無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
えーっと、サボってた分の日記を更新しようとがんばって書いてたところだったんですが、いきなり震度5〜6程度の地震が襲って、福岡市内はえらいことになっとります。とりあえず、崩れ落ちてきた本の山の間に埋もれはしましたが、しげも私もたいしたケガはありませんでしたので、無事のご報告だけしております。 しげが『鋼の錬金術師』のDVDをずいぶん見損なっていると言うので、夕べから27話あたりから一気に見る。と言っても、私はもうとうに見ているので、ウツラウツラしながら見ていた。 私は原作もアニメも別物としてどっちも面白いと思ってるのだが、しげはハッキリ原作派なので、特に原作との乖離が激しい3クール目以降は、全然面白くないらしい。「なんでみんなバカばっかなんだよ!」と怒っている。つまんないのを12話くらい続けて見たので、かなり気分を悪くしたらしくフテ寝してしまう。 だもんで、日曜朝の恒例、特撮・アニメ三昧は今日も一人で見ることに。『響鬼』だけは録画を忘れずにしげに後で見せねばならないので、それまでは私も眠るわけにはいかない。 『仮面ライダー響鬼』八の巻「叫ぶ風」。 前回に引き続いて、イブキの初活躍編。太鼓に続いてトランペットだから、打楽器、管楽器と来たわけで、この分だと次は鍵盤楽器か弦楽器か。でもピアノはちょっと持ち歩きに不便だからなあ。ギターならありえるねえ、渡り鳥かキカイダーかって感じで印象がダブっちゃうのはいささかヨワイけれども。 明日夢と、イブキの弟子のあきらとの葛藤がもう一つの今回のモチーフ。最初は対立ムードだったのが最後はちょっと“イイ感じ”になって、これがひとみとの三角関係に発展して行くのか行かないのか、ってあたりが、これからの展開のキモになってくような予感。 まあ、ラブコメの要素が入っても構わないくらい、今回のシリーズは“懐が深く”なってるんで、そういうのもアリだとは思うのだけれども、せっかく新機軸を打ち出して面白くなってきてるところなんだから、ありきたりの展開でドラマの足を引っ張るような悪い方向には行かないでほしいところである。 これから先、ドラマを構築していくにはやはり敵さんの存在をもっと強化していく必要があるわけで、単に似たような妖怪が登場してきて(「マカモウ」ってネーミングはいささか凝り過ぎだが)そいつらを散発的に倒していくだけじゃ、到底一年間の長丁場は持たせられまい。かと言って「ぬらりひょん」みたいな「妖怪大統領」的なキャラを出してくるとか、「実は妖怪こそが人類以前の先住民族」とか、未だにノンマルトな設定を持ち出してこられたりするのも、いい加減飽き飽きしているので、それこそ視聴者が予測できないような「新機軸」を打ち出してくれたら、と大きな願いを持ってしまうのである。そういう期待にも今度のスタッフは答えられるんじゃないかなと思いたいんだけどね。 『二人はプリキュア マックスハート』を見た後、昨日買ってきたDVDを続けて見る。 一本目は『泣いてたまるか』第一巻。 これは例のディアゴスティーニのシリーズで、もとは昭和41年から43年にかけてテレビ放映された渥美清、青島幸男、中村嘉葎雄主演による一話完結式の人情コメディドラマシリーズである。今回は、そのうち、渥美清編だけを抜き出して27巻で発売しようという趣向。このドラマの何がすごいって、脚本家に野村芳太郎、山田洋次、森崎東、橋田寿賀子、橋本忍、木下恵介、家城巳代治、早坂暁、関沢新一、笠原良三、深作欣二、清水邦夫、佐藤純彌、山中恒(!)という、テレビ畑に留まらず映画会社も乗り越えた超党派の錚々たる面子が集まっていて、これが当時としてもかなりなビッグネームばかりだったことなのだ。 にもかかわらず、意外に見ていた人が少なくて、これが知る人ぞ知るシリーズになっているのは、当時の裏番組がNHK大河ドラマの『源義経』だったせいが大きいと思う。視聴率が10%半ばというのは、当時としては決して高い数字ではない。、客商売だったうちでも、多分ずっとチャンネルはNHKに合っていたはずで、私も『泣いてたまるか』は一本も見たことがないのである。