無責任賛歌
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2003年03月21日(金) |
何だかクレームがついたゾ/『ネコの王』4巻(小野敏洋)/DVD『プリンプリン物語 友永詔三の世界』 |
さてまあ、一昨日、掲示板の方に戦争のことについて書いちゃったもんで、なんぞ反応があるやろかと思っていたら、早速掲示板にレスがついたのであった。 ただ、私自身が想定していた書きこみとは全く内容が異なっていたので、いささか面食らいはしたのであるが。
だいたいにおいて、私の時事に対する雑感なんてものは無責任極まりないものであって、揶揄と皮肉と悪口だけで成り立ってるようなところがあるから、マジメで純粋でラピスラズリの原石のような輝きを持つ人にとっては、いささかならずハラの立つものだろうと思うのである。 けれど私としてはこれでも「抑えてる」つもりなんですね。なんたって私自身、道徳観というものが全くない人間なので(犯罪者に対して倫理的嫌悪感を持ったことは一度もござんせん)、自分にある程度の枷をかけておかないと、どこまで筆が暴走するかわからないのですよ。なんか2ちゃんねるよりタチが悪い?(^_^;) だもんで、これまでにも何度となく、小さなものから大きなものまでトラブルを起こしちゃいるのだが、未だに懲りもせずにどこまで好き勝手書けるものなのかなあ、ということを実験したりしているのである。
戦争について書いたのも、その事象自体に興味があったわけではありません。 「こういう書き方をしたら反応があるかどうか」ってことを見るのに丁度いい題材だったから、ってことなんですね。 実際、「戦争そのものについては賛成でも反対でもない」=「興味がない」ってことをハッキリ書いとります。俎上に上げたのは「人間の盾」の連中の馬鹿っぷり。けどマジメなヤツ(っつーか、感情的戦争反対論者)はきっと、そこんとこだけ取り上げて、トンチンカンなこと書いてくるんじゃないかと予想してたのね。 「今までROM専門で参ってきましたが、今度のあなたの書き方だけはどうにも許せません。命をかけてイラクに行かれた方の気持ちを考えていらっしゃるのでしょうか」とかなんとかな(^o^)。「これだけは言っとかなくちゃ」って発想自体がただの自己陶酔なんだけどねえ。
予想外の書きこみの一つはヨナさん。 「正義を求めず、国益を追求しましょう」と、日本のアメリカ追従の立場を肯定せざるを得ない、というご意見。もちろん「感情的戦争反対論者」では全くないのだが、「戦争」についての意見であることには違いない。 書きこみ頂いた意見についてのレスは極力付けるようにしてるのだが、これは困った。なにしろこれに返事をしようにも、先に「戦争に興味なんかない」趣旨のことを書いちゃってるんである。どう返事をしたらいいものか迷っていたら、またもや今日になって予想外のレスがついた。
"裏"モノ会議室定連の見えない世代さんが、私の「戦争反対を唱える誰一人として今度の戦争を止められなかったのですから、個人の力なんて所詮国家の前では屁だということが改めて証明されただけではないですか。そういう無責任な人間が、過去の戦争の罪を断罪したりしているのは、あまりにおこがましいというもの」という記述について、「ここは『無責任賛歌』ではなかったのですか?」と突っ込みをされたのである。
さあ、これがまた、何をどう突っ込みたいのかわからなかった。 私としては、日記のタイトルに齟齬のあることを書いたつもりは全くなかったからである。 記述の最後に「これからも今まで通り、『ヨソの国で誰が何人が死のうとかまわねえ』の姿勢を貫きなさいよ」とも書いている通り、私ゃ「無責任を通しなさいよ」と言ってるんであって、「無責任になるな」とはヒトコトも書いちゃいないのである。「『無責任賛歌』のタイトルにもとる」と言われても、「もとりませんよ」としか答えようがないのである。 単純な話、私は「バカがリコウぶるな」と言ってるわけなんだけれども、それは私が「バカ」を肯定的に捉えているからである。「バカはバカでいいじゃないの」ということなのだけれど、「バカ」を否定的に捉えている人ならば、この言葉を「バカをバカにしている」と捉えるだろう。しかし“裏”モノ定連である見えない世代さんがそんな捉え方をしているとはとても思えない。 なんだかよく分らないので、当初の予定通り、「もしもマジメな人が突っ込み入れてきたら」という想定のもとでどう返事しようか考えておいた内容をアレンジして以下のように書いた。見えない世代さん宛てに書いているように見えるが、実はそうではない。
