中で終わっちゃってるので、今回はぜひ最後まで続けていただいて、「で、『青春の門』って何の話なの?」ってとこをはっきりさせてほしいのだけれど。 それにしても今回のドラマ化、筑豊弁が板についてないレベルでは近年稀に見るほどにひどかったな(笑)。 ああ、23時59分にまた震度3の地震。救急車もまた走ってる。 部屋、全然片付けられないってば(泣)。 2004年03月21日(日) だらだらしてたんでたいした内容がない。
☆劇団メンバー日記リンク☆ 藤原敬之(ふじわら・けいし) |