そういうライバルに苦戦した番組ではあったが、二年半の長期に渡って続いたのは、やはり「渥美清」という役者の魅力をテレビ局も制作スタッフも買っていたからに他ならないだろう。全54話、渥美清が全て違うキャラを演じ分けるというとてつもないシリーズで、彼が決して「寅さんだけの役者でない」ことを知ることができる。つか、知れよみんな。いやホント、私は『寅さん』だけで渥美清を語る人とは、ファンであろうとなかろうと口を利きたくないくらいである。 第一巻は、第一話『ラッパの善さん』と第三話『ビフテキ子守唄』の二話を収録(収録順は必ずしも放映順ではない)。善さんが「戦時中のラッパ兵だった」というのは、昭和40年代だったら特に説明しなくても、戦時中、彼が新兵としてこき使われていたことを意味するのだとすぐに理解される設定であった。善さんは今はタクシー会社の下っ端、というキャラクターだけれども、この時代、学園ものの用務員さんなど、ドラマや映画にはやたら「元ラッパ兵」が登場していたのである。「戦中も戦後も一介の庶民」を象徴するのに「元ラッパ兵」の設定は適切であった。酔っ払って泣きながら、真夜中にラッパを吹き鳴らす迷惑至極な善さんに対して、視聴者が決して腹を立てることがないのはまさに「ラッパ兵」に対する同情と共感をこの時代の人々が持っていたことの証左であろう(このとき怒ったミスター珍に追いかけられて「身をかわす」渥美清の敏捷かつキレのいい体技を見よ!)。 脚本家はもう説明するのも野暮な、『張込み』以下の松本清張作品で有名な野村芳太郎、監督は『ウルトラQ』で『カネゴンの繭』『育てよカメ』『鳥を見た!』など、ファンタジー色豊かでありながら生活感とナンセンスも同時に表現するという稀有な作品群を残した中川晴之助。解説書には脚本家や監督のフィルモグラフィーなどが書かれていないが、これもきちんとフォローしてほしいところである。 昨年DVDボックスが出たばかりだが、いきなりこんな形で発売というのは、ボックスがあまり売れなかったということなのだろうか。だとしたらこんな残念なことはない。隔週刊だから、一月四千円弱でシリーズが揃えられるのである。かなりお得なお値段だと思うのだが。 続けて居間で寝っ転がったまま、DVD『鉄人28号』を見ていたのだが、その最中に地震が来たのである。 はじめ少しグラッとしたな、と思ったのが途端に強い縦揺れが来た。天井の蛍光灯が大きく揺れ、積み上げていた本の山が両脇から雪崩を起こして私の上に降ってくる。棚の上からはビデオや本が本棚から吐き出されるように飛び出してくる。その様子をしっかり目の当たりにしながら、揺れが激しくて立ち上がることもできない。動けはしないが、動けないと分かるとかえって肝は座るもので、「この程度の揺れで収まるなら、何とか命は助かるな」「これ以上揺れが激しくなってドンと来るようなら、もう諦めて死ぬしかないな」という境界線も見えてくる。だもんで、本やビデオ、CDの類の一部は、目の前をかすめて落ちてくるのだが、それをよける程度の心の余裕は生まれるのである。 隣室でどだだだだと山崩れの音がして、しげの「きゃー」という悲鳴も聞こえるが、助けに行ける状況ではない。ケガをしていないことを祈るだけである。 時間にすれば一分ほども経っていないだろうが、揺れが一段落したな、と思われるころ、隣室からしげの私の名を呼ぶ声が聞こえてきた。続けて「助けて〜」という気の抜けた声も。その気の抜け具合から、とりあえず悲惨な状況になっていないことは分かったが、部屋の中は完全に足の踏み場をなくしている。私の体の上にもビデオと本の山が積み重なっていて、すぐには動けない。腹のところから足元にかけての本を脇にどけて、足を引き出してようやく立ち上がれる。隣室に行く道はCDがかなり落ちているので、これを踏まないように横に積み重ねていく。ほんの少しだけ隙間を作って、足を差し込み、隣室を覗いたら、やはりしげは本の布団を着て顔だけがその間に見えている。 「何でオレ、こんな格好で寝とるとー? 横向いて寝てたはずなのに、上向いてこんな格好してるー」 どうも地震が起こった瞬間はまだ寝ぼけていて、無意識のうちに崩れてくる山をよけながら、それでもよけきれずに山の中に埋まってしまったものらしい。「動けんー、重いー」と唸っているが、泣いてはいないのでひどいケガはしていないようだ。