> 彼らは自分が「無責任」だなんて自覚は持ってませんから。「戦争をなんとしてでも止めることに『責任』がある」、そう信じているんだと思います。 > でも、戦車の前に寝転んでプチッと死んじゃう行為を、私は誉めたたえる気にはなれません。そんなことをしてもムダだということがなぜわからないのか。自分に酔ってるんでなければできる行為ではないと思います。 > いったい、彼らに親はいないのか。彼らの親は喜んで彼らを送り出したのか。そういう親もいるかもしれませんし、それはそれで「立派」な行為なのかもしれませんが、全員が全員そういうわけでもないでしょう。親の悲しみ一つ理解できない人間に、何をどう止められるというのか。 > 「大義のために子供が死んでも構わない」というのなら、戦前の軍国主義思想と本質的になんの変わりがあるというのでしょう。 > 彼らを「英雄視」するなら、今、イラクを脱出し、海外旅行を控えたりする人間や、修学旅行を取りやめる学校は、「卑怯者だ」ということになってしまうのか。そこまで難癖をつける人間はそうそういないにしても、子供に死んでほしくないと思う親を「非国民」だと考える人間は、今でもこの日本に「実際に」生息しています。 > 戦争なんて、無責任に傍観してりゃいいじゃないですかってことですから、本サイトの趣旨に反することは語っていないつもりです。 > 見えない世代さんが揶揄するつもりでこういうことを書かれた訳ではないことは理解できますが、戦争の何がよくないかって、それは「人の命がなくなるから」ではなくて、「不謹慎なこと」も含めて、モノが自由に言えなくなることです(ということは日記の中でも何度となく書いています)。 > 私が戦争に賛成でも反対でもない、と書いたのは、どちらの立場の人たちも、自らを「正義」と信じ、ヒステリックに言論を封殺しようという意志において、同レベルだからです。もちろん、冷静に戦争を見ようとしている人もたくさんいらっしゃいますが、私が俎上に挙げているのはそういう人たちではありません。 > 私はあえて過激な書き方をしていますが、もっと柔らかい「戦争か。やだねえ。でも起きるときゃ起きるわなあ」程度のことを言っても「おまえは事態をなんと考えているのか」と本気で突っかかってくる人、現実にいます。逆に、「イラクなんぞさっさと潰してしまえや」と放言する人をさも極悪人のように毛嫌いする人もいます。 > もちろん、時と場合によっては言葉を控える、ということも現実ては常識でしょう。ヤなやつが死んでも、さすがに葬式の席上で「ザマを見ろ」なんてことは普通、言わない。しかし、「事態」が国家単位になってしまったら、いつ、どこででもモノが言えなくなる。マス・ヒステリーに乗せられて、ほんの些細な無責任発言を見逃せなくなるような事態になってしまう危険がある。 > それは、日本人全員が再び「警察国家化」することにもなりかねません。そのことの恐ろしさを、我々は先の戦争で学んだはずではなかったのか、ということを私は言いたいわけです。 > 見えない世代さんは、私の発言について、「危険思想」だとか「国賊だ」とまではお考えにならないとは思いますが、そう「思いたがる」人が増えることを私は危惧しているのです。 > 先の発言で、私は自分の言いたいことは言ったつもりで、あとは付け加えることないなあ、と思ったんで「あとは沈黙」(←もちろんこれは『ハムレット』の「死」のセリフであります。そこにも皮肉をこめたつもりでした)と書いたのですが、舌足らずで誤解を生んでしまったようですので、以上の通り、説明させていただきました。 > もし、見えない世代さんが「不謹慎な発言は慎んだ方が身のためにはいいのではないか」と私の立場などを心配してくださっているのでしたら、「まあ、もちっとだけがんばってみます」とお答えしたいと思います。 > でも『社会派くんが行く!』が堂々と版を重ねているのですから、まだ日本人にも理性は残ってるから大丈夫だろう、と楽観はしているのですが。