「今助けてやるからちょっと待て」と声をかけて、本をどけながらなんとかしげの頭の後ろに回る。それからさっき自分が抜け出したのと同じ要領でしげの体の上の本を脇にどけていく。「立てるか?」と聞くが、しげは「足に力が入らーん」と寝惚けた声で答える。睡眠薬もまだ効いているので、実際、足が痺れたままなのだろう。「足に力入れなくていい。ケツを引け。引き出してやるから」と言いながら、しげの体を上に引き上げる。尻でずずっ、ずずっと後ろにずりながら、ようやくしげも山の中から抜け出した。 しげにもようやく地震でこんな目にあったのだということが自覚できたようだが、地震の被害がどうかということよりも、眠りを妨げられたことのほうが腹立ちの種であるようで、「寝た気がせん」「夜まで寝れんと?」とぶつくさと文句を言う。あまつさえ、「地震が『響鬼』のあとでよかったね。『響鬼』の最中だったら番組が中止になってたよね」なんてことを言う。その気持ちも分からんではないが、真っ先に心配あるいは安心することはそれじゃなかろう。しげは日頃は“痛い”オタク嫌いを標榜しているのだが、こういう非常識なところは痛いオタクそのものである。覗く気になれんが、あっちこっちのオタクサイト、しげと同じようなこと言いまくってんだろうなあ。 外は救急車のサイレンが喧しいが、こちらはようやく落ち着いてきたので、一息ついてテレビを点けてみることにする。 地震発生は午前10時53分、マグニチュード7.0で、福岡での震度は5から6。津波注意報も発令されていた。天神での地震が起きた瞬間の映像ももう流れていたが、福ビルの被害が一番ひどく、窓ガラスが一斉に割れて街路に降り注いでいる。休日だし路上にいた人も結構いたはずで、破片を浴びてしまった人もいたのではなかろうか。 最もひどい被害を受けた地域はどうやら玄海島のようで、ヘリコプターからの映像では、崖崩れを起こし、全壊している家屋は一つや二つではない。未だ救助の手が差し伸べられている様子も見えず、死者が出てはいないか心配である。 連絡が通じない可能性もあるかと思いながら、父に携帯から電話を入れてみる。 予想通り、呼び出し音すら鳴らず、全くの不通。しげは「外に出てるのかなあ。天神とか行ってるかも」と落ち着かない様子だが、状況が分からないものをどうにかできるものでもない。最悪の場合、マンションで倒れてきた棚の下敷きになって気絶しているということだってありえなくはないが、慌てて父のマンションまで駆けつけていったところで、携帯が繋がらない現在、もしも別の場所にいたらかえって連絡が付かなくなる。少し時間を置いてもう一度連絡を取ってみるべきだろうと、とりあえず、ひと心地つけることにする。 ネットを開いてみると、こちらは書き込みができるようであったので、心配してホームページを覗いている人もあろうかと、命に別状はないことは書き込んでおく。 >うはあ、思いっきり来ました。地震。本棚崩れまくり、私もしげも、山の中に埋もれましたが、とりあえずかすり傷ですんでいます。どの部屋も足の踏み場がない常態ですが、片付けできるかどうか先が見えません。 >今現在、電話回線がパンク状態で知り合いと全く連絡が付かないので、知り合いの被害状況は分かりません。分かり次第、掲示板に書き込んでいきます。 「状態」が「常態」になってる誤植はもう慌ててるんでお気になさらぬよう。 チャットも開いてみたが、すぐに書き込み不可能になる。やっぱジャバチャット、ものの役に立たんわ。 もう一度父に自宅電話から携帯に電話をかけてみると、今度は通じた。 「今どこ?」 「山口や」 「山口!? 何でそんなとこへ?」 「バスハイク。昨日、急に思い立って空きを探して行くことにしたと」 「じゃあ、地震のことは知らんとね」 「それは運転手さんから聞いた。お前んとこはどげんや?」 「本の山に埋もれたよ。この分だと店もマンションもひどいことになっとるんやないかな」 「それはしょんなかろう。ケガしとらんならよかたい」 「お父さんも外に出とってよかったね。じゃあ、地震は全然感じ取らんとね?」 「バスに乗っとっちゃもん。何が感じるもんか。お客さんに『地震はどげんでしたか』て聞かれたっちゃ、『知りまっしぇん』としか答えられんとたい」 しげと言い、父と言い、なんだか随分暢気だが、ともかく命に別状がなかったことは幸いであった。 知り合い連中とはほとんど連絡が付かない状態なので、とりあえず食料を調達しに出かけることにする。近所も食事どころの話ではないらしく、出前の寿司屋が走り回っている。逆にこういうときにはお店屋さんも大変だろうから休ませてあげたらどうかという気もするのだが。近所の「COCO一番屋」は、地震時には開店直前だったはずだが、電気を落として休業状態であった。 帰宅してみると、早速掲示板に書き込みがあったり、知り合いの何人かから何人か心配のメールが入っていた。履歴の時間を見ると、メールは地震直後に打たれていたのだが、やはりこちらに届くのに時間がかかっているのである。内容はもちろん、我々夫婦が「本棚の下敷きになってないか」、それを心配しているもの。誰も考えることは同じである。 特に加藤君のそれは、「藤原家の本棚は大丈夫ですか?!」というものだったが、これでは我々の安否より、本棚の安否を心配しているようである。加藤君もよっぽど慌てていたようだ。 以降の事情も、掲示板に書き込みをする。 >食料調達に外に出てきましたが、近所の店は臨時弊店のところが多い。 >でもセブンイレブンはあっという間に営業再開。根性あるなあ。ひっきりなしにお客さんが訪れて食料買い込んで行ってます。家の中が大変で大人が外に出られないらしく、カード持ったお子さんとかも来ている。 >私ら夫婦は何とか「けもの道」を作ったところで果てて昼寝。地震から五時間経ってるけれど、今もまだ余震が続いています。テレビを見ると、けが人が少なくとも福岡・佐賀で259人とか。住宅全壊が10棟、一部損壊が200棟以上。でも、鉄道バスの運転は何とか再開しつつある模様。 >劇団の連中の安否は、加藤君からメールがあったのみ、ほかの連中とは未だに携帯が不通なので分かりません。みんな大変な状況だろうけれど、無事なら劇団のホームページに早いとこ書き込みしてくれ。 「閉店」がやっぱり「弊店」と誤植されているなあ(笑)。 けが人はこの時点では200人台であったが、すぐに300人を越し、夜には400人を越すことになる。 続けての掲示板書き込み。 >JRは六時過ぎに全面復旧。けれど死亡者はついに出た。75歳のおばあさんが倒れてきたブロック塀の下敷きになって亡くなったらしい。福岡で震度五以上の地震が観測されたのは、大正十二年に観測が始まって以来、初めてだということだ。つまりは「全く地震なんて起こったことがなかった」というのと同じことで、それくらい、福岡という土地は地震に縁がなかったのである(昔、上京したとき、東京はなんて地震が多い土地だと驚いた記憶がある)。 >津波は来なかったけれど、福岡タワーのある百道浜のあたりは、地面が液状化しているとか。落下物のある道も多く、復旧にはしばらくかかりそうだ。 >職場との連絡は通じず終い。何かあれば緊急連絡が入ることになってるのだが、連絡網自体途絶えてる可能性が高いからどうなってることか。まあ、誰かが駆けつけて対応してるとは思うけれども。 >よしひとさんとは電話が通じた。ご無事で何よりだが、なんと今日が誕生日だったそうで、10年前にも三月二十日に例の地下鉄サリン事件が起きていたとか。全く、狙い済ましているようで、お気の毒なことである。 >しげは今疲れ果てて寝ているが、寝ぼけて「そうなの?」とか意味不明なうわごとを言っている。まあしげが寝ぼけるのはいつものことなので、地震のせいではないかもしれないが。 私も暢気に書き込みしているようであるが、この間もずっと余震は続いているのである。広島の友人に無事の連絡を入れたら、「新潟みたいに余震の後に本震がまた来る場合もあるから気をつけろよ」と言われる。しかし、本震がまた来ちゃったら、助かるか助からないかは本当に運でしかないのだ。もともと私は事故だの病気だの手術の失敗だので死にそうな目にあったことが何度となくあって、そのせいですっかり運命論者になっていたのだが、また「人生は運だけ」ってのを実感することになった。 2004年03月20日(土) 『座頭市』と『フイチンさん』と、長さんの死
☆劇団メンバー日記リンク☆ 藤原敬之(ふじわら・けいし) |