先の文章よりも「どっちとも取れる」文章になっている点にお気づきの方もあろうか。何の「どっち」なんだ、と疑問に思われる方もおられようが、あまり詳しくネタバラシするわけにもいかないので、察することのできる人だけ察していただきたいのである。
仕事帰り、天神を回る。 ベスト電器のLIMBで予約しておいたDVDをいくつか。ついうっかりカウンターで紀伊國屋のカードを出してしまい、「違いますよ」と言われて恥ずかしい思いをする。なんかアレだね、女房とナニしてる最中にうっかりほかの女の名前を呼んでしまったような気分だね。いや、ただの例えです。浮気はしたことないし、する気もないと強調しておこう(^o^)。 ジュンク堂で、長いこと探し回っていたいしかわじゅんの『秘密の手帖』をようやく見つける。部数、あんまし出てないらしくて、紀伊國屋にも福家にも見当たらなかったからなあ。
マンガ、小野敏洋『ネコの王』4巻(小学館/サンデーGXコミックス・560円)。 サハとコレットのエルフ姉妹が新キャラクターとしてレギュラー入り。サハさん、なんだかすごく井上喜久子の声で喋ってる気がするんですけど気のせいでしょうか。コレットはまあ、ロリです。胸ないし。今時の声優なら野川さくらあたりがアテりゃいいんじゃないですかね。 でもそんなことより今巻のメダマはなんたって猫女神様の素顔ですね。仮面かぶってたときは吊り目だったけど、ホントはタレ目でした。これが出たってことは次巻あたりで完結なんでしょうか。
DVD『プリンプリン物語 友永詔三の世界』。 なんか四月からも再放送するらしいけれど、一番好きだった「アクタ共和国編」は殆ど残ってないんだね。 だいたい『プリンプリン』が放映されてた1979〜1982年ごろは、NHKの放送作品の保存が雑だって相当批判を受けてたはずなのに、なおもどんどんビデオテープを重ね録りしてたんだから、ふざけんなって感じなんだが。 このDVDには、その貴重な「アクタ共和国編」最終回である第164回も収録。当時はボンボンとルチ将軍が同じ神谷明の声とは気がつかなかった。 ……と言ったらしげが「何で?」と突っ込んできた。そりゃ、今ならすぐにそうだってわかるけれど、当時はたいして声優で番組見るようなことしてなかったんだよ。まあ、私がオタクとしては超薄型だってことが、このあたりからもバレバレなんである。 結局プリンプリンは故郷を見つけられないままで終わっちゃったんだよなあ。続編を想定してたのかもしれないけれど、NHKがそんなに番組を大切にするんだったら『ひょっこりひょうたん島』だって全話残ってるって。結局、作者の石山透さんがなくなって、続編の夢は消える。 何分、今から20年以上昔の作品なので、なぜか勘違いしていたお茶目な話。 ランカー役の滝口順平が歌う「星よスミレよ蝶々よ 薔薇よ蛍よ太陽よ なおそれよりも美しい 愛を求める男の心 ああ 純情一路 どこまでも ああ プリンプリンプリンセス」ってやつ、なぜか私はこの歌だけクロード・チアリが吹き替えてると思いこんでいた。改めて聞くとちゃんと滝口さんの声である。なんでそんな勘違いをしたのか、サッパリわからんのである。
2001年03月21日(水) 『GQ』余燼/映画『アンブレイカブル』/『さすらいエマノン』(梶尾真治)